安全保障「国家」から「国際」へ

添谷 芳秀
RIETIファカルティフェロー

1990年代が「失われた10年」といわれて久しい。しかし、ここ10年ほど日本は、巨大なタンカーがゆっくりと舵を切るように、大きく旋回してきたのではないか。おそらくそれは、政治、経済、社会、外交、安全保障のすべてにわたる根本的な変化を含んでいる。

それがどのような変化であったのか、確実なことは後になってみないと分からないだろうが、変わりつつある日本がいま、大きな軋み音をあげだしたことは確かなようだ。小泉純一郎首相が掲げる「構造改革」は、既得権益を支える構造を揺さぶっている。そして、旧習から抜け出せない勢力の抵抗が、舵を切りつつある日本の軋み音を一層増幅している。その軋みで砕けてしまうのか、耐えて舵を切り続けることができるのか、日本は正念場に差し掛かっている。今回の自民党総裁選挙は、そうした真正の転換点に戦われている。

小泉首相のいう「構造改革」を手放しで支持しているのではない。しかし、日本を再生させるために不可欠なのが、問題の部分的な手直しではなく、構造を変革することであることは間違いないだろう。他に誰もやらないなら、やってくれる人に賭けるしかない。小泉首相の支持率が依然として高いのは、多くの人々がそんな抜き差しならない状況を感じ取っているからではないだろうか。

自民党総裁選挙にあたって望みたいことは、「構造改革」の代替案をめぐる本格的な議論である。それぞれの候補者が、体系的な「構造改革」の青写真を示し、将来の日本のあり方や国家像をめぐる政策論争を国民に披露すべきだろう。この10年、日本人の意識や日本社会の実態は着実に変わってきたのに、政治が大きく遅れてしまっているようにみえる。

同じことは、外交、安全保障の分野においてもいえる。90年代を通して、防衛政策や安全保障政策をめぐる55年体制の前提は大きく変わり、憲法9条論議の活発化や自衛隊の国連平和維持活動への参加など、戦後長くタブー視されてきたことが当たり前になった。そして、政治家の間で、平和主義の後退に勢いを得た、威勢のいい外交論や防衛論議が目立つようになった。

しかし、90年代を通して実際に日本の安全保障政策に起きたのは、国際社会の平和と安定を維持する多国間の共同作業への参画が深まったことであった。その第一歩は、91年の湾岸戦争で何も出来なかった経験をへて、カンボジアでの国連平和維持活動に自衛隊を派遣したことだ。それを日本政府は国際貢献と呼んだ。各種世論調査で、国際貢献への障害になるという理由から憲法9条の改正を支持する世論が増えたのも、90年代の大きな特徴であった。

このことは、狭い意味での国家安全保障ではなく、国際安全保障とでも呼ぶべき領域へ日本人の意識が高まってきた証しでもあった。そして、2年前の「9・11」テロによって、国際安全保障は新しい局面に入ったということができるだろう。

振り返ってみれば、「9・11」テロ直後の国際社会の対米支持は、圧倒的だった。中国も、アフガニスタンに対する武力攻撃を認める国連安保理決議に賛成票を投じた。中国が一主権国家に対する国連加盟国の武力行使に賛成したのは、初めてのことだった。欧州諸国も、米国に対する攻撃を大西洋条約機構(NATO)全体に対する攻撃であると認定して、戦後初めて集団自衛を定めたNATOの条項を発動した。

したがって、同盟国である日本の小泉首相がブッシュ大統領を全面的に支持したことは、国際安全保障という観点から当然であった。それを日米関係の脈絡に押し込めて、ありきたりの対米「追従」というレッテルを張ることは、的を外した批判であったというべきだろう。事実、アフガニスタンでの戦争の後方支援のために策定された「テロ特措法」の根拠は、国連憲章と国連安保理決議であった。したがって、日本の活動は対米支援にとどまらず、英国艦への補給も可能となったのである。

以上のことは、ブッシュ大統領による「悪の枢軸」演説からイラク攻撃への展開とは区別して考える必要がある。イラク攻撃以降のフランスやドイツによるブッシュ政権批判は、国際安全保障における米国のリーダーシップへの抵抗ではない。むしろ、健全な国際協調主義に基づくリーダーシップへの回帰を働きかけるものと考えるべきであろう。

日本に同じ行動がとれないのは、日本外交には欧州のように多国間外交の足場がないからである。日本の近隣諸国は、日本の国際安全保障への参画を、日本の「軍拡」路線のカモフラージュでしかないのではないかという猜疑心で眺めている。日本の政治家の時に思慮を欠いた発言が、そうした疑念に油を注ぐ。

55年体制の崩壊という戦後日本最大の構造変動が、そうした形で日本の手足を縛ることは、全く日本の国益にそぐわない。いま日本が腰を落ち着けて取り組むべき事は、90年代に進んだ変化を資産として、国際安全保障への参画の態勢を整えることだ。それを、政治が主導するようにならなければならない。

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2003年9月14日 朝日新聞「時流自論」に掲載

2003年9月22日掲載

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