中国の経済発展と日本の対応-社会インフラ整備支援を

清水谷 諭
RIETIファカルティフェロー

最近の成長理論によれば、高度成長持続には、人口とともに、社会インフラの整備がその前提となる。中国経済のアキレスけんは市場メカニズムを機能させるために必要な知的財産権の確立と保護の遅れにあり、この面での日本の支援は世界経済にとってもプラスである。

今後に関し見方が交錯

統計が額面通りに信頼できるかどうかはさておき、中国経済は長期間高成長が続き、安い労働力を武器に「世界の工場」としての地位を確立していることは間違いない。

最近では中国脅威論も盛んだ。このまま成長を続けると国内総生産(GDP)規模が日本や米国を追い抜くのはいつか、21世紀の超経済大国となって、政治や外交、安全保障の面でも、日本に不利益をもたらすのではないかといった議論も多い。他方、高成長が続くのも来年の北京五輪、2010年の上海万博といった大型プロジェクトが終わるまでだ、という悲観的な見方もある。

高度成長はいつか必ず終わる。中国もその例外ではない。だが中国特有の事情が他の国に比べ高度成長を長く持続させる可能性はゼロではない。それは人口規模の大きさだ。人類史上、現在の中国以上の人口をもった国はない。世界の4分の1弱を占める巨大人口が経済成長に与える影響をどうとらえればいいのか。

伝統的な新古典派経済成長理論では1人あたりの所得の伸び率は長期的には技術進歩率に等しく、一国の経済成長率は技術進歩率に人口の伸び率を加えた値と等しい。他の条件が一定で人口の伸び率が高まると、短期的に1人あたりの所得の伸び率は低くなる。人口の伸び率が低くなるとその逆だ。だが短期的にも長期的にも、経済成長率に影響するのは人口の伸び率であり、人口規模自体がその国の経済成長率に影響することはない。

だが1990年代以後主流となってきた新しい成長理論(内生成長理論)では、人口規模自体が経済成長率に影響するという結論が導ける。専門的には「人口規模効果」と呼ばれ、理論・実証研究も進んできている。例えば米ハーバード大のクレーマー教授は、相互交流のなかったユーラシア、南北アメリカ、オーストラリア大陸、それに2つの絶海の島々のデータをもとに、紀元前1万年から大航海時代前ごろまでは、初期の人口規模が大きいほど技術進歩率が高くなるとの関係を見いだした。

「アイデア」が成長の源泉に

内生成長理論にはいくつか類型があり、長期の経済成長率にプラス効果をもたらすのは、人口規模そのものだとする考え方と人口の伸び率とする考え方の両方がある。後者がむしろ一般的だが、東京大の戸堂康之准教授らの研究によると、人口規模が大きいと1人あたり所得の伸び率も高くなることが理論的、実証的に確認できるという。

ではどうして人口規模が大きいと経済成長率が高まるのか。新しい成長理論では「アイデア」が成長の源泉とされる。アイデアとは天才が思いつく革新的な着想や技術進歩だけでなく、独自の生産・販売方式といったソフト面を広く含む概念だ。人口が大きいほど、優秀な人材が多いとすれば、そうした国のほうが優れたアイデアが多く生まれ、広がりやすい。その結果、人口規模が大きい国ほど成長率が高められるというロジックだ。

もし人口の規模効果が大きければ、これまで成長屈折を経験した国々と比べ、中国の高度経済成長はもっと長くなる可能性がある。日本の高度成長の屈折は、農村部が供給した安く豊富な労働力が枯渇して実質賃金が上昇した、技術面でキャッチアップが進みフロンティアに近づいたといった要因に、石油ショックなどの外的要因が加わったためといわれる。現在の中国経済もかつての日本と同じ課題のいくつかに直面しつつあるとみてよい。その上、日本の高度成長期になかった急激な少子高齢化が進み、労働力や貯蓄減少という制約も強まってくる。しかし当時の日本の10倍以上の人口を抱える中国が、優れたアイデアを生み出して成長を刺激すれば、多くのハードルを乗り越えてしまうかもしれない。

だが内生成長理論は人口規模が無条件に成長率を高めるとは主張していない。社会インフラの整備が絶対不可欠な前提条件とみる。市場ルールを確立し、それを守らせる制度がしっかりしているか、特に市場メカニズムをうまく機能させるのに不可欠な所有権、知的財産権などの財産権確立と保護が重要だとされる。

内生経済成長論で重視されるアイデアは誰かが使っていれば他の人が使えないという性質のものではなく(非競合性)、外部性があり、規模の経済が働きやすい。研究開発を例にとると、企業に研究開発活動を行うインセンティブ(誘因)を持たせるには、技術を公開する代償として一定期間特許権を設定し、研究開発の成果の対価を十分に受け取れる仕組みが必要だ。特許権が整備されていなければ、企業は高いコストを払って研究開発活動を行わないし、他の企業の研究成果をただで利用するほうが得だと判断する。そうなると全体で見て研究開発が進まなくなり、成長のエンジンがうまく働かなくなる。

残念ながら、中国はこの面で非常に立ち遅れている。法制度上整備されたように見えても、きちんと運用されているとは言い難い。外資系企業としては過去最高の賠償額を最高人民法院で勝ち取ったヤマハ発動機の商標権に対する侵害などは、まさに氷山の一角に過ぎない。日本貿易振興機構北京センターが06年度に発表した一連の報告書によると、中国に進出した多くの企業が模倣品被害に悩まされ、中には年間10億円以上被害を受けたと答えた企業もある。司法手続きには時間とコストがかかり、行政手続きでは罰則が軽く実効性も上がらない。最近では、中国からノーブランドで輸出し、第三国でブランド品に仕立てる手口も多い。まさにモグラたたきの状況だという。

多くの先行研究では、社会インフラの整備されている国のほうが長期的な成長率は高いことが明らかになっている。日本の高度成長は、市場メカニズムが整備され、その中で企業の創意工夫が活発に行われることで実現したと考えられている。企業は多大なコストを支払って積極的に海外から技術を導入し、キャッチアップのため不断の努力を続けた。しかし中国では、財産権が十分保護されていない上に、人為的で不当な市場介入や政策変更がしばし行われ、官僚や国有企業の経営者の腐敗も著しい。こうした状況では不確実性が高まり、企業は研究開発や投資意欲を減退させる。

足腰を弱くする違法なモノマネ

中国が成長を続けようとするなら、率先して社会インフラの整備に取り組む必要がある。特に知的財産権の法的保護という国際経済の最低限のルールも十分に守られず、日本をはじめ海外企業に多大な損害をもたらすのは全く論外だが、それが外国企業だけでなく、中国自身の成長にも大きな弊害だということを直視すべきだ。違法なモノマネだけでは短期的には利益を得ることができても、長期的には経済の足腰を弱くしてしまうことを自覚すべきだろう。

日本では戦前から財産権が確立し、法治国家としての長い歴史がある。社会インフラの整備こそ、中国が日本の成長の経験から学ぶべき最も重要な教訓だ。逆にいえば、環境分野と並び、日本が中国へ知的支援を行うべき最大の協力分野といっていい。知的財産権の分野でいえば、両国の特許権や商業権などの知的財産権の共有データベース化やかつて日本ブランドを確立していった際の経験の伝授のほか、何よりも実効性の確保が必要だ。中国国内の知的財産権侵害には、日本企業への迅速な情報提供による予防やより効果的な摘発方法、輸出品については輸出検査や通関での水際防止策の強化などの面での支援が欠かせない。

社会インフラはいわば空気のような存在で、普段は気にしないで済む。そのためついありがたみを忘れがちだが、必ずなくてはならないものだ。市場メカニズムの基盤がしっかりしていない国では、いったん成長が落ち込むとさまざまな矛盾が一気に噴き出してしまう可能性も高い。エネルギー・環境問題や貧富の格差拡大など他にも多くの難問を抱えている中国が、早急に取り組むべきなのは社会インフラの整備だ。それが持続的成長の大前提で、世界経済の健全な発展のためにも不可欠だ。

2007年10月29日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年11月12日掲載

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