「危機後は不況長期化」なぜ

小林 慶一郎
上席研究員

米メリーランド大学のカルメン・ラインハート教授と米ハーバード大学のケネス・口ゴフ教授は「国家は破綻する」(2009年)で、金融危機・債務危機に陥った国は危機後に長期間、経済成長が低迷すると指摘した。ラインハート教授とアメリカンエンタープライズ研究所(AEI)のヴィンセント・ラインハート研究員も、10年の論文で危機後10年は経済成長率が低下する傾向があると実証的に示した。これらの結果を踏まえれば、今後の欧米経済は長期的に低成長となる可能性が大きい。今回は長期不況に関する最近の研究を整理しよう。

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新古典派的な枠組みのマクロ経済学による長期不況分析の端緒は、1999年の米ペンシルベニア大学のハロルド・コール教授(現在、以下同)と米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のリー・オハニアン教授による米国の大恐慌の研究だ。彼らは全要素生産性(TFP、キーワード参照)が30年代に急に落ち込んだことが大恐慌発生の主因と述べた。

TFP悪化主因説を唱えた彼らの研究に触発され、2000年代初めには、新古典派的な手法による長期不況の研究が盛んになった。それらの研究は米ミネソタ大学のパトリック・キーホー教授と米アリゾナ州立大学のエドワード・プレスコット教授が編集した「レビュー・オブ・エコノミック・ダイナミクス」の02年1月の特集号にまとめられ、07年に「20世紀の大恐慌」(未邦訳)として出版された。

1990年代以降の日本や30年代の世界恐慌だけではなく、戦後も世界各国で長期不況が起きている。キーホー、プレスコット両教授は一定基準を超える厳しい長期不況を(一般名詞として)大恐慌と定義。例えば戦後のニュージーランドやスイスの長期不況も大恐慌だとして分析対象とした。日本の1990年代を分析した一橋大学の林文夫教授とプレスコット教授の有名な研究も収録されている。

これらの一連の研究で、新古典派的なマクロ経済モデルが世界各国の長期不況の多くを矛盾なく説明できることが示された。特に長期不況の主要因は、ほぼすべてのケースでTFPの低下であることが分かった。様々な時代や国・地域において、労働市場の制度や企業の設備投資行動が異なるのに、長期不況の要因が共通して生産性であったと示された意義は大きいだろう。

日本のTFP上昇率の推計を集めた図を見ると、日本の長期不況もTFPの減速が大きな要因だったとわかる。ただキーホー・プレスコット研究などの新古典派的な研究では、TFPがなぜ長期低迷するのか、という原因には踏み込んでおらず、複数の理論モデルが並立している。

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そこで、金融危機後に生産性が低迷する現象を説明する理論をいくつか紹介しよう。

ひとつめはデット・オーバーハング(キーワード参照)の理論だ。これは米MITのスチュワート・マイヤーズ教授が77年の論文で企業金融の分野に関し指摘したものだ。収益性の高い新規事業が成功しても、企業の借り入れが過剰だと収益の大半が借り入れた銀行への借金返済に回ってしまう。別の銀行は融資をためらうだろう。その結果、有望な新規投資案件があっても資金が調達できず、結果的に収益低迷を脱却できない。

この理論は80年代の中南米の累積債務問題や、日本の90年代末の不良債権問題の弊害が説明できるとして注目された。この理論からみると、不良債権問題が長びけば、生産性の高い事業が実施できず、TFPが長期低迷する。

ふたつめはゾンビ貸し出しの理論だ。日本の不良債権問題では、不良債権化した企業への「追い貸し」の存在が問題となった。MITのリカルド・カバレロ教授、米カリフォルニア大学サンディエゴ校の星岳雄教授、米シカゴ大学のアニール・カシャップ教授は、論文でこの追い貸しを「ゾンビ貸し出し」と呼び、注目を集めた。追い貸しでゾンビ企業が存続して資源を囲い込むため、潜在的に生産性の高い企業が参入できなくなり、経済全体のTFPが下がる。

2つの理論仮説は企業の過剰債務に着目している点で共通するが、前者が企業の生産性は潜在的に高まる可能性があると想定する一方、後者はその可能性を低くみて、本来は市場から退出すべき企業が生き残ると見る点で異なる。

実証分析ではどうか。一橋大学の中村純一准教授と東京大学の福田慎一教授の08年の研究によれば、02年までに追い貸しを受けた「ゾンビ企業」の多くが、その後の景気回復や債務削減、事業再生の努力によって復活した。特に損失確定によるダウンサイジングがその後の業績改善につながったと報告されている。この結果は一見、デット・オーバーハング理論と整合的だ。

ただ謎も残る。同理論での資金が調達しにくいというときの重要な前提は、企業の既存債務の貸し手と新規融資の貸し手が別の銀行であることだ。だが現実には既存融資がある銀行が新規の融資を手掛ける例が多い。であれば債務を減免しなくても新規融資が実現され、企業の収益性は改善しているはずだ。すると、既存債務が減免されたので企業が復活したという事実とデット・オーバーハング理論は食い違ってしまう。

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筆者は「債務が過剰な企業は自ら倒産を選ぶ」と銀行が懸念する点がカギではないかと考えた。有望事業向けに融資が行われても収益は過剰債務の返済に回り、企業にメリットは少ない。そのため新規融資を受けても、企業は倒産を選ぶ恐れがある。そう予想した銀行は慎重姿勢を取る。

つまり、同じ有望事業があっても、債務が過剰な企業は健全企業より新規融資を受けにくいので、資金繰りが改善せず、低収益のワナから脱出できない。一方、企業の既存債務が削減されれば、倒産リスクが減るので、銀行は安心して新規融資を増やす。デット・オーバーハング理論と似た結論だが、新規資金を融資する銀行が既存債務の貸し手と同じでも成立する。

この場合、過剰債務の減免により銀行が新規融資を増やすので企業は新規事業が可能になり、生産性向上が実現する。債務減免が業績の復活をもたらしたとの先の中村・福田両氏の結論とも整合的だ。

金融危機後のTFP低迷を説明するもうひとつの理論として、企業の借り入れ制約の厳格化に着目するものもある。ペンシルベニア大学のアーバン・ジャーマン教授と南カリフォルニア大学(米国)のヴィンセンゾ・カードリーニ教授らは、銀行は、借り手企業が倒産した場合に回収できる金額までしか資金を貸し付けないと考へ、これが企業の借り入れ制約になるとした。危機のために、銀行が回収できる額が減れば、企業の借り入れ制約がきつくなる。その結果、企業は生産性の高い事業ができなくなり、経済全体でTFPが低下する。

金融危機は、様々なメカニズムで生産性を低迷させ、長期不況をもたらすと考えられる。本稿での研究はその一端を示したものだ。特に過剰債務問題が大きなカギを握るといえる。今後の欧米経済は、家計・企業・政府の各部門の過剰債務の動向と密接に関係しており、過剰債務の分析が一層深まることが望まれる。

キーワード

  • 【全要素生産性(TFP)】
    経済の付加価値は資本や労働を投入して生み出される。このため経済成長は資本投入量と労働投入量の増加に分解できるが、それらで説明できない部分も残る。その部分がTFPの変化による成長だとされる。具体的には技術進歩や経済の構造変化のことである。
  • 【デット・オーバーハング】
    企業や国家が過剰債務を背負っているため、新規事業を実施するためのニューマネーを調達できなくなること。新規事業が成功しても収益の大半が既存債務の返済に充てられ、ニューマネーの貸し手に十分なリターンを保証できないため、新規の資金調達ができない。オーバーハングとはもともと一般に庇(ひさし)や崖の「張り出し」や債務などの「過剰」を意味する。

2012年3月19日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2012年3月27日掲載

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