インダストリー4.0はモノづくりをどう変えるか

第7回 ドイツが国を挙げてインダストリー4.0を推進する背景および国家目標

岩本 晃一
上席研究員

ドイツでの議論の流れ

1989年、ドイツは東西統一で生産性の低い東独を抱え込み、「欧州の病人」と呼ばれるほど経済がガタガタになった。だが、その後、ドイツ連邦政府によるマクロ改革「シュレーダー改革」、地方政府によるミクロ改革「産業クラスター政策」により、わずか十数年で「独り勝ちのドイツ」と呼ばれるまで経済再生に成功した。

だが、2010年頃になるとドイツでは、「シュレーダー改革」「産業クラスター改革」が既に飽和状態に達して生産性の伸びがほとんど見られなくなった。一方、好調な経済成長の成果配分を求める労働者の声を反映して賃金は上昇し、両者の乖離が顕著になった(図1)。そのため、ドイツ政府は、今後の経済発展の原動力となる成長戦略を必要としていた。

図1:1999年の賃金水準に対する増加率
図1:1999年の賃金水準に対する増加率
(出典)欧州の競争力に学ぶ、経済同友会、2015年4月、No.2015-3

ドイツ最大のソフトウエア会社であるSAP社は、売上げが飽和しつつあり、次の新規分野を必要としていたが、1社のみで対応できる分野ではなかった。同社のカガーマン会長がドイツ工学アカデミー会長に就任し、インダストリー4.0を提唱、これに、シーメンス、ボッシュ、フラウンホーファー研究所、アーヘンやミュンヘンなど主要工科大学、機械・電気・情報の業界3団体などが賛同し、国家プロジェクトに採用され、2011年頃、ドイツ国内で議論がスタートした。

2013年4月、関係者が合意したいわゆるコンセプト・レポートと呼ばれる"Recommendations for implementing the strategic initiative INDUSTRIE4.0, Final report of the Industrie4.0 Working Group, April 2013"が公表された。それが日本に伝わり、日本で大きな反響を呼ぶこととなった。

その後、ドイツは通信プロトコルの標準化や研究開発など具体的課題に取り組み始めたところ、困難に直面し始め、夢で語っていたコンセプトが、そうそううまくいかないことを悟り始めた。さらに関係者の利害が交錯し始め、必ずしも一枚岩ではなくなりつつある。

一方、2015年4月、労働組合や商工会議所が新しいプラットフォームに参加するなど国内で理解が深まり、広がりが見られている。最近、ドイツは日本との協調を呼びかけている。その分野は、(1)通信プロトコルの標準化、(2)共同研究開発、である。

主要プレーヤー

ドイツでは数多くの企業・機関が参加しているが、主要プレーヤーを挙げると以下のようになる(図2)。(1)民間企業では、ハードウェア分野では工作機械・ロボットのシーメンス、部品のボッシュ、ソフトウエア分野ではSAP、そして機械、電機、情報分野の3業界団体が参加している。(2)応用研究では、フラウンホーファー研究所である。同研究所は全国に67カ所あるが、中心的な役割は、IWU、IPAが担っている。(3)学会では、ドイツ工学アカデミー(acatech)である。(4)基礎研究では、ベルリン、アーヘン、ミュンヘンなどの主要工科大学が担っている。(5)プロジェクトに参加する全企業・機関の共同機関としてインダストリー4.0プラットフォームが設置されている。(6)以上の活動を支えるドイツ連邦政府は、研究教育省と経済エネルギー省である。

図2:ドイツ国内での主要プレーヤー(おおまかなイメージ)
図2:ドイツ国内での主要プレーヤー(おおまかなイメージ)

ドイツが国家として目指す成長率および生産性

ドイツの2012年の人口は8052万人、2002年が人口のピーク、その後、毎年約10万人ずつ減少している。合計特殊出生率は2013年1.38であり、日本(2014年1.42)より低く、日本よりも少子高齢化が早く進んでいる。そのため、2000年前後以降、潜在成長率に占める労働役人寄与度はマイナスになっている。

ドイツ政府は、インダストリー4.0が導入されれば、労働力が減少したとしても、年率1.7%の成長が可能であるとしている(図3)。

図3:ドイツの潜在成長率の推移
図3:ドイツの潜在成長率の推移
(出典)内閣府

ハノーバーメッセ2015の第9回日独経済フォーラム(2015年4月15日)の席上、ドイツ連邦政府経済エネルギー省ウーヴェ・ベックマイヤー政務次官は、「ICTおよびデジタル化の力を活用し産業を強くすることを目指した一連のプログラムにより、ドイツではバリューチェーン全体の効率を高め5年間で+18%の労働生産性向上を実現できる」「デジタル化経済がメガトレンドとなる中、ドイツの国内企業も多くの課題を抱えている。調査によると95%の企業がデジタル化の影響を受けると回答しているにもかかわらず、自社が十分に備えていると回答した企業は3%に過ぎなかった。これらを解決する必要があった」「インダストリー4.0を含めたスマートファクトリーやスマートホームなどさまざまな新たなビジネスチャンスを創出する。関連する取組みにより経済付加価値は2025年までに4250億ユーロを生み出す」「ドイツ企業は積極的な投資を行っており、今後、5年間にドイツ企業の売上高の3.3%をこの領域に投資する。これは現在決まっている設備投資予算の50%以上に上る」と発言した。

ドイツがインダストリー4.0を推進する背景

強いドイツ経済を支えるのは「自動車、機械、電機および中小企業の輸出」である。ドイツは下記に述べるようにその国際競争力を今後とも維持向上させ続けなければならない宿命にあるといえる。
1)ユーロ経済圏を守るべき立場にある。ギリシャなど経済力が弱い国や移民・難民への資金援助を行うには、ドイツが財政的な資金力を有することが絶対条件である。ドイツが財政的な資金力を失ったとたん、欧州は大変な事態になる。ドイツの指導者は、その事情をよく理解している。
2)景気が減速すれば、移民が職を奪っているとしてデモが頻繁に発生する。ドイツの中でも経済状態が厳しい旧東独や北ドイツにおいては、現在既に、急速に流入する移民に対して反対するデモが起きている。フランスでのISによるテロを見て反イスラムデモも発生している。ドイツには急進的なネオナチと呼ばれるグループも存在している。
3)人口減少・少子高齢化により潜在成長率に占める労働投入寄与度がマイナスになるため、設備投資とイノベーションで成長を続けないといけない。
4)少子化により熟練技能をもったマイスターが急速に減少している。早く熟練マイスターの有する技能を機械に伝承しなければならない。
5)再生可能エネルギーの拡大により、電力価格が上昇している。
6)コストが安い旧東欧諸国に製造業が移転する圧力がある。かつてシュレーダーが政権を失ってでも守ったドイツの製造業であるため、移転を是が非でも防がないといけない。
7)アジア諸国の台頭がドイツの地位を脅かしつつある。
8)米国の製造業が国内回帰し、本格的な競争力強化に取り組みつつある。

ドイツの推進体制

2013年、ドイツ国内にインダストリー4.0プラットフォームが設置された。運営委員会、理事会、科学諮問委員会、WG、事務局などから構成された。2015年4月、ハノーバーメッセ2015において、ドイツは、プラットフォームの改組を発表した(図4、図5、図6)。その特徴は、ドイツ連邦政府が参加すること、これまでインダストリー4.0に懸念を表明してきた労働組合が参加することであった。ドイツ政府の参加は、国内でも利害関係の調整が難航し、より強力な推進役を必要としていたからであり、労働組合の参加は、インダストリー4.0の大きな流れを押しとどめることができないと悟った労働組合が、ルール作りに最初から参加していきたいという意志表明と受け取られている。

図4:新しいプラットフォームメンバー
図4:新しいプラットフォームメンバー
14. April 2015: (Re-) Launch of the Platform Industrie 4.0 with Minister Gabriel and Minister Wanka
(出典)駐日ドイツ大使館提供
図5:新しいプラットフォーム体制
図5:新しいプラットフォーム体制
(出典)駐日ドイツ大使館提供
図6:新しいプラットフォームの下での新WG
図6:新しいプラットフォームの下での新WG
(出典)駐日ドイツ大使館提供

ドイツ国内での実施状況

現在、ドイツ国内では、研究開発と標準化の2つの作業が行われている。

1.研究開発の実施状況
現在実施中のインダストリー4.0に関する主要な研究開発プロジェクトは以下のとおりである。
1)サイプロス(SyproS);2012年9月〜2015年9月、所管;教育研究省、予算;560万ユーロ、概要;スマート工場に開連したCPSの運用方式およびツールの開発提供、参加企業、研究機関、大学の数;21
2)カパフレクシー(Kapaflexcy);2012年9月〜2015年9月、所管;教育研究省、予算;270万ユーロ、概要;自律生産システムの実現、参加企業、研究機関、大学の数;10
3)プロセンス(Prosense);2012年9月〜2015年9月、所管;教育研究省、予算;308万ユーロ、概要;人工知能システムとインテリジェントセンサに基づいた生産マネジメントの実現、参加企業、研究機関、大学の数;9
4)オートノミク(Autonomik for Industrie 4.0);2013年〜2017年、所管;教育研究省、予算;1億ユーロ、概要;3-D、ロボット、自律制御システムの実現等10〜14のプロジェクトを予定、参加企業、研究機関、大学の数;未定

図7にプラットフォーム科学諮問委員会が策定した2035年までの研究開発ロードマップを示す。ドイツ政府は2020年までに10億ユーロ以上の資金を研究開発に投じるとしている。

図7:2035年までの研究開発ロードマップ
図7:2035年までの研究開発ロードマップ
(出典)ドイツ・インダストリー4.0プラットフォーム

2.標準化の実施状況
ドイツでは、通信プロトコルの標準化作業を行っており、現在は、その前提となるユースケース(Use Case)策定の段階にある。

ドイツ、プラットフォーム事務局に問い合わせてもガードは堅く、明らかになっていないことも多い。こうした状況から、ドイツでの標準化作業は想定どおりに進んでいないのではないかと推察される。

今後の見通し

ドイツは2015〜2035年の20年計画でインダストリー4.0を推進する予定である(図8)。

図8:2035年までのインダストリー4.0ロードマップ
図8:2035年までのインダストリー4.0ロードマップ
(出典)駐日ドイツ大使館提供

『機械設計』(日刊工業新聞社)2016年3月号「インダストリー4.0はモノづくりをどう変えるか」に掲載

2016年6月21日掲載

この著者の記事