日露経済協力の目玉、サハリン・パイプライン
プーチン大統領の訪日に何が期待できるのか

藤 和彦
上席研究員

12月15日のプーチン大統領の訪日を前に、日露間で8項目からなる経済協力プラン策定に関する協議が本格化している。長年にわたり、サハリンで産出される天然ガスをパイプラインにより生ガスのまま日本に供給する構想を提唱している筆者にとって、最も関心が高いテーマは「エネルギー」である。

サハリンからの天然ガス供給について、「ロシアからの提案はLNG(液化天然ガス)のみである」といわれてきたが、ロシア側で注目すべき動きが出ている。

9月26日付けの日本経済新聞は、ロシア国営ガスプロムのアレクサンドル・メドベージェフ副社長のコメントを掲載したが、メドベージェフ氏は「サハリンから日本にパイプラインで天然ガスを供給する可能性を再検討することを決めた」と述べている。

記事の内容はサハリンでのLNG基地増設に関するものがメインではあったが、サハリンから日本への天然ガスパイプライン構想の実現を願っている筆者としては「ガスプロムもついにその気になってくれたか」と感慨もひとしおだった。(『日露天然ガスパイプラインはなぜ必要なのか』参照のこと)

日露間のパイプライン構想は過去20年以上にわたり、何度も浮かんでは立ち消えとなっていた懸案である。

メドベージェフ氏はパイプライン構想について再調査する理由として「日本の実業界や政界から何度も強い要請があった」ことを挙げている。ロシアとのエネルギー協力拡大をテコに日露関係の早期改善を願う、与党の「日露天然ガスパイプライン推進議員連盟」(河村建夫会長、竹本直一事務局長、パイプライン議連)の熱意が、メドベージェフ氏にも伝わったのだと筆者は確信している。実際、ロシアでは「5月6日の日露首脳会談でプーチン大統領がパイプラインについて言及した」との情報が広まっているようだ。

意外に近いサハリンガス田、新鉱区発見も

ここでサハリンの天然ガス資源について簡単に説明したい。

北海道の稚内から南端まで最短43キロメートルのサハリン島には約600キロメートルの海岸沿いの浅い海底下に膨大な天然ガスが眠っている。宗谷海峡を挟んでいるが、ほとんど地続きと言ってよく、東京からの直線距離は沖縄より近い。

国境を考えなければ、日本の国内資源といっても過言ではないサハリンの天然ガスは、1980年代に日本とロシアの共同事業によって発見された。天然ガスの可採埋蔵量は約2.4兆立方メートル。日本全体の天然ガス消費量の約24年分である。また、今年9月、露メディアはサハリン3鉱区で新たに巨大なガス田が発見されたと報じている。

サハリン2鉱区の天然ガスは2009年3月からLNGという形で日本を始め中国・韓国などにも供給されているが、その他のサハリンの天然ガス資源は手つかずのままである。

サハリン1鉱区の事業者は2000年頃、北海道を経由して首都圏を結ぶパイプラインによる輸送を日本政府に要請したが、主な買い手とされていた電力業界が難色を示したため実現に至らなかった。

ロシア側が再びパイプラインに関心を持ち始めたのは「日本側の熱意」だけではない。そこに「中国ファクター」が作用していることは確実である。

中国による大幅値下げ要求を警戒

ウクライナ紛争による欧米の経済制裁で窮地に陥ったロシアは、中国との関係を強化してきた。ロシア原油の最大の輸出先は昨年ドイツから中国へと変わり、天然ガスでも中国のプレゼンスが飛躍的に増大しようとしている。

天然ガスの分野でこれまでのところ中国のプレゼンスはないに等しかったが、2014年5月にプーチン大統領が訪中した際にロシアから中国への天然ガスパイプライン建設が合意されたことで事態は大きく変わった。パイプラインが完成すれば、中国はドイツを抜いてロシア産天然ガスの大輸入国となるからだ。

しかし原油価格の下落により、ロシアが欧州に輸出している天然ガス価格も下落している状況下で、タフな交渉相手である中国が原油価格急落以前の段階で決まったとされる価格で天然ガスを購入するとは思えない。

ロシアから中国に敷設されるパイプラインは「シベリアの力」と呼ばれており、「東ルート(サハリン〜ウラジオストク経由、年間380億立方メートル)」と「西ルート(西シベリア経由、年間300億立方メートル)」がある。

今年7月ガスプロムと中国石油天然気集団公司(CNPC)の間で西ルートの建設に関する契約の調印が無期延期となった。中国経済の急減速で天然ガス需要が低下したため、中国側は大幅な価格引き下げを求めていることがその要因であると見方が強い。

東ルートについては2019年の完成に向けて着々と工事が進んでいるとされているが、ガスプロムは今年2月パイプライン建設費を前年の半分に削減した(約1380億円)。ガスプロムはその理由を明らかにしていないが、「ロシア側は供給開始後に中国が理不尽な値下げ交渉をしてくるのではないかと恐れている」との観測がある。

話題を今年4月から大競争時代に突入した日本のエネルギー市場に転ずると、「パイプラインによる生ガス輸送」がもたらすインパクトは限りなく大きい。「電力小売自由化」に加え、来年4月から「ガス小売全面自由化」が予定されており、天然ガス需要者の行動も以前に比べてダイナミックになっているからだ。

東京電力と中部電力が昨年に火力発電部門の統合に向け共同出資会社(JERA)を設立し、関西電力と東京ガスが今年5月に首都圏でのLNG火力発電所の共同建設に関する検討を始めたように、エネルギー市場ではこれまでにない動きが出ているのは事実である。

だが、その影で「期待外れの『電力自由化』よりもさらに『ガス自由化』は期待外れになる」との懸念が高まっているのも事実である。電力市場やガス市場に参入する際に、その元となる一次エネルギー源を確保できないという大きな障害が残っているからだ。

サハリンから天然ガスパイプラインが敷設されれば、その問題が一気に解消されるため、潜在的な需要者は以前に比べ格段に多くなっていることは間違いない。

パイプラインによる日露関係改善に期待

最後にパイプライン事業が日露間全体の今後の関係に及ぼす影響を触れてみたい。

9月下旬、経団連はロシア経済界との合同会議を12月に日本で開催する方針を固めた。日本企業のロシアへの関心の高さから約4年ぶりの開催となる。「ロシアリスク」を警戒する傾向も根強いが、日露間の信頼醸成にとってパイプライン事業は大きなプラスとなるのではないか。前述のパイプライン議連有志の求めに応じて3月末に来日したガスプロム関連企業の幹部が「パイプラインは日露の懸け橋となる可能性を秘めた重要な事業である」と述べたが、筆者も全く同感である。

領土問題と経済協力のバーターを疑問視する声もある。しかし多くのドイツ人が「旧ソ連にドイツ統一を認めさせた影の功労者はパイプラインである」としみじみと語っていたことを、統一直後のドイツに滞在した筆者は今でも鮮明に記憶している。

ロシアは日本側の提案を踏まえ10月に入り68項目に上る要望を示したが、その中に「サハリンと日本を結ぶガスパイプライン構想」が入っていることが判明した(10月12日付北海道新聞)。

パイプライン構想が日露間の経済協力プランの目玉となる日は近い。

2016年10月26日 東洋経済オンラインに掲載

2016年10月31日掲載

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