ディベート経済 耐震偽装再発どう防ぐ

小林 慶一郎
研究員

耐震偽装事件の関係者が逮捕され、刑事責任追及が、いよいよ本格化しはじめた。再発防止や建築規制のあり方を考えると、民間建築の自由と公益上の規制の両立という難しい問題に突き当たる。

国の規制強化が必要だ

1級建築士による偽装という想定外の事態に対して、行政の対応は混乱し、国民の不安と不信を増幅した。また、同じ建物でも、計算方法を変えれば異なる耐震強度が出ることも明らかとなり、建築規制への信頼が揺らいだ。

行政への不満が膨らみ、抜本的な制度改正を望む声が増えた。一部には、国がより厳しく積極的に規制するよう求める意見もある。

そのような立場の意見を要約すると、次のように言えるだろう。

「建築確認制度は行政が建築物の安全性を保証する制度なのに、耐震偽装が見逃された。したがって、偽装を見逃さない厳格で厳密な審査手続きに改めるべきだ」

建物の安全性についての責任は建築確認を出した行政にある、とヒューザーの小嶋進社長は国会などで繰り返し主張した。そのような受け止め方はかなり一般的に定着してきたと思われる。しかし、制度上、建築確認をしても、必ずしも国が建物の安全性にお墨付きを与えたことにはならないらしい。

戦後、建築確認制度が創設された当時は、民間建築士の技術力は低く、自治体の担当者(建築主事)の技術力の方が高かった。民間建築は原則的には自由な活動であり、安全性の責任は設計者が一義的に担う。だが、民間は技術力が低かったので、行政の高い技術力でチェックするのが確認制度創設の趣旨だったという。

民間病院の医師の医療行為を、すべて行政がチェックするということはないが、それをするのと同じようなものだ。建築技術が進歩する中で、安全性の実質的なチェックは現実には不可能となり、制度は形骸化した。建築確認制度について、国民の期待と制度の実態に大きなギャップができていたことが問題をこじれさせたといえる。

しかし、民間の技術力が行政を完全に凌駕している現在、もし、安全性を行政が保証するとなれば、民間建築の自由や建築技術の発展を大きく制限する規制強化になりかねず、行政の能力からみても実効性ははなはだ疑問だ。

性悪説の市場ルールを

行政の介入を強めるよりも、より現実的な解決策は、民間の建築市場のルールを再設計し、性悪説に立ったものに変えていく、ということだろう。現実の制度改正もこのような考え方で進みつつあるようだ。

1級建築士も含めて、建築物の供給者は常に不正を行う誘惑にさらされており、なかには、悪意を持って顧客から不当な利益を得ようとする業者も参入してくる。それに対処するには、不正を見つけ出す誘因(インセンティブ)を適切な者に与え、不正を行った者に対するペナルティを、強くする必要がある。

まず、不正に対する罰則強化が必要だが、なかでも重要なことは金銭的なペナルティを思い切って大きくすることだ。懲役や数百万円程度の罰金では、悪質業者の意思をくじけないかもしれない。たとえば、何億円もの不当利益が残るのなら、喜んで刑務所に入ろうというやからもいるだろう。不当利益をすべて取り上げられるのと同じダメージを与えるような、高額の課徴金を行政処分で賦課するようにすべきではないか。

また、内部告発の奨励や関係者が自首した場合には、告発者や自首者に限って行政処分を減免するなど、組織的な不正行為ができないようなインセンティブを組み込んだ制度にするべきだろう。

また、建設関係者(建物を売る側)が品質のチェックを独占的に行っている構造も問題だ。売り手の論理だけなら、どうしても、安い粗悪な建物を造る誘因が残るからだ。たとえば、住宅ローンを貸す銀行やその代理人に、担保物件の品質評価を義務付け、その評価が間違っていた場合には、真の価値に見合う額まで住宅ローンを減額するという制度設計にする方法も考えられる。構造計算に不正があったり、手抜き工事で建物に欠陥があったりすれば、金融機関が損失をこうむることになるので、緊張感を持って設計の確認や手抜き工事のチェックを行うようになるだろう。

高い倫理育て、公正市場に

事件の教訓を、単に規制の不十分さととらえるべきではないだろう。むしろ、(建築物の)市場の未成熟さを白日の下にさらしたことが最大の教訓だといえる。

行政、建築物供給者、消費者のそれぞれに、市場に対するより深い理解と参加者意識(コミットメント)が求められている。

建築行政は、家父長的な意識と戦後民主主義の素朴な性善説から抜け出せず、巨大化して専門化した市場の成長に対応した行政(すなわち性悪説の規制体系)に脱皮できていなかったと考えられる。

国民の側も、行政による家父長的な保護を当然視して、建築物の品質についての自己責任の感覚が育っていなかったのではないか。

建築技術の高度化が進み、行政が民間建築物の品質保証を行うことが現実には無理になっていたにもかかわらず、家父長的な行政の権威だけが残存し、お上が建築確認をすれば安全性は保証されるという幻想が増殖していった。

また、供給業者の分業化が進んで、建物の品質についての責任の所在がますますあいまいになった。

市場参加者の責任の分担があいまいで、最後はすべて国が面倒をみる、という幻想がまかり通るような未成熟な市場では、公正な市場競争など望むべくもない。

事件を契機に、市場のルールが性悪説の体系に変わっていくのはよいが、それだけでは十分ではないだろう。技術の専門化と高度化が進むと、いくら性悪説の規制体系を作っても、不正が網からもれるのを防ぎきれない。規制の体系や行政の現場が技術の変化に追いつけないからだ。インセンティブ(えさ)とペナルティ(罰)だけで公正な市場を実現するのは、コストがかかりすぎるのである。

月並みな答えだが、最後は、建築士などの専門家が高い倫理観を維持する仕組みを社会全体で育てるのが、公正な市場を実現する一番の近道だと考えられる。

今回の事件を調べた有識者による緊急調査委員会(国土交通相の私的諮問機関)も、この点を強調している。ひとつの方法は、職能団体の強化である。日本にも医師会や弁護士会という職能団体があるが、金沢工業大学の札野順教授によると、米国では、工業技術者もそれぞれの分野で職能団体をつくり、社会的地位の向上を図っているという。職能団体の交渉力によって企業からの独立や待遇改善を実現し、メンバー同士の研鑽を通じて技術者としての誇りと高い倫理規範を維持している。

いずれにしても、今回の耐震偽装事件で、短気を起こして市場経済はダメだというのではなく、私たち自身が、公正な市場を実現するために、参加者意識を持って努力をしなければならないということは確かだろう。

2006年5月1日「朝日新聞」に掲載
筆者及び朝日新聞社に無断で掲載することを禁じます

2006年5月19日掲載

この著者の記事