世界規模で核管理を

DORE, Ronald
RIETI客員研究員

自衛隊と称する日本軍がいよいよ「有志連合」に加わった。12、3年前に「日本の貢献」が盛んに論じられていた頃、海外派兵ができるように法律を変えた時、曖昧な点が1つ残っていた。日本の軍隊が国連の直接指揮下の平和維持活動(PKO)だけに参加すべきなのか、それとも「多国籍軍」──湾岸戦争のように、「侵略罰するべし」と言う国連の全会一致の決議案に基づいて「委託」を受けた米国指揮下の多国籍の軍隊──の武力行使に加わってもいいのかということであった。

戦後半世紀、「国連中心外交」を標榜してきた日本では当時「PKOに限定」論が優勢だったような印象を私は受けた。ところが、日本が今度参加するのは国連の安保理事会の承認を得た多国籍軍どころの話ではなく、安保理事会で単純多数の9カ国の支持さえ得なかった、米国主導の「有志連合」が始めた争いの後始末である。進歩か後退か、とにかく相当な飛躍であることだけは確かだ。

しかし「大儀が見える」かどうかなど、自衛隊派遣の是非を論ずるのも、それに関する世論調査の不思議な動き方の分析も、私のここでの主な狙いではない。

むしろ指摘したいのは、国連を中心とする国際合議制による法秩序の構築を目指すか、米国の圧倒的軍事的優勢に基づく米国の裁量的秩序に甘んじるかという選択が我々、小・中国に強いられるのは、イラクの問題ばかりではないということである。

特に重要なのは、核拡散防止体制である。定例の核拡散条約改正会議を来年に控えて、その一方で、ブッシュ大統領が去る11日の国防大学での演説で、他方、国際原子力機関(IAEA)事務局長のエルバラダイ氏の翌日のニューヨーク・タイムズへの寄稿など、両構想の提唱者が最近活発に発言するようになった。

当面の問題についてはさほど大きな差異はない。たとえばパキスタンやリビアからの情報で発見された核兵器創造の技術・設備の世界規模の「闇市」を根こそぎなくすべきだとか、核燃料の濃縮処理設備を特定の国に限定して、国際管理下におく必要など、似たような点を強調している。ただ違うのは、方法論・究極目標論である。エルバラダイ氏が目指すのは、管理能力をすべてIAEAに集中して、核保有国にも核武装解除の圧力をかけることができる、非保有国の声を反映する体制である。

それに対して、ブッシュ大統領の構想は核保有同盟国──米英仏および核保有を黙認されているイスラエルを中心にして、仕方なく保有国として認めざるを得ないロシア、中国、インド、パキスタン-と協定を結んで、それ以外の国へ核兵器製造能力が拡散できない体制を作ることを覇権国・米国の役割とし、管理手段は米国の情報機関、管理強制の制裁は主として米国の軍事的行動とすることだ。さらに、ブッシュ政権は「結局、リビアが『改心』して、核兵器を放棄したのはイラク戦争で米国が専制的攻撃を辞さないことを証明したためではないか」と論じている。

日本はすでに米国のミサイル防衛計画に参加しているし、最近は集団防衛権を承認しろという人たちが、さらなる米国の戦略体制への統合を目指しているようだ。その長期にわたる意味を考えて、北朝鮮の核などにヒステリーにならないで、もう少し真剣に世界規模での核管理・核統制の問題を考えるべきではないだろうか。

2004年2月22日 東京新聞「時代を読む」に掲載

2004年3月5日掲載

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