財政論議、20年で振り出しに

小林 慶一郎 プログラムディレクター・ファカルティフェロー

財政を巡る政策論議は、この20年で、ぐるりと一周して元に戻ってきたかのようだ。

1990年代初頭、バブル崩壊後の日本では、財政出動と減税で景気を刺激しさえすれば不況を脱出できる、と皆が信じ、巨額の財政政策を毎年繰り返した。90年代も今とまったく同じ議論をしていたのだ。違いといえば当時は国の借金は少なく、高齢化も進んでいなかったことである。

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90年代の財政出動や減税は、景気を回復させられなかった。結局、財政政策は、バブル崩壊で過剰債務を背負い込んだ企業に国家が金を与えて借金の負担を肩代わりし、企業の過剰債務を国家の借金に移し替える政策だった。それは、財政政策という名を借りた暗黙の不良債権処理(徳政令に似た債務免除)だった。

90年代に財政政策が効かず政府の借金ばかりが増えたので、2000年代には、もう財政は限界だ、金融緩和でデフレ脱却を目指せ、ということになった。それから十数年、金融緩和を極限までやってもうまくいかないから、再び財政政策を試してみよう、となったわけだ。この20年の経緯を忘れたのか、財政と金融の同時実施という昔と同じ話が「ヘリコプターマネー」政策として、まるで新しいことのように議論されている。

90年代の末に論じられた財政問題のテーマの1つに「非ケインズ効果」がある。非ケインズ効果とは、「政府債務が増えすぎると、将来の財政への不安が高まるので消費が低迷する。そのとき増税や緊縮財政で財政が健全化すれば、景気が良くなる」という仮説である。

日本では97年と14年の消費税増税後に景気悪化が繰り返されたので、近年、非ケインズ効果はあまりはやらなくなった。しかしよく考えると、97年の景気悪化は消費税より、不良債権が限界に達して起きた金融危機が原因だった。また、14年からの消費の低迷には、在庫減、冷夏、暖冬などの悪条件が重なっていた。消費増税が景気悪化の主因だったとは断定できない。

最近では、米ハーバード大学のカーメン・ラインハート教授らが13年の論文で「公的債務比率が90%を超えると、経済成長率が1.2%下がる」と主張し、非ケインズ効果の議論を復活させた。彼らの主張は、なぜいつまでも消費が弱いのか、という問題を説明する有力な仮説である。消費低迷が続いたのは消費増税のせいというより、財政への将来不安が消費税を8%にしてもなお解消せず、むしろ高齢化とともに悪化を続けているからかもしれない。

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安倍晋三首相がいう世界経済のリスク(可能性)は、いつの時代にも存在する。世界経済のリスクと「次世代の日本人にどれだけコストを付け回すのか」という点を比較衡量する必要がある。リスクとコストを比較し、もっとも手堅い見通しを立てて「最悪の事態」に備える。そして、政策実行の結果責任を負う。これが政治指導者の正しい姿勢ではないか。

世界経済のリスクと将来世代へのコストのどちらを重視すべきか、科学的には決着がつかないかもしれないが、最後は「どんな国を次世代に残したいか」という政治指導者の価値観で決めるしかない。その判断は、道徳的かつ政治的な判断であり、科学的な判断ではない。次世代に残す国のかたちには、国の借金として現在世代が次世代にツケを回すコストのあり様も含まれる。この価値観について軸がなければ、希望的観測や甘言に惑わされ、指導者は右往左往することになる。

現在の日本の消費税や政府債務を巡る状況は、かつて日本が太平洋戦争に突入していったプロセスに似ている、とある経済人は言う。当時、軍人、官僚、政治家たちは事態の推移に合わせてその場しのぎを繰り返し、内輪向けの手柄を競い合い「米国と戦争すれば負ける」という当たり前の判断から目を背け続けた。

いまの私たちも「財政再建しなければ将来の社会保障は維持できない」という事実に真剣に向き合っているとは言えないだろう。これは指導者層と彼らを選んだ日本の有権者の政治道徳の問題であると同時に、政治システムの問題でもある。

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2〜3年ごとにある選挙で勝たなければならないというプレッシャーにさらされる政治家は、その場しのぎの人気取り政策でお茶を濁す誘惑に勝てない。政治家が長期的視野で正しい政策を選択できるようにするためには政治システムを変える必要がある。

経済学者で政治哲学者のフリードリヒ・ハイエクがこの問題を考えていたことは一般にあまり知られていない。晩年の大著「法と立法と自由」(73年)などの中でハイエクは、政治が決めるべき「法」には2種類あると指摘している。権力者も庶民も含めて万人がしたがうべき正義の一般法則(規範=ノモス)と、補助金や公共事業など政府の持つ資源の配分の決定(指令=テシス)である。財政規律、消費税など税のあり方、財政全体の規模などは規範(ノモス)の領域に属するとされる。

ノモスとテシスを同じ人々(国会)が決めるから現代民主主義はうまく機能しないとハイエクは主張した。例えば、正義の一般法則であるノモスを決める人々(国会議員)には利益誘導の誘惑はあり得ないから、かれらに万能の権限を与えることは理にかなっている。だが、公共事業の箇所付けなどのテシスを決める人々(これも国会議員)は利益誘導の誘惑にさらされる。テシスを決める人々の権限には制限を設けないと、政治は腐敗する。

ハイエクは、例えば参議院がノモスを決め、衆議院がテシスを決めるように役割を分けることを主張した。財政規模や消費税などを決める参議院と、年金などの財政支出の額を決める衆議院が役割分担し、相互けん制によって国家債務の膨張を防ぐのである。

日本もハイエクがいうような抜本的な政治改革が必要かもしれないが、そのような改革は憲法改正なしにはできない。すると結局のところ、安倍首相の政権運営は正しいということだろうか。憲法改正を実現するには与党が選挙で圧倒的な勝利を収めなければならず、そのために、いまは増税延期のような人気取り政策をやるしかない。どんなことをしてでも選挙に勝って憲法改正を成し遂げる覚悟であるならば、それは政治指導者としての見識である。

消費税増税延期に象徴されるような「世代を越えたコストの先送り」は、産業社会に過去100年あまりで出現した新しい問題である。有限な化石燃料資源、環境問題、原子力発電とその放射性廃棄物の超長期的管理の問題、そして政府債務によって支えられた社会保障制度の持続性の問題。これらはすべて「コストを後世に先送りする」誘因とどう戦うかという問題だが、近代民主主義の初期の想定には入っていなかったことばかりである。いま日本が直面している財政の持続性という問題も、従来の民主主義で解決できるとは限らないし、実際に解決不可能であることを我々日本人が現在進行形で証明しつつある。

こうした問題を解決するためにこそ、憲法改正は必要なのかもしれない。それが、ハイエクの構想した民主政のバージョンアップと同等の大改革につながるならば、安倍首相による消費税増税の2度に及ぶ延期も、画期的な英断として日本の政治史に記憶されることになるだろう。

2016年6月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2016年7月22日掲載

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