鉄鋼大型合併
競争政策の焦点 効率性に

大橋 弘
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

世界のM&A(合併・買収)が2010年に入り復調する中、日本企業のM&Aは依然下降基調から抜け出せていない。統合計画の破談例も相次ぎ、企業連携や合併への機運はいまひとつ盛り上がらない。海外展開を進めるには規模が小さすぎる企業群が、人口減で縮小する国内市場にひしめきあって行き場を失い、企業の体力を必要以上に消耗させているともいわれる。

新日本製鉄と住友金属工業が経営統合に向け検討を始めたとの発表は、そんな日本の閉塞感を打ち破る久々の明るいニュースだ。粗鋼生産量でアルセロール・ミタルに次ぐ世界2位となる大型合併が成功すれば、他業種でも国内産業の集約・再編が進み海外展間が勢いづくだろう。日本経済の今後を占う上でも、この成否は大きな意味をもつ。

焦点の1つは公正取引委員会による判断の行方だ。新日鉄は誕生当初から公取委の合併審査に振り回された。八幡製鉄と富士製鉄の合併で、1970年にUSスチールに次ぐ世界2位の粗鋼生産高を誇る同社が誕生した折は、公取委から承認を得るまで約2年を要した。この合併は、貿易・為替の自由化が進む中での国際競争力低下ヘの危機感に対する鉄鋼企業の解答たった。

時代背景の違いはあれ、この危機感は、今日我々が直面するグローバル競争への危機意識と重なりあう部分がある。その点でも、今回の合併は、かつての新日鉄誕生劇をほうふつさせる。同時に、わが国の公取委による審査がこの40年でどう変化したのかを知るよい機会にもなる。

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まず企業合併の経済学的な理解を確認しよう。企業同士の水平合併は、効率性効果と競争制限効果という2つの相反する効果をもつ。前者は、規模の拡大を通じ、生産・販売・流通部門のスリム化が期待できる面を指す。より高品質の製品をより安く需要者に提供できる可能性が高まり、国民経済的に好ましい。

一方、競争制限効果とは、合併で企業数が減ることで市場競争が緩和される側面を指す。競争の緩和は、数量コントロールを通じた価格の支配力が高まる点で売り手企業にはメリットがある。半面、需要家は高い価格を甘受せざるを得ず、社会的厚生(社会全体の満足度)が低下する恐れがある。八幡・富士の合併では、効率性向上を重視する経済界と、自由な競争が制限される点を問題視する公取委・経済学者との間で、国民的な論争が起きた。今回の大型合併を独占禁止法の観点からどう考えたらよいのか。以下で40年前の合併を振り返りつつ、3つの論点を議論したい。

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第1は「競争制限効果」の判断についてである。八幡・富士の合併時、公取委は鉄道用レールなど市場シェアの高い製品4分野で競争が阻害されていると認定。事業譲渡などの問題解消措置を課した。

だが昨今、イノベーションや規模の経済性が企業の競争力の源泉として一段と重要になっている。半導体など規模の経済性が生かせる産業では市場シェアは効率性効果を示す指標ともみなしうる。効率性が高まれば販売価格の低下余地が広がるため、競争を促進させる側面があるだろう。

70年代以降に大きな進展をみせた産業組織論でも、競争制限効果を市場シェアで判断するのは妥当ではなく、シェアに反映されない、需要の代替性や企業の参入可能性といった要素に注目すべきだという議論が優勢になった。

こうした学問の進展を受け、米国は昨年、水平合併ガイドラインを改定。市場シェアという機械的な指標によらずに競争制限効果を判断する方向を打ち出した。日本の公取委は経済学を専門とする職員の割合が5%と、欧米に比べ低いが、市場シェア重視の弊害に関する学問的知見を念頭に置きつつ、合併審査のあり方を模索する必要がある。

第2は「効率性効果」についてである。今回の鉄鋼大型合併は、両社の得意分野を融合して相乗効果を生み出し、生産性や技術力が高まると期待される。こうした効率性の向上効果を事前に予測することは難しく、これまでの合併審査では効率性の勘案は限定的だったと思われる。

だが新日鉄は誕生後、新設の大分製鉄所で世界初の全連鋳方式を採用したプラントを稼働させるなど、従来技術より効率性に優れた連続鋳造設備の導入を推し進め、鉄鋼生産の効率性は格段に向上した。こうした事実を踏まえつつ、今回は効率性効果を重視する審査姿勢が求められる。

特に今後の日本経済にとっては、これまで以上にイノベーションが重要命題となる。中でも新たな需要を刺激するプロダクトイノベーションの創出強化は大きな課題だ。

文部科学省科学技術政策研究所が昨年度行った「全国イノベーション調査」によると、プロダクトイノベーションが発生する確率と競合事業者数には、逆U字型の相関が確認された(図)。これは筆者が同研究所の客員総括主任研究官として、従業者数が10人以上の企業を対象に標本調査で回答のあった4579社(回答率30.3%)の結果を集計・分析したものだ。

図:プロダクトイノベーションの実現割合と競争性
図:プロダクトイノベーションの実現割合と競争性

独占と比べ、競争事業者が1~2社の場合、プロダクトイノベーションの確率は格段に上がるが、それ以上に競合が増えてもイノベーションによい影響はない。イノベーションと競争性との非線形の関係は、米国など諸外国でも共通に見られる。本調査結果から特定の合併事案への判断を読み取ることには慎重であるべきだが、今後の合併審査を考える上では示唆に富む。

第3の論点は合併審査における判断基準である。競争政策では、需要家にメリットがない合併は認めるべきではないという考え方と、合併によって企業が販売価格の上昇で需要家が被る損失を埋め合わせるだけの利潤を生み出せるのなら、合併を認めるべきだとする考え方がある。だがイノベーションの重要性が強調される中、この2つの見方には差がなくなっている点に注意すべきだろう。消費者にメリットをもたらす新製品や新サービスをダイナミックに生み出す源泉は企業の利潤にあり、需要家メリットを考える際は企業の利潤も勘案した社会的厚生の観点から合併を審査していく必要がある。

海外需要を取り込むための合併は今後も増えると予想される、合併メリットを国内需要家の厚生に矮小化する見方は、海外進出を目指す企業の取り組みに水を差すだけでなく、長期的な日本経済の成長にも悪影響を及ぼしかねない。

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企業合併は、しばしば取引先の産業へも連鎖して広がる傾向がある。今回の合併が、鉄鋼の主原料である鉄鉱石や石炭市場で存在感を増す資源メジャーに対抗する側面があるなら、合併を契機にその取引先である自動車や電機産業における集約・再編が進むかもしれない。こうした一連の企業合併の連鎖をたどることで、川下の企業における調達力や国際競争力も格段に向上すると見込まれる。企業合併の需要家に対する影響は、こうした産業構造の大きな流れの中で捉えていくべきだ。

八幡・富士製鉄の合併以降、この40年、日本のM&Aで公取委の審判(公取委による裁判)事例はないといわれる。八幡・富士合併では審判という公衆の場を通じて議論され、合併への理解は深まった。だがそれ以降、合併事案のうち詳細審査を必要とする案件のほとんどは、審判ではなく法に予定されていない事前相談によるものとなった。

事前相談による合併事案の一部は公表されはするが、行政が設定する限定的な透明性の確保にとどまり、検証に堪えうる合併の判断根拠に関する情報の蓄積は遅れている。申請書式など各国独自に規定される合併審査を標準化するという大きな目標に向け、どう行政の恣意性を排除した形で日本の合併審査の手続きや審査基準を整備するか。

事前相談制度の見直しはあくまでその改革への第一歩にすぎない。今回を機に合併についての開かれた議論が行われることを強く期待したい。

2011年2月22日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2011年7月26日掲載

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