東アジア経済統合と日米中関係─日本の戦略はどうあるべきか─

宗像 直子
RIETI上席研究員

1.日中韓自由貿易協定(FTA)提案

2002年11月初旬に、カンボジアの首都プノンペンで東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議が開催された際、併せて、域外国である日本、中国、韓国、そしてインドの首脳が招かれ、ASEANプラス1(ASEAN諸国と域外国1ヶ国との会合)、ASEANプラス3(ASEAN諸国と日本、中国、韓国の域外3ヶ国との会合)といった一連の首脳会議が開催された。そこでは、2001年の同じ時期の首脳会議で10年以内の締結が合意された中国とASEANの自由貿易協定(FTA)について、交渉の枠組が合意され、また、2002年1月のASEAN訪問時に小泉純一郎首相が提案した日・ASEAN包括的経済連携構想も実現に向けて進展がみられた。これらは、この首脳会議に向けて準備が進められてきており、ある意味で予想された展開だった。

しかし、一連の会議で最も注目されたのは、日中韓首脳会議において、朱鎔基中国首相が提案した日中韓FTAのフィージビリティー・スタディーだった。小泉首相は中国とのFTAは中長期的課題と考えていると応じ、それ以上の進展はみられなかった。しかし、このような提案が行われたということは、ただちに実現するものではないとはいえ、東アジア全体を束ねる経済統合を進めていくうえで、大きな意味を持つ。日本と中国が同時に参加するFTAは、東アジア経済統合を完成させるうえでこれまでのところ欠けている"missing link"だからだ。

この提案に即座に応じなかった日本は、東アジア経済統合にどう取り組むのかの戦略が見えない、難題を克服する政治的意思がない、と内外から批判を受けている。日本はどうすべきか。

2.FTAの狙い

まず、日本がFTAに取り組み始めたときの政策の考え方を振り返る。東アジアは、今でこそ「FTA競争」の観を呈しているが、アジア通貨危機前まではASEAN自由貿易地域(AFTA)を除き、FTA空白地帯だった。日本は、韓国とともに先陣を切ってFTAの検討を開始し、シンガポールとの協定締結を果たした。

シンガポールは自由貿易港の都市国家であり、シンガポールとの協定締結が直ちに日本に大きな経済効果をもたらすわけではない。日本は、WTO一本槍の通商政策から脱皮し、2国間、地域、全世界の各レベルでの自由化や様々な協力を組み合わせる重層的な政策を進める第一歩として、シンガポールとのFTAに取り組んだ。グローバル化された世界では、通商政策は国内経済政策と不可分である。国内経済を活性化するうえで、内外の環境を望ましいものにする、という目的が明確であれば、その手段は最も効果的、効率的なものを機動的に選ぶ他ない。重層的政策は、戦略性の当然の帰結だ。

FTA(より広い内容を表現するために用いられている「経済連携」も簡単のため本稿では一括してFTAとする)の目的は、第1に、日本から投資している企業の収益が高まるよう、特定の外国の良好な事業環境を確保することだ。貿易障壁を下げ、事業活動の自由を拡大し、予見可能性を高め、投資の利益を守る。

海外の事業環境を改善したいのは、相手国も同じである。したがって、第2は、相手国の目線でみて、日本の事業環境を魅力的なものにすることだ。後者は、国内の規制緩和や対内投資誘致など、国内の経済政策を補完するものであり、分野によっては国内の構造改革の呼び水となる。これは、構造調整を余儀なくされる分野においては、痛みを伴う。

第3に、FTAには、近隣地域を経済的に統合し、1つの市場とする、という機能がある。世界を見渡せば、欧州連合(EU)、北米自由貿易協定(NAFTA)が存在し、NAFTAは米州自由貿易地域(FTAA)への拡大が目指されている。地理的に近く、人や物の往来が簡単で、時差もなくリアルタイムのコミュニケーションが容易な近隣地域には、各種の生産・販売ネットワークが国境をまたがって形成されやすい。そこで国境による障壁を制度的にも下げれば、地域は1つに統合された大きな市場に生まれ変わり、そこでの事業活動の効率性を高め、さらに大きな可能性を開く。相手国・地域を選んで特別な関係を結ぶFTAは、米・イスラエルFTAのように政治戦略に基づくもの、EU-メキシコのように先行するFTA(ここではNAFTA)が生む差別を打ち消すことを目指すものなど、離れた国・地域を結ぶFTAもあるが、自然な出発点は近隣諸国同士のものだ。また、欧米は地域統合が定着しているのに、アジアにまとまりがなければ、欧米に対するアジアの交渉力を弱める。地域統合には、国際交渉力を高める、という狙いもある。

日本とシンガポールとのFTAは、遠い将来かもしれないがいずれ実現されるであろうアジアの経済統合の第一歩とする、との意識が両国にあった。しかし、後述する様々な障害を前に、日本はどこまで進むのかをあらかじめ目標として掲げることはできなかった。むしろ、できることを1つずつ着実に仕上げ成功体験を重ねる中で、国内改革の機運を高め、国内調整がより難しい思われる相手とのFTAについても、徐々に実現可能性を高めていく、という積み上げ方式の対応がとられてきた。国内のコンセンサスができない中で改革を現実的に前に進めるには、このようなやり方がむしろ効果的であると考えられる。しかし、中国からのFTA提案にどう対応するかを考えるにあたっては、当面の実現可能性はともかくとして、日本としては最終的に何を目指すのかという問題を避けることはできない。

3.国家戦略としてのアジア経済統合

日本経済の停滞が長引くなか、戦後の発展を支えた経済システムそのものを組替える必要が認識されている。この日本の構造改革は、実はアジア経済の統合と不可分の関係にある。

日本の戦後の経済構造は、国際競争力のある一部セクターが経済を牽引し、多数の保護された非効率なセクターに様々な手段で富の再配分をする、という「二重構造」だった。しかしこの構造は、グローバル化が進展する一方、日本の内需の高成長が期待できないなかで、もはや維持できなくなっている。

同時に、この二重構造は、アジアの途上国の競争力ある産品の対日輸出拡大を阻むものであり、日本のアジアとの経済統合と本質的に相容れない。この構造によって、日本は、十分な市場を提供していない、むしろアジアの発展途上国の輸出は米国に向かった、という認識が強固に出来上がり、多額の政府開発援助や企業の投資にも関わらず、日本のイメージを傷つけている。

日本が経済活力を取り戻せるかどうかは、これまで保護されて生産性が低くなっていた分野も競争にさらして新たな可能性を開き、国内に残せない分野は近隣諸国に委ね、自らは付加価値の高い活動に集中して全体の生産性を高められるか、そして、発展するアジアがもたらす新たな機会を生かせるかどうかにかかっている。アジアとの経済統合に向けた政策努力は、日本に自由化困難な分野への取組みを促し、域内各国の日本に対する信頼を高めることとなろう。それは日本のソフトパワーを高め、日本企業のアジアでの一層の活躍を可能にするだろうし、国内の経済、社会の活力を高めることとなろう。そして、信頼の高まりは地域の平和と安定の維持に貢献する。経済政策を超えて、外交・安全保障政策としても重要な意義を持つ。

このように、アジア経済統合は、まさに日本の国家戦略の重要な一部であるべきだ。そして、今や日本の第一の輸入先となり、国内に幾多の困難を抱えつつもやがてはアジア最大の経済大国に成長することが予想される中国は、アジア経済統合に欠かせない存在だ。その中国は、かつてはアジアの地域協力に対する警戒感を見せていたが、90年代末ごろから、近隣諸国における中国脅威論払拭、新たな輸出市場・投資先の確保、欧米の地域主義への対抗などの観点から東アジアの地域協力に積極的になっている。

4.克服すべき課題

しかし、日本がアジア経済統合を推進するに当たっては、以下のような課題がある。

第1に、自由化に対する政治的抵抗が強い分野の存在だ。WTOは、無差別原則の例外であるFTAを認める条件として、「実質上全ての貿易」を対象とすることを定めている。具体的基準は明確でないが、EUなどの相場観は90%だ。特に先進国の自由化困難分野は往々にして途上国の主要輸出産業であるため、域内先進国たる日本が政治的困難を克服して自由化に取り組まないと途上国を多く含むアジアの域内統合は難しい。

第2は、発展段階の格差だ。アジアではこれは大きな問題だ。自由化は自己目的ではなく、経済発展の手段である。途上国も含めて経済統合を進め、彼らの貿易・投資の自由化を促すなら、彼らが投資を誘致し、産業を育成し、自由化の便益を享受できるよう、制度設計、インフラ整備、官民の人材育成等の支援を併せて行うべきだろう。市場の提供と開発支援を効果的に組み合わせる政策手法と体制の確立が急がれる。

第3は、域内における冷戦の残滓と二大大国である日中間の相互信頼の欠如だ。地域統合という営みは、相手を選んで特別の関係を結ぶことである。WTOのようなグローバルな枠組みとは異なり、客観的条件を満たせばそれで加盟できる、というものではなく、国と国(または経済単位としての地域)との信頼関係が前提になる。

5.日中FTAについての考え方

では、日中間のFTAはどのような条件が整えばできるのか。2002年11月の日中韓首脳会談で、小泉首相は、朱首相に対し、当面の中国の課題であるWTOの実施状況を見守りたい旨述べた。日本の消極姿勢については批判も多いが、確かに、事業環境整備を効率的に進める観点からは、WTOルール実施のために、広い国土で抜本的な制度とその運用の変革が行われている時には、新たなルールを上乗せする前に、目前の課題に集中すべきであろう。そして、中国の国際ルール実施状況に対する信頼感が高まれば、追加的なルール形成を行う素地が形成される。これは、水際だけではなく、国内制度に及ぶ深い統合を行う経済連携であれば、実施体制の整備がそれだけむずかしくなるので、極めて重要な問題である。

ところで、日本の消極姿勢が批判される背景として、日中FTAができない本当の理由は、中国のWTO加盟後日が浅いことなどではなく、中国と経済統合したら日本の労働集約的製造業や農業が打撃を受けるからだ、という議論がある。確かに、日本の農業は国民経済に占める割合は小さくとも、中国の農業と比較にならない政治的影響力があり、できるところから徐々に2国間FTAを締結しようとしている日本にとって、日本向け農産物輸出が急増している中国とのFTAは短期的には取り組みにくい。しかし、冷静に経済構造全体を考えると、日本の関税は先進国の中でも低いほうであり、中国と日本のコスト格差の結果、既に様々な中国製品が大量に日本に輸入されている。日中FTAの追加的影響は、むしろWTO加盟後も高関税が残る中国市場向けの日本の輸出拡大だと考えられる。加えて、どのFTAも政治的に自由化困難なものは限定的に例外扱いしている。従って、本当に日中FTAを結ぼうという機運が高まれば、これらの問題は交渉の中で解決可能であろう。両国国民がFTAも含め、両国関係の強化を歓迎する機運が高まるような環境作りをすることが、急がば回れなのではないかと思う。

日中間で機が熟するのを待つ間に、日本がなすべきことはたくさんある。日本は、まず韓国新政権とFTAの交渉開始に合意することが最優先課題であり、併せて、ASEAN諸国とのFTAを着実に進展させるべきだ。その過程で、保護主義を克服できるよう、生産性の低い分野の規制改革を急ぐべきだ。このような日本の取組みは、中国にとっての日本とのFTAの価値を高めることにもなる。また、様々な国・地域とのFTAにおいて、新たな問題については新たなルールや枠組みが必要だが、他のFTAと共通化できるものは共通化することによって、将来の統合を容易にする、いわば共通部品の採用によって相互運用性を高めるとでもいうべき工夫がなされることが望ましい。

なお、台湾とのFTAをどう考えるかという問題がある。台湾が独立関税地域としてWTOに加盟したことによって、独立関税地域としての台湾が他のWTO締約国・地域とWTOの想定する地域貿易協定を締結することも当然可能になったと考えるべきだろう。ただし、台湾が外国とのFTA締結を台湾の国際政治上の地位向上だと喧伝すれば、中国が反発する。中国と台湾がWTOに加盟したことの意義を貫くためにも、FTAに関しては、純粋に経済的な取り決めとして、問題を政治化させないことが必要だ。アジアの中でも高い発展段階に到達した台湾(香港も)は、中国同様、東アジア経済統合に欠かせない存在だ。台湾とも、早期にFTA交渉ができる環境が整うことを期待したい。

6.米国の反応

EAEC構想に猛反発した米国は、近年の東アジア地域協力の盛り上がりに対し平静であり、現政権はFTAを通じて自由化が進むのは結構なことだ、という立場を表明している。日本についていえば、日本が主張するように、アジアとの統合を契機に日本の構造改革が進展するなら良いことだ、とする。しかし、より率直な論者は、ほぼ共通して、米国の態度変化の主な理由として、第1に、日中間の相互不信、日本の保護主義のため東アジアの経済統合の枠組は簡単にはできないと見ていること、第2に、仮にできたとしても、中国経済の実力はまだまだであり、日本経済が停滞する一方、米国経済が再生し、東アジアの統合が脅威でなくなったこと、第3に、同時多発テロ後に米国の安全保障上の圧倒的優位がアジアにおいても確立し、経済発展に専念したい中国は当分の間、米国の優位に挑戦する意欲がないことの3点を挙げる。

この発想は、本質的には米国が参加しない枠組の形成を好意的に捉えていない。「太平洋国家」米国には、東アジアへの関心を常時、域内各国と同等に維持するだけの政策資源を持たない半面、東アジアの経済統合が米国抜きのまま制度化していくことを牽制したい衝動がある。それは、東アジアにある冷戦の残滓がやがて1つ1つ解消していったときに、この地域における米国の安全保障上の役割がどうなるか、それに伴って、米国のこの地域における経済的利益、政治的影響力がどうなるか、ということの不透明感に由来する。

但し、米国現政権は、東アジア地域統合の機運の高まりに対し、これを妨害しようとするのではなく、自らが楔を打つ形で参画する姿勢を示している。2002年10月下旬に「ASEAN行動計画(Enterprise for ASEAN InitiAtive)」を発表し、シンガポールとのFTA交渉も妥結させた。12年前にEAECに反対したときとは異なり、前向きな動きとして歓迎される。

将来、日中間で機が熟してFTA交渉が行われるとしたときに、東アジアの国際環境がどのようになっているかはわからない。しかし、米国がこれを歓迎するかどうかは、究極的には、同盟国である日本がアジア各国との関係を改善することが、米国の利益になると考えるか、すなわち、日本を信頼するかどうかにかかっている。日本が東アジア経済統合に積極的に取り組む上で、日米中関係のマネジメントが鍵であり続けるだろう。

2003年2月号 『日中経協ジャーナル』 (日中経済協会)に掲載

2003年2月17日掲載

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