ビッグデータ活用の条件 ITと経営の融合が鍵に

元橋 一之
ファカルティフェロー

ツイッターでやり取りされるデータ量は1日で12テラ(テラは1兆)バイトといわれる。インターネット上では日々膨大なデータが生成され、蓄積されている。このウェブ上の情報に、車の運行状況や携帯電話による位置情報などのデータを付加したものを「ビッグデータ」と呼び、新たなビジネスの源泉となっている。

例えば東日本旅客鉄道(JR東日本)グループは、駅にカメラが内蔵されたタッチパネル型の自動販売機を置き、利用者の性別、年齢などを識別して、おすすめ商品を表示することで売り上げを伸ばしている。このシステムでは利用者の属性に加え、天候、気温、時刻ごとに商品の売り上げ記録を蓄積し、消費者の行動パターンを予測するモデルを構築している。また、NTTドコモは携帯電話の位置情報とインターネット上の情報を組み合わせて、近くのレストラン情報や、終電が近くなるとその情報を送信するサービスを提供している。

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インターネット上の膨大な情報から経済的な価値を引き出す仕組みは、米グーグルや米フェイスブックなどでもみられる。ただし、これらのウェブデータのみによるビジネスモデルはデータの大きさで経済的価値が決まるため、1社が価値を独占する独り勝ち(Winner Take All)となる傾向がある。 しかし、ビッグデータの世界では、JR東日本の自動販売機のカメラやNTTドコモの携帯電話(全地球測位システム=GPS=機能)などがセンサーになって、個々人の行動に関するより深い情報が付加される。データの種類によって多様なサービスが可能となり、個々のデータの二次利用まで含めると多様な収益モデルを構築できる。従って、事業者の裾野は広い。

電子マネーカードやタブレット(多機能携帯端末)、ネット接続された自動車や電気・ガスのスマートメーター(次世代電力計)など、多くの機器がセンサーとして機能し、そこから得られるビッグデータを活用したビジネスモデルの可能性が広がっている。日本はモバイルインターネットや電子マネーの利用が進んでいるIT(情報技術)先進国なので、ビッグデータの活用モデルで世界をリードできる可能性がある。

ビッグデータ時代の到来で日本企業のIT戦略が大きく変わる可能性もある。2007年の経済産業研究所の「IT戦略に関する国際比較アンケート調査」では、日本企業のIT戦略はコスト削減や業務効率化など経営の合理化を主眼にしており、新事業の開拓や顧客の獲得などを目的とする米国企業とは大きく異なることが分かった。

企業のITシステムは、人事、会計処理、商品の受発注などの定常的な業務を効率化するための「基幹系システム」と、経営戦略支援や市場分析・顧客開発などのための「情報系システム」に分類できるが、日本企業のIT投資では前者に重点が置かれている。

日本企業には専任の最高情報責任者(CIO)を置くところが少ないので、ITシステムのあり方は経営会議の案件ではなく、業務合理化のツールとして位置づけられている場合が多い。また、米国企業と比較して、日本企業では経営者レベルのITに対する理解が浅く、経営判断にデータ分析を活用することに懐疑的である場合が多い。一部の大企業では、グローバルレベルで社内のITシステムを統合して、ITと経営の融合を目指すところも出てきたが、現時点でも日米企業の違いが解消されたとはいえない。

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しかし日本企業でもビッグデータを活用する動きが広がることで、データ分析に対する懐疑的な見方が解消されていく可能性が高い。ビッグデータの活用目的についてアンケート調査をしたところ、最も回答割合が高いのは「事業戦略の策定」と「顧客サービスの向上」であった(図参照)。

図:日本企業のビッグデータの活用目的
図:日本企業のビッグデータの活用目的

現状のビッグデータの活用は、JR東日本グループやNTTドコモのように既存サービスの強化を目的とするものが主で、企業全体の経営戦略との距離は遠い。しかしビッグデータは事業展開の面で他社との差別化を図り、自社の競争力強化につなげるための強力なツールになりうる。データの価値が事業貢献という形で明確になることで、経営者の情報系システムに対する理解が深まるきっかけになり、ひいては、遅れていた「攻め」のIT戦略に対する投資が進み、企業の競争力が強化される効果を期待できる。

では、ビッグデータを日本経済の発展や国民生活の豊かさにつなげていくには、どのような方策が必要だろうか。筆者が座長を務めた情報処理推進機構(IPA)の「暮らしと経済の基盤としてのITを考える研究会」は「信頼の基盤」と「価値の創造」を2本柱とした提言をまとめた。

「信頼の基盤」については、個人情報の取り扱いに配慮し、国民としても安心してデータを提供できる社会的な仕組みを形成することだ。ビッグデータは利用者の性別や年齢などの個人属性に加えて、行動パターンなど詳細な情報が人手可能になることに事業者サイドの利点がある。

しかし、それは当該情報を提供する個人としてはプライバシーとして秘匿が望まれる情報であり、情報としての切れ味はまさしく両刃の剣といえる。例えば、JR東日本グループのサービスでは自動販売機にカメラ撮影をしていることを表示すると同時に、性別、年齢などの情報のみを残し画像は消去するという対策をとっている。事業者サイドの慎重な取り扱いが必要だ。

プライバシー権は情報を有する個人の権利なので、侵害されているか否かの判断は当該個人の主観に基づく。つまり同じ情報を利用する場合でもプライバシー侵害の有無は当事者の主観により異なる。

最近はツイッターやフェイスブックなどの交流サイト(SNS)を利用する人が増えている。日本プライバシー認証機構の調査では、SNSを利用する人は個人情報の提供に関する心理的コストが低下する一方で、非利用者の場合は逆に心理的コストが上がるとの結果が出ている。ビッグデータに関するプライバシー指針では、情報提供の心理的コストが高い人に合わせた厳しい規制を設けるのではなく、柔軟な事業モデルを可能にするものにすべきだ。例えば、個人情報のレベルにより利用者が選択的に情報を提供することができる事業モデルが考えられる。

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「価値の創造」については、まずビッグデータからビジネスモデルをつくり上げるため、ITと経営を融合させる人材の育成が重要だ。IT部門では社内システムの構築・保守だけでなく、データ分析による事業戦略立案の支援や全社的なデータベース基盤を設計する人材が必要となる。一方、事業部門では最新のITに対する理解度を高め、ビッグデータをベースとした事業モデルを構築する能力が必要となる。

次に、国全体としてビッグデータを利用できる環境を整備することが重要だ。日本の電子政府は行政手続きの電子化を主眼としているが、米国では一歩進んで行政データを民間に開放する「オープンガバメント」が進んでいる。日本でも省庁間の縦割りを乗り越えて顧客(国民)サービスの向上が望まれる。また、データの匿名化技術や詳細な集計データの作成により、民間データの二次利用が可能となる方策についても検討すべきだ。

ビッグデータの価値に対して国民全体が認識を深め、経済全体の活性化と安心で豊かな国民生活が実現できるよう、官民で建設的な議論が進むことを期待したい。

2012年7月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2012年7月24日掲載

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