日本経済のマーケットデザイン

開催日 2019年1月9日
スピーカー スティーヴン・ヴォーゲル (カリフォルニア大学バークレー校教授)
モデレータ 伊藤 禎則 (RIETIコンサルティングフェロー/経済産業省商務情報政策局総務課長)
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開催案内/講演概要

日本はさまざまな経済政策を行っているが、十分な成果を上げていると言えるのだろうか。今回のBBLセミナーには、日本研究の第一人者で新著「日本経済のマーケットデザイン」を上梓したスティーヴン・ヴォーゲル教授(カリフォルニア大学バークレー校)が登壇。著書で触れている、日本経済についての“4つの謎”を軸に問題点を指摘した。
1. なぜ規制緩和は日本経済を復活させなかったのか?
2. なぜ労働市場改革を行ったにもかかわらず、 労働生産性が向上していないのか?
3. なぜコーポレート・ガバナンス改革が企業業績の改善につながっていないのか?
4. なぜ日本はイノベーションのシリコンバレーモデルを模倣できなかったのか?
講演の中でヴォーゲル氏は、これらはマーケットデザインに由来し、いま日本に必要なのは規制緩和の断行や米国のモデルを模倣することではなく、マーケットデザインの構築だと説いた。

議事録

スティーヴン・ヴォーゲル写真日本が行なってきたさまざまな市場改革が、思うように成果を上げていないのはなぜでしょうか。本日は、①規制緩和、②労働市場改革、③コーポレート・ガバナンス改革、④シリコンバレーモデルの模倣の4つが、目指していた成果を上げられなかった“謎”に絞って話を進めていきます。4つの謎を解く鍵はマーケットデザインです。

マーケットデザインとは

マーケットデザインという言葉を、経済学では“オークションの設計”といった狭い意味で使うのですが、私はもっと広く、市場の統治、市場のガバナンスといった意味で使っています。ここで主張したいことは、市場(マーケット)は制度であり、法や規制のみならずインフォーマルな企業の習慣や社会的規範の中に組み込まれているということです。これをベースに考えると、政治経済そのものを考え直すべきだという結論に至ります。

われわれはよく自由市場という言葉を使いますが、実際には自由市場は存在しません。現代の米国や日本の規模のマーケットは造成しなければならないものです。

市場改革について話すとき、自由化、規制緩和、民営化という言葉がよく使われます。清潔なフリーマーケットがあり、それを政府が規制によって阻害しているイメージです。そうすると、市場改革はフリーマーケットの邪魔をしている障害を廃止するネガティブな作業になります。そうではなく、市場のインフラを作ることはポジティブで建設的な仕事です。

「政府vs市場」「規制vs競争」というお決まりの二項対立も間違っており、この間違いが政策のミスにつながることも多いのです。例えば「規制緩和」という言葉は、規制を削減して競争を促進するという意味でよく使われます。しかしそれには、「競争促進のためには規制を緩和すべきだ」という前提があります。

それがあり得ないとは申しません。1970年代に米国は航空の規制緩和を行い、1つの役所を廃止して規制のレベルを下げることで、競争を激化させました。しかしこうした文字通りの規制緩和は非常に例外的で、競争促進のための規制改革で実際に行われているのは、再規制や規制を増加させることによる競争の促進です。

再規制について分かりやすいのは電気通信の例です。NTTやATTによる独占状態から競争を促進するには、かなり急激に規制を強化しないと、自由化しても競争が起こらず、そのまま独占が続きます。そのため市場を独占している会社を不利にする規制により、競争を作っていくわけです。

「政府vs市場」も同じで、政府の介入というと、純粋なフリーマーケットを政府が邪魔しているようなイメージがあります。しかしもともとマーケットを作っているのは政府の法律や規制で、分かりやすい例が商法です。政府が市場を作っているのなら、介入という言葉遣いさえおかしいのではないでしょうか。

私が申し上げたいのは、マーケットデザインは政府の中心的な機能だということです。マーケットデザインは、うまくいけば社会福祉など、いろいろな面を改善できますが、下手をすると大幅に価値を破壊して大不況を招く可能性もあります。

例えばこの30年に一番経済的に成功したIT革命と、一番大きな失敗だった世界金融危機は、どちらもマーケットデザインの産物です。それだけにマーケットデザインのインパクトは凄まじいものだと考えています。

1. なぜ規制緩和は日本経済を復活させなかったのか?

「日本の規制緩和は全要素生産性の改善とは相関関係がない」(星・カシャップ 2011)という興味深い研究結果があります。いったいなぜでしょうか。

文字通りの規制緩和は非常に珍しいので、規制緩和によって日本の生産性が上がるはずがありません。総務省のデータで許認可の数を見ると、規制緩和をやりながら、規制の数はむしろ増えているのです。ただしデータによれば、規制の厳しさはある程度緩和されています。

それにしても、競争促進のためには規制を強化すべきところも多いので、規制緩和によって生産性が上がるはずがないのです。また規制の削減には、ベネフィットもあればコストもあるので、規制緩和が生産性につながらないのは不思議ではありません。

さらに、業種ごとに規制改革のプラスとマイナスのバランスが異なります。規制改革の成功例として挙げられる電気通信では、規制強化によって競争が促進され、価格がぐっと下がって需要が上がり、そのおかげで情報革命 ができました。

しかし他の分野で考えると、プラスマイナスは微妙です。例えば金融の場合、資本の使い方の自由化は、効率の面でプラスですが、市場の不安定化にもつながるというマイナスがあり、微妙なバランスです。

ではどうすればいいかというと、目的が競争の促進なら、競争を促進する規制は強化し、阻害する規制は緩和すれば競争は激化されるはずです。

市場のデザインには、細心の注意を払わなければなりません。カリフォルニアでは2000年代に電力の規制緩和の大失敗しており、これはまねをしないほうがいいです。電力改革は必要ですが、マーケットデザインがうまくいかないと大変なことになります。

また競争だけでなく、他の政策目標とのバランスも必要です。例えば金融では競争がマーケットを不安定にしないかバランスをとって考える必要があります。

2. なぜ労働市場改革を行ったにもかかわらず、 労働生産性が向上していないのか?

日本は90年代から、派遣労働者の自由化や労働基準法の改正など、かなり大胆な労働市場改革を行ってきましたが、生産性は米国に追いつかないままです。なぜでしょうか。

それは単に人件費を下げて、狭い意味でのリストラを促進できるような改革が多かったためです。簡単にいうと雇用者有利の改革であって、雇用者と労働者がウィンウィンで得する改革ではなかったとことに、ひとつの欠点があるのではないかと思います。

これは短期的にはそれなりのロジックがあり、日本の会社は正社員の安定雇用といった重要な制度を犠牲にせず、徐々にリストラできました。しかし長期的に見ると、非正規労働者の割合が増加して格差が拡大し、消費需要の減少を引き起こし、結果的には雇用制度にも悪い影響を与えてマクロ経済的にも良くなかったのです。

一橋大学の深尾教授の研究によると、正規・非正規雇用者間の生産性の差は、賃金格差よりも大きいというのです。これはどのように解釈をすればよいでしょうか。

「非正規雇用者はできの悪い労働者である」という解釈は違うと思います。やはり、非正規雇用者は雇用者から見ればトレーニングに投資するインセンティブが足りず、本人のやる気も十分に出ないために、生産性が悪いのではないでしょうか。だとすれば、政策的には正規雇用者を増やせば、日本の生産性も上がるということになります。

働き方改革が2018年に国会を通過しましたが、その方向性は評価しています。非正規雇用者の立場を向上し、働き方を改善して多様な働き方を導入することで生産性を上げようという、雇用者と労働者のウィンウィンを目指しているからです。「人づくり革命」も重要です。労働市場を支える教育とトレーニングの問題を改善、改良する必要があります。

ただし労働市場改革だけでは日本の生産性は急に上がらないので、研究開発の増加やIT活用の促進、ITやAIなどの鍵になるセクターを選択的に支援する政策も必要です。

3. なぜコーポレート・ガバナンス改革が企業業績の改善につながっていないのか?

日本のROEはなかなか米国のレベルに追いつきませんが、経済産業省の資料によると、この10年の経常利益はかなり上がってきています。これは部分的にはコーポレート・ガバナンス改革の成果かもしれません。

問題は経常利益が上がっても設備投資が伸びず、労働分配率が下がってきていることです。その原因は、米国で失敗したモデルを導入しようとしたことです。加えて、コーポレート・ガバナンス改革だけで日本の経済を復活させようというのは無理があります。

日米を比較すると、日本の取締役会は人数が多いので有名だったのですが、90年代の14人から現在の8人になっています。しかし同時に作った執行役員制度によって、執行役員は逆に増える傾向です。

2014年に商法の改正があり、2015年にコーポレート・ガバナンスコードができました。そのおかげで日本の社外取締役の数は急速に増えています。監査等委員会設置会社という新しい会社の形式はかなり人気で、今は4分の1程度に達しています。それでも社外取締役の数においては、まだまだ米国に追いつかず、日本は平均約2名で米国は9名くらいです。

ゴーン事件で話題になっているCEOの報酬も日米の差はまだ大きく、CEO、社長と従業員を比較してその収入比率で見ると、米国265倍に対して日本は58倍です。中身もかなり違って、米国は収入の7割がストックオプションなど株で、19%がボーナス、11%が基本給です。対照的に日本は58%が基本給、28%がボーナスでほんの14%がストックオプションなどです。自社株買いやM&A、敵対的買収も、いまだに日米の差は大きいです。

しかし私は、日本は米国モデルの導入が中途半端に終わってよかったと思っています。さまざまな研究結果を見ると、米国の特徴であるストックオプションや社外取締役、自社株買い、M&A、敵対的買収と、コーポレート・パフォーマンスの相関関係はほとんどありません。つまりこれらが企業の業績を改善するという証拠がほとんど無いのです。ですから、日本は米国で成功していないモデルをまねしようとしていることになります。

逆に米国からは、日本をまねようという声が出ています。特に先週大統領候補として出たウォーレン上院議員は、日本のようなステークホルダーモデルの導入や、取締役の4割を労働者に選ばせることなどを提言しています。

だからといって日本はコーポレート・ガバナンスの改革が必要ないとも言っていません。いろいろな不祥事の問題への説明責任(Accountability) をしっかりさせ、透明性(Transparency)を上げて、多様性(Diversity)を拡大する必要があります。しかしこれは取締役の構成という問題よりは、会社そのもののリーダーシップ、企業文化、あとは会計のコンプライアンスによって決まってくるものではないかと考えています。

4. なぜ日本はイノベーションのシリコンバレーモデルを模倣できないのか?

日本は60年代からイノベーションの推進のためにいろいろな改革をしてきました。部分的には成功して、ベンチャーキャピタルの産業がある程度はできたし、ベンチャー企業も出てきてはいるのですが、シリコンバレーに比するほどには至っていません。企業の開業率も日米の差はそのままで、ベンチャーキャピタルの規模も日米を比較すると大分差があります。

この理由は簡単で、シリコンバレーモデルは 複雑な制度体系なので、ひとつひとつの法律や規制で企業の戦略を変えようとしても、まねをできる訳がないのです。これは日本だけの問題ではなく、米国の何十人の州知事、何百人の市長がシリコンバレーをまねようとして失敗しています。

経済産業省の方によると、日本版シリコンバレーを作ることはほぼ諦めて、本場の米国のシリコンバレーとパイプを深めようというのが現在のやり方のようです。

私は米国型のイノベーションをまねるのではなく、日本独自の強みを活かすべきだと考えています。その強みとは、優秀な官僚、教育水準が高い研究開発システム、官民の協力関係、企業関係の調整機能といったもので、いわゆる戦後日本モデルの良さということになります。

時代遅れ、今の時代にマッチしていないという声もありますが、私はこういった強みを十分活用できると思っています。ただし、戦後モデルをそのまま維持するのではなく、現在の経済に合ったようにすべきです。

特に大事なのはマーケットデザインで、独禁法の強化や、知財に関してはオープンイノベーションの時代なので逆に緩める必要があるのではないかと考えています。ITのインフラへの投資や技術開発も大事です。

マーケットデザイン活用が経済活性化の鍵

マーケットデザインをうまく活用すれば、4つの謎以外の政策にも幅広くコンセプトが適用できるのではないでしょうか。たとえば格差問題や環境問題も、マーケットデザインで考えると政策提言がしやすくなり、分析も正しくなるのではないかと考えます。

同時にマーケットデザインのマーケットシェアが上がってきています。マーケットデザインを必要とする産業は、サービス業、IT、AI、金融といった、今一番伸びている産業だからです。マーケットデザインの重要性はこれからさらに増していくと思います。

また、マーケットを一種の手段、ツールとして考えるべきです。そうすればその政策目標に向かってマーケットのデザインの抜本的な修正が必要になります。フリーマーケットに任せるという消極的な態度はとらないで、最良のマーケットデザインを目指す積極的な態度をとるべきです。これは「政府vs市場」の二項対立を捨てて、マーケットデザインが政府の重大な役割だと認識して初めてできるものではないかと考えています。以上です。

伊藤氏:
単純な規制緩和ではなく、マーケットデザインというキーワードで日本経済のさまざまな課題を切っていただきました。かつてRIETIの所長を務めておられた故青木昌彦教授も、マーケットを形作る制度が大事だと、Institutions Matterということを述べていましたが、通じるものがあると思います。

質疑応答

Q:

グローバルあるいは日本の金融のマーケットデザインにとって必要な方向性や原理原則は?

A:

金融は、効率的に資本を配分するという目的と、市場の安定とのバランスが非常に難しいです。例えば世界金融危機は、米国がマーケットデザインを重視しなかったことによる失敗だったと解釈できます。

グリーンスパンは議会で危機の責任を問われ、それを認めるような発言をしています。「企業、特に金融機関は、株主の利益を考えて無駄なことはしないだろうと考えていたが、それは計算ミスだった」といった発言ですが、その根底にあるのは、「民間に任せればいい」というイデオロギーが結果的に政策のミスに繋がってしまったということです。

さらに米国の失敗は、金融機関が求めた既得権を守って、国民を代表するような政策を取らなかったことにも原因があり、これを是正する 規制改革としてドット・フランク法を制定しました。これはまあまあ評価できます。それまで米国では、金融を監督する官庁があまりにも多く、調整できていなかったのですが、金融安定監視委員会を作って全体を見渡せるようになった点がプラスです。またデリバティブ取引の規制強化は、複雑ではあるものの、安定の面ではプラスです。しかし米国経済に不況や新たな危機が来る可能性があり、さらなる規制強化が必要です。

私はマーケットデザインを重視していますが、規制が多ければ多いほどいいとは言っていません。米国のデリバティブの規制のように複雑すぎるやり方よりも、もっと構造的なマーケットデザインや、金融規制をもっとシンプルにしながら、安定的な金融制度を作るのがよいと考えます。

日本の場合は、金融庁で金融を集中的に監視できているのと、米国に比べて金融市場の言いなりになっていないので、まだ日本の方は安定性があると思っています。

Q:

現在、日本では電力システム改革を進めており、まさに新しい市場をマーケットデザインで作ったり、再規制を議論したりしています。そこで、米国での電力改革失敗の原因や、そこから日本が得られる教訓について教えてください。

A:

カリフォルニアの電力改革では、全体の構造を考えずに部分的な自由化を行い、大手の発電を自由化して小売までは自由化しなかったという基本的なマーケットデザインの失敗が原因の1つです。

さらに電力需要の増加が想像できなかったために、エンロンのような会社が市場操作できるようなマーケットデザインになってしまいました。

細かいマーケットデザインの失敗もあります。電力は保存できないので、前日と当日のマーケットの調整も入るし、 細かいマーケットデザインをうまくやらないと成功しないのです。

どちらかというと、東海岸の電力改革の方が成功していますので、カリフォルニアと東海岸両者のマーケットデザインの微妙なところを見比べることで、失敗と成功の例が見えると思います。

Q:

労働生産性を上げるために、米国のように労働の流動性を高めることも1つの方法では?

A:

労働の流動性を高めることにはメリット、デメリットがあり、私はどちらかというと従来の日本の制度を評価しているので、単に流動性を高めるために米国モデルをまねるのは望ましくないと思います。

米国では会社でのトレーニングが行われず、個人負担で専門学校等に行き、そのスキルで労働市場に来ます。しかし、質の悪い専門学校も沢山あるし、そのスキルが労働市場にマッチしていないケースも多く、あまりうまく機能していません。

日本の制度の良さは、長期労働制度なので企業が十分にトレーニングに投資するインセンティブがあるということです。今のところ生産性が上がらないとはいえ、戦後ずっと上がってきたのは日本の労働制度の強みがあったからです。

今後は2つの改革の方法があります。ひとつ目は単に労働費を下げようとする雇用者有利の改革ですが、これは望ましくありません。

望ましいのは働き方改革のように労働者、雇用者がともにプラスになるようなウィンウィンの改革です。「労働者の流動性を高める」ということには、いろいろな意味があります。テレワークのように働き方に多様性を持たせる、正規と非正規だけでなく、その間のいろいろな働き方のカテゴリーを作っていく、というように、会社側から見た柔軟性ではなく、労働者重視の柔軟性を高めれば、労働者のためにもなるし、労働者不足の日本経済にもプラスになると思います。

Q:

どの分野でもマーケットデザインをするときに規制の緩和と強化をどうバランスさせるかが難しいポイントだと思うのですが、その着眼点はどこに置くべきでしょうか?

A:

まず政策の目的が競争の促進だった場合は、競争を阻害する規制は緩和するし、促進する規制は保護して強化すべきだという概念で政策を立てていきます。

それ以外に政策目標がいくつもある場合は、目的からスタートしなければならなりません。たとえば格差を縮めるのが目的だとすると、それを達成するためにはマーケットデザインをどのように変えればいいかを考えます。かえって独禁法の強化が効くかもしれません。小さな会社が競争できるような基盤もできるし、独占に近い会社の支配力が高すぎると労働者を探す競争ができないので、そういう意味で独禁法の強化が必要になるかもしれません。

このように、まず政策目標を考えて、その目標を達成するためにどのようなマーケットデザインの変化が考えられるかを考えるといった順でやるしかないと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。