長期デフレ 解明は途上

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

日本ではなぜ長期にわたりデフレが続いてきたのだろう。今も様々な説が提示されているが論争に決着はついていない。既存理論では説明しきれない部分も多いためだ。

例えば「デフレ期待が自己実現的にデフレを生む」という説がある。「今後も物価が下がる」という期待があると、消費や投資を先延ばしするのでモノが売れなくなり、現実に物価が下がる、という考え方である。しかし10年以上のデフレをこの説で説明するには、実は困難がある。

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長期デフレの成立条件の1つは「貨幣量が将来的に減少する」という予想である。貨幣が減ると財・サービスの価値が貨幣に比べて低下しデフレが起きる。これは19世紀の古典的なデフレだ。ただ、日銀はお金の供給をいくらでも増やせ、実際に一時期を除き増やしてきたのでそうした予想があったとは考えにくい。

米ニューヨーク大学のジェス・ベンハビブ教授、米コロンビア大学のステファニ・シュミット・グロー教授らの2002年の研究はデフレ期待説を厳密に理論化し、ゼロ金利下で長期デフレが発生することを示した。ただ、この論文でも貨幣数量(原論文では政府債務)は減少し続けるとされている。つまり古典的なデフレと実態は同じである。

日本のデフレについては、ゼロ金利下でも「将来のインフレ率は上がる」という期待(予想)を生み出せれば脱却できるとする、米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授の1998年の論文が有名だ。同氏は一時的なショックによる需要不足でデフレが起きたと考える。金利を十分に引き下げられれば需給ギャップがなくなるが、政策金利はゼロより小さくできないので、ショックが大きすぎると不均衡は解消できない。

米ブラウン大学のガウティ・エガートソン准教授と米コロンビア大学のマイケル・ウッドフォード教授の2003年の論文、米カリフォルニア大学のアラン・オーバック教授とモーリス・オブストフェルド教授の05年の論文も基本的に同じ構造だ。

これらに共通するのは「将来のある時点で、政策と無関係に経済が正常化し、ゼロ金利が終わっている」という仮定だ。デフレを短期の現象とみており、ゼロ金利が終わった後のインフレ率を高くすると約束すれば、ゼロ金利の現在でも効果が出るとする。ただ、10年以上続くデフレには当てはめにくく、その処方箋が有効かも判然としない。

ニューヨーク市立大学のマーク・ガートラー教授と欧州中央銀行(ECB)のピーター・カラディ氏の11年の論文やガートラー教授とプリンストン大学の清滝信宏教授の10年の論文は、欧米の非伝統的金融政策を分析している。これらは資産買い入れなどによる大規模金融緩和を、銀行の貸出能力が何らかの理由で失われたときに、中央銀行が企業に直接資金を貸し出す政策としてモデル化している。

これらの理論によれば、米国の非伝統的金融政策が効果的だったのは、金融セクターが一時的に機能不全に陥ったときに中央銀行がその機能を補完したからである。サンフランシスコ連邦準備銀行のヴァスコ・カーディア氏とウッドフォード教授も同じ趣旨の分析を行っている。

ただ、00年代半ば以降の日本で銀行セクターが機能不全に陥っているとは言えない。現在の日本で金融緩和が経済を拡大させる効果を発揮するとしたら、米国での非伝統的緩和の効果とは別のメカニズムで説明する必要がある。

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結局、長期のデフレが生じる原因は何なのだろう。名目金利、実質金利、期待(予想)インフレ率の関係から市場の金利を説明するフィッシャー関係式(図参照)から考えてみよう。長期的には期待インフレ率は実際のインフレ率に一致する。また、インフレ率についての予想は長期の政策を反映する。すると「ゼロ金利政策が長期間継続すると、長期デフレが生み出される」という結論が導かれる。

図 フィッシャー関係式
図 フィッシャー関係式

これは次のように説明できる。長期の実質金利は実質経済成長率を反映するのでプラスの値になるはずだ。一方、ゼロ金利下で名目金利はゼロに張り付く。するとインフレ率はフィッシャー式から「名目金利(ゼロ)-実質金利(プラス)」でマイナスになる。「名目金利をゼロにする政策が長く続くと予想されると、将来のインフレ率予想もマイナスになり、実際にデフレが続く」と言えるのである。

ただ、この理屈は従来のデフレ期持説と同じ、「貨幣供給量が減るならデフレ期待は続くが、増える中でなぜデフレ期待が維持できるのか」という問題に直面する。

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ポイントは、中央銀行の金融政策ではなく政府の財政運営についての予想である。

実は貨幣の実態は国債と同じ「政府の債務」にほかならない。長期的に物価が下がることは、財・サービスに対して貨幣の価値が相対的に上がり続けることを意味する。一方、紙切れにすぎないお金が価値を持つのは、国がその価値を保証しているからで、その信用は政府の支払い能力、裏返すと徴税力が支えている。この意味で国債と貨幣は同じ性質を持つのである。

デフレにより、発行した貨幣の総価値(政府債務)が増え続けるなら、その価値を支えるには将来、増税が必要になる。多くの人が「貨幣価値を増大させるゼロ金利政策が続いても、当面は問題が起きないよう財政運営が適切に行われる」と考えるなら、実は将来の増税を予想しているのと同じである。

この仮説は我が国の財政についてよく指摘される懸念と似ている。日本では政府債務が国内総生産(GDP)の2倍を超える規模まで膨張しており、財政再建のために大幅な増税が必要だ、というのが一般的な見方である。

例えば米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のゲイリー・ハンセン教授と米南カリフォルニア大学のセラハティン・イムロホログル教授は12年の研究(未公刊)で、日本の公的債務をGDPの60%に長期的に抑えるには消費税率を35%まで上げなければならない、と試算している。

これに対しフィッシャー式から導かれる「ゼロ金利が将来の増税予想を生む」という現象は金融政策のツケが財政に回るというメカニズムだ。この点は財政不安から生じる増税予想と異なる。いずれにせよ、財政への信頼が崩壊すれば理論的には急激なインフレが起きると考えられる。

ゼロ金利政策の長期化自体がデフレにつながっているとしたら、どんな政策的含意が引き出せるだろうか。

まず、経済成長を高めるには潜在力自体の底上げが必要で、金融緩和を進めることは必ずしも適切な手段ではないかもしれない。むしろ、日銀が金融機関に供給したお金が企業に貸し出され、新規産業が成長するために資本市場などの構造改革が重要だろう。

デフレ脱却を意図した「期待に働き掛ける政策」も、名目金利は将来にわたりゼロに張り付くと人々が信じれば、狙いと逆にデフレ期待を生む懸念がある。政府が財政の安定化を進めつつ、「将来は名目金利が適度なプラスになる」と人々が確信できるようにすることが求められており、日銀の金融政策だけで期待を操作するには限界があるのではないだろうか。

2013年6月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年6月25日掲載

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