MRJの訴訟リスク—日本はWTO紛争に備えよ

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

「今後20年間で世界市場の50%を取る」という目標を掲げる三菱航空機。ただ、同社が開発するMRJが商業的な成功を収めれば収めるほど、世界貿易機関(WTO)の協定に抵触するリスクを生み、国家間の大型貿易紛争に発展する可能性がある。

航空機産業には巨額の設備投資と研究開発投資が必要で、投資回収サイクルが10年を大きく超える。このため、民間投資だけでは、十分なリスクマネーを供給できない。また、多様な機種を多数製造することでコスト削減・シェア拡大が可能になることから、先行企業に後発企業が追いつくためには公的支援が不可欠だ。

しかし国の支援は、グローバル経済において、本来競争力のない企業の参入・存続を許し、国際市場の競争を歪曲する。そこで、1995年のWTO発足とともに、「補助金・相殺措置(SCM)協定」が効力を発した。この協定は、輸出補助金を禁止し、研究開発、設備投資、企業誘致などに対する支援策も他国の輸出に損害を与える場合に規制している。

これは航空機産業も例外ではない。リージョナルジェットはカナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエル、大型機も欧州のエアバスと米国のボーイングの複占市場である。このため、公的支援によって一方の生産者の航空機価格が低下し、性能が向上すれば、ライバルの売り上げ減に直結する。その意味で航空機産業支援策はWTOの補助金規律に抵触しやすい。

疑義を示すブラジル

今回MRJの参入にあたっては、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究開発支援も含めて、政府が開発費用の3分の1にあたる500億円程度を負担したと言われている。また、「アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区」では、国だけでなく、愛知県や名古屋市、小牧市など、三菱航空機のお膝元の自治体が税制優遇や利子補給などによって支援した。さらに、日本貿易保険(NEXI)や国際協力銀行(JBIC)は貿易金融を提供している。これらは過去のWTO紛争において問題となった措置と同種の支援策である。

特にMRJのライバルと目されるエンブラエルを擁するブラジル政府は、既に開発段階から、こうした一連の支援策が、SCM協定に抵触する可能性を問う姿勢を鮮明にしている。これまでも、例えば、WTOにおける2011年2月の貿易政策検討機関や昨年10月の補助金委員会、さらに、その間の2国間会合でMRJ支援策に対する疑義を示すとともに、日本政府に対する情報開示を要請した。

航空機産業の産業構造を考えれば、今後数年から10年のスパンで、日本政府も、ブラジルに提訴される蓋然性は高い状況にある。

SCM協定によれば、日本政府によるMRJ支援策がもたらす他国の航空機産業への損害は、国内外のシェア、販売数、価格などの変動に基づいて認定される。通常、この認定は5年程度の数値変動を踏まえて行うことから、仮にMRJが商業的成功を収めたとして、提訴は初納機の4、5年後になるシナリオが最も可能性が高い。

しかし、エンブラエルは既にMRJの受注段階で多くの商機を奪われているとも言われかねない。あるいは、JBICが受注段階で提供した輸出信用を、経済協力開発機構(OECD)が輸出者間の公平な競争のために公的輸出信用の秩序ある提供を定める「OECD公的輸出信用アレンジメント」に適合しないと確信するかもしない。その場合、ブラジルのWTO提訴はより早期になる可能性さえある。

訴訟と交渉の二正面作戦を

これまでも、WTOでは歴史的に航空機を巡る大型紛争が少なくない。90年代にブラジルとカナダ、00年代には欧州連合(EU)と米国の間でそれぞれ相手方の航空機産業に対する支援策への訴えが5件相次ぎ、特にブラジル・カナダ間の紛争では相互に貿易制裁が認められた。EUと米国の紛争も提訴からおよそ10年がたち、一応の判決が示されたものの、その履行を巡っていまだに紛争は続いている。

こうした訴訟事例からも、こと航空機産業については、WTO訴訟でライバルをけん制する「武器」にならないことは明らかだ。それでも他方で、ブラジルやカナダでも航空機産業は多様な政府支援策を享受している。よって、日本政府はこれらを戦略的に逆提訴する可能性を模索する一方で、両国とは訴訟合戦のエスカレートを抑えながら、交渉で政府支援の適正な妥協点を探ることが望ましい。

さらに、航空機産業の特殊性を考えれば、シェアや価格ベースのみで補助金による他国産業への損害を評価し、規律することの是非がそもそも問題となる。国際市場ではMRJの参入でむしろ競争が活性化する。また、航空機の生産と開発は高度なイノベーションを伴い、グローバルなバリューチェーンを通じて展開されるので、技術の国際的な拡散も期待できる。

よって、航空機産業への公的支援の合理性を前提に、そのあり方について新ルールを策定することも1つの選択肢であろう。

GATT(関税貿易一般協定)で70年代に策定された民間航空機協定がWTOに受け継がれているが、その改定も一案だ。OECDでも上記の公的輸出信用に関するルールを越えて、航空機分野での国家支援全般についての合意形成を日本政府が主導してもよい。

今後のリージョナルジェット市場は、ロシアのスホーイ、そして中国商用飛機(COMAC)の本格参入が見込まれ、いっそうこのゲームを複雑化させる。将来の航空機支援策の国際秩序形成において、日本は紛争、交渉、新ルール策定を複眼的ににらんだ対応を迫られることになろう。

『週刊エコノミスト』2014年12月9日号(毎日新聞社)に掲載

2014年12月8日掲載