大学と地域が連携し「知のルネサンス」を巻き起こす――集積とイノベーションのダイナミズム

藤田 昌久
RIETI所長・CRO

空間経済学の視点

私は、都市や地域を切り口とする地域経済学を専門に研究してきた。従来、地理的空間を扱う経済学としては、国と国との関係を扱う国際経済学や、特定の国をいくつかのエリアに分けて研究する地域経済学、個々の都市を分析する都市経済学などがあった。ところが近年は、グローバル化の進展によって、国境の意味が非常に弱まり、これまでのような個々に細分化した学問では、現実の大きな動きを捉えきれなくなってきた。そこで、もう一段高い視点から統一的な理論を構築していくために、「空間経済学」という新しい学問が生み出されたわけである。

空間経済学では、財や人間、企業など、あらゆるものの「多様性」が重要となる。さらに、財の生産、情報や知識の創造など、さまざまな活動を行っていく上での「規模の経済」、そして財や情報を運ぶ際に必要となる「輸送費」という3つの観点を基本に、経済を分析していくのである。IT革命も「インターネットを通じて膨大な情報を瞬時に世界中に運べるようになった」という意味において、広い意味では輸送費の低減につながっている。もちろんITの発展は、グローバル化の加速にも寄与しており、地球規模での経済・社会システムの再編成を促していることは言うまでもない。

さて、地図を見ても明らかなように、人間は「都市」を形成し、その集積の中で種々の活動を行っている。アメリカは非常に広大な国だが、国土のわずか数%の都市地域で、大部分の経済活動が行われている。日本においても、東京を中心とする大都市圏に3000万人の人口が集まり、国内総生産の約3分の1が集積している。

その都市は、その土地が人間にとって住みやすい自然条件を備えている、あるいは歴史的な偶然がきっかけとなって形成される。そして、ある程度集積が進むと、集積が集積を呼び、雪ダルマのように増殖して都市は大きくなっていく。この集積力は、先に述べた「財や人の多様性」「規模の経済」「財や情報の輸送費」という3つの要素の相互作用によって育まれるものである。やがて、いったん都市ができあがると、それ自体がロックイン(凍結)効果を発揮するようになり、それが都市の永続性につながる。

つまり、都市が発達して、人が集まれば集まるほど、当然ながら消費需要がどんどん大きくなっていく。これにより、非常に特化した消費財を提供する事業であっても、「規模の経済」によって利益が確保され、商売を成り立たせることができる。消費者が多くなれば、より「多様」な消費財の生産者を引き寄せる効果が生まれ、供給される消費財が多様であるほど、消費者にはメリットが生まれる。これら全体が「ポジティブ・フィードバック(循環的関連作用)」を形成し、消費者と生産者が増加し続けて、都市はさらに大きくなるのである。

都市では、知識の創造も促進される。そもそも新しい知識とは、1人ひとり違った情報を持った多様な人間が集まって、フェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションを交わし、種々の情報が組み合わされたり、他の情報の刺激によって発想力が喚起されたりして生まれるものである。まさに「3人寄れば文殊の知恵」であり、この「知的外部性」によって、イノベーションが促進されることになるわけである。世界経済の中で、アメリカのイノベーション競争力が際立っているのは、フロンティア国家という歴史を背景にして、非常に多様な知識労働者が集積しているからにほかならない。

頭脳集団としての都市国家

都市における知識の創造について考察する際、14世紀から16世紀にかけて、イタリアの都市国家を中心にヨーロッパで巻き起こった「ルネサンス」を分析しておくことも有意義である。

ルネサンス期において、イタリアのいくつもの都市国家では、多様な分野で「知の爆発」とも言える時代が訪れ、数多くの偉人たちが綺羅星のごとく現われた。文学者のダンテやボッカチオ、万能人のダ・ヴィンチやミケランジェロ、活版印刷を発明したグーテンベルク、世界を航海したコロンブスやアメリゴ・ヴェスプッチなど、いずれも後世に大きな影響を残した大人物ばかりである。中でも、航海技術や陸上輸送など輸送技術の発達や、活版印刷の発明によって、「人・物・金・情報」の「輸送費」が大幅に低減されたことは、都市の発達に絶大な効果をもたらした。つまり、ヨーロッパの地域間および遠隔地との交易が大変盛んになるとともに、保険や金融業が発達し、新しい商人階層が出現したのである。

ここで注目すべきは、集積の経済、規模の経済の効果により、ある特定の産業に特化した「都市国家」が急成長したことであろう。例えばフィレンツェ共和国は金融都市として、ヴェネツィア共和国は海運都市として、大変な隆盛を誇ったのである。作家の塩野七生さんは、ルネサンス時代の都市国家のことを、「土地は持っていないが頭脳は持っている人が集まってつくった頭脳集団」と定義づけているが、これは、現代の世界の大都市と照らし合わせてみても、非常に興味深い見解であると言える。そして、高度に発達した複数の都市国家は、政治、経済、芸術などさまざまな分野で拮抗するようになる。そこに競争原理が働き、さらに切磋琢磨して発展していくという相乗効果が、ルネサンスをいっそう華々しいものにしていった。これこそが、低減された「輸送費」のおかげでヨーロッパを行き来しつつ、各都市で活躍した人々の「多様性」がもたらした最大の成果であろう。

地方都市の活性化が未来を拓く

明治維新以降の日本の近代史は、欧米に追いつくことに全力を注いできた歴史であるといっても過言ではない。少しでも早く追いつくために、中央集権国家を築き、厳しい受験戦争を勝ち残った優秀な者を東京に集めて、役所や大企業をつくってきたわけである。そのおかげで、1993年には、1人当たりの国内総生産(名目GDP)が、OECD諸国の中で1位となるまでに成長した。しかし、それ以降、徐々に順位は下がり、05年には14位にまで落ち込んでいる。こうなった原因はさまざまあるが、1つには、欧米に追いつくために築いた、「いいものを真似てさらに磨き上げる」という日本的なシステムが、トップに立って真似る対象がなくなったことで、機能しなくなった面も否定できない。

従来日本経済の中心であった製造業は、中国などアジア諸国へのシフトが進み、もはやコスト競争では勝てない時代となっている。となると、先進国としていちばん重要なのは、「知の時代」にふさわしく、アメリカやEUなどとは住み分けた形で、日本が世界レベルの「知識創造の場」になっていくことなのである。

ここで問題となるのが、あまりにも極端な「東京一極集中状態」である。都市の集積のメリットは、違った知識を持つ者同士のコミュニケーションであると述べたが、長く一極集中状態が続いたおかげで、共有する知識が肥大化し、かえって新しい知識が生まれにくい状況に陥っているのだ。これを打開するためには、各地方都市において、知が集積する場をつくり、これを土台として、地域独自の「知識創造の場」を構築していくことが必要であろう。東京以外の各地で、多様な知識がぶつかり合えば、これまでにない新しい知識を生む可能性が高まるはずだ。

このとき、インテリジェンスの集積である大学は、知識創造の中核としてそれぞれの都市に存在しなければならない。アメリカでは、学生が低価格で頭脳労働をベンチャー企業に提供しており、これがベンチャーを押し上げる大きな力となっている。先に述べた知識外部性という意味で、大学の存在価値は非常に高いものがある。

ただ、大学自身も問題を包含している。国立大学ばかりでなく、私立大学でさえ、文部科学省に褒めてもらおうと考えて、文科省の指導を100%満たすよう努力しているのが現状で、これでは東京一極集中の価値観と何ら変わらないと言わざるを得ない。大学の知によってイノベーションを生むには、各大学が個性や多様性をもっと発揮できるよう、教育システムを根本的に変えていかねばならないだろう。

さらに、地方の大学は、地域との連携をもっと強めていく必要がある。例えば京都などは、大学と民間との連携という意味では比較的伝統があり、古い街でありながら、革新的な知識をサポートしていく雰囲気がある。京都という街が元気なのは、このあたりに理由があると私は考えている。

これからの日本は、各都市において、大学と地域が連携を深めながら、豊かな地域性を備えた知の集積を構築していくべきである。そして、その多様性を最大限に生かせば、世界をリードする「イノベーションの場」として成長していくことができるであろう。日本の未来を切り拓く鍵は、日本中の地方都市で、「知のルネサンス」を巻き起こすことなのである。

Nasic Release, Vol.16, Spring 2008に掲載

2008年1月28日掲載