不況下の研究開発と政府の役割――投資喚起へ誘因創出を

長岡 貞男
RIETI研究主幹・ファカルティフェロー

現在の世界的経済不況の脱出のために、イノベーションが果たす役割が注目されている。オバマ米大統領は経済政策パッケージの中で、「グリーン・ニューディール」、すなわち環境に優しいエネルギー開発への投資を掲げた。次世代のバイオ燃料の開発とそのインフラ整備の促進、家庭で充電できる「プラグインハイブリッド車」の開発、太陽光など再生可能エネルギーの商業展開の促進、小規模で分散した発電事業者から電気を集める送電網づくりなどに対する大規模な投資を、長期的(10年間で1500億ドル、約15兆円)に行うとしている。

これに加えて、米国の競争力強化のため、米国企業が外国で公正に遇されるような貿易政策の促進、科学への投資強化(10年間で連邦政府の基礎研究費を倍増)、研究開発優遇税制の恒久化、独禁法の運用強化による競争市場の深化、内外での知的財産権保護の確保及び特許制度改革、そして政府の意思決定における科学的な裏付けがある証拠の活用などを重点政策として推進しようとしている。

今回の不況の基本的原因は、米国のバブル崩壊とそれがもたらした金融機関の機能不全であるが、不良債権処理など金融対策だけでは不況から容易に脱出できないようにみえる。バブル崩壊に伴う大幅な有効需要の縮小で生産水準も大きく低下し、それが金融健全化自体を困難にしているからだ。日本は金融不安の程度が軽微といわれるが、米国の不況が世界に波及する中、日本の産業が得意としてきた資本財や耐久消費財への需要が大きく減少している。

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こうした世界的な同時不況下において、わが国のイノベーション戦略はどのようにあるべきだろうか。重要なポイントは以下の2つであろう。

第1は、不況の長期的な経済成長率への負の効果を小さくすることである。不況による資金制約で研究開発投資が大幅に減少すると、短期的に有効需要が減少するだけでなく、新しい知識の創造や応用を行う速度も低下させてしまう。この結果、長期的な成長率が低下する要因になる。第2は、環境・エネルギー資源制約など、長期的に世界経済が直面しており、必ず解決しなければならない問題に関する研究を加速することだ。

不況を契機に、研究開発ポートフォリオをダイナミックに組み替え、有効活用することが欠かせない。

第1の点についていえば、まず長期的には採算性が高い研究開発投資でありながら、企業のリスク負担能力が低下したため投資が実施されない事態を防ぐことが重要だ。

この観点で企業経営はどうあるべきか。経済産業研究所が2007年に実施した「発明者サーベイ」は、日本企業の研究開発の特徴や問題を浮き彫りにしている。

同サーベイによると、日本企業の研究開発プロジェクトの中で、既存事業の競争力強化を目的とする割合が7割弱だったのに対し、新規事業の開発は約4分の1、長期的なシーズ(種)の開発が約1割であった。米国企業と比べて、日本企業の研究開発は、そもそも既存事業の競争力強化に傾注しすぎている可能性がある(図1)。

図1 日米の研究開発プロジェクトの目的

不況に伴う既存事業市場の縮小によって、それと密接に関連した研究開発の必要性は低下する。そうした分野での当面の繁忙から解放された研究開発などの資源を、長期的に有望な新規事業の開発や長期的なシーズ開発に投入することが合理的である。「サーベイ」は、それが可能であることを示しているといえよう。こうした努力で、不況後により高い成長を実現することが可能になる。この点は、国のレベルでも同様である。

また、同サーベイによると、従業員が501人以上の大きな企業でも、経済がより正常な状態の時期でさえもリスク資金の不足で研究開発そのものが制約された、すなわち範囲を縮小した、あるいは、開始または完了が遅れたプロジェクトが11%存在する。100人以下の小企業ではその割合は26%と大幅に高まる。

企業経営においても不況期における研究開発戦略の巧拙がその後の成長に大きな影響を与える。ただ、不況によって銀行や資本市場によるリスク負担能力が低下している現在の状況では、リスク資金不足のために研究開発投資が制約される恐れはより高まっている。この面で、政府には大きな役割がある。すなわち将来の新規事業やシーズの開発など長期的で不確実性がある研究投資を保護すべく、信用保証協会の債務保証や公的ベンチャーキャピタルの活用などで民間金融を補完することが重要になる。特にスタートアップ企業への配慮は欠かせない。

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不況に伴って長期的な成長が犠牲にならないためのこうした措置に加え、長期的に世界経済が直面している問題の解決に向けて必要な研究開発投資を加速させ、不況脱出につなげることも必要である。この点で政府のあり方がより問われることになる。日本では追加金融緩和の余地が乏しく、マクロ経済運営の観点からもこうした投資を喚起する政策が求められるからだ。

環境と化石燃料の制約の中で、長期的に経済成長を実現していくには、省資源・省エネルギーにより化石燃料の利用の生産性を高め、太陽光、バイオマスなど持続性があるエネルギーを利用するための技術開発が必須である。

技術進歩の効果は長期的には非常に大きい。太陽光発電の場合、キロワット時当たりの単価は1983年から2003年の20年間で約4分の1に低下した(図2)。その間、企業の研究開発投資とともに、国(新エネルギー・産業技術総合開発機構=NEDO)からの研究開発助成、そして普及拡大に伴う生産面の規模の経済がそれぞれ大きく貢献してきた。しかしながら、太陽光が既存電力並みの競争力を持つには、なお格段の技術進歩が必要である。

図2 太陽光発電システム単価

環境・エネルギー資源制約に対応したイノベーションを効果的に促進するには、第1に、脱炭素の技術進歩へのインセンティブ(誘因)を創出する必要がある。技術進歩のスピードと方向性は技術への需要に強く影響される。日本の省エネルギー技術の水準が高いことは日本国内のエネルギー価格の高さと強く関係している。炭素利用を節約できる技術開発に強力な誘因を作り出す必要があり、この点では排出量取引制度の本格実施なども求められよう。こうしたインセンティブを与えることは、新エネルギー開発や省エネルギー・脱炭素への多様な研究開発への試みを刺激することにもなる。

第2に、基礎的な研究開発への支援強化が重要である。太陽光発電など環境に優しい代替エネルギー源が化石燃料ベースの電力と競争力を得るためには、なお大きなブレークスルーが必要である。

第3に、汎用性が高い基盤技術分野では、標準化を含め初期需要の創出によるその普及支援が重要な役割を果たしうる。米国の軍事研究・調達は民生用途を主たる目的としていないにもかかわらず、互換性を重視した大量生産システム、原子力、コンピューター、インターネット、全地球測位システム(GPS)などの発達に大きな役割を果たした。下流の技術革新への波及効果が広範である汎用基盤技術(general purpose technology)の分野では、政府による初期需要の創出が新産業の確立に非常に重要であることを示している。

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最後にグローバルなアプローチが重要である。環境問題・エネルギー問題はグローバルな課題であり、現在世界の主要国がその解決のための研究開発への取り組みを強化している。そもそも代替エネルギーを開発する能力を持っている企業とその実施によって効率的に代替エネルギーを生産できる場所は一致しない。

したがってグローバルな解決の方向としては、知的財産権を重視し競争的に研究を進めるとともに、基礎分野で国際的な協力も積極的に進めることが必要だ。また排出量の国際的な取引などにより、グローバル市場での技術開発への投資を回収できるようにすることも非常に重要である。

2009年3月19日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年3月24日掲載

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