信用貨幣と決済ネットワークは、死守すべき公共財

小林 慶一郎
上席研究員

民間企業や金融機関の営利活動は、すべて、世界的な決済ネットワークが健全に機能していることを前提に成り立つ。今回の金融危機では、そのいわば市場経済の根底を支える公共財が壊れかけている。最後の貸手たる役割をアメリカが単独で果たせないのならば、諸国間のグローバルな協調によってその機能を支えるしかない。通貨面からいえば基軸通貨ドルという国際公共財を、新興国や産油国を含め全世界的な体制で支える仕組みをつくらなければならない。

ウォール街「国有化」の意味

米国発の世界的金融危機は劇的な展開をみせ、ついに各国政府が巨額の公的資金を使って民間銀行部門に資本注入することになった。英独仏が計26兆円、アメリカも約26兆円、米欧合計で50兆円を超える公的資金による資本注入である。自由市場経済の象徴だったウォール街とシティが「国有化」されたというに等しい事態だ。

これまで巨額の利益をあげ、法外な報酬を受け取っていた金融マンを、税金で助ける、という現状をどう理解すればよいのか。金融も1つの民間産業だという認識に立てば、欧米諸国の一般国民の怒りはもっともであり、公的資金を使う正当性は出てこない。これまで当り前のこととして忘れられていたことを思い出さなければならない。それは、「金融機関が創造する信用貨幣と決済ネットワークは公共財である」ということである。市場経済の根底を支えるのは、貨幣による支払いのシステムであり、その根幹は金融機関の信用供与と決済ネットワークである。民間企業や金融機関の営利活動は、すべて、世界的な決済ネットワークが健全に機能していることを前提に成り立っていた。いかに世界経済が変動しても、決済ネットワークという公共財が壊れることはない、という暗黙の前提があった。ところが、今回の金融危機では、とくにリーマン・ブラザーズの破綻後、金融機関間の決済ネットワークが機能不全に陥った。市場経済の根底を支える公共財が壊れかけているのである。

株価の下落がもっと進んで、大規模な銀行預金の取付けが発生するような事態になれば、信用創造と決済ネットワークは本当に機能停止に陥る。そうなれば、信用収縮によって支払いができなくなるために企業の活動も大混乱となり、資金繰り倒産の続発によって各国で失業が急増するという、大恐慌が現実のものになるだろう。

今回の危機は、「民間金融機関による信用創造と決済ネットワーク」という存在のもつネットワーク外部性のあやうさが顕在化したものともいえる。そもそも信用創造と決済ネットワークという公共財は、政府が供給できる性質の公共財ではない。民間の各金融機関が、利潤動機で顧客を開拓し、取引を拡大することによって、信用が拡大し、決済ネットワークも網の目を広げる。そうして生成され拡大した信用決済ネットワークは、一般市民や中小企業にとって、支払いの利便性を高めるという正の外部経済効果をもつ。これがネットワーク外部性である。

私的主体(金融機関)の営利活動が、ネットワーク外部性によって公共財として機能する。通常は、金融機関が営利活動を活発化させれば、それに連動してネットワーク外部性による公益も高まる、という関係があった。金融マンは儲ければ儲けるほど、市場経済の潤滑油としての公共的な役割も果たすことができたわけである。ところが、そこに住宅バブルが忍び込んだことで、金融マンにとっての予定調和的な世界は破壊されてしまった。

今回の金融危機が示す課題は、短期的には、信用決済ネットワークという公共財の崩壊をどうやって食い止めるか、という問題であり、長期的には、これまで住宅価格の上昇を背景にアメリカが担ってきた世界経済のなかでの主導的役割を、今後はだれが担うのか、という問題だといえる。

負債デフレのスパイラルを止めるために

信用決済ネットワークという公共財を守るためには、巨額の公的資金による資本注入を行うこともやむをえない。金融機関の間に広がっている疑心暗鬼をぬぐい去り、信頼を回復することが最も重要である。さらに、資本を分厚くすることで、金融機関による資産の投げ売りを緩和し、資産価格のデフレがこれ以上進むのを止めることができるかどうか、が重要である。資本不足に陥った金融機関が傷の浅いうちに損失を確定させようと資産の投げ売りを続ければ、資産価格が下落し、結果的に不良債権が増えて資本不足がひどくなる。このデット・デフレーション(負債デフレ)のスパイラルを止めることが必要なのである。 これらの目標を考えると、今後に残された課題が2点ある。

1点目は、金融機関に不良資産の厳格査定を実施させ、そのうえで十分な資本注入を行うとともに、市場で資産価格の暴落を招かないような仕組みを準備することである。金融機関の間の信頼を回復するためには、厳格査定とそれに見合った十分な資本注入が不可欠である。そのためには、日本の金融庁が行った特別検査のような厳しい検査を、金融当局が何度も実施し、金融機関に圧力をかける必要があると思われる。

ただし、厳格査定した不良資産がマーケットにそのまま放出されれば、資産価格が暴落し、負債デフレのスパイラルをひどくしてしまう。そこで必要な政策は、厳格査定した不良資産を買い取って市場を混乱させないように時間をかけて売却する公的機関(資産管理会社、AMC)の創設である。日本の産業再生機構やスウェーデンのセキューラムという資産管理会社は、おもに担保不動産や企業を買い取って、自ら開発を行い、価値を高めてから市場で売却した。しかし、今回の米欧の金融危機では、担保不動産(つまり住宅)を買い取るというわけにはいかない。不良資産の多くが証券化商品であることを考えると、今回の米国版AMCの大きな仕事は、証券化商品を買い取って、バラバラにされたリスクを再合成し、もとの住宅貸出までさかのぼって損失を確定させ、関係者に損失を分配する、というような複雑な金融工学的な仕事になるのではないだろうか。いずれにしても、厳格な金融検査と不良資産買取機関の創設は、問題解決のための喫緊の課題であろう。

第2点目は、グローバルな枠組みの必要性である。金融危機の処理コストは、グローバルな金融市場が相手の場合、一国の政府では一時的に負担しきれない場合がある。豊富な外貨をもつ中国などの新興国や中東産油国などの資金を集めて、金融危機の処理に苦しんでいる国に、一時的に融資するような国際基金の創設を検討すべきではないか。これは、日本が10月11日のG7で提案したIMFの新興国への資金支援と共通する発想だが、支援対象としては、むしろアメリカなど主要国も含めて考える必要がある。

たとえば金融危機対策の財政コストがアメリカでは200兆円を超えるのではという報道もなされているが、巨額の財政支出が金融危機対策で続けば、アメリカの財政への信頼が失われるかもしれない。アメリカの財政悪化は、国債価格の下落(長期金利の上昇)を招く。その場合、住宅ローンや中小企業の借入金利が連動して上昇し、米国経済がますます悪化するかもしれない。公的資金で金融機関を救済しても、その結果、金利が上がり、アメリカが深刻な不況になって金融危機が再発するという負のスパイラルになりかねない。そうなれば、アメリカだけでなく、日本や中国をはじめ、全世界が大きな経済的損害を被ることになる。

これを止めるには、中国など財政に余裕のある国の公的資金をアメリカに融資することが有効と考えられる。金利の低い国が国債を発行して資金を得て、その資金をアメリカに貸し付ければよい。しかし、国対国で直接融資するのは無理がある。1つの政策のアイディアは、日本がG7で提案したIMFを通じた資金支援の枠組みのような国際基金の創設である。グローバルな金融機関に資本注入をするために、IMFに類似した国際基金を創設し、そこに先進国の公的資金だけではなく、中国などの新興国や中東産油国にも公的資金を出資してもらう。貿易黒字国で財政が健全な国が国債を発行して資金を作るのだ。この国際基金が主導権をもって、各国政府に金融危機対策の原資を融資するのである。基金はあくまで危機対応のための時限的な制度とし、3年後には解散し、IMFに統合されるようにする。

バブルの再発防止のための長期的な改革も課題だ。公的資金を注入する以上、これからは、金融システムは公共財であるとの考え方のもとで、金融産業の報酬体系などについて、なんらかのドラスティックな見直しが不可避になるだろう。また、マクロ経済的な考え方に基づく新しい金融規制のあり方(いわゆるマクロプルーデンス政策)を構築することも重要だ。銀行信用の総量を、経済全体の資産総額の一定割合(たとえば8割)以下に抑えるように金利やマネーサプライを調節する金融政策ルールをつくることなどが候補かもしれない。これまでの経済学の研究では、不動産などの資産価格を金融政策のターゲットとするべきではない、というのが通念だった(FRB議長のバーナンキ氏も学術論文でそう主張している)。しかし、これからは、むしろ金融政策のターゲットに資産価格などを含める政策ルールが正当化されるように、経済学の方を変革する必要があるのかもしれない。

基軸通貨というグローバルな公共財をだれが支えるのか

一度はじけた住宅バブルが下げ止まって、ふたたび住宅価格が上昇するには、数年あるいは10年程度の時間がかかるだろう。金融機関による資産投げ売りが緩和されても、実体経済の悪化は避けられない。実体経済の悪化と住宅価格下落の負のスパイラルが現実化するはずだ。これまで住宅価格の上昇を背景に、住宅担保で借入れをして支出を増やしてきたアメリカ人の旺盛な消費パターンが、これからは維持できなくなる。アメリカが「世界の最終的な消費者」となって世界経済を牽引するというのが冷戦後の成長パターンだったが、その図式はもう維持できない。

経済史家キンドルバーガーによると、経済覇権国とは「世界の最終的な消費市場」として他国の経済変動を最終的に吸収する役割を意識的に果たす国であり、そのような経済覇権国がただ1つ存在することが、世界経済システムが安定するための条件だという(潜在的な覇権国が2つ以上同時に存在すると、世界システムは不安定になる)。経済覇権国は、最終的な消費者として財貿易の調整弁の役割を果たすが、それを金融面からみると、経済覇権国は最後の貸手として国際的な金融取引を安定させる基軸通貨国である。

第二次大戦後、とくに冷戦後の20年間は、アメリカが自他ともに認める経済覇権国の役割を果たしてきた。金融危機がもたらす今後の長期的な問題は、アメリカが世界経済の最後の消費者すなわち最後の貸手としての役割を単独では果たせなくなるということであろう。アメリカの経済的地位が低下するとしても、近い将来、他の国がアメリカにとって代わって経済覇権を握るというような国際経済秩序の大きな地殻変動は考えられない。もしそういうことが起こるとしたら、大国間の戦争のような、とても容認できない摩擦が発生するだろう。

最後の貸手(最後の消費者)たる役割をアメリカが単独で果たせないなら、現状では諸国間のグローバルな協調によってその機能を支えるしかない。これを通貨面からいえば、基軸通貨ドルという国際公共財を、グローバルな協調によって支える仕組みをつくらなければならない、という課題といえるのではないだろうか。

前節で述べた金融危機対応のための国際基金は、基軸通貨を支えるグローバルな協調の枠組みを形成する端緒となるかもしれない。貿易黒字を出していて財政も健全な中国のような国が、外貨準備などの公的資金を出資し、それらの資金を、危機に陥ったグローバルな金融機関への資本注入に使う、というのが基金のアイディアであった。

国際基金を経由して、中国などの新興国や中東産油国の膨大な外貨準備がアメリカに安定的に融資され、アメリカの金融システムの再生に使われれば、ドルの価値安定につながる。これは日本が1980年代以降に外貨準備を米国債等に投資し、ドルの価値を支えてきたのと同じ構図といえる。かなり挑発的なバランスの悪い議論であることを承知のうえでいえば、このような基金を端緒に、基軸通貨ドルの価値をアメリカの納税者だけではなく、新興国などの納税者が公的資金(外貨準備など)によって支えるグローバルな枠組みを形成することが考えられるのではないだろうか。

教科書的な議論では、経済や貿易の実態に応じて、変動相場制の下で、ドルの価値も自由に変化すべきであり、貿易黒字国がドルを支える必要はない。アメリカの内需が収縮するなら、日本や中国が経済構造を改革して内需を拡大するしかない。

しかし、変化が急激に進んだ場合の短期的な調整コストはあまりにも大きい。金融危機でドルの下落とアメリカの内需の収縮が急速に進めば、中国などアメリカへの輸出に依存して経済成長をしている国は、経済構造の大変革を短期間で行わなければならなくなる。急激な社会の変化は、テロや民族間の暴力、軍事衝突などをもたらすかもしれず、新興国にとって、経済構造を急に内需主導型に変えるときの非経済的な調整コストは、膨大なものになるおそれがある。

こうした点を考えると、世界の安定と発展にとっては、新興国も含めた国際協調で秩序を保ちながら基軸通貨ドルの価値をゆるやかに調整することが望ましい。そのためには、新興国などの公的資金をアメリカの金融再生のために使う新しい国際基金は有効な政策ではないだろうか。基金が国際協調の枠組みを調整し、基金を経由した国際融資でドルの価値を支えながら、中国・インド・産油国などの内需を持続的に拡大するプログラムを実施する。ドル下落のスピードを下げ、他方で中国等の内需拡大の構造調整を行って、過渡期の混乱を防止するのである。中国やインドで巨大な公共投資(たとえば環境配慮型の電気自動車のための公共インフラ整備)を「グローバルなニューディール政策」として行うことも、現在の金融危機を新たな大恐慌に発展させないための選択肢ではないだろうか。

2008年10月27日-11月3日号『週刊金融財政事情』に掲載

2008年11月14日掲載

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