TPP大筋合意後の課題-自由貿易圏の拡大 主導を

石川 城太
ファカルティフェロー

環太平洋経済連携協定(TPP)交渉は、今回も合意先送りかと思われたが、土壇場になって大筋合意した。日本にとっては、菅直人首相(当時)が交渉参加の検討を表明してから実に5年、正式に交渉に参加してから2年余りの月日が流れたことになる。

TPPの大きな特徴は、関税の撤廃や削減といった物品市場アクセスやサービス貿易の自由化のみならず、非関税分野(投資・競争・知的財産、政府調達など)や新しい分野(環境・労働など)を含んだ包括的協定を多数国で交渉しているという点である。

交渉は31分野にもわたり、12力国には先進国・中進国・途上国が含まれるため、難航するのは予想できた。実際には、新しい通商秩序の交渉に加え、例えば日米間の農産品と自動車分野の市場開放を巡る攻防や、ニュージーランド(NZ)の乳製品市場開放要求といった旧態依然の貿易自由化交渉が足かせになった。

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今後は各国での議会承認など国内手続きに焦点が移る。発効のための条件は、域内総生産(GDP)の85%以上かつ6力国以上の承認となっており、日米のどちらかが欠けると発効しない。安倍晋三首相は農業分野の対策を強く意識して、全閣僚が参加するTPP総合対策本部を即座に立ち上げ、国会での承認に全力を尽くす姿勢をみせる。

米国ではオバマ大統領が批准に全力をあげるが、次期大統領の有力候補のヒラリー・クリントン氏が、微妙な言い回しではあるが「彼女が理解するところのTPP」に不支持を表明するなど、一筋縄ではいかないだろう。ただ、米国はTPPを経済と安全保障の両面で重視しており、最終的には批准すると思われる。

一方、TPPで国有企業改革を迫られるベトナム、国有企業改革やマレー系民族を優遇する「ブミプトラ政策」に制限が課せられるマレーシアでの批准は予断を許さない。

日本では今回の合意内容について、TPP反対派と賛成派の双方から不満が漏れている。合意内容の細かい点について善しあしを議論すればきりがないが、アジア太平洋地域の一大経済圏形成に向けて極めて大きな一歩となったことは間違いない。今後の課題は、TPPをさらに拡大発展させ、最終的にアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の形成につなげることにある。

世界貿易機関(WTO)での多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)が停滞している状況で、TPPはアジア太平洋地域での包括的な経済連携を促進させる。特に成長著しいアジア太平洋地域において、新たな貿易・投資の共通ルールをつくり上げていくことに大きな意義がある。

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このルール策定は他の巨大な貿易圏、いわゆるメガ自由貿易協定(FTA)の形成に大きなインパクトを持つ。特に東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉には直接的な影響をもたらすだろう。なぜなら、RCEPの交渉国である東南アジア諸国連合(ASEAN)+6(日本・中国・韓国・インド・オーストラリア・NZ)16力国のうち、日本を含む7力国がTPPの交渉参加国だからだ(図参照)。

図:交渉中のメガFTA
図:交渉中のメガFTA

今後RCEP交渉国のうちいくつかの国はTPPへの参加を真剣に検討するだろう。

韓国は地域貿易協定に関して、2国間FTAを基本として積極的にFTAを推進してきた。その結果、国別貿易額に占めるFTA発効国の割合は、日本が約20%なのに対し韓国は40%を超えている。韓国は欧州連合(EU)や米国ともFTAを結んでおり、自動車分野などで日本製品の競争力に影響を及ぼしている。TPPが発効すると韓国の優位性が失われる可能性もあり、韓国はすでにTPP参加を念頭にTPP交渉参加国と2国間協議を進めている。

ASEANでも加盟10力国のうちシンガポール、マレーシア、ベトナム、ブルネイがTPP交渉に参加している。今後ASEANへの貿易や投資の流れが大きく変わる可能性があり、タイやフィリピンなどの参加機運を再び高めると予想される。FTAのネットワーク拡大に乗り遅れまいとして非加盟国が加盟を争う現象、いわゆるドミノ効果が生じる可能性が高い。

さらに、ASEAN加盟国の多くがTPPに参加することになれば、中国にも参加圧力がかかることになる。TPPでは国有企業改革や高い水準の知的財産保護が求められるので、中国がすぐに参加するとは考えにくい。中国はTPPに対抗するためにRCEP交渉を加速させるだろう。その結果、TPPとRCEPが併存すると予想される。

日本はTPPとRCEP以外にも2つのメガFTA、すなわち日中韓FTAと日欧経済連携協定(EPA)の交渉も進めている。日本が参加していないのは米国とEUの環大西洋貿易投資協定(TTIP)のみだ。日本が交渉を進めているメガFTA合計で世界のGDPシェアの約8割、既存FTAを含めると国別貿易額に占めるFTAメンバー国の割合は7割以上となる。

中国は、日中韓FTA交渉で中韓FTAを先行させてきたが、TPP以外のメガFTA交渉で主導権をとるべく、今後RCEPのみならず日中韓FTA交渉も進展させる可能性が高い。またTPP合意は停滞している日欧EPA交渉にも弾みをつけるだろう。

要するに、TPP合意によりメガFTA交渉における日本の存在感は一気に高まり、日本は複数の巨大な貿易圏の共通ルール形成で大きな影響を及ぼせる立場になった。これらの交渉で、日本は望ましい共通ルールを策定すべくイニシアチブ(主導権)を発揮することが肝要である。

そして、日本が参加するメガFTAへの参加国を増やしていくことも重要である。参加国の増加は、国境を越える経済活動の一層の円滑化・活発化に直結する。

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カナダの経済学者ジェイコブ・ヴァイナーは、地域貿易協定の締結は「貿易創出効果」というプラスの効果と「貿易転換効果」というマイナスの効果をもたらすと指摘した。貿易創出効果は、締結国の間で新しく貿易を生み出し、輸入国でのモノの価格低下と輸入量の増加をもたらす。貿易転換効果は、輸入先を生産が効率的な国から非効率的な国へ転換させてしまうことで、結果として輸入国が輸出国に支払う価格を上昇させる。参加国が増えれば貿易転換効果が生じにくくなったり解消されたりする可能性が高まる。

さらにTPP交渉では、自動車の原産地規則を巡り日本とカナダ・メキシコが対立した。部品を含めた自動車の生産がTPP城内と域外にまたがる場合、域内での生産割合がある水準以上ならば、その自動車の原産地が域内と認められて関税が免除される。

結局、日本に不利にならない水準に落ち着いたようだが、参加国が増えれば増えるほど、原産地規則を満たしやすくなるし、効率的なサプライチェーン(供給網)を構築しやすくなる。日本は東南アジアで強固なサプライチェーンを築き上げており、それらの国々がTPPに参加すれば日本のメリットは大きい。

日本はこの機をとらえて、重層的かつ戦略的にアジア太平洋地域での貿易・投資の自由化と共通ルール策定をリードしていくべきである。そして、将来のFTAAPの実現に向けて不可欠となるTPPとRCEPの融合に、リーダーシップを発揮してほしい。

2015年10月26日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年10月26日掲載

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