イラン制裁発動でも弱気相場入りした原油市場
価格下落を防ぐ手だてはあるのか?

藤 和彦
上席研究員

11月5日、米国がイラン産原油を対象にした制裁を発動したが、「当面の間、原油は安定的に供給される」との見方から米WTI原油先物価格に大きな値動きはなく、その後、米国の原油在庫増で8カ月ぶりの安値となった(1バレル=61ドル台)。

WTI原油価格は今年(2018年)5月に米国がイランへの制裁を表明したことを契機に上昇し始め、10月には1バレル=76ドル90セントの高値を付けたが、その後イランを除く主要産油国の原油生産量が増加したことなどから今年4月の水準にまで値下がりした。5日の取引では当初WTI原油価格は上昇したが、午後になってトランプ大統領が「個人消費の鈍化につながる原油高を回避するため、イラン制裁は緩やかに進めたい」と述べたことや「米国政府が中国、インド、韓国、台湾、日本、トルコ、ギリシャ、イタリアに対してイラン産原油の一時的な輸入継続を認めた」ことが伝わり、「原油需給が引き締まる」との見方が後退した。イランの原油出荷状況などから本格的な減産は来年以降になる見込みである。

イラン産原油輸入については各国の削減努力を勘案し半年後に判断されるが、前回の制裁時の基準が曖昧であったことを思い起こせば、「今回も輸入ゼロを達成していなくても減少していれば制裁の適用免除が延長される」との見方がある。

主要産油国はいずれも増産

他の主要産油国を見ると、増産にますます歯止めがかからなくなっているようだ。

ロイターによれば、10月のOPEC諸国の原油生産量は前月比39万バレル増の日量3331万バレルとなり、2016年以来の高水準となった(減産遵守率は122%から107%に下落)。イランの原油生産量が日量10万バレル、ベネズエラが同7万バレル減少したが、サウジアラビアが同12万バレル、アラブ首長国連邦(UAE)が同20万バレル増加している。UAEは11月6日「原油生産量を2020年までに100万バレル増産する」ことを発表した。

ロシアの10月の原油生産量は日量1141万バレルとなり、ソ連崩壊後の最高記録を更新した。

米国でも8月の原油生産量が前年比210万バレル増の日量1135万バレルと過去最高水準となったことが明らかになった(直近の生産量は1160万バレル)。年間の増加幅は1920年以来の大きさである。輸送パイプライン不足などの問題はあるものの、この驚異的な伸びが今後も続けば、米国の増分だけでイランの減産の穴埋めは可能である。

サウジアラビア、ロシア、米国の3カ国で世界の原油供給の3分の1超を賄うようになっているが、リビア、ナイジェリア、イラクも増産態勢に入っている(10月24日付OILPRICE)。世界の原油供給量は気がついてみれば今年3月から日量300万バレル以上増加したのである(10月29日付OILPRICE)。米エネルギー省の予測(世界の原油需給は既に供給過剰となり、需給ギャップが来年半ばまで続く)が示すとおり、米国のイラン制裁発動にもかかわらず原油市場は弱気相場入りしたと筆者は考えている。

「世界の工場」ではなくなる中国

それでは次に原油市場を動かす材料は何だろうか。

市場関係者の関心は、世界の原油需要に向けられつつある。国際エネルギー機関(IEA)のビロル事務局長は10月30日、「原油高が消費者の負担となり需要を抑えるとともに、世界の景気減速も需要減につながる要因となっている」と発言した。

ビロル氏が言及したのはインドやインドネシアの原油需要の減退だったが、世界最大の原油輸入国である中国は、米国との貿易摩擦の激化で経済が悪化の度合いを強めている。

貿易摩擦の激化で株式市場が低迷し人民元の軟調が続いており、その悪影響はついに不動産市場にまで及んでいる。

中国メディアによれば、北京や上海、杭州などの主要都市で、在庫増加と資金難に頭を抱える不動産業者が販売促進のために大幅値下げに踏み切った。その値下げに抗議して各地で住宅所有者によるデモが相次いでいるという。

経済専門家は「中国は住宅が売れ残る時代に入った。巨額な債務を抱える不動産大手デベロッパーは景気鈍化で資金調達がさらに厳しくなり、倒産の危機に陥っている」と指摘した上で、「今後住宅価格の下落に抗議する市民が各地で増加し、社会不安が一段と広がる」と警告している。

10月29日付ロイターは、貿易摩擦の長期化が原因で中国南部に進出している米国企業のうち、約7割の企業が「中国での投資を遅らせ、生産ラインの一部または全部を他国に移転する」ことを検討していると伝えている。この動きは米国企業にとどまるものではない。中国が「世界の工場」である時代は終わりを迎えつつある。中国の爆食経済を牽引してきた不動産と製造分野が不調となれば、中国の原油需要が今後低迷しないはずはないだろう。

米国の株式市場に動揺の兆し

筆者は今後の原油価格を占う材料として「米中貿易摩擦」が主役に躍り出たと見ている。それに関連して注目するイベントは、11月30日からアルゼンチンのブエノスアイレスで開催されるG20サミットである。米中首脳の間で貿易摩擦に関する合意がなされる可能性は現段階では低いとされているが、物別れに終われば原油市場をはじめ世界の金融市場に悪影響を及ぼすことだろう。

今のところ米国経済は貿易摩擦にもかかわらず堅調ぶりを維持しているが、株式市場では少しずつ動揺が生じるようになっている。

「米国市場の堅調さを支えているのはジャンク債市場の活況である」と本コラムでこれまで述べてきたが、そのジャンク債市場がエネルギー部門を中心に値崩れが始まっている(10月30日付ZeroHedge)。その原因は原油価格の下落である。ジャンク債発行量の15%を占めるシェール企業の今後を、投資家が不安視し始めているからだ。原油価格のさらなる下落によりシェール企業の倒産が増えればジャンク債市場全体が不調となり、株価が下落する。

2016年以降株価と連動を強めている原油価格は、株価の下落によりさらに値段を下げるという「負のスパイラル」に入る可能性がある。

米国経済の好調さの象徴である株式市場が変調をきたせば、米国の旺盛な原油需要もあてにできなくなる。11月に入り、「2019年の世界経済は一斉に減速するリスクがある」(11月5日付ブルームバーグ)、「世界の原油需要のピークが5年以内に訪れる」(11月5日付OILPRICE)など原油価格に悪影響を及ぼす予測も相次いでいる。

減産の決断ができないサウジアラビア

原油市場ではファンドの原油買い玉が約3年ぶりの低水準となり、「原油価格が1バレル=55ドルまで下落する可能性がある」と言われ始めている(11月5日付ブルームバーグ)。事態の急変を驚いた主要産油国の間に、再び減産の必要性が意識され始めている。

主要産油国で構成される共同閣僚監視委員会は10月25日、「原油在庫が増加する状況にかんがみ、再び減産が必要となる可能性がある」との声明を発表した。数日前までの「極力大量に生産する」姿勢から大転換である。

2017年の時はサウジアラビアがリーダーシップを発揮した。再びリーダーシップを求めることは、もう無理な注文なのだろうか。

カショギ氏殺害事件の大逆風の中、10月23日から開催された「未来投資イニシアティブ(砂漠のダボス会議)」の場で「560億ドルの新規投資契約が締結された」とサウジアラビア政府は成功を強調した。だが、その中身はほとんど石油関連である。サウジアラムコのIPO中止も合わせて考えると、サウジアラビア経済は石油依存に戻ってしまったといってよい。来年の予算は国内安定のために過去最大規模になる見込みであり、原油からの収入は「喉から手が出る」ほど欲しい状況である。

脱石油経済化を進めていた2017年前後は思い切った減産に踏み切ることができたが、石油依存に回帰したサウジアラビアが再び同様の決断ができない。サウジアラビアが決断できなければ、ロシアが同調することはないし、米国はそもそも協調減産できる状況にない。

OPEC総会は12月3日に開催されるが、来年の生産制限に関する新たな協定が締結できなければ、原油価格の下落に拍車がかかる可能性がある。

相変わらず独断専行のムハンマド皇太子

最後にサウジアラビア情勢についてである。

カショギ氏殺害事件以来、サウジアラビアに対する西側の視線が厳しくなっているが、10月30日、米国の国防、国務両長官がそろって「イエメンの停戦と30日以内の和平協議の開催を呼びかける」声明を発表した。サウジアラビアのイエメン内戦への軍事介入は3年半を超え、「世界最悪の人道危機の発生に米国も荷担している」との国内外からの批判が高まる中での米国政府の転換変更である。

だが停戦の呼びかけと裏腹に、サウジアラビアとUAEが主導するアラブ連合軍は、今年6月に失敗したイエメン西部のホデイダ港奪還作戦を再び開始した(11月2日付アルジャジーラ)。人道危機は深まるばかりである。

カショギ氏事件とは異なり、イエメン内戦への軍事介入はムハンマド皇太子の責任であることは明白である。イスラム教シーア派反政府武装組織フーシ派の拠点であるホデイダ港を奪還しないままではサウジアラビアが利する停戦合意はおぼつかない。「多額の軍事予算をドブに捨てた」としてムハンマド皇太子への批判が高まるのは必至であり、サウジ王室内の動揺が激しくなっている(11月3日付日本経済新聞)。

今年9月、ロンドンで「イエメン内戦への軍事介入はサルマン国王とムハンマド皇太子に責任がある」と述べたアハマド王子が、10月末にサウジアラビアに帰国した。アハマド王子(77歳)はサルマン国王の実弟であり、国内での人気が高い人物である。国王や皇太子の継承問題を協議する「忠誠委員会」が昨年6月にムハンマド皇太子の副皇太子からの昇格を決定した際、反対したメンバーの1人だった。王族内の調和を取り戻す動きの一環だろうが、肝心のムハンマド皇太子はイラン制裁が発動された11月5日、サウジ初の研究用原子炉を建設するプロジェクトを始動させる(11月6日付AFP)など、国際社会の懸念を全く考慮しない独断専行を続けている。

中東地域では1984年当時のサダム・フセイン大統領が、2004年にはアサド大統領が「改革者」として西側の賞賛を浴びていた。現在のサウジアラビアの「改革者」も先駆者と同じ運命をたどってしまうのだろうか。

2018年11月9日 JBpressに掲載

2018年11月16日掲載

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