中国経済の急減速を織り込んでいない原油市場
貿易紛争による中国経済ハードランディングの懸念

藤 和彦
上席研究員

6月末のOPEC総会後、市場関係者の間で「需給が逼迫する」との見通しが優勢となり、米WTI原油先物価格は1バレル=70ドル台半ばまで上昇している(直近ではリビアの供給懸念が材料視されている)。

その背景にあるのは、(1)OPECをはじめとする主要産油国が日量150万バレル増産するとの予想に対し増産の規模が同100万バレルにとどまったこと、(2)米国政府がイラン産原油を禁輸するよう各国に要請していたこと、などである。

まず、OPECをはじめとする主要産油国の動向だが、6月22日の会合で日量100万バレルの増産で合意した。主要産油国は日量180万バレルの協調減産を行っているが、ベネズエラ(減産目標:197万バレル → 生産量:139万バレル)、アンゴラ(減産目標:167万バレル → 生産量:153万バレル)などの減産で実質的に280万バレルの減産となっており、今回の合意でそれを7月から同180万バレルの減産規模にまで戻すことになる。これにより足元での供給は十分となったものの、今後減少が見込まれるイランやベネズエラなどの原油生産量を補うには不十分であることから、原油価格の値上がりは長期化するとの見方が強い。

次にイラン情勢である。WTI原油先物価格は5月に1バレル=72ドルに上昇した後、OPECが協調減産を緩めるとの観測から同65ドル前後に下がったが、6月下旬に米国が「イラン産原油の輸入をゼロにする」ことを各国に求めていることが伝わると、同74ドル台と3年7カ月ぶりの高値となった。

二兎を追うアメリカは一兎を得ず?

イランの原油生産量が大幅に減少すると見込む米国は、サウジアラビアに対して猛烈な増産要請を行っている。これに対しサウジアラビアは6月の原油生産量を5月の日量999万バレルから同1070万バレルに引き上げ、7月には過去最高水準の日量1100万バレルにまで拡大させるとされている。

だがこれに満足できないトランプ大統領は「サウジアラビアは最大200万バレルの増産(日量1200万バレルの生産量)をしてほしい」とツイッターに投稿した。トランプ大統領によればサウジアラビアのサルマン国王はこれに同意したとされるが、日量1200万バレルの原油生産を行えばサウジアラビアの余剰生産能力はほぼゼロになる。

トランプ大統領は7月1日、テレビニュースのインタビューで「我が国はOPECの国々を守ってやっているのだから、彼らは価格操作をやめるべきだ」と主張した。

OPECの国々と名指しされたサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)が主導するアラブ連合軍は、泥沼化するイエメン情勢が重荷になっている。それだけではない。サウジアラビアとUAEは6月26日、クウェートとともに、財政が悪化しているバーレーンの経済改革と財政の安定を支援するための総合的なプログラムを近く発表することを明らかにした。サウジアラビアやUAEと同様に通貨を米ドルにペッグしているバーレーンがきっかけで中東の金融市場に不安が広がることを防ぎたいからだ。また、サウジアラビアとUAEは6月11日に、ヨルダンでの大規模デモが自国に波及するのを恐れて25億ドルの支援パッケージも発表したばかりである。

膨らむばかりの財政需要を考えると原油高を死守したいところだが、中東地域の「守護神」である米国の要請とあっては応えざるを得ないというのが実情だろう。

一方、再三にわたり増産要請を行うトランプ大統領側にも米国防授権法の「縛り」がある。「2018会計年度」国防授権法は「イランからの原油供給が減少した場合に価格への影響が少ないことを証明しなければイランへの制裁を発動できない」としているからだ。

米国では夏のドライブシーズンを迎えガソリン価格の上昇懸念が高まっている状況下で、イランの原油生産減により原油価格が上昇すればガソリン価格は高騰する懸念がある。秋の中間選挙を有利に戦いたいトランプ大統領は「イランへの猛烈な制裁」と「ガソリン価格の安定」を得たいところだが、「二兎を追う者は一兎を得ず」になりかねない。

イランの原油生産量は減少するのか

トランプ大統領が想定するイランの原油生産の大幅減少だが、足元の原油生産量は日量380万バレル超で堅調に推移している。

2012年の経済制裁でイランの原油生産量は日量100万バレル減少したが、今回も大幅減産となるかどうかはイラン産原油の主要購入先である中国(2017年の輸入シェアは24%)が鍵を握る。中国は2012年の制裁時に米ドルに代わり人民元でイラン産原油の購入を続けたが、今回も米国の要請を拒否する姿勢を示している。

中国は今年3月から上海市場で人民元建ての原油先物取引を開始し、3カ月が経過した時点の取引高は世界第3位の規模にまで拡大した。グレンコアやトラフィギュラなど外国の大手トレーディング会社が参加しているが、取引の主体は国内の個人投資家であることから、上海市場での取引価格は他の原油先物市場に連動しているだけで、「自国の需要動向を原油価格に反映させる」という中国政府の目的は実現していない。人民元の国際化にもつながっていないという冷ややかな見方もある。

一方イランでは6月25日から対ドルで通貨リヤルが値下がりしたことを受けて首都テヘランや各都市で抗議活動が発生している。イラン国会前では「ハーメネイー指導者に死を」「政権によるシリア介入の停止」と呼びかけるデモ隊と治安部隊が衝突した。国民生活のさらなる悪化を防止するため、イラン政府は民間会社の原油輸出を許可する動きに出ている(7月2日付OILPRICE)。原油輸出をなんとしてでも維持したいイランが「上海原油先物を中東産油国のアジア向け輸出価格の価格指標にしたい」とする中国の意向に沿う形で協力すれば、同国の原油生産量は中国のおかげで前回ほど減少しないのではないだろうか。

供給面に関しては、ロシアを抜いて世界第1位の原油産油国となろうとしている米国の動向も軽視できない。原油高が続く限り米国の原油生産量は増加し続ける可能性が高いからだ。

OPEC総会までは米国内の供給過剰を反映してWTIと北海ブレントの価格差が1バレル当たり10ドルまで広がり、これを追い風に米国産原油の輸出は大幅拡大した(直近の輸出量は日量300万バレル)。OPEC総会後はカナダのオイルサンドの操業停止(日量36万バレル)などによりWTIが上昇しブレントとの価格差は5ドル未満になったことから、米国の原油輸出量は今後減少する可能性が高い。これまでは原油輸出拡大により米国の原油在庫は大幅に減少しWTI価格を下支えしていたが、原油輸出が縮小すれば米国の原油在庫は再び増加に転じWTI価格に対する下押し圧力となる。

米中貿易戦争の悪影響が現実に

続いて、需要面はどうか。「シェールオイルの主要生産地であるパーミアン鉱区で原油を運び出すパイプラインの輸送能力が今後数カ月で上限に達し、小規模な石油会社は減産か生産停止に追い込まれる」との憶測などから、原油先物市場におけるファンドの原油売り玉が過去最低水準になっている。市場関係者は原油価格が1バレル=50ドルから同70ドルに上昇しても需要の伸びは変わらないと想定しているが、その想定ははたして正しいのだろうか。

原油高によるガソリン高で米国のガソリン需要はドライブシーズン入りしても一向に盛り上がる気配がない。インドや発展途上国でもガソリン高が庶民の家計を直撃する事態となっている。

今や、世界の原油需要の伸びは世界最大の原油輸入国である中国にかかっていると言っても過言ではない。そうした状況のなか、米中貿易戦争の悪影響が現実のものになろうとしている。

世界の2大経済大国である米国と中国は、7月6日共に相手国に対して340億ドル規模の関税を課すこととなったが、経済規模が米国の3分の2に過ぎない中国の方が劣勢である。原油高の影響も輸入依存度が高い中国の方がダメージが大きい。

中国の6月の製造業PMIは、米中の貿易摩擦激化により輸出が減速したことから市場の予想以上に低下した。人民元の6月の月間下落幅は3%を超え、人民元の切り下げがあった2015年8月の2.7%を上回ったが、人民元の下落が続けば中国政府が恐れるキャピタルフライトが再来する。国際金融市場では「中国はもはや安全な新興市場ではない」との声が高まっている。

トランプ大統領は中国の対米貿易黒字額を1000億ドル減らすことを目指しているが、この額は中国の2017年の貿易黒字額の4分の1に相当する。債務急増に悩む中国経済にとっての生命線は海外からの巨額のマネー流入であるが、マネーの流入が大幅に減少すれば、資金繰りに窮した企業の大量倒産を招くことは必至である。米銀JPモルガンチェースは6月29日、「貿易戦争により中国企業のデフォルトが急増し、銀行危機が発生する可能性がある」と懸念を示している。

中国経済のハードランディングの懸念が頭をもたげる中、6月25日に中国政府内部で驚愕の内容の論文が発表された(7月3日付現代ビジネスオンライン)。論文のタイトルは「金融恐慌の出現を警告する」である。その内容は「金融パニックが中国で起きる可能性は現時点で極めて高いと考えられる」というものだった。作成者は中国国務院傘下の中国社会科学院に2015年6月設立された「国家金融・発展実験室」のメンバーである。習近平政権の金融ブレーンが執筆した論文は政府内部で大反響を呼び、ネット上にも転載されたが、直ちに当局によって削除された。

「バブル崩壊は既に始まっている」と主張する中国の経済専門家も存在しており、好調さを維持している中国経済は今年後半に急減速に転じる可能性が高い。中国経済が急減速すれば世界の原油需要は減少に転じ、7月からの主要産油国の増産もあいまって原油市場は大幅な供給過剰となってしまう。そうなれば原油価格は大幅下落する(1バレル=50ドル以下)だろう。

このように「足元の需給逼迫感に煽られて増産したら実は供給過剰となってしまった」というシナリオも念頭に置きながら、今後の原油価格の動向を注視していく必要があるのではないだろうか。

2018年7月6日 JBpressに掲載

2018年7月13日掲載

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