米経済も「バランスシートの罠」に-不況長期化への対応急務

藤田 昌久
RIETI所長・CRO

小林 慶一郎
RIETI上席研究員

世界経済の悪化はいつまで続くのであろうか。今後1年程度で底打ちするという見方も少なくないが、そうした楽観論にはくみしにくい。懸念されるのは、筆者の1人(小林)がかつて日本経済の長期低迷について指摘した「バランスシートの罠」による悪循環である。

バブル崩壊に伴う予想外の資産価格下落で、バランスシートが悪化して債務超過に陥った企業や金融機関が増えると、市場に相互不信と疑心暗鬼がまん延し、新規の取引の拡大が阻害される。その結果、企業間取引が低調になり、経済全体で生産性が下がると考えられる。この生産性低下が資産価格を一段と下落させる。こうして資産価格の下落と生産性の低下が相互に強め合う悪循環が形成される。この悪循環がバランスシートの罠である。日本で不動産価格が長期のトレンドを大きく割り込み17年間も下落し続けた原因は、おそらくこの悪循環が続いたからだろう(図)。

米S&Pケース・シラー住宅価格指数

日本では、企業の債務が不良化したためにバランスシートの罠が発生した。では住宅バブルが崩壊し、家計の債務が不良化している米国では、この悪循環は起きないのか。

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米国の場合、家計のバランスシートの悪化が、消費の低迷を通じて企業のバランスシートを傷め、企業部門の不良債権を増大させるというメカニズムが現実になっていると考えられる。現に、米国では住宅に続き、2007年末ごろから商業用不動産でも価格下落が始まり、今後、バランスシートの罠が深刻化する恐れが強い。日本と同様の悪循環が進めば、米国の不動産価格もバブル前のトレンドを大きく割り込んで下がり続けるだろう。この結果、世界不況が2-3年以上悪化を続ける危険性が出てくるのである。

資産価格の下落と実物経済の悪化の悪循環が長期化しないようにするには、不良資産の処理と債務者の事業再生を進めることが必要になる。そのためには、日本の産業再生機構のような仕組みを欧米各国が整備し、不良資産の買い取りを行い、事業再生を図ることが重要であろう。

米国のオバマ政権は、「バッドバンク(民間金融機関が保有する不良資産を買い取って集約する専門銀行)」構想など、不良資産の買い取り機関の設立を検討している。これは、不良資産の投げ売りが起きて資産のデフレのスパイラルが進むことを防止しつつ、合理的な不良資産処理を進めるために不可欠のステップである。オバマ政権の新しいリーダーシップで効果的な不良資産処理の政策スキームを構築することが急務だろう。

問題なのは、単純な不動産バブルと異なり、今回の危機では高度な金融工学を使った証券化商品が不良資産化していることだ。証券の仕組みが複雑で、リスクは世界中にばらまかれている。こうした金融商品の損失分配や処理の手法を確立するのには、相当の時間がかかるだろうし、関係者が世界中に分散しているため、処理のための交渉プロセスも膨大な時間がかかると思われる。不良資産処理が本格的に進展するにはやはり数年の時間が必要ではないかと懸念される。日本の経験では、不良資産処理にメドがついたとの認識が広がったときに、やっと市場は底打ちした。こうした点から見ても、世界不況の底は数年先ではないかと推測されよう。

短期的に世界経済を下支えするには、政府が財政政策を発動して公需を増やすしかない。米国では約8200億ドル(約74兆円)におよぶ財政出動が検討されている。

金融危機下の財政出動は、日本の経験が教訓になる。日本の1990年代の不況では、景気対策が繰り返され、過大な債務を背負った建設会社などが公共事業によって延命された。公共事業などのバラマキ的な財政出動は、不良資産処理の先送りを招き、金融危機解決のコストを増やす結果になりかねない。したがって、金融危機下で財政政策を発動する場合には、債務削減(将来性のある債務者への債務免除や債務の株式化、将来性のない債務者の清算)に伴う金融機関への資本注入や、公的機関による不良資産の買い取りなどに集中すべきだと考えられる。銀行部門が不良資産を抱えた欧米諸国は、不良資産処理を目標に財政政策のメニューを絞り込むべきだろう。

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一方、中長期的な課題としては、世界各地でバブルが頻発する構造的な原因を解決する必要がある。この点に関しては、米MITのリカルド・カバレロ教授が提唱する「資産欠乏説」が極めて示唆に富む展望を与えてくれる。

これは、良質な価値保蔵手段(すなわち資産)の供給がグローバルに欠乏しているために世界各地でそうした良質な資産に対する過剰な需要が生まれ、住宅などの資産バブルを世界中で頻発させているというモデルを理論的に説明したものだ。資産の欠乏は、各国の経済発展において産業の成熟スピードと、資産市場の成熟スピードに大きな差があることが原因である。

近年、中国や中東産油国など多くの新興国で産業が発展し、フローの所得(国レベルでは国内総生産)が増えるようになった。だがフローの所得を蓄積し、保蔵するための良質なストックを新興国は供給できていない。市場環境(法制度やビジネス慣習)の成熟度やその国の政治的・社会的な安定性などに資産の質やリスクが大きく左右されるからだ。例えば政治的な理由で政府が資産を接収するリスクがある国では、その国の国民も自分の財産を国内に投資しようとは思わないだろう。このため、特に政治や法制度が不安定な新興国では、産業が発展して所得水準が向上しても、良質な資産市場が形成されないことが多いのである。

新興国での資産の欠乏に加え、決算通貨としてのドルの絶大な魅力が加わり、米国の資産に世界中の投資家の資金が集中した。それが米国の巨大な経常収支赤字の原因にもなった。グローバルに見れば、良質な資産の総供給量に比べ、資産への投資需要の総量が過剰だった。これが近年の世界的な金利低下の一因となった。また、グローバルな資産欠乏は欧米諸国の資産市場への負荷を高め、近年、米英などで住宅バブルを引き起こしていた。これがカバレロ教授の資産欠乏理論である。こうしてできた住宅バブルが崩壊し、今日の金融危機に至ったとの説明は説得力を持つ。

したがって、将来のバブルの再発や金融危機を予防するためにも、アジアなどの新興国で資産市場(金融、不動産、企業投資などの資産をめぐる市場環境全体)が深化し、良質な価値保蔵手段としての資産がそれらの国で十分に供給されるようになることが中長期的な課題といえる。

中国などの新興国で資産市場の健全な発展と深化を実現することは、言い換えれば、それらの地域で内需主導型の健全な経済成長が求められていることを意味する。これまで日本及びアジアなどの新興国は、輸出主導の経済発展を追求してきた。今回の危機は、そうした構図を修正する必要性があることを浮き彫りにした。

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現在、バブル崩壊の結果、米国の資産に対する需要は縮小し、経常収支不均衡は急激に是正されつつある。米国の輸入が減り、世界経済の貿易量は収縮している。それにともない、基軸通貨としてのドルの役割も長期的には見直されざるを得ないと思われる。世界経済は米国の内需縮小によってそのまま縮小均衡に陥るか、それとも、米国以外の国や地域の内需拡大によって成長を回復するか、という岐路に立っているといえよう。

つまり世界経済の回復のためには、新興国で内需拡大を実現し、資産市場を発展させることが必要である。そのために日本が貢献すべき政策分野として、アジア地域全体での債券市場の構築や通貨面での地域協力の一層の推進など、多くの課題が考えられる。結局、危機の再発を予防するためにも、新興国での内需拡大と資産市場の深化が重要なのであり、それには市場経済システムの健全な発展が不可欠である。政府統制などの反市場的な政策や保護主義では解にならない、ということを確認しておく必要がある。

2009年1月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年2月16日掲載