「価格指定」一部容認も必要

大橋 弘
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

小幅の下落が続いていた消費者物価に上昇の兆しが見え始めたが、日銀が目指す「2年で2%のインフレ」の見通しはいまだ立っていない。こうした状況を受けて、わが国の流通政策を見直すことによって脱デフレを目指す検討が政府内で始まったとの報道があった。第1の矢である金融政策がおおむね一巡したのを受けて、ミクロ(企業・産業)レベルでの政策的対応に焦点が移りつつあると解釈できるだろう。

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わが国の流通が大きな注目を浴びたのは、1989~90年の日米構造協議のころである。日米貿易不均衡の是正を目的としたこの協議で米国は、対日輸出が伸び悩む理由として日本市場の閉鎖性を取り上げ、わが国の流通慣行の改善を要求した。国内では内外価格差が社会問題化しており、専売制や返品制といったメーカー主導による流通の系列化が高物価を招いていると指摘された。

当時はメーカーが流通を支配しているとの認識が一般的であり、流通を海外に開かれたものにし、併せて小売価格を引き下げるには、メーカーの価格・流通戦略に政策的な制約を加えることが必要とされた。そうした背景からできたのが91年の流通・取引慣行ガイドラインである。この公正取引委員会による指針は、その後も実質的な見直しがなされることなく20年以上たった今日も運用されている。

例えば家電業界を例にとると、この運用指針ではメーカーが流通業者の販売価格を指定すること(再販売価格維持行為)は原則違法とされて「定価」という言葉が姿を消した。また消費者に対して自らのブランドを訴求するために流通経路を選択し、流通業者に対して販売方法を指示することも独禁法違反の恐れがあるとして、一般的にはなくなったようだ。このように運用指針は公取委の運用いかんにかかわらず、企業の行動に実質的な影響を与えている。

91年に運用指針ができたころ、流通の世界は既に大きな変化の流れの中にあった。流通の国際化を背景にした大規模小売店や多店舗展開のチェーン型小売業者が台頭しており、メーカーの流通系列化の志向は後退した。そして複数店舗の価格の中から最安値を提示するインターネット通販の登場によって、メーカーと流通の力関係の逆転は決定的となった。

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現在の小売業の寡占化を鑑みると、公取委の運用指針は最近の流通取引実態に対応しておらず、何らかの見直しが必要だろう。その際、以下の3つがポイントになる。

まず経済学的な視点を導入することの必要性である。公取委の運用指針には「力」の強いメーカーによって「力」の弱い販売店の自由な事業活動か侵害されることは好ましくないという見方が背景にある。これは「優越的地位の乱用」など「不公正な取引方法」の規制に共通してみられる考え方である。

この考え方は、取引当事者間の「力」関係をどう定義するのか、取引契約のうち自由を侵害するものとそうでないものとの境界をどう設定するのかなど、違法行為を判断する基準に行政機関の裁量が混入しやすい点に問題がある。また、消費者利益とは関係ない企業の利害関係を規制基準に持ち込んでいる点で、海外の独禁法における主流の考え方と質的に違うようにみえる。

経済学では、消費者利益の観点から企業行動がもたらす市場競争への効果を評価するアプローチをとる。このとき外形的には同じにみえる企業の行為であっても、その行為がなされる取引環境によって市場競争への影響が良くも悪くもなり得る点に注意が必要である。例えば流通経路の選択を例に取れば、取引先に制限を加えて市場競争を阻害する行為との解釈もできるし、顧客を選別してブランド価値を高める競争促進的な行為ともみなすことができる。

流通取引が消費者利益に与える影響は、個別事例によって異なるために、企業の取引行為を外形的に類型化して違法性を判断するような規制は消費者利益の保護につながらない。特定の取引行為を経済合理的に正当化できるかどうかが競争政策上の評価軸になるべきであり、そうした経済学的アプローチを用いる方向へと運用指針を見直す必要がある。なおここで指摘した運用指針の問題は「不公正な取引方法」に共通していえる点だ。米連邦取引委員会(FTC)でも「不公正な競争方法」の見直しが提起されており、わが国も議論を始める時期が来ているように思われる。

次の論点は、メーカーの価格指定についてである。「再販」というと企業間のカルテルを促すおそれがあるとして悪い印象を持たれるかもしれないが、経済学の世界では、メーカーの価格指定が競争促進的な側面を持ちうる点を古くから指摘してきた。例えばメーカーが最高小売価格を指定して小売店が高値をつけることを防いだり、あるいは最低小売価格を指定して流通業者がメーカーの新製品を販売する際のサービス向上に向けた投資をする誘因を高めたりすることは、消費者にとっても望ましい影響を与える。

こうした経済学からの指摘もあり、近年米国ではメーカーの価格指定を「当然違法である」とはしない判断を下し、欧州でも新製品の販売を促す限りにおいては価格指定を認めるようになった(表参照)。第1の論点でも見たように「力」の弱い販売店の自由な事業活動を拘束するように見える価格指定も、消費者利益の観点からメリットがあるものは認めていく方向を打ち出すべきだろう。

表:価格指定(再販売価格維持行為)に関する規制
日本原則として違法(独占禁止法2条9項4号)
米国当初は違法だったが、米国リージン社による女性用アクセサリーの価格指定を合法とする連邦最高裁判決(2007年)を経て個別事案に応じて判断を行うと宣言
欧州連合
(EU)
原則として違法だったが、新製品の導入を促すなど消費者の利便性にかなう価格指定については違法としない(2010年 垂直的制限に関するガイドライン)
(出所)公正取引委員会・経済産業省の公表資料より筆者作成

最後の論点はインターネット通販についてである。商品やサービスの売買を仲介する場(プラットフォーム)を提供するインターネット通販は、顧客の囲い込みや出店企業の選別的排除などによって競争を妨げる側面を持つと指摘される。しかし一方で、新しいサービスを生み出すイノベーション(革新)の土壌として消費者の利便性を確実に向上させており、その競争政策上の評価は一定していない。

そもそもインターネット通販の取引実態についての知見が一般的に乏しいことから、競争政策の観点で誤った判断を下しかねない危険がある。この機会にインターネット通販に対する実態調査をしっかりとして競争法上の考え方をまとめておく必要がある。

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物価はミクロレベルで見ると(1)需要と供給とのバランス(2)売り手と買い手との間の交渉力の2つの要素で決まる。本稿で議論したメーカーの価格指定は、先ごろ国会にて可決された消費税転嫁対策と共に、後者の交渉力に影響を与えるものであり、価格形成に向けて一定の効果を持ちうるものと期待される。

同時に脱デフレに向けては、需給バランスを回復させることも重要な課題である。特に需要に関しては「技術で勝って事業で負ける」と揶揄された日本企業の抱える問題点に今一度目を向けることが大切だろう。消費者に買いたいと思わせる商品を日本企業が生み出し切れない一因として、経済産業省の「消費インテリジェンス懇談会報告書」は、統合的なマーケティング機能がわが国に欠ける点を挙げる。

ミクロレベルの視点に立つと、デフレは単に価格の問題にとどまらず、社会・産業・行政の構造から複合的に生じている問題に映る。脱デフレによって日本経済を再興するためには、わが国が抱える構造的な問題の解決に向けて踏み込んだ成長戦略が期待されるが、併せて民間企業が自らの収益構造や企業風土を問い直すことも求められる。

2013年8月1日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年8月20日掲載

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