ディベート経済

小泉改革で経済はどう変わった?

小林 慶一郎
RIETI上席研究員

小泉政権の5年間が終わろうとしている。これまでの小泉改革で、日本経済はどのように変わったのか。ポスト小泉時代に残された課題は何か。民間経済の問題に焦点を絞って、論点を整理する。

不良債権処理で景気回復

5年半に及ぶ小泉政権では、様々な改革が話題を呼んだ。その成果や今後については賛否の様々な議論があるが、道路公団民営化や郵政民営化など、政府部門の改革が進んだ。

しかし、民間経済への影響という意味では、なんと言っても不良債権処理の実現が、小泉改革の最大の成果だろう。90年代初めから続いたこの問題をおおむね解決し、日本の景気に明るさを取り戻した。この点は、誰もが口をそろえて評価する。

当初、7年はかかると言われていた不良債権の正常化を、竹中平蔵氏の強硬路線を採用することにより、ほぼ4年で達成した。

金融システムの正常化で、株価も上昇し、経済の見通しは03年ごろからみるみる明るくなった。国内総生産でみると、生産の回復は不良債権の集中治療中だった02年から続いていて、それには外需など様々な要因もからんでいる。

しかし、銀行システムの正常化が経済の大きな不確実性を払拭し、企業活動の回復を支える力になっていることは間違いない。

景気回復が続いたため、ようやく今年になって、デフレ(物価の下落)もほぼ脱却できそうな段階に来た。3年ほど前までは、構造改革に反対する意見として、デフレをまず脱却しなければ、不況(生産の減少や倒産・失業の増加)は終わらない、という意見が強かった。しかし、その後の展開を見ると、デフレが終わったから不況が終わったのではなく、不況が終わってから数年たって、デフレ脱却が遅れてついてきた。

やはり、改革によって金融システムを健全化したことが不況を終わらせた大きな要因だったと言っていいのではないか。

また、小泉政権の5年間で、公共事業の削減が続き、談合の摘発も強化された。会社法の改正や、公認会計士への司法的責任追及など、企業法制の環境も大きく変わった。多くの分野で競争原理が強まり、日本経済の体質を強化したといえる。

格差・拝金主義...弊害も

しかし、改革によって非効率を排した結果、様々な痛みが拡大した、という批判がある。

最近もっとも大きな論点は格差の拡大である。景気回復を優先し、企業の収益向上を優先したために、労働者の所得向上が遅れている。いまだに雇用所得には、力強い改善は見られない。一方、株価の回復などで、金融取引で膨大な所得を得る人々も増えた。

不安定な雇用で低所得に耐える人とITや金融で膨大な富を得る人との格差がクローズアップされ、所得格差の広がりが問題になった。産業の少ない地方では、公共事業の削減によって収益源がなくなり、都会との経済格差が大きく広がっている。

所得格差の拡大が事実かどうかはデータに問題があるなどの議論もあるが、景気回復の中で、その恩恵から取り残された人々の不満が高まっていることは間違いない。

また道徳的退廃も、改革の結果だと問題にされた。

小泉改革で広まった素朴な市場礼賛の中で、マネーゲームが過熱し、拝金主義が横行した。拝金主義は経済に活力をもたらす面もあり、一概に否定すべきものでもないが、それを苦々しく思う人は多い。ライブドアや村上ファンドの摘発は、いわば検察による小泉改革批判だったとも見える。

市場競争の不備も指摘された。企業が利潤追求に重点をおく中で、市場では目に見えない安全性がおろそかにされた。JR西日本の事故や耐震偽装問題などの広がりは、企業倫理と安全規制の重要性を訴えるものだった。また、ライブドアや村上ファンド事件は、日本の金融市場ルールが未発達であることへの警鐘ともいえる。

格差、マネーゲーム、安全違反などは詳しく見れば、市場ルールの未整備や欠陥によって起きたとわかる。だから、市場ルールを、いっそう公正なものに発展させることで解消できるはずだ。しかし、小泉改革へのこれらの批判は、改革の基本的な方向性を否定する議論に安易に流れてしまう。

「市場は自由の土台」ルール整備を

ポスト小泉の課題は、改革の基本方向を継承しつつ、その不備を直していくことといえるだろう。

改革の継承とは、どのような政治姿勢なのだろうか。あえて言えば、市場経済システムを単に豊かさを得るための「手段」と考えるのではなく、市場それ自体を政治が目指すべき「目的」あるいは価値である、と考える姿勢だと思われる。

小泉政権の経済政策には、市場システムを価値観として信奉することからくる突破力があった。

たとえば不良債権処理にしても、本当にそれが景気回復をもたらすか保証はなかったし、もっと景気が悪くなる、という意見も強かった。それでも、不良債権処理を進めたのは、(景気回復をもたらすかどうかはわからなくても)市場システムのかたちを正常化するためには、不良債権処理が必要不可欠だったからだ。

つまり、市場システムを景気回復の手段と見るのではなく、市場システムの正常化それ自体を、目指すべき価値であると見なす思想がその背景にあった。

しかし、どうして市場が豊かさを得るための手段(だけ)ではないという価値観が成り立つのか。

それは、自由主義の土台が市場経済だからである。経済的な自由が保証されていないところに、思想や言論の自由も育つことはない。そして経済的自由を保証する存在が市場経済システムである。

したがって、日本がまじめに自由主義を追求するならば、必然的にシステムとしての市場経済に大きな価値を置かねばならないといえる。

小泉政権の改革への姿勢は、この思想を(恥ずかしげもなく)表明したものと解釈できる。

これまでの日本の政治は斜に構えたあいまいさを好み、自由と市場が直結する、などと主張することははばかられた。だが、そのあいまいさが、結局は優柔不断な無思想にすぎないことを露呈したのが小泉政権以前の経済危機だった。

個人や企業の自由な経済活動が、巡り巡って社会全体の福祉を高める、という「市場原理」は自由の理念へのもっとも素朴な信奉というべき仮説だ。小泉後の日本は、当面、この仮説の上に立つしかないだろう。

市場システムをよりよいものにしていくことが目的である、という姿勢で、これまでの改革の不備をただしていく必要がある。

つまり、格差是正などの課題に対しては、競争制限的な政策ではなく、市場ルールの整備など競争環境を洗練することによって、対処していくべきである。特に、労働市場の改革によって、公正な労働環境を作ることが、格差解消への道であり、無駄な公共事業や政府の直接介入は、厳に慎むべきであろう。

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2006年8月28日 「朝日新聞」に掲載

2007年6月18日掲載

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