日本版グリーン・ニューディールの効果―技術優位性維持にも寄与

尾崎 雅彦
RIETI上席研究員

深刻度を増す世界同時不況の中で、各国で自然エネルギーや環境分野への大型投資で景気浮揚を狙う「グリーン・ニューディール政策」の取り組みが始まっている。日本でも、10日に政府・与党が発表した追加経済対策(経済危機対策)で、低炭素革命実現に向けて太陽光発電や低燃費車の普及のほか、電気自動車などのモデル事業による実証実験などが盛り込まれた。今後5年間で環境関連産業の育成・強化(市場規模を70兆円から100兆円への拡大、80万人以上の雇用増)を図る見通しである。こうした政策の方向をどう評価すればよいか、電気自動車に主眼を置きながら以下で考えたい。

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まず我々が踏まえるべきはこうした政策が提唱されている時代的背景である。

目下の世界経済危機はいわゆる大恐慌の再来ともいわれる。だが危機発生以前から、人類は気候変動問題への対応やそれと表裏一体をなすエネルギー需給構造転換、すなわち環境・エネルギー問題という世界共通の課題に直面してきた。その意味で、経済危機への政府対応次第で人類の未来は大きく変わることになる。これは80年前と異なる。

昨今の環境・エネルギー問題への取り組みは奇妙な停滞状態にあった。2007年の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第四次報告などや、異常気象や温暖化による生態系の変化は、大気中の二酸化炭素濃度が不可逆的な気候変動がもたらすレベルに上昇するまでに時間的余裕がないことを警告していた。エネルギー需給構造のパラダイムシフトが急務となるなか、各種のハイレベルの国際会議では温暖化ガス排出大幅削減についての中長期目標やビジョンが表明されていたが、実際の排出削減の動きは遅々としていた。

経済危機でこの状況は一変する可能性が高い。危機の痛みは変化への対応力を減衰させ、環境・エネルギー問題対応の意欲をそぐ恐れがある。一方で危機対策の重要テーマと位置づけられれば、既得権益や多様な理念を超えた合意が可能になるかもしれない。

さらに注目すべきは、グリーン・ニューディール政策に関して、各国が景気刺激に加え、環境政策、産業政策としての複合的効果を期待していることであろう。

米国では、州レベルでは環境・エネルギー問題への対応は以前から活発だった。さらに、今後カナダ国境付近に100億ドルを投じ、15万-20万基の風力発電機を設置、20年までに全米の電力需要の2割を供給し7000億ドルの米国原油輸入負担を半減しようともくろむ大プロジェクトが報じられるなど、企業サイドも再生可能エネルギー投資で欧州に次ぐプレゼンスを見せる動きもある。

こうした流れのなかでオバマ政権が始動したことで、米国の環境・エネルギー問題対応の動きはさらに加速しよう。オバマ政権のエネルギー政策では、今後10年間に総額1500億ドルを投じ、500万人の雇用を創出、50年までに温暖化ガスの排出量を1990年比80%削減することを目指すことがうたわれ、向こう10年で全電力需要を再生可能エネルギーで賄うことすら夢物語でなくなる可能性もある。

つまり、米国は、世界の行き場を失った資金と広く散在する頭脳を吸収し、再生可能エネルギー関連の技術蓄積と産業振興を実現して、向こう10年で環境超大国になるかもしれないのである。

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そんな中、日本はどんな方向を目指すべきか。日本は太陽光発電や低燃費車、電気自動車などで世界に先行した技術を持つ。政策発動で投資・消費マインドが反転し普及促進に成功すれば、大きな成果が得られる可能性が高い。次世代に手渡し得る国際競争力のある産業を獲得し、低炭素社会実現に向けたキーテクノロジーを実用化させることを通じ世界の環境・エネルギー問題の解決に大きく貢献できるかどうかが問われている。

特に電気自動車への施策が重要性を持つのは、温暖化ガス削減効果でハイブリッドカーを約2割上回るといった理由だけではない。産業政策的観点でも、政策発動の機を逸すると、せっかく量産化が緒についたのに、結局産業として創造されず技術優位性を喪失する恐れが強い。

日本の一部自動車メーカーとバッテリーメーカーによる開発・生産協業体(トップランナー)は、当面の需要動向や技術動向をにらみつつ本格的な量産化時期を見計らっている。経済危機で慎重姿勢が強まっているが、米国では米自動車大手(ビッグ3)からスピンアウトした電気自動車の開発技術者を擁するベンチャーがぼっ興、欧州の自動車メーカーや途上国の低コスト自動車メーカー、さらには内外の電機メーカーなどもここにきて動きが活発化している。日本の技術優位性の「賞味期限」はそう長くない。

米国は、研究開発段階、事業化段階のどちらかに政府が関与するという格好で新産業ぼっ興にかかわる産業政策を推進してきた。一方、わが国の電気自動車ではこの両段階で政府と民間双方が相互に関与する、いわば「バイスピン型」であるが、経済危機を背景に事業化が遅れる恐れがあれば、政府の関与を強め、本格的な量産化を促す必要がある(表)。

新産業育成政策の種類と政府の関与
具体例 研究開発段階 事業化段階
関与の程度 関与の内容 関与の程度 関与の内容
スピンオフ型
(政府主導・民間追従)
需要→民生
(インターネット、暗号化技術など)
大規模研究委託など
スピンオフ型
(民間自立・政府支援)
民生→需要
(初期の半導体産業)
政府調達など
バイスピン型
(政府・民間協調)
電気自動車など 研究委託など 中→大
補助金や政府調達など
※:技術優位性、市場動向などで変化

電気自動車の早期普及で求められるのは、まず緊急充電用の急速充電器を全国に設置した上で、トップランナーが投資に踏み出せる需要創造を政府が提示することだ。トップランナーは、年20万台規模の需要があれば少なくとも1ラインの整備を開始すると思われる。筆者の試算によれば、その場合、協力・下請け企業への波及効果を除いても当該自動車メーカーとバッテリーメーカーだけで設備投資額は800億円、また高度な技術者を含め8000人の雇用が生まれる。同車格でガソリン車と比較すれば、現状の価格差(約200万-300万円)は半減、燃料コストもガソリン車に比べ年間約10万円の低下が見込まれる。補助金を活用すれば価格差は1-3年程度で回収できることになる。

普及の土壌ができれば、受注企業は国内からだけでなく海外から頭脳と資金を呼び込み供給サイドの技術革新を加速する可能性もあろう。

普及促進の手法としては、補助金制度の拡充強化、政府調達の2つの方向が考えられる。前者では、購入時点で価格差をほぼ吸収できる水準を想定した上で、初年度300万円、翌期は200万円、翌々期100万円といったように、多額の補助額を早期の購入者に厚く配分すべきだろう。需給両面での競争を促し市場機能を効かせた効率の良い普及が期待できるからである。

ただし経済危機で投資・消費マインドが冷え込む状況が長引けば、価格への反応が鈍く、期待される効果が得られないかもしれない。その場合、有効となるのが後者の政府調達の方向だ。例えば充電1回当たりの走行距離150キロメートル、価格は200万円以下、納期2年といった格好で、技術的に高水準の調達仕様を設定すれば、市場動向にかかわらず確実に国内の投資マインドが活性化すると考えられる。

また環境エネルギー関連の特区事業、民間企業の電気自動車利用システム提案事業への貸与、都市部の大気汚染に苦しむ途上国への無償供与など、政府調達を戦略的に活用する手もある。実際には、市場の状況と政府調達の活用可能性を勘案してウエート付けをし、前者と後者を組み合わせる施策が現実的であろう。

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電気自動車の普及促進は、このように単なる景気刺激が目的ではなく、環境政策や産業政策の面で、効果が中長期的に及び、世界にも貢献する重要な施策である。忘れてはならないのは、その効果の実現可能性が時間に左右されるということである。経済危機で投資・消費マインドが冷え込んで市場機能が低迷し、そのために技術の優位性という日本経済の将来の貴重な可能性が失われようとしている今こそ、政府主導の政策が迅速に発動されるべきである。

2009年4月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年5月12日掲載

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