投資としての社会保障

開催日 2017年6月29日
スピーカー 松元 崇 (株式会社第一生命経済研究所特別顧問)
モデレータ 林 茂 (RIETI国際・広報ディレクター)
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開催案内/講演概要

企業収益が過去最高、有効求人倍率も43年ぶりの高水準だという。しかしながら、経済成長率は先進国の平均以下で国民の実質所得の伸びもわずかにとどまりそうだ。その背景にあるのが、わが国の生産性向上の低さ。IT化の影響で世界の生産構造は激変するようになった。生産構造の激変に伴って、人々が人生の途中で仕事を変わることが当たり前になった。ところが、我が国の仕組みは、人々が人生の途中で仕事を変わることをできるだけ避けるように出来上がっている。これでは、高い生産性向上の実現は困難だ。人々が人生の途中で仕事を変わる仕組みには、米国型と欧州型がある。米国型では、レイオフされた労働者が自己責任で新たな職を見つける。新たな職を見つけることは難しくないが、キャリア・アップしていくことは難しい。社会全体が成長していく中では、貧富の格差が拡大していく。欧州型では、解雇された労働者がより高い賃金の職を求めて求職活動したり学び直したりするのを支える社会保障制度がある。転職した労働者が、キャリア・アップしていけば貧富の格差の拡大も抑えられる。そのような転職を支える社会保障は、いわば「投資としての社会保障」だ。本セミナーでは、このような状況下での、わが国における「投資としての社会保障」について考察してみることとしたい。

議事録

投資としての社会保障=年齢に縛られない社会保障

松元崇写真本日のお話は、今の日本が成長のための投資をしていない企業のようなものだということです。

かつては、国民負担率が低い「小さな政府」の国の方が経済成長率が高いといわれていました。ところが、今は「大きな政府」を持つ国の成長率も高くなっています。その中で日本だけが成長率が低く、かやの外に置かれています。

その背景には、IT化による社会の激変のため、人生の途中で仕事を変わることが当たり前になったという時代の変化があります。なぜ、大きな政府を持つ国でも成長率が高くなったかというと、人材への投資が時代の変化にうまくマッチした国がそうなっているからで、日本はその時代の変化に取り残されているのです。

今月2日のBBLセミナー、経済産業省の若手によるプロジェクトチームの発表の標題は、「不安な個人、立ちすくむ国家」でした。「年齢に縛られない社会保障を通じ、多様で複線的な社会参画を促すことで、持続可能な新たな社会モデルを築くことができるのではないか」という提言の中の「年齢に縛られない社会保障」は、私の考えている「投資としての社会保障」と同じではないかと思いました。

足元の日本経済は、企業収益が過去最高水準、株価も安倍政権発足前の8000円台から、今は2万円を超えています。アベノミクスで日本経済は元気を取り戻していますが、日本経済全体が力強い成長にまでなっているとはいえません。成長率の低い状態が続いてきたことで世界経済に占める日本のシェアは縮み、かつて13%程度だったものが6%になっています。今のままでは、この流れは今後も続くでしょう。

65%の仕事が新しくなる時代

米国労働省が2011年に出したレポートによると、今、小学校に入学した子どもが大学を卒業する頃には、65%の仕事が新しくなっているとのことです。同様の指摘は野村證券も一昨年12月に行っており、今後10〜20年の間に49%の仕事がAIやロボットに代替される可能性があるとしています。

前向きに捉えれば、それによって再チャレンジが当たり前の時代になるというわけですが、そのためには人々が人生の途中で仕事を変わるのを支える仕組みとして、新たな社会保障や再教育の制度が必要です。私はそれらを「投資としての社会保障制度」と呼んでいますが、今ではそうした制度を持つ国の方が成長率が高くなっているのです。成長率は北欧が高く、イギリス、ドイツ、フランスが続いていますが、欧州ではいずれの国もそれなりに「投資としての社会保障制度」が充実しています。

かつて日本で「小さな政府の方が、成長率が高くなる」といわれていたのは、日本社会において「投資としての社会保障」の出番がなくてもよかったからです。日本では同じ企業で一生を過ごすのが理想でした。日本の終身雇用が、一企業内で従業員が新しい仕事を習得する仕組みとしてとてもうまく機能していたのです。そこには、途中で仕事を変わる場合にキャリアアップを支える「投資としての社会保障」の出番はありませんでした。

欧米の雇用契約では、従業員に新しい仕事をさせることは基本的にできません。新しい人を雇うか、契約を結び直さなければなりません。日本ではそんなことをしなくても、昔からの従業員に「新しい技術を頑張って習得して」もらえばよかった。ところが、今は激しい選択と集中、技術革新の時代です。一度雇った従業員をずっと抱え込んでいては、グローバルな競争の中で企業は従業員もろとも淘汰されかねません。そこに、「投資としての社会保障」の出番が出てきます。

米国型と欧州型―働く人が仕事を変わる仕組み

ただ、小さな政府の米国の成長率も高い。実は、働く人が仕事を変わる仕組みには、米国型と欧州型があります。小さな政府型と大きな政府型といってもいいでしょう。日本型も含めた3つの類型で考えると、米国型は仕事を変わっても給料は基本的に変わりません。欧州型は本人の努力次第で上がります。日本型では下がります。

米国では、企業のレイオフ(一時的な解雇)が当たり前です。レイオフされた労働者は、自分で新たな仕事を見つけます。労働市場が柔軟ですので、新しい仕事を見つけるのにそれほど苦労はしません。ただ、キャリアアップしていくパスがほとんどありませんので、給料は変わらないのが一般的です。すると、経済全体がドラスティックに変化・発展していく今日のような時代には、とんでもない格差社会になってしまいます。

欧州では米国のようなレイオフはありませんが、仕事がなくなれば労働者は一定の猶予期間の後には解雇されます。ただし、解雇された労働者の再就職を政府が社会保障制度や再教育制度で支援しますので、意欲のある労働者はキャリアアップしています。給与が上がるケースもあり、格差はそれほど拡大しません。個々の労働者がキャリアアップして、より高い所得を得ることで、国全体の経済も成長していくというメカニズムが機能します。

その典型がスウェーデンの積極的労働市場政策で、そこでは企業が思い切った投資をして、経済成長に寄与しています。片や、日本では企業は国内での思い切った投資をせず、成長にもほとんど寄与していません。投資に失敗すると、労働市場が硬直的な日本では余剰人員を抱え込まなければならなくなるからです。

リーマンショック後の厳しい円高不況の際に多くの日本企業が国内で生産することのリスクを思い知りました。その結果、今や、選択と集中で、思い切った生産増強投資なら海外でということになって、わが国産業の静かな空洞化が進んでいると思われます。

科学技術の面では、既にそれが進んでいます。内閣府の報告書「世界経済の潮流2012」によると、企業の研究開発の成果が国内の成長(付加価値の増加)につながらなくなってきており、今や、各国と比べて最低水準です。これは、企業が研究開発の成果を国内で投資しなくなっていることの表れです。日本は今やノーベル賞を毎年取る科学技術大国ではあっても、科学技術立国ではなくなっているともいえます。

労働市場の流動化促進の必要性

学習院大学の乾友彦教授は、1990年代以降の情報革命で日本が米国に後れを取ったのは、日本の労働市場の流動性の低さが一因だと指摘しています。IT導入の主な目的は、業務の合理化やコストの削減、とくに非熟練労働者を削減することですが、日本では高い雇用保証があるために人員削減が難しく、所期のコスト削減を期待できないので、ITの導入が見送られてきたというのです。

それだけでなく、その副作用として、企業は非熟練労働者を、コストが安くて雇用調整が容易なパートタイムなどの非正規労働者に代替するようになった。その非正規労働者に対して十分な教育訓練が実施されないために、社会全体の人材投資も削減されることになった可能性があるというのです。

乾教授によると、日本の労働市場を改革しない限り、IT投資は停滞する。ましてや、より広範囲の労働需要に影響を与える可能性があるロボットやAIの導入はなおさらだとのこと。つまり、諸外国ではIT化によって生産性が向上するのに、日本では労働市場が硬直的なため、生産性向上にブレーキがかかっているということです。乾教授によると、日本の労働生産性は25年前の米国のレベルにさえ達していない、そのような事態を変えるために解雇規制の緩和などの労働市場の流動化促進が必要だとのことです。

しかしながら、規制緩和だけでは米国型の格差社会を招きかねません。そこで、私は規制緩和だけでなく人生の途中で仕事を変わることを支える欧州型の社会保障(投資としての社会保障)を導入することが望ましいと考えています。

ただ、日本国内でそのような議論はほとんど聞きません。それは、「投資としての社会保障」を皆が知らないからだと思っています。日本で人々が目にしているのは、人生後半の社会保障だけだからです。もっぱら退職して働かなくなった高齢者向けの、いわば「消費としての社会保障」だけだからです。

日本のそういった高齢者向けの社会保障給付費のGDP比は、福祉先進国といわれるスウェーデンよりも大きいのです。16.3%でスウェーデンの15.7%を上回っています。一方、現役に対する社会保障給付費のGDP比(5.0%)は、小さな政府と言われる米国(7.9%)よりも小さいのです。米国よりも小さな社会保障費の中に「投資としての社会保障」は含まれていません。存在していないのです。存在していないものは認識されようがなく、認識がなければ議論のしようがないというわけです。

最近、経済が成長するために人材が大事だということが議論されるようになってきました。内閣府が今年出した「骨太の方針」にも、人材投資によって生産性向上を実現する。そのために、多様な働き方や労働移動を支える仕組みを整えたり、全世代型の社会保障の実現に取り組んだりするということが随所に指摘されています。しかしながら、今ご説明しているような「投資としての社会保障」の議論には踏み込んでいません。

私は、このままでは、議論もないまま日本が米国型の格差社会になってしまうこと、そして多くの若い人たちがチャレンジするのをあきらめてしまうことを心配しています。実は、「投資としての社会保障」に関する議論がないもう1つの理由に、肝心の若い人たちが現状に満足してしまっていることがあります。内閣府の世論調査によると、現在の若者の生活に対する満足度は、高度成長期やバブル期と比べても圧倒的に高くなっているのです。

しかしながら、その背景にあるのは、そもそもチャレンジしにくい仕組みなのではないでしょうか。その中で、若者たちは現状で自らを満足させてしまっている。そのような中では、若者が再チャレンジしやすいように社会保障制度を変えていこうという議論はなかなか生まれてきません。

先月行われたハーバード大学の卒業式で、Facebookを創業したマーク・ザッカーバーグ氏がスピーチをしていました。その中でザッカーバーグ氏は「失敗したときに致命的にならないようにする緩衝材としての経済的余裕がないために、夢を追うこと自体を諦めてしまう人をたくさん見てきた」だから、自分は全ての人が夢を追うことができるようにするために財産を寄付して活動していると述べていました。

このスピーチを聞いて、私は失敗すると致命的になると思って夢を追うこと自体諦めている若者は、米国よりも日本の方が圧倒的に多いと思いました。というのも、日本では多くの若者が現状に満足していると答える一方で、「自分の将来に明るい希望を持っているか」という問いに対しては肯定的に答える若者の割合が大変に低いからです。

日本の若者に夢がないのは、若者が夢を持てる社会の仕組みになっていないから、その中で満足してしまっているのです。若者が夢を持てる社会にするために、「投資としての社会保障」を充実させる必要があると思います。

高齢者から現役世代に

そこに立ちはだかる大きな問題が、財源をどうやって生み出すかです。「投資としての社会保障」には恒常的にお金が必要です。恒常的に必要なお金を借金で賄うことは出来ませんので、歳出減か歳入増によって捻出することが必要になります。私は、スウェーデンよりも大きな高齢者向けの歳出規模からして、まずは高齢者から現役世代に少しお金を回すのがいいと考えています。ただ、そのあたりは人によってお考えはさまざまと思いますので、ここではいくつかデータだけお示しして、あとは皆様にお考えいただければと思います。

まず、各国の年齢階層別資産額を見ますと、亡くなるまで資産が増え続けるのは日本だけだということです。日本以外の国では、退職して所得がなくなれば、後は資産を取り崩して減っていきます。それだけ年金などの給付が手厚いのだと思います。では、実際どれぐらい給付されているかというと、年金に医療・介護の給付も加えると1人当たり年255万円。非正規社員の平均年収190万円よりも多い額です。ちなみに、現役世代が受け取る賃金・俸給は、デフレもあってこの20年間で12兆円少なくなっていますが、高齢者が受け取る年金給付は23兆円増えています。

幸せに仕事ができる環境を

戦後の高度成長を支えてきた終身雇用、年功序列という雇用慣行は、人々が人生の途中で職が変わることが当たり前になってきた今日にはアンシャンレジームになっているといえます。日本経済は、夜明け前だともいえそうです。

ただ、改革は一朝一夕にはできません。そうなると、国が変わらない中でも、グローバル化の時代の中で企業は変わっていくことが必要です。選択と集中をしなければならない、そんな時代だからこそ、企業は、正社員も非正規社員も幸せを感じるような働き方になるようにいろいろと工夫をしています。とはいえ、個々の企業にできることには限りがあり、日本社会が再チャレンジするのが難しい仕組みのままでは限界があります。そうなると、企業は思い切った投資は、柔軟な労働市場がある海外で行うようになってしまいます。それは、企業が今後も1流であり続けるために必要だからです。

問題は、企業がそのように対応できても、一般国民はそうはいかないことです。今のままでは、日本はグローバル企業に勤める社員以外、平等に貧しくなってしまいます。貧しきを憂えず、等しからざるを憂う国になってしまうかもしれない。それで日本国民が幸せになれるのでしょうか。

ですから、国が人々が再チャレンジするのを支える「投資としての社会保障制度」を充実させること、それによって企業が日本国内で思い切った投資ができるようにする、それによって日本経済を活性化していくことが必要だと思います。

私は内閣府の事務次官としてアベノミクスの立ち上げに携わりましたが、アベノミクスの成長戦略のキーワードは、日本を企業が最も活動しやすい国にすることでした。それは、それで、若者や女性が再チャレンジしやすくなる、日本国民の豊かで幸せな生活の基盤になるということだったはずです。

質疑応答

Q:

日本は、大きな政府にシフトしていると思いますが、日本政府が行っている投資はどこに大きな無駄があるのでしょうか。

A:

傾向として大きな政府になっているのはおっしゃるとおりですが、高齢化に伴って大きくなっているのであって、新たな無駄にシフトしているわけではありません。子育てに注目が集まっており、その部分が大きくなっていますが、それは正しい方向だと思います。

問題は、日本が傾向として大きな政府になっても、それが日本の成長にプラスになるような仕組みにはなっていないことです。今の仕組みが、日本の成長にプラスになっていないという認識が一般化されていないので、議論もなかなか起こっていないのだと思います。

一企業でずっと勤めた方がいいという感覚が非常に強く、途中で職を変えることが経済を活性化させる面があるとの議論は起こってきません。目に見えてすぐに効果が出ないという問題もあって、議論が足踏みになっています。

日本は、高度成長期に小さな政府が大成功したとき、諸外国では国家が行っている社会保障をほとんど企業にやってもらう形を作り上げました。これが非常にうまくいってしまったため、変えることはなかなか大変なのです。

Q:

議論の前提として、大企業はクロスボーダーに動いていて、一方の人間は動かないので、日本では格差社会になるということですが、人間も同じように動くことは考えられないのでしょうか。

A:

日本でもグローバルに活躍する人は動いていくだろうと思いますが、大多数の人は国内にとどまります。ですから、その中で企業が選択と集中を行ったときに、人が仕事を変わるのをサポートする仕組みが必要だと思うわけです。ちなみに、EUは域内で人が自由に動く仕組みを作り出しましたが、日本は移民問題もあり、人の移動を基本的に受け入れていません。

なお、日本の生産性が低いのには、中小企業の生産性の問題もあります。日本の中小企業は終身雇用で労働市場が硬直的だから生産性が低いわけではなく、地域独占的で変わることへのインセンティブがないのが問題です。そんな中で、生産性が低い地方の中小企業が倒産してもいいはずだといっても、そこで出てくる職を変わらなければならない人をサポートする「投資としての社会保障」の仕組みが出来ていない中では、空論と言われてしまうという問題があります。

いずれにしても、今の日本は、成長のための投資をしていない企業のようなものです。日本も諸外国並みに成長していくためにはどういう投資をすればいいのかをしっかり考えていかなければならないと思います。

Q:

成長のための社会保障を今から制度構築していくとしたら、どんな手があると思われますか。

A:

一番いいのは、高齢者も含めて広く薄く負担してもらう消費税のようなものができることかもしれませんが、政治的には難しいでしょう。

先日、小泉進次郎衆院議員から「こども保険」の話を伺いました。いろいろ議論していって、まずは第一歩を踏み出すことが大事だと思います。高齢者から持ってくるのでもいいし、何らかの保険のような話や、寄付のような話もあると思います。いずれにしても、今のまま日本の縮小を待つのはいかがなものかと思います。

Q:

「投資としての社会保障」について、国や企業としてどのようなアプローチが現在行われていて、どのようなアプローチが必要ですか。

A:

内閣府は「骨太の方針」の中で人的投資についていろいろな議論を出してきていますが、具体論は、厚生労働省や文部科学省でしっかりと行っていただかなければなりません。1つの会社でしっかり勤めた方がいいという理念が日本にはまだ強く、いま1つ踏み込んだ議論になっていないと思いますので、これから議論が深まっていけばいいと思います。

企業としては、非正規がどんどん増えてきているので、そういう人々にどうやって意欲を持って働いてもらうかについての工夫が大切です。日本の場合の選択と集中は、解雇が起こらない形の事業部門を譲渡するというアプローチがあり、これはかなり行われるようになっています。そういった場合にも、それぞれの立場になった人々に意欲を持って働いてもらう工夫が大切です。

Q:

財源を高齢者から現役世代に回す切り口として、何をお考えですか。私は、高齢者の労働参加が非常に重要ではないかと思います。

A:

おっしゃるとおりだと思います。高齢者の労働参加はかなり進んでいますし、高齢者にもっと頑張ってもらうことは大切なことです。

高齢者のコストを削る部分としては、医療費が考えられます。高齢者の方が若い人に比べて何倍も医療費がかかります。高額医療費についてはものすごく手厚い仕組みがあり、どんなに高くても本人負担がほとんどなく使えるのは日本だけです。そんなことも含めて議論して、「投資としての社会保障」を試行錯誤しながら入れるようにしていくことが大事ではないかと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。