マイナスの家計貯蓄率 国債消化 焦点は企業貯蓄

祝迫 得夫
ファカルティフェロー

内閣府が昨年末に発表した2013年度の国民経済計算で、家計貯蓄率がマイナス1.3%となったことが大きく報じられた。エコノミストらの間では1年ほど前から指摘され、日本経済の先行きに与える影響についても議論が繰り広げられてきた。

直近の家計貯蓄率は11年度の2.2%から2年で3.5ポイント低下している。大きな数字のように思えるが、実は00年代初頭には、1999年度の8.1%から01年度の3.5%へと、2年で4.6ポイントもの低下が起きていた。

過去2回の大幅な低下の背景で何か起きていたかをみるため、図は95年度以降の家計貯蓄率と、家計の所得と消費の増減率を示した。「貯蓄=所得-消費」なので、貯蓄率の低下は所得以上に消費が伸びるか、所得が減っているのに消費が減らない(減らせない)かのどちらかによって起こる。図から明らかなように、00年代初頭は家計所得の大幅な減少、直近の低下は消費の増加によるものである。

図:家計貯蓄率は2000年代初頭にかけてに次ぐ急低下局面に
(家計部門の貯蓄率、所得・消費の前年度比増減率)
図:家計貯蓄率は2000年代初頭にかけてに次ぐ急低下局面に
(出所)内閣府

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今回、消費が増えた理由はすべて消費増税前の駆け込み需要で説明されるのか、それとも家計が将来の所得増を見込んでいる影響が多少はあるのか。より最近の詳しいデータが利用可能にならないと、明確な結論は出せない。しかし、昨夏以降の消費の伸びの急速な鈍化を踏まえると、13年度に家計貯蓄率がマイナスになった理由は主に増税前の駆け込み消費であった可能性が極めて高い。

具体的には、昨年4月の増税直前と直後の半年間の数字を比較すると、家計消費は4.0%減少している。これに対し、雇用者報酬の減少は1.0%、国内総生産(GDP)は1.3%の減少にとどまっている(いずれも季節調整済みの実質値ベース)。

97年の3%から5%への増税時と比較すると、97年の消費は2.0%、GDPは0.4%しか減少していない。したがって、昨年4月の増税後の景気の減速、とくに消費の鈍化がいかに急激なものであったかがわかる。

これらの数字を前提にすると、14年度の家計貯蓄率は上昇し、プラスに戻る可能性が高い。日本の家計貯蓄率は、80年代からの緩やかな低下傾向は続いているが、今後もマイナスが定着するような急激な構造変化が起こったとは考えにくい。

無論、マクロの数字だけに基づく議論で、家計貯蓄率の今後の動向について厳密なことはいえない。しかし残念ながら、現在の利用可能なミクロの統計データに関する分析を、どれだけ積み重ねていっても、マクロの貯蓄率の水準について確定的なことを述べるのは難しい。

例えば、家計の消費・貯蓄行動に関する基本的なデータは総務省の家計調査であるが、GDP統計と家計調査に大きな乖離(かいり)があることは古くから知られている。近年、筆者や同僚の宇南山卓氏(現財務総合政策研究所)も、この問題に関連した研究を行っているが、両者のギャップを完全に埋めることは、現状では不可能である。

その理由の幾分かは、家計調査の調査対象が、年齢の意味でも所得水準の意味でも「平均的」な家計に偏っていることにあるといわれている。90年代以降の日本経済は、所得格差の拡大と少子高齢化の進行により「平均的」ではない家計の割合が増え続けており、この問題はより深刻になっている可能性が高い。

特に低所得者と超高所得層の消費・貯蓄行動に関し、公的統計データのカバーする範囲が手薄なのは否めない。統計を作成する人々の努力は承知しているが、この問題は、関係者の努力や工夫だけでは解決しないだろう。予算的な裏付けの必要も含め、より社会的・学術的ニーズを踏まえた統計の整備・作成が進むことを切に希望している。

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今回のマイナスの家計貯蓄率を憂慮する議論で数多く指摘されていたのが、近い将来、国債を国内だけで消化できなくなる可能性である。そうなれば、海外投資家に買ってもらう必要が出てくるが、彼らは国内の民間部門のような低金利では買ってくれないので、国債金利が急騰し、それにより財政危機が起こるというシナリオである。

しかし、単純な資金の過不足の問題としては、かなり前から家計部門だけでは、財政赤字を吸収できなくなっている。一方で、先に述べた00年代初めの家計貯蓄率の急激な低下と連動して、家計貯蓄と企業貯蓄の逆転が起こっており、マクロの数字でみた現在の我が国の主な資金提供者は、企業部門なのである。

13年度についても、GDP比でみた家計貯蓄は、前年度の0.6%からマイナス0.8%へと低下したが、逆に企業貯蓄は7.5%から8.0%へと増加している。

一方、家計と企業部門の貯蓄の合計である民間貯蓄のGDP比は、13年度は家計貯蓄率の急低下の影響を受けて若干減少しているが、長期的な趨勢は驚くほど安定している。バブル経済の崩壊直後までは明確な低下傾向がみられたものの、90年代中盤以降、リーマン・ショックのあった08年度を除けば、GDP比で8から10%の間を上下しつつ、安定的に推移している。

したがって「国内での国債消化を続け、国債金利の急騰を今後も避けることは可能か」という問題に答えるための鍵は、今後の企業貯蓄の動向なのだが、残念ながら近代経済学には、説得的な企業貯蓄の理論というものは存在しない。

極端な新古典派的立場をとるとすれば、表面上は「企業」というベールがかかっていても、その富は最終的な株主である家計に属するので、家計と企業の貯蓄は完全に代替的である。つまり、民間貯蓄の総額は家計の意思決定によって決まっていることになる。この考え方に従えば、過去20年近く少子高齢化による貯蓄率の低下はほとんど起こっていないことになるが、それはさすがに極端すぎる議論であろう。

これに対し、意思決定主体としての企業を重視する立場に立てば、彼らが今後も日本にとどまって、財政赤字のファイナンス(穴埋め)を続けてくれる保証はない。財政再建に正面から取り組まない政府に愛想をつかして日本企業が次々と海外に出ていき、その結果、経常収支の赤字転落と深刻な財政危機が同時に発生する、というシナリオを考えることは容易である。

無論、家計についても同じ議論は考えられるが、成功し国際化した日本企業については、可能性はより切実であると言わざるを得ない。

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結局、我々の目の前にある民間貯蓄のデータは、将来の財政危機の可能性をあおるものでも、強く否定するものでもない。いますぐ危機が起こるとは極めて考えにくいが、貿易収支の赤字傾向が定着し、円安の進行にもかかわらず企業の生産拠点の海外展開が進んでいることを踏まえると、いままで強固だと思っていた国内の民間貯蓄という緩衝材が、短期間であっという間に消滅してしまう懸念を払拭することはできない。

無論、可能なら、経済成長率が大幅に高まることで所得が増え、消費と貯蓄が両方とも増加するというのが、日本国民にとって一番望ましい解決策であることは明白である。しかし、絶対確実な景気対策などというものは存在しないので、景気刺激策が実を結ばなかったときに何が起こるかを考えておくという、リスクマネジメントは重要である。

成長率が十分に回復しないまま、現在のような財政運営が続けば、5年後には、財政危機の蓋然性は大きく高まっている可能性が強い。

2015年1月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年2月4日掲載

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