民主主義の未来 優位性後退、崩壊の瀬戸際に

成田 悠輔
客員研究員

民主主義が重症である。21世紀の政治は、インターネットを通じた草の根グローバル民主主義の甘い夢を見ながら始まった。だが現実は残酷だった。中東民主化運動「アラブの春」は一瞬だけ火花を散らして挫折した。むしろネットが拡散するフェイクニュースや陰謀論、二極化が選挙を侵食し、強烈なポピュリスト政治家が増殖した。

民主主義の敗北に次ぐ敗北。21世紀の21年間が与える第一印象だ。今や民主主義は世界のお荷物なのだろうか。それとも何かの偶然や民主主義とは別の要因の責任を、民主主義に負わせているだけなのだろうか。

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この問いに答えるデータ分析を筆者と米エール大学生の須藤亜佑美氏で実施した。世論に耳を傾ける民主的な国ほど、21世紀に入ってから経済成長が低迷している(図1参照)。低迷のリーダー日本のほか、欧米や南米の民主国もくすぶっている。逆に非民主陣営は急成長が目覚ましい。中国に限らずアフリカ・中東もだ。「民主国の失われた20年」は、中国と米国を分析から除いても、先進7カ国(G7)諸国を除いても成立するグローバルな現象だ。

図1:2001〜19年の平均経済成長率、図2:100万人あたりのコロナ死者数

この「民主主義の呪い」は21世紀特有の現象だ。1960~90年代には、すでに豊かな民主国の方が貧しい専制国より高い成長率を誇っていた。富める者がさらに富む傾向が強かった。この傾向が21世紀の入り口前後に消失し、貧しい専制国が豊かな民主国を猛追するようになった。

かつて冷戦終結を目撃した米政治学者フランシス・フクヤマ氏は、民主主義と資本主義の勝利による「歴史の終わり」を宣言した。だが皮肉にもまさにその頃から民主主義と経済成長の二人三脚がもつれ始めたことになる。政治制度と経済成長の関係が根本的に変化し、新しい歴史が始まった。

そして2020年、新しい歴史が民主主義にとどめの一撃を加えた。コロナ禍である。自由の女神が見守るニューヨークで遺体が積み上がった光景は記憶に新しい。対照的なのが、早々とコロナ封じ込めに成功し3密なパーティーに興じる中国の若者たちだ。米中の対比は「民主主義にウイルスが襲いかかっている」(米紙ニューヨーク・タイムズ)と思わせるほどだ。

20年に人命と経済をあやめた犯人もまた民主主義だ。民主国ほどコロナで人が亡くなり、19~20年にかけての経済の失墜も大きい(図2参照)。平時だけでなく有事にも民主主義は故障しているようなのだ。

なぜ民主主義は失敗するのか。筆者らの分析によれば、21世紀の民主国は投資鈍化に加え輸出も輸入も減り、製造業でもサービス業でも生産性の伸びが鈍化していること、そしてコロナ禍の20年には網羅的で徹底した封じ込め政策を取り損ねていたことがわかった。

ウイルス感染やIT(情報技術)ビジネスの成長、ウェブ上の情報拡散など、21世紀の主成分には共通点がある。常人の直感を超えた速度と規模で反応が爆発することだ。そこでは爆発が起きる前に、徹底的な投資や対策で一時的に強烈な痛みを引き受けられるかどうかが成功の鍵になる。

超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(=世論)に配慮しなければならない民主主義は科学独裁・知的専制に敗北するしかないのかもしれない。世界の半分が民主主義という政治的税金を金と命で払わされているかのようだ。

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では、重症の民主主義が21世紀を生き延びるためには何が必要なのだろうか。2つの処方箋を考えたい。民主主義との闘争、そして民主主義からの逃走だ。

闘争は、民主主義と愚直に向き合い調整や改善により呪いを解こうとする営みだ。政治家の目を世論よりも成果に向けさせるため、国内総生産(GDP)などの成果指標にひもづけた政治家への再選保証や成果報酬を導入するのはどうか。

政治家の任期や定年も有効かもしれない。先延ばしできない終わりがあれば、政治家は世論を気にせず、成果に集中できるかもしれないからだ。こうした政治版ガバナンス(統治)改革案に加え、選挙制度の再デザインの提案も数多い。

とはいえ実現可能性は心もとない。既存の選挙制度で勝つことで今の地位を築いた現職政治家が、なぜこうした改革を進めたい気分になれるのか。おそらく無理なのは明らかだからだ。

そう考えると、民主主義との闘争は初めから詰んでいるのかもしれない。ならば、いっそのこと闘争は諦め、民主主義から逃走してしまうのはどうだろうか。

国家からの逃走は一部ではすでに日常である。一例が富裕層の個人資産。ルクセンブルク、ケイマン諸島、シンガポールと、より緩い税制や資産捕捉を求めてタックスヘイブン(租税回避地)を浮遊する見えない資産は、世界の資産全体の10%を超えるともいわれる。

ここで思い出してほしい。民主主義も数々の失敗を市民に課す政治的税制になっていることを。ならば「デモクラシーヘイブン」もあり得るのではないか。

既存の国家は諦め、思い思いに政治制度を一からデザインし直す独立国家・都市群が、個人や企業を誘致や選抜する世界を想像してみよう。新国家群が企業のように競争する世界だ。

過激な妄想だと思われるかもしれない。だがその試みが実はすでに準備中だ。

どの国も支配していない地球最後のフロンティアである公海を漂う新国家群を作ろうという企てがある。「海上自治都市建設協会」と呼ばれるもので、始めたのはビリオネアでトランプ前米大統領の公然支持者として名高いピーター・ティール氏らだ。お気に入りの政治制度を実験する海上国家に逃げ出す未来が具体的な建設案になり始めている。

フロンティアへの逃走はホモ・サピエンスの性(さが)だ。つい先日も米アマゾン・ドット・コム創業者ジェフ・ベゾス氏が宇宙飛行をした。飛行後の会見で同氏は「アマゾンの従業員と顧客に感謝する。宇宙旅行代を払ってくれたのだから」と口にして炎上した。ベゾス氏糾弾のキャンペーンは数十万の賛同を集めたといい、こんな味わい深い果たし状を掲げた。

「億万長者は地球にも宇宙にも存在すべきでない。しかし宇宙を選ぶのなら、そこにとどまるべきだ」

世界一の富豪といえど、宇宙移住はさすがに選択肢に入るまいといった口ぶりだ。だがもし富豪が私たちの社会の外部に逃走してしまったとしたら……。

20××年、宇宙や海上・海底・上空に消えた上級市民は、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は残された者たちの国のみに残る、懐かしくほほ笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。

そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命、ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の本命だ。そして私たちに問いかける。民主主義からの逃走との闘争はいかにして可能か、と。

2021年8月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2021年9月6日掲載

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