多摩地域とTAMA (技術先進首都圏地域)

児玉 俊洋
RIETI上席研究員

多摩地域及びこれに連なる神奈川県中央部、埼玉県南西部を含めた「広域多摩地域」あるいは「TAMA」と呼ばれる地域は、高度成長期以降形成されてきた先端技術産業の有力な産業集積と研究機関集積の基盤の上に、多数の産学連携及び企業間連携の形成を通じて新製品、新事業を輩出するという地域モデルの形成を目指して動き始めています。

1.関東通産局調査に見る産業集積の現状

多摩地域には、(1) 電気・電子機械製造業をはじめとする大企業の有力工場及び開発拠点、(2) 理工系学部を持つ大学等の教育研究機関に加えて、次に述べるように、(3) 市場把握力に裏付けられた製品の企画開発力を持つ製品開発型中小企業(注1)、(4) 高精度、短納期の外注加工に対応できる基盤技術型中小企業(注2)が集積しています。そして、同質の内容を持った集積が、川崎・横浜両市の内陸部及び相模原、厚木から湘南方面まで含む神奈川県中央部、並びに、狭山、川越、所沢を中心とする埼玉県南西部にも広がっています(第1図参照)。この地域を総称して、後述するTAMA産業活性化協議会の平成10年度における設立に際して、同協議会によってTechnology Advanced Metropolitan Area(技術先進首都圏地域)の頭文字として「TAMA」と呼ばれるようになりました。

その少し前の平成8年度に通商産業省関東通商産業局(現経済産業省関東経済産業局)は、この地域の開発型の産業集積としての性格に注目し、この地域をとりあえず「広域多摩地域」と呼んで、東京都、埼玉県、神奈川県並びに関係商工会議所及び商工会と協力して調査を行い、平成9年6月に『広域多摩地域の開発型産業集積に関する調査報告』としてとりまとめました(以下では、「関東通産局『広域多摩地域調査』」または「関東通商産業局[1997]」と呼ぶ)。同調査報告は、とりわけ、この地域に多数の「製品開発型中小企業」が存在していることに注目しています。

製品開発型中小企業とは、自社製品を持つ中小企業(詳しい定義は(注1)参照)であり、(1) これらの企業の業績が優れていること、(2) その背景として市場ニーズ把握力と研究開発指向性を併せ持っていること、(3) 近隣を中心として数多く(1社平均約50社)の基盤技術型中小企業を外注先として活用しており、その意味で地域経済の中核的な存在であることなどを明らかにしました。これらの製品開発型中小企業は、具体的には、例えば、電子描画装置等の微細加工装置、半導体や実装基板関連の検査機器、科学分析用の各種分析装置、画像処理等のデジタル制御機器、高周波伝送用部品等の電子機器高機能部品といった、電機・電子機械及び精密機械分野の主として企業及び研究機関向けの設備・装置、機能部品を開発、製造しています。

同時に、『広域多摩地域調査』は、この地域に高精度、短納期等の要請に対応できる優秀な基盤技術型中小企業も多数存在することを確認しています。基盤技術型中小企業の存在なくして、製品開発型中小企業の開発力は成立しません。ただし、基盤技術型中小企業は、他社からの仕様、設計の指定に基づいて受託加工(いわゆる「下請加工」)を行うものの、それ自体、企画、設計の機能がありません。このため、特定大企業と基盤技術型中小企業のみが集積する企業城下町型の地域では、大企業の海外への生産移管等によって地域全体の仕事量が縮小せざるを得ません。大企業に替わって製品開発を行い仕事を創り出す新たな中核企業が必要であるところ、TAMAを構成する地域にはその役割を果たしうる製品開発型中小企業の成長が見られるのです。

このように大企業、理工系大学、製品開発型中小企業、基盤技術型中小企業が集積するこの地域は、全国有数の新製品や新事業の開発力を備えた地域であると見られます。

2.産業集積形成の沿革

それでは、このような開発力に優れた多摩及びTAMAの産業集積は、どのような過程をたどって成立したのでしょうか、本誌『多摩のあゆみ』第100号所収を含む既存文献、工業統計表及び上記の関東通産局『広域多摩地域調査』によって、その沿革を概観します。

(1)機械工業等の集積の形成
多摩地域の工業は、明治、大正期には八王子、青梅を中心として織物産業が基幹産業となっていましたが、昭和戦前期から戦時中にかけて、航空機製造、通信機器製造、計測機器製造等の軍需関連工場が都心部から移転ないし新規立地し、戦後、これらの工場が民需転換することによって、この地域に機械工業が発展する最初の基盤が形成されました。

昭和30~40年代の高度成長期には、昭和34年に制定された「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(工業等制限法)」も背景として、東京都区部や京浜工業地帯からの工場移転が活発となり、一方、多摩地域の各自治体は工業団地を造成するなど工場誘致に力を入れ、多数の大規模工場がこれらの工業団地に誘致され、多摩地域での機械工業の集積が進みました。

昭和48年の第一次石油危機以降、多摩地域では、大規模工場からの従来の量産工場から研究開発・試作などの機能を担う各社の拠点となる工場や母工場への転換が進み、また、組み立て加工産業を中心として先端技術分野の中小企業の集積も進みました。さらに、工業等制限法により都区部での新設や拡充が困難となった大学・短期大学が、地価が安く、広大な空間と快適な自然環境のある多摩地域に移転し、現在のような企業及び研究機関の集積が形成されてきました(注3)

高度成長期以降、石油危機以降の時代も含めて、都心から移転する工場の受け皿となって機械工業そして先端産業の集積が進んだのは、神奈川県中央部と埼玉県南西部も東京都多摩地域と同様と考えられます。

第1表 [PDF:36KB]によって、東京都多摩地域に埼玉県南西部、神奈川県中央部を加えたTAMAを構成する地域について、1970年代以降の製造業の事業所数の推移を、都心部(東京都区部及び京浜臨海部)と比較しながら見てみると、都心部の事業所数は、東京都区部も京浜臨海部も70年代以降かなり急速に減少しているのに対して、TAMAを構成する各地域の事業所数は増加を続け、東京都多摩地域は80年代半ばまで、神奈川県中央部と埼玉県南西部は90年まで増加していました。同じ首都圏でありながら、都心部と内陸部とでは工業集積の形成過程が明らかに異なっており、神奈川県中央部と埼玉県南西部は、地価高騰や用地取得難の都心部に替わる工場立地先という、東京都多摩地域と共通の要因で工業集積が形成されてきたものと考えられます。

(2)製品開発型中小企業の立地経緯
さらに、関東通産局『広域多摩地域調査』によって、製品開発型中小企業の立地経緯を見てみます。同調査報告では、計245社の製品開発型企業が回答しましたが、そのうち、約200社が中小企業です。そのうち、立地経緯について回答した企業の現在地事業開始年次等について第2表 [PDF:36KB]に示します。

同表を見ると、製品開発型中小企業が広域多摩地域(TAMAと同じ地域)に立地したのは、昭和30年代から平成年代にまでわたっています。またそれらの広域多摩地域における立地経緯を、「別の場所から移転」「工場を増設」「現在地で創業」の3類型に分けると、別の場所から移転してきた企業が最も多く、それに次いで現在地で創業した企業が多くなっています。また、第3表 [PDF:36KB]によって、別の場所から移転してきた企業の創業地を見ると、東京都区部最も多く、それに次いで広域多摩地域内、特に北多摩地域からの移転企業が多くなっています。

さらに、現在地で創業した企業の創業経緯を見ると、他の企業、特に、近隣の大企業の技術者が独立創業したものが大変多くなっています(図表省略)。

すなわち、広域多摩地域の製品開発型中小企業は、高度成長期から近年にかけて、東京都心からの移転、及び、大企業等からのスピンオフ創業を中心として集積が進み、また、地域内では、早期に工業化が進んだ北多摩地域からより西部に企業が移動して現在の立地に至っています。

3.産学連携地域モデルの形成を目指して

このように戦後の多摩地域そしてTAMAは総じて言えば、民需転換したかつての軍需関連工業集積を出発点として、高度成長期、石油危機後の安定成長期を通じて、都心部からの電気・電子機械、輸送機械、精密機械製造業の大企業工場の移転、増設、それらの開発拠点や母工場への転換、並びにこれら大企業からのスピンオフなどによる製品開発型中小企業の立地、さらには、都心部の大学の移転などを通じて、生産機能と研究開発機能を兼ね備えた一大産業集積を形成してきました。

(1)産学連携推進組織の成立
しかし、第1表 [PDF:36KB]に見られるように、この地域も1990年代は製造業事業所数が減少に転じ、これは出荷額や従業者数にも反映しています。内容的には、高付加価値、研究開発集約的な分野に転換が進んでいると見られますが、関東通産局『広域多摩地域調査』でわかった問題点は、大企業も大学も製品開発型中小企業も含め有力な開発主体が各々独立に存在し、その間の連携関係が希薄だったことです。外注関係を通じた生産工程分業は発達していましたが、新技術、新製品の開発を目的とした企業間連携は少なかったのです。産学連携も大学にその気運は高まりつつありましたが、地域の特に中小企業との連携の実績はなかなか見られませんでした。

そこで、関東通商産業局はこの地域の産学間及び企業間の連携を強化するための組織体の形成を呼びかけました。地域の民間企業、大学等のキーパーソンがこれに呼応して結成した準備会の活動を経て、平成10年4月、製品開発型中小企業を中心とする民間企業、大学及び公的研究機関、都県市町自治体及び商工団体等によって、「TAMA産業活性化協議会」が設立されました。この際、対象地域が東京の多摩地域だけでなく埼玉県、神奈川県にもまたがるので、技術先進首都圏地域の意味で「TAMA」の呼称が採用されました。さらに、同協議会は、平成13年4月に社団法人化され、「(社)TAMA産業活性化協会」(会長:古川勇二東京都立大学工学部長)に改組されました(以下、協議会時代を含めて「TAMA協会」という)。

TAMA協会は、平成15年1月初め現在、520(うち企業会員286)の会員が参加し、情報ネットワーク構築・運営、研究開発促進、インターンシップ、特許戦略セミナー、技術交流展示会兼受発注交換会、ビジネスプランマッチング、課題解決型企業訪問、ミニTAMA会、人材マッチングなどの諸事業を行い、会員間の連携・交流の促進と新規事業支援を行っています。また、平成12年7月には、TAMA協会を母体として、地域の十数校の理工系大学からTAMA協会会員企業への研究成果の移転を促進する技術移転機関として「タマティーエルオー株式会社(TAMA-TLO)」が設立され、技術連携活動が強化されています。

このようなTAMA協会の運動は、従来は有力な構成主体が単に集積立地していたものを、相互の連携を強めることによって、産業集積の技術革新ポテンシャルを最大限に引き出すことを狙いとしたものです。最近はやりのキーワードとして、集積内の構成要素間の連携や相互作用に注目し、そこから新たな価値が生み出される産業集積のことを「クラスター」や「産業クラスター」と呼ぶことが多くなっています。この用語を使えば、TAMA協会の運動は「クラスター形成運動」であると言うことができます。

TAMA協会による連携推進運動の成果
筆者は、昨年、TAMA協会の協力を得て、新製品開発を目的とした産学及び企業間連携の事例調査を行いました(注4)。その結果、平成14年3月までにTAMA協会の活動を通じて成立した連携事例が、製品テーマ数で数えて20件確認できました。それ以降連携成立が明らかになった事例も多いですが、それらはこの中には含んでいません。これら20事例は、いずれも事業化済み(6件)または開発進行中(14件)の事例です。

連携のイメージをわかりやすくするために、第4表 [PDF:68KB]として、これら20事例について、連携によって組み合わせられる技術シーズの名称を製品化担当企業の実名とともに掲載します。これらの事例は、(1) TAMA協会が連携形成を主導した事例、(2) 会員企業による既成の連携チームが行う製品開発プロジェクトをTAMA協会が支援した事例、(3) TAMA協会の活動が出会いの機会を提供した事例に分類できます。

内容としては、例えば、連携形成を主導した事例は、プローブカード、化学センサ、デジタル制御機器など、TAMAに多い中堅・中小の計測制御機器メーカーに大学や研究機関のマイクロマシニング技術やマイクロ電子回路技術などの技術を導入して、いくつものマイクロデバイス製品を開発することを内容としたものが多くなっています。

既に事業化した事例の代表例としては、電子線応用装置メーカーがTAMA協会の下での他のプロジェクトへの参加を通じて国立研究機関の研究員から得たヒントに基づいて開発した「誘導結合型プラズマエッチング装置」などがあります。

これらの連携事例の地域的属性を見ると、都県をまたがる広域でかつTAMA圏域内の連携が多くなっています。すなわち、開発の担い手として有望な企業や大学が存在しながら、従来は開発連携の実例が少なかったTAMAを構成する地域において、製品開発を目的とした新たな地域内連携が成立し始めています。

TAMA協会の下での連携推進活動の成果が市場規模などにおいてはっきり目に見えるようになるまでにはさらに数年を要すると思いますが、小規模な事務局人員体制の下で、具体的な連携事例の実績が着実に上がっていることは、中間的な成果として高く評価されると思います。

(3)日本経済再生の先導役としての期待
TAMA協会の活動で重要なことは、地域を構成する企業、大学、有力市町村等の主体的な取り組みによって成り立っていることです。最近は、中小企業だけでなく大企業の貢献も目立つようになり、また、地域金融機関や人材紹介会社など、サポートする機関も重要な役割を担うようになりました。今後は、各種専門知識を持つ60名強のTAMAコーディネータが連携のマッチングに力を発揮することも期待できます。

また、各種施策情報の提供のほか、社団法人化の指導をはじめとする組織運営面での助言などの関東経済産業局のバックアップも引き続き重要な役割を担っています。しかし、この種の活動は、行政が火をつけても、地域や民間のプレーヤーが自らのこととして動かなければ長続きしません。TAMA協会は、地域、民間の多くの人々や組織が主体的な意思を持って自律的な活動をしている運動体であり、将来大きな希望の持てる活動です。

日本経済は、90年代から続く長期経済停滞からまだ脱却できず、中国等への生産シフトによって産業空洞化の様相を強めるなど厳しい状況が続いています。このような状況の中で、TAMAが目指す「連携によって高付加価値の新製品、新事業を次々と生み出す」という地域モデルは、日本経済が切実に必要としている産業構造の姿です。

TAMA協会の構成員は約500人と言っても地域の全体人数からすれば限られた一部にすぎません。しかし、TAMA協会構成員に限らず、多摩地域及び埼玉県、神奈川県のTAMAを構成する地域の企業集積、技術集積、人材集積には大きな可能性があり、これらが、日本経済の再生に向けた活力の源となることを心から期待申し上げます。

(筆者は、平成8年7月から10年6月にかけて、関東通商産業局商工部長、産業企画部長に在任し、本文中の関東通産局『広域多摩地域調査』及びTAMA産業活性化協議会設立活動に従事した。)

2003年2月 『多摩のあゆみ』109号 (財団法人たましん地域文化財団)

2003年2月 『多摩のあゆみ』109号 (財団法人たましん地域文化財団)に掲載

脚注
  • (注1)「製品開発型企業」とは、設計能力があり、かつ、売上げの中に自社製品を有している企業として定義。自社製品とは、自社の企画、設計による製品で、部品、半製品を含み、自社ブランドだけでなく他社へのOEM供給製品を含みます。
  • (注2)「基盤技術型中小企業」とは、切削・研削・研磨、鋳造・鍛造、プレス、メッキ・表面処理、部品組立、金型製作等、製造業全般に投入される各種部品等の加工工程を担う中小企業として定義。
  • (注3)本節ここまでの記述は、東京都[2002]、経済産業省関東経済産業局[2001]、鈴木浩三氏[2000]、梅田定宏氏[2000]に基づきます。
  • (注4)調査結果については、詳しくは、児玉俊洋[2002a]を、また、概要は、児玉俊洋[2002b]をご参照ください(ホームページアドレスを参照文献欄に記載)。
文献

2003年3月5日掲載