東アジア統合-非経済的利益も注視を

小寺 彰
ファカルティフェロー

東アジア統合の政策手段となる経済連携協定(EPA)や自由貿易協定(FTA)は、政治・外交などの非経済的な利益を追求するという側面にも目を向けるべきだ。経済的利益を追求するあまり要求水準が高くしすぎると、交渉が遅れ逆効果になるという点に留意する必要がある。

米国のFTAは安全保障を重視

わが国がEPAやFTAの締結に取り組み始めて丸7年が経った。当初は、諸国を平等(無差別)に扱うことを基本原則とする世界貿易機関(WTO)体制との緊張関係を問題にする向きもあったが、ほぼそのような声は消えた。

他方、EPA締結の加速化の声が強まり、当初は考えもしなかった日米EPA構想が経済財政諮問会議で指摘されたり、資源確保を目的にすえるオーストラリアとのEPA交渉が始まったりするなど今昔の感がある。いくつかの論点について考えてみたい。

第1が、EPAでは経済的な利益のみを追求すべきなのかという点である。モノの貿易やサービス貿易、投資ルール、知的財産権、競争政策など、確かにEPAのカバーする範囲は広い。どんな協定が最も経済の成長・発展につながるか議論するのは当然だ。一方で、経済状況が選挙の重要な争点になるように、経済は社会生活や政治状況、さらには外交関係に大きな影響を与える。したがって、EPAが当事国間の外交関係や政治関係に重大な影響を及ぼしても不思議ではない。

事実、安全保障上の関係を正面に据える米国のFTAは、経済的動機が強い日本のEPAと好対照といわれる。こうした経済と社会、政治、外交の関係を踏まえると、経済効率性とは別にEPA構成国の友好関係を増進するものが望ましいという視点が出てくるはずだ。つまり外交ツールとしてのEPAである。

相手国に高い水準の自由化を要求した結果、相手国での経済格差が拡大し、EPAにその責任が押しつけられて友好関係に傷がつけば、日本、特に現地で活動する日系企業には利益にならない。FTA交渉で、強い要求をぶつける米国の交渉相手国で反米感情が生まれるのは、このためだ。

WTOは「法律」EPAは「契約」

構成国間の友好関係増進の手段と考えれば、どの程度の自由化要求にするか相手国の状況を踏まえて適度な線で抑えるという方向はありうる。それはまさに政治的判断の問題なのである。現に最近交渉を終えたEPAで、日本政府は適度に経済協力の要素を加えており、米国のように自由化一辺倒の態度ではない。

第2が「農業はEPA締結の障害」との通説に関してだ。一般にEPA締結の障害は農業自由化にあるといわれる。確かにEPA第一号のシンガポールとの交渉では、その内容に農業の実質的な自由化が含まれていなかったのに将来農業国との間でもEPA締結の動きが広がるとの懸念を抱いた農業界が反対した。第二号のメキシコとの交渉長期化の原因の1つは、豚肉・オレンジなど農産品の自由化問題だった。

しかし、タイとの交渉では、タイ側の小型自動車と鉄鋼、またマレーシアとの交渉では、マレーシアの自動車自由化(国民車問題)が最後までまとまらなかったことが、当初予定よりずっと長引いた原因だった。フィリピンでは投資仲裁の取り扱いが最後までもめた。交渉が中断している韓国も、「農産品の自由化方式」が直接の原因とされるが、両国の関係者は「本当の原因は、EPAで増えることが予想される韓国の対日貿易赤字をめぐる日韓の相互理解の欠如にある」という点で一致している。逆に、タイとの交渉では早い時点で農産品自由化の交渉妥結が報じられた。また東南アジア諸国連合(ASEAN)との交渉が長引いているのは、日本側の自由化要求にASEAN側が抵抗していることが主な原因である。

つまり、必ずしも常に農産品が「犯人」ではなく、高すぎると相手から見られる工業品に関する日本の自由化要求の受諾を相手国が渋ったことにあるようだ。もちろん、米国相手となれば、農産品自由化問題が日米EPAの最大のネックであることは間違いない。交渉妥結のハードルを高くしすぎるという日本側の態度が、農業分野の問題よりも交渉遅延のもとのように思われる。「高水準」を1度に目指すと交渉が長引くことが多い。

第3が「WTO体制強化を目指すべきか、EPA交渉を優先すべきか」との問いだ。7年の経験で分かったのは、この二者択一の問い自体がナンセンスということだ。日本のEPAが広い範囲をカバーするといっても、新たな義務付けは関税撤廃と投資ルールが主で、その他のほとんどは構成国間の協力関係の設定である。WTOがカバーしていない投資ルールはともかく、WTO対象分野では、WTOが設定したルールを前提にして関税撤廃または引き下げにほぼ尽きるというのがEPAの実像だ。言い換えれば、WTO協定が「法律」、EPAが「契約」というイメージなのである。

マレーシアやタイとのEPAで実現した、経済界を巻き込んだ相手国との対話の仕組みは、官民双方の協力関係を向上させて相互理解を深めるもので、日本の専売特許といえるものだ。こういう仕組みこそ、友好関係の増進を図り現地日系企業の事業活動を応援する上で望ましく、WTOには期待できないものだ。

状況に応じて深度を高めよ

従来の対ASEAN外交の軸は政府開発援助(ODA)供与で、それを支えてきたのは協力を通した日本の国益実現である。手段がODAとEPAとで違っても、対ASEAN外交の基本哲学を変える必要はなく、EPAにおいて協力関係の増進にシフトしてきたのは自然の流れといえる。

WTOとEPAはそれぞれ異なる機能を持っており、どちらかを進めれば他方が要らなくなるものではない。EPAの過大評価、WTOの過小評価はいずれも戒めなければならない。遅々として進まないWTOのドーハ開発アジェンダ交渉も、EPA交渉とは別に真剣に取り組まなければいけないのは、このためだ。

第4にEPAを一刻も早く結ぶメリット、デメリットである。日本がEPAに取り組むきっかけとなった一因がメキシコとの関係であった。当時メキシコは、米欧などFTAを結んだ30の国・地域の製品には関税撤廃など有利な取り扱いをしたため、この種の協定のなかった日系企業は、メキシコで競争上不利になった。メキシコが米国への輸出の前線に位置したために、対米貿易でも不利益を被るという声もわが国経済界から上がり、EPAに結びついた。

こうした対メキシコ交渉の経験から、その後「とにかくEPAを急げ」との声が経済界を中心に広がったが、事はそれほど単純ではない。シンガポールとは日本の締結が先行し、遅れて米国がFTAを結んだ。対米FTAは日本とのEPAより自由化の程度が高く、逆に日本企業は不利になった。その後、日本とシンガポールは改定交渉を行い、こうした状況はほぼ解消したが、EPAを早く結んだからよいとは必ずしも言い切れないことが分かる。ここが自由化が一律になるWTOとの違いだ。

二国間交渉はどうしても国力の差が出る。EPAの内容設定は1回の条約締結で終わるのではなく、周りの状況に応じて徐々に自由化を深化させるというアプローチが実際的だ。高水準の自由化を一挙に達成するのではなく、他の国、特に米国の対応を横目に見ながら、自由化の深度を高めていく方法である。

これなら、交渉の加速と高水準の自由化は両立する。これだけ多くの国と交渉を進めながら、それが1回で終わらないとなると交渉当局は大変だが、割り切るほかはない。自由化がいったん決まればすべての国に等しく適用されるWTOの仕組みは管理の上では効率的なのだが、諸国がEPA・FTAに向かった以上、手間がかかることを承知の上でEPAを進めるほかはない。

EPAを外交政策の観点から考えると、方針は国ごと、例えば途上国か先進国か、アジア諸国かそれ以外の国かで変わってくる。同じ通商政策の手段であっても、WTOとEPAは相当違う。EPAを組み込んだ通商戦略を進めるには複眼的な思考が必要なのである。

2007年6月6日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年6月15日掲載

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