日本企業グローバル化の課題-調整・交渉業務 強み生かせ

冨浦 英一 ファカルティフェロー

今年は環太平洋経済連携協定(TPP)が大筋合意に至ったという点て、わが国のグローバル化にとって大きな節目となる年であった。そこで、グローバル貿易と国際経済学の変貌に触れつつ、日本企業が直面するグローバル化の課題について考えてみたい。

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世界の貿易は、戦後ほぼ一貫して経済成長率を上回る拡大を持続してきたが、近年は世界貿易機関(WTO)における世界の貿易自由化交渉は頓挫している。こうした中で、世紀の変わり目にいわゆる「2000年問題」を契機として、米国からインドヘのソフトウエアプログラミングのアウトソーシング(外部委託)が本格化した。一方、モノの貿易でも、1つの製品を生産する工程を国際的に分割するフラグメンテーション(分散立地)により、最終財よりも部品や素材などの中間財が占める比重が拡大した。

このように変貌したグローバル貿易は、巨大な多国籍企業の企業内貿易として専ら展開されているわけではない。海外直接投資により設立された子会社だけでなく、資本関係のない他社から契約により中間財や業務サービスを調達するアウトソーシングが広がりをみせている。

企業の生産基地は低賃金を求めて中国から後発の発展途上国へとグローバルに転々としている。そのため、人工知能(AI)の活用で工場が無人化されても、日本に生産が回帰するとは限らない。

一方、複雑な取引を伴う産業については、単純なコスト切り詰め競争よりも、「法の支配」が貫徹し知的財産権保護などの法制度が整備され、裁判所も機能する契約環境の整った国の方が比較優位を持つことを最近の研究は確認している。法制度の異なる外国へ国境を越えるだけでなく、企業の境界を越える取引がアウトソーシングとともに活発になると、企業活動を円滑に展開できる法的環境の重要性はさらに高まる。

今世紀に入り、同一産業内における企業の異質性に着目した「新・新貿易理論」の登場により、国際貿易理論は歴史的な変革を経験した。この新理論は、(1)最も生産性の高い企業は海外直接投資をするが、最も低い企業は国内にとどまる(2)中間帯の企業は海外直接投資をして海外に自社の生産・調達拠点を運営するには至らないが、国内で生産した自社製品を海外に直接輸出したり、中間財を海外の他社から調達したりする--という興味深い仮説を提示した。

筆者らの研究では、理論の予測通り、企業は生産性により実際に序列付けられていることを確認している。これまで産業という集計単位で分析されてきた国際貿易理論に、ミクロ企業の異質性が導入された結果、企業の境界と国境の絡み合いが興味深いテーマとして浮上してきた。

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さらに、グローバル展開した企業は生産性の面で特徴的なだけではない。筆者らの別の研究によると、同じ海外へのアウトソーシングでも、他の日本企業が保有する海外子会社に発注する企業に比べ、日系でない外国企業に発注する企業では、全従業員数のうち国際部門に割かれる社員の割合が高い。この差は、日本企業にとって国境を越えて遠隔地と取引する障壁よりも、日本語あるいは日本企業に暗黙に共有されているビジネス慣行を前提とできない異文化の企業との取引が負担になっていることを示唆する。

ここでわが国貿易の変化に関する1つの試算を紹介したい。実際に輸出入されているのは最終財であっても、その生産に投入された労働を間接的に貿易したとみなし、財の輸入増加で何人分の労働供給が増えたかにより国内労働市場に与える影響を測る「ファクターコンテント」と呼ばれる研究を発展させたものだ。

図は筆者らの研究(「Task content of trade」Japanese Economic Review, 2014)を説明したものだ。1人の労働者が従事する様々な業務を間接的に貿易しているとみなせるという考え方に基づいて、世紀の変わり目10年間(1995~2005年)のわが国製造業の純輸出(輸出-輸入)に含有される業務(タスク)の量的変化をみてみよう。

図:業務量(人数換算)でみたわが国製造業の純輸出変化(1995~2005年)
図:業務量(人数換算)でみたわが国製造業の純輸出変化(1995~2005年)

製造関連業務の輸出が大幅に減少した一方で、数学、科学、問題解決、基本システムに関する思考関連業務も微減で、財務を含む資源の管理業務はほぼ横ばいだった。しかし他者との調整、交渉、説得、奉仕・配慮といった社会的業務の輸出は増えている。製造関連業務は、発展途上国の低賃金労働者とAI・ロボットに挟み撃ちされており、単純作業だけでなく高度な技能を要する業務を含めても日本からの製造業務の純輸出は目立って減少している。

この試算結果はモノの純輸出額自体が減る中にあって、対人関係をチームワーク的に丁寧に調整する業務は、わが国が輸出を伸ばしている分野であることを示している。

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農産物であれ工業製品であれ、国際貿易が専ら最終財で展開されていた時代に比べ、アウトソーシングにより多種の業務が国境と企業の境界を越えて展開される時代には、グローバル化に求められる政策も変わることになる。

TPPでは日本の農産物市場ばかり注目されるが、今回の合意は個別品目の関税を越えた大きな意義を持つ。モノの貿易の範囲内では、原産地規則に完全累積制度が導入され、多数の国にまたがる日本企業の生産・貿易ネットワークを拡大・深化させる。モノの貿易の範囲外でも、限定列挙された以外のすべてのサービス貿易に内国民待遇(現地企業と同じ待遇)を義務付けたこと、投資企業への技術移転要求を禁止したこと、デジタルコンテンツヘの関税賦課を禁止したことなどは、海外アウトソーシングや海外直接投資の促進につながる。

また、WTO発足時の成果である知的財産権協定(TRIPS)をさらに上回る水準で知的財産権を保護するとともに、市場における自由で公平な競争を阻害する国有企業についての規律も盛り込んでいる。法の支配を貫徹させ、ルール的透明性を高めたことは、グローバル企業活動にメリットが大きい。

非常に長い年数をかけて輸入を自由化することを許容したため、完璧な貿易自由化の高い理想には届かなかった。とはいえ、世界の生産・所得の4割近くを覆う広大な経済圏でサービス、投資にまで及ぶ経済ルールが合意できたことは、95年のWTO発足以来の画期的な出来事だ。またわが国にとっては、それ以前から懸案だった日米自由貿易協定にようやく実質的に、より広範で高次の規律とともに、到達したという意義もある。

TPPには、WTOと同様に紛争処理委員会(パネル)による紛争処理規定が置かれた。モノの貿易自由化にとどまらない複雑な経済活動に踏み込むルールを盛り込んだ協定だけに、透明なルールに基づいて紛争解決が進められることが期待される。

こうしたグローバル経済環境にあっては、日本的ビジネス慣行を共有しないグローバル企業とも込み入った協業が、アウトソーシングにより企業の境界を越えて円滑かつ緻密に遂行できるようにする必要がある。そのためには、わが国の法制度・運用の信頼性と安定性を高く保つ一方で、日本企業の多様な業務の透明性を高めるとともに、これらをきめ細かく支える人材の育成が求められている。

2015年12月31日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2016年2月10日掲載