インフレ抑制から維持へ

DORE, Ronald
RIETI客員研究員

久しぶりの東京。「新しく開いた六本木・ヒルズを是非御覧なさい。素晴らしいよ」と言われる。なるほど、地域デザインといい、建築の面白さといい、キンキンギラギラのモール、高級ブランド製品を並べたブティックなど、裕福な国の富裕度を的確に象徴する新天地であるに違いない。感心せずにはいられなかった。

次の日、『苦闘する地方経済』という題の記事を新聞で読む。日立市の銀座モールの寂れた状態を寂しく語る。約75店あった店が次々と閉店して、今40店近くしかない。マクドナルドなどの大手チェーンも撤退した、などと。

デフレ下の日本では、繁盛するもの、衰退するものの開きがますます顕著になる。デフレ自体は安定した職業、安定した収入を持つ雇用者(政治家も官僚も含めて)には、決して例の「痛み」をもたらすものではない。物価が平均して毎年2%下がるということは結構ありがたいことではないか。

しかし、そのデフレがもたらす、消費抑制、投資抑制、リスクを引き受けようとする起業精神・楽観的意気込みの抑制-というマイナス効果のおかげで、成長率ゼロの経済になるなら、定収入の人たちがデフレで儲かる分だけ、失業する人および歩合や店の売り上げで生活する人たちが損することになる。

「話し合いの政治行政」のいい例だが、日銀の政策委員たちが定期的に地方に出かけて金融経済懇談会を催す。最近岩手県に行ってきた春英彦委員(元東電副社長)は、地方の疲弊度について認識を改めてきたようである。「全国ベースで考えていたより、地元の皆様の現状認識に厳しいものがあった」と、後で記者会見で語った。それでも「日銀が何で手を拱いて、本格的にデフレ退治にかからないか。インフレターゲットを設定して、はっきりしたインフレ期待が生ずるようにすべきだ」という意見を述べたのは地元の人一人だけで、「通貨に対する信認」こそ優先的に考えるべきだとする意見の方が多かったと語っていた。インフレ恐怖病は日銀・財務省ばかりではない。

ところが、私が去年日本に来た時に比べると、話が進展したらしい。「ターゲット」のほかに、「目標値」「参照値」という用語も浮かび上がって、より具体的な構想が論じられるようになった。政府に、それから日銀政策委員会の中にも、積極的なインフレ工作を考える人が多くなった。

欧米の思想動向に敏感な日本だから、最近の欧州中央銀行、米連邦準備制度理事会の(デフレ防止策一辺倒の)決定もインフレ論争に影響するはずだ。14日のフィナンシャル・タイムズが評して言う。「先週は世界金融政策戦後史の分水嶺だった。30年間も続いたインフレ抑制という目標がインフレ維持にとってかわれた」と。

問題はインフレ期待を確実に植えつけるのに、2-3%というインフレ目標価を設定するかどうかではない。その目標を達成するため、どのような政策を同時発表するかが問題である。

1つの案だが、財政赤字は国債発行で埋めなければならないという、今までの鉄則を破ってはどうか。赤字を拡大して、一定の量まで「紙幣印刷」でカバーするという風に。突飛には見えるだろうが、それを主張する英国の経済学者もいる。いずれにしろ、インフレから、そしてうまくいけば景気回復から、受ける損も得も現役の世代が消化すべきであって、孫たちにツケを回す必要はないと言う論法は一応成り立つと思う。

2003年5月18日 東京新聞に掲載

2003年5月27日掲載

この著者の記事