成長戦略を問う―医療産業 創意促す診療報酬制度に

林 良造
コンサルティングフェロー

安倍晋三政権の成長戦略が次第に明らかになりつつある。医療分野で日本の潜在力を引き出し、国民生活の質的向上を目指すとともに成長のエンジンとするという大きな方向は、民主党政権時代から一貫した流れとなっており、いまや超党派のコンセンサスといえよう。

世界の潮流を見ると、各先進国とも医療を重点施策と位置づけ、また、医療産業を経済成長のリード役として育成する方向に進んできた。環境整備の面で立ち遅れてきた日本は、制度改革のスピードを上げる実行力と成果につなげる工夫が求められている。

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個別にみると、米国立衛生研究所(NIH)をモデルに、基礎研究から臨床まで一貫した取り組みができる強力な日本版NIHの創設に力点が置かれているようだ。日本版NIH構想はこれまで幾度も取り上げられ、内閣での調整プロセスの一元化や、各種疾病別のナショナルセンターなど研究段階から臨床段階までの一貫した実施機関の整備も試みられている。問題はそれがまだ大きな成果に結び付いていない点にある。

したがって、形を作るところに精力を割くのではなく、研究を成果に結びつける仕組み・プロセスを現場が設定して、達成したものが報われていくシステムを、PDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルの形で組み立て、定着させることこそが重要だと思われる。

分野別には、iPS細胞による再生医療の実現に相当の注目が集まっているようにみえる。しかし、iPS以外の再生医療や、様々な医療機器、さらには患者1人ひとりに合わせた個別化医療とそのための検査薬、iPSの多面的利用など、幅広い候補分野が広がっている。

それらの熟度を冷静に判断し、それぞれに見合った臨床研究・治験・審査・診療報酬など最終的成果までのきめ細かい環境整備が必要となる。そのうえで、現実の成果を反映した配分という原則を確立してこそ、日本版NIHによる上流の研究資金の分配機能の一元化も生きることになるのではないだろうか。

医療特区にしても同様のことがいえよう。手法自身はすぐれたものだが、その踏み込みが中途半端にとどまっている結果、際立った成果には到達していない傾向がみられる。そして、ともすると新たな政治的アピールに応じたものを作ろうとする結果、資源も分散することとなる。

例えば、神戸には、震災後15年をかけて様々な特区制度を利用してスーパーコンピューター「京」をはじめとする様々な研究施設、インキュベーション施設が集積し、世界のレベルに届く可能性が見えるところまで形は整いつつある。しかし、それを米国の医療集積のような自律的なものにしていくには、もう一歩踏み込んだ対応が必要となっている。先進的医療機器・再生医療・個別化医療など先端分野について、通常の医療と異なる特性を踏まえた大規模臨床研究・治験が可能になるような規模の病院の設置や、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)の審査機能の一部移転などである。

ここに踏み込まないと、先行している先進各国の集積地と競争できるような、ベンチャービジネスや各種の支援サービス企業の集積の好循環という段階には進めない。

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現在、我が国の医療は「デバイスラグ(先端医療機器の承認まで時間がかかること)」「医療現場の崩壊」「医療財政の行き詰まり」という3方向の課題を抱えている。これらを左右する根幹的な制度として「安全規制」「診療報酬制度」「病院・医師の供給制度」がある。

そのうち、安全規制については、新技術の導入について「安全」と同時に「早期提供」を追求することの重要性の認識はようやく市民権を得てきた。医薬品を前提にできている薬事法の規制体系に縛られてきた医療機器や再生医療・個別化医療などについて、それぞれの特性にあった規制体系を追求する方向に舵が切られ、法整備も進んでいる。

改正法や新法の実施にあたって、今後の政省令など本当に合理的で使いやすいものになること、「安全性の追求」と「早期の導入」を両立する知恵を絞った審査実務になることを確実にすることが重要な段階に入ったといえよう。

最も重要な論点は、診療報酬制度である。医療財政、サービスの持続可能性、そしてイノベーション(革新)を鼎立させる観点から、診療報酬制度の大胆な手直しは避けて通れない。他方、この問題は、様々な利害が限られた資源の分配をめぐって衝突する分野であり、長期の積み重ねの中でしがらみに縛られている分野でもある。その中にあって、いくつかの解決に急を要する問題点も明らかになっている。

例えば、一部診療科の労働条件・リスクと報酬の不均衡、医療機器の改良を評価しない機能別価格制度、新技術の薬価の評価手法の問題などは、付加価値への貢献度合いや国際比較の視点でみるとゆがみや遅れがめだつ。医薬品における研究開発型企業と、特許切れの長期薬価収載品の高価格に依存している企業との不均衡なども同様である。

これらの問題を念頭により大きな付加価値を作り出す者、社会的な価値創造により大きな貢献をした者に対し正当な評価をする体系を作り上げないと、多くの関係者の努力や創意工夫が価値創造やイノベーションに向かわない。民間主導型の自律的な成長産業にもならなければ持続可能な最新医療の国民への提供にも結びつかない。

さらに、イノベーションの視点からも国民医療水準の視点からも欠かせないのが、病院改革である。現在の病院・診療科は、設立主体もばらばらで、配置の調整も無原則なものとなっている結果、地域的な偏在と小規模化が進み、医療を受ける国民からみても、治験などの先進的医療の発展基盤という視点からも大変不自由なものとなっている。

病院内のガバナンス(統治)改革と、情報公開による評価の反映の仕組みを整え、広域的な総合医療提供体の形成を進める必要がある。これは、地域別・診療科別の医師の適正配置のみならず公的病院の赤字問題の解決など、医療財政の視点からも待ったなしの課題となっている。

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これらの課題に共通して必要になるのが、医療情報の活用である。標準的医療の確立、個別化医療につながる疫学的研究、安全規制における科学的合理性の確立、新技術の診療報酬上の公正な評価、病院などの適正配置の指針などに、レセプト(診療報酬明細書)による分析、電子カルテ活用などの医療データの利用は欠かせない。

その一方で、プライバシー保護を理由に反対する動きも根強い。東日本大震災の際の大量のカルテの流失の経験をふまえたカルテの共有化すらなかなか進まない状況にある。この分野では現在、国際的な議論も進みつつあるところであり、合理的な制度設計と先進的医療技術の開発のためにも一歩踏み込んだ方針が示されることを期待したい。

最後に、これらの施策を成果に結び付けるためには、プロセス全体を網羅する俯瞰図を描ける能力と、その実行をつかさどる官僚組織に必要なコミットをさせる能力、そして実行を監視し督促する能力が欠かせない。安倍政権の政策が、大味な議論ではなく、今まで踏み込めなかったハードコアに迫り成果に結びつく知恵を結集したものとなっていくことが期待される。そして、これらの課題に正面から取り組むことによってこそ、日本の医療・医療産業を競争力のあるものとして国際舞台へと飛躍させていく基盤が整うこととなろう。

2013年6月7日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年6月21日掲載

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