国立大学改革の方向-運営費交付金 統治向上へ設計見直せ

赤井 伸郎
RIETIファカルティフェロー

国立大学の法人化から5年が経過した。国立大学を文部科学省の内部組織から独立させ、また非公務員型とすることで、運営にかかわる自由度を高め、個性豊かで魅力ある大学へと変革させるというのが狙いである。法人化をテコにした大学改革の中で、筆者は国立大学法人運営費交付金に注目したい。これは、それまでの補助金にかわり、教育研究の実施に必要な支出額と授業料や病院収入など自己収入の差額として、国から交付されるようになったものだ。

2009年度で約1兆1700億円規模に上る同交付金は、使途が自由である一方、差額を見積もる際、支出額では各大学の特徴など、収入額では経営努力などをそれぞれ勘案する。このため、その算定方法が適切でないと、大学運営に影響が及んだり、文科省からの独立性が損なわれる恐れがあったりする。そこで以下でこの問題を考えたい。

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国立大学の運営交付金をめぐっては2つの動きがある。1つは適切な配分に関する要請だ。文科省が今年6月まとめた「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しについて」では、交付金の算定・配分について、各法人の努力と成果を評価し資源配分に適切に反映させるとともに、大学の多様化と機能別分化を促すことが必要だと指摘された。

もう1つは政府の財政難にもとづく要請だ。政府の財政再建が求められる中で、国立大学への運営費交付金は05年度以降、原則として毎年大学運営に必要な経費を1%ずつ削減し、病院収入は2%増加する前提で算定されている。この結果、交付金の総額も年100億~200億円ほど減ってきている。これに対し国立大学側からは、「教育の質を保つことが難しくなり、基礎的な研究の芽をつぶし、わが国の高等教育・研究の基盤が根底から崩れる」として、見直しを求める声も強い。

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こうした中では、交付金算定に当たっての積算基準の見直しと国立大学トップのリーダーシップ発揮の仕組みづくりという2つが重要になると筆者は考える。

まず前者の交付金算定に当たっての積算基準に関していえば、実態との乖離が否めない。それは特に大学付属病院に関する「付属病院運営費交付金」で顕著である。すなわち、06年度でみると、付属病院の運営のための交付金は大学に対する交付金全体の5%程度と算定されているに対し、国立大学の決算ベースでは、全体の17%が付属病院の穴埋めに使われた格好になっている。

これは、病院以外の経費として算定された交付金が、病院に回っていることを示唆する。すなわち「教育研究などに対する運営費交付金」の中には、付属病院に所属する教員や研修生・指導医などの人件費など病院関連の経費が含まれており、これが両者の乖離の原因であると思われる。

こうした会計基準の問題が存在することで、大学の実態を把握することが難しくなり、外部からの統治にとってマイナスに働くだけに、見直しが不可欠といえよう。

次に、国立大学トップのリーダーシップ発揮の仕組みづくりについて見てみよう。大学の法人化に際し、自主的で効率的・効果的な大学運営を目指すべく、学長を中心としたトップの指導力が発揮できるような運営組織に改められた。こうした見直しに伴う大学内部の統治の向上は、何をもたらすのだろうか。

そこで、意思決定の体制や学長がリーダーシップを発揮できる仕組みが大学の財務指標にどう影響しているか推計した。具体的には文科省の「国立大学法人・大学共同利用機関法人の改革推進状況」の調査結果を用い、意思決定の体制に関しては理事や監事の常勤比率、学長がリーダーシップを発揮できる仕組みに関しては、(1)教員採用や人件費に関する学長裁量部分の有無(2)事務局と独立したチェック体制の有無(3)自己収入を上げるためのインセンティブ(動機づけ)予算の有無をそれぞれ数値化。

運営費交付金への依存度、全収入に占める寄付金・受託研究などの割合、業務費に占める人権費比率、教員1人当たりの研究経費との相関を調べた。その結果、大学内部の統治が向上すると大学の財務パフォーマンスも高まることがわかった(表)。

表 大学内部の統治形態が財務に与える影響
表 大学内部の統治形態が財務に与える影響

教育の質の変化を考慮できていないとはいえ、この結果は、法人化に伴う内部統治機能の強化が一定の効果を持っていることを示している。したがって、今後の交付金算定では、学長のリーダーシップの下、各大学法人が担うニーズに対応し、どのくらい柔軟に、研究・教育活動にむけた意思決定がなされているかを評価し、交付金配分に反映させることが重要になろう。

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こうした国立大学の運営を保障するための大学運営交付金制度自体の設計は、地方自治体の財政運営を保障するための地方交付税の制度設計のあり方と重なる論点が多い。

第1は、国の関与のあり方を再検討しながら、各法人の特色をどう高めるかという論点である。地方分権や地方への権限移譲の声が強まる中で、国でやるべきことと地方がすべきことの仕分けを明確化することが必要だという意見が強まっている。社会の成熟化に伴い、地域の多様なニーズに合ったサービスを提供するためには、より住民に近い地方がサービスを提供すべきだという主張も多い。

この議論を国立大学に当てはめれば、国立大学も機能分化し、地方に貢献する大学への関与については、国にかわってそのニーズを把握できる地方に任せる方がのぞましいという方向もありえよう。

また、大学間の教育サービスに関して地方間で格差が出ないようにすべきだという議論もある。確かに義務教育では、地域を越えて学校を選べないという制約があるため、教育サービスは地方間で平等であるべきだとする意見は多い。しかし、大学生は小中学生に比べこうした制約は少ない。とすれば、格差の存在を容認し、大学の競争を促す観点で、運営に関与する主体が国家でなければならないのか再検討する余地もあろう。

第2は、大学の運営に必要な支出額の収入との差額を交付金でカバーする仕組みの是非である。交付金への依存体質が強まり、自助努力に対するインセンティブが損なわれるのではないかという「効率と公平」のトレードオフに関する議論は地方交付税制度でも大きな論点である。地方交付税ではこの観点から、地方分権や財源移譲が議論されており、国立大学運営でも教育バウチャーなどの検討に加え、授業料引き上げや病院収入向上策といった自己収入の拡大の方策について、議論が必要になろう。また、地域ごとの事情を考慮しながら、努力インセンティブを損なわないような制度設計や措置を考える上でも、地方交付税制度は参考になると思われる。

こうした議論に加え、国が支出額を保障するとしても、「教育研究の確実な実施に必要な支出額」をどう見積もるかという点も今後より重要になる。教育分野は将来への人的投資として重要な政策分野の1つであることは論をまたないとはいえ、多額の公的債務を抱え、高齢化の進展に加え景気対策の必要から国の財政状況が一段と悪化し、少子化で学生数が今後減少していくことが見込まれるからである。こうした中、必要な支出額の見積もりに関して、他の政策分野とのバランスをどうとるかは難しい問題となる。

それだけに、まず透明性が高く客観的な情報(データ)を用い、税金が効率的・効果的に使われていることをきちんと国民に説明する責任があろう。もちろん大学での知的活動の成果の評価にはこうした方法はなじまないという反論もあろう。かといって評価をする努力をあきらめてよいわけではない。その努力の有無が重要になるのである。

2009年8月12日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年9月14日掲載

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