できるできないでなく、やるかやらないかで、世界を変える ―イスラエル奮闘記:こんな僕でも、1年半で創れたイスラエルと日本との架け橋―

開催日 2015年11月5日
スピーカー 榊原 健太郎 (サムライインキュベートCEO)
モデレータ 岡田 江平 (経済産業省貿易経済協力局通商金融・経済協力課長(併)戦略輸出室長)
開催案内/講演概要

2008年老舗のスタートアップインキュベーターとして立ち上げ、6年が経過し、日本でも著名なインキュベーターとなったサムライインキュベートの代表が、2014年5月からなぜイスラエルに敢えて単身で乗り込んだのか?そして、そこでどんな経験をして、どんな結果を出してきたか? 「国際化」というテーマに挑戦する多くの日本企業へのヒントとしても有益な体験につき、お話しいただきます。

議事録

はじめに

榊原 健太郎写真 僕の実家は、名古屋で120年続く琴三味線屋さんをやっています。将来は、もちろん僕が5代目として継ごうと思っています。もう日本では全然流行っていないのですが、世界へ行けば、琴三味線をやりたい人はたくさんいるので、5代目経営者として続けることを目指しています。インターネットさえあれば、衰退する産業もグローバルに続けていけると思いますので、今は、その過程の仕事をしているというわけです。

サムライインキュベートは8年前に日本でスタートし、IT系の会社の立ち上げを支援するインキュベーターとしてやってきました。IT系の起業家などを対象に、セミナーやミートアップといわれるイベントを今でも年間200本以上を開催しています。まず、ITで起業するコミュニティを作ってムーブメントを起こし、現在はファンドとしてIT系の起業家に投資しています。投資先は、日本で82社、イスラエルで17社、米国で1社となっています。

イスラエルには、1年半前に単身飛び込み、現在17社に投資をしているという状況です。投資する会社へのミーティングによるアドバイスやフォローは、年間5000本以上に上ります。また、天王洲アイルにコワーキングスペースがあり、そこで45社が一緒になって世界を目指しています。一方、イスラエルの首都テルアビブにもコワーキングスペースを作り、15社でやっています。

実際に成功した会社は、全体で14社になりました。日本の企業に買収された会社もあれば、そろそろIPOという会社もあります。サムライインキュベートの最終的なミッションとして、たくさんの雇用を作り、世の中を穏やかにしたいと考えています。現状、当社の支援先から生まれた雇用の数は1000ですが、目標として、100万の雇用を生み出すことを掲げています。

今、日本に足りないのはイノベーションの力です。そのゼロから1にする力を一番持っているのがイスラエルだと思います。日本は、品質向上やマーケティングのスキルは非常に高いので、それをミックスすれば、ものすごいイノベーションが起こると考え、イスラエル初の日本のインキュベーターとして活動しています。

すべては できるできないでなく やるかやらないか

さて、「365」という数字は何だと思いますか。これは、イスラエルへ行く前の僕のTOEICの得点です。「TOEIC365点でも、これだけ世の中を変えられる」という話を、今日はしたいと思っています。僕が唯一できなかったのは英語だったので、英語のできない自分がどれだけ世の中を変えられるか、チャレンジするというのが今回の大きなテーマでもありました。

学生の皆さんにも言っているのですが、受験や転職など、失敗した経験はたくさんあると思います。しかし、そういったことは一切、忘れて欲しいのです。既存のルールの下で、過去できなかったから、失敗したからと、動かない人が日本には多いと感じるためです。だから、過去の実績や評価は関係ない。忘れてほしいと、いつも思っています。

ですから、基本的には大きなやりたいことを掲げて、それができるできないとは思わず、とりあえずやることです。やると、本当に世の中が大きく変わりますので、それを実践して欲しいと思っています。

なぜ、イスラエルに移住したのか?

イスラエルに移住したことには、9つの理由があります。イスラエルというと、やはり怖い国というイメージがあるので、それをなくすために、僕はこういう話をしています。1つ目に、イスラエルには美人が多い。モデル輩出率ではナンバーワンといわれています。2つ目に、ビーチが非常にきれいです。年間8割方晴れていますので、若者はだいたい週末には海へ行き、サーフィンなどをしています。

3つ目に、ヘルシーな食べ物が多いです。宗教上の理由で豚肉は食べず、大豆から作ったコロッケを野菜で巻いて食べたりします。僕は、日本へ帰って来るたびに体重が3kg増えますが、イスラエルに帰ると5kg減ります。イスラエルの食料自給率は100%に近く、フルーツや野菜もおいしいです。

4つ目に、イスラエルの人は日本人が大好きです。杉原千畝や樋口季一郎がユダヤ人を救ったということで、「おじいちゃんが救われたから、私はここにいます。ありがとう」と、もう30人ほどに言われました。IT系なのに、なぜシリコンバレーでなかったかというと、この点が一番大きいと思っています。

5つ目は、僕らのような日本の若い世代が、グローバルに成功する大きな会社を作りたいということです。今の世代は、まだソニーやトヨタ、東芝、パナソニックのような名立たる会社を作れておらず、昔の先輩たちが作ってくれた大きな資産を食い潰している状況です。しかし僕らは、これから生まれてくる子どもたちに、新しい資産を作らなければなりません。

6つ目に、一方で最近は、かつて大企業と呼ばれた日本の会社が世界で弱っています。そこで、何かしらの支援ができないかと思っています。

7つ目は、日本人はリスクをとるのが不得意だということです。新しいものを生み出すとき、イノベーションを起こすときは、リスクが必要です。「イスラエルへ行くのは、日本にとっても世の中にとってもいいのはわかっているけれども、怖くてできない」という方がいたため、僕自身がリスクを背負って世の中を変えるところを見せつつ、常にリスクをとって新しいものを動かしているイスラエルの人々から学ぶ姿勢ができればいいと考えています。

8つ目に、なぜ日本人がリスクを冒さないかというと、日本では基本的に失敗が許されないためです。日本で失敗が許されるのは、せいぜい3回ぐらいでしょうか。イスラエルの人は、永遠に失敗しても許されます。やはり、その文化を作らなければ駄目かなと思っています。ベンチャーキャピタルというのは、お金を預かって投資をして、結果が出るのはだいたい10年後です。たくさんの金額を投資することで評価される体制がなければ、イノベーションは起きないということをイスラエルから学ぶ必要があります。

9つ目に、なぜイスラエルを選んだかという最終的なポイントとして、エルサレムが象徴的ですが、パレスチナ、アラブ、イラン、キリスト教の人々の間で常に紛争が起きているわけです。日本は、かつていくつもの国を侵略していましたが、そこから技術立国で大きな会社を作り、雇用を生み出して平和な国を作りました。そのノウハウは日本しか持っていません。僕がそれをイスラエルへ持っていき、投資先のユダヤ人の会社にパレスチナ人を入れるなど、会社を小さな国ととらえて成功させ、多くの雇用を生み出して紛争を止めたいと考えています。日本の技術やナレッジをイスラエルに持っていくことで、僕の最終ゴールを達成できると思っています。

イスラエルのスタートアップ

イノベーティブであることの証拠として、人口1人当たりでイスラエルが世界ナンバーワンとなっているデータを紹介したいと思います。イスラエルの人口は700万~800万人、面積は四国程度の本当に小さな国ですが、今年のベンチャーキャピタルの投資額は約5000億円(エコノミスト誌)に上ります。日本では昨年1000億円程度ですので、人口1人当たりで換算すると、日本の150倍以上となり、世界ナンバーワンの水準です。

これはなぜかというと、イスラエルは、人口1人当たりの技術者・科学者の数(イスラエル貿易省)が世界ナンバーワン、M&Aの数(2008~2012年)、海外からのR&D投資額、R&D施設数(約300)、新設企業数(エコノミスト誌)、ノーベル賞受賞率、フィールズ賞の受賞率も、やはり世界ナンバーワンなのです。

対米国でみると、イスラエルの企業は、米国に次いでナスダック上場企業数が第2位(1997年~2013年)で、イスラエルは74社、日本は12社となっています。ただし、おそらく今は中国が増えていますので、第3位だと思います。

2013年までの3年間で、米国における買収総額の20%程度は、イスラエルの会社によるものです。ユダヤ人は世界中に1300万人いますが、そのうち500万人がイスラエルに住み、同数の500万人が米国に住んでいます。

こうしたことを考えると、世界を動かしているユダヤ系の会社が多いにもかかわらず、そこに対して日本人が誰もアプローチしてなかったので、僕が行っているわけです。日本だけが行っておらず、イスラエルは戦争の国だとずっと思っていますが、世界からはバケーションの国、R&Dセンターの国というイメージを持たれています。

投資希望の起業家から肌で感じる部分

日本でIT系の若手起業家を支援していて、その違いを肌で感じることがあります。イスラエルの起業家は、もちろん英語が普通にできます。起業家の9割方は、すでに2~3回起業しているシリアルアントレプレナーです。

イスラエルでは、高校卒業後に男性3年、女性2年の兵役があり、その後1年間、世界を回って遊んでから大学へ行きますので、起業家の平均年齢が日本と比べて10歳以上高いという特徴があります。日本では、40歳以上はベンチャーキャピタルの投資対象にならない状況だと思いますが、イスラエルでは40歳からが勝負で、50歳、60歳の方もいらっしゃいます。

イスラエルのスタートアップは、チームメンバーが最初から3名以上のケースが9割を占め、会社を作った段階で特許をすでに取得済み、あるいはその意向ありが8割に上ります。また、イスラエルの人は数学が得意で、日本のように文系・理系がなく、皆が技術者になれます。ヘブライ語をベースに、英語、中国語、韓国語、フランス語、日本語など、4カ国語以上の語学ができる人が8割、日本語を少し理解し、日本の市場やネットワーク興味があるという起業家も8割います。見ている市場は、そのサービスに応じて欧州、欧米、アジアと異なります。分野としては、フィンテック、ファイナンシャルセキュリティが多く、あとはサイバーセキュリティ、ヘルスケア、バイオ、AIなどが目立ちます。

1年間で何をやったか

イスラエルへ行くとまず、日本の六本木にあたるアレンビーストリートという場所に、家を借りました。ヘブライ語でしか検索できなかったのですが、知り合いを通じて借りることができました。次に、ロスチャイルドストリートという日本でいう表参道のど真ん中に、コワーキングスペースを建てました。安倍首相とネタニヤフ首相が出席するミーティングにも、参加させていただきました。

そして、ガザ地区の戦争を経験しました。テルアビブからガザ地区まで、車で2時間半かかりますが、ロケット弾は1分半で届きます。コワーキングスペースを作って7月末にオープンしましたが、その1週間程前に戦争が始まってしまい、そこから毎日のようにロケット弾が飛んできました。1分半で届くので、その間にシェルターに飛び込みます。空襲警報のようなサイレンが鳴ると、花火のような音がしてロケット弾は撃ち落とされます。イスラエルには最強の迎撃ミサイルがあるため、100%撃ち落とされるわけです。

そのためイスラエルの人は、地震は予測できないから、日本のほうが怖いと言います。彼らの感覚では、ミサイルが飛んでくるのは、日本でいう震度3程度のレベルでしょう。7月の20日間だけでしたが、そういう経験をしました。

日本でも70年前、戦時中に空襲警報の中で逃げ惑う人たちがいたことは、それまで理解していなかったのですが、そういう犠牲があって、今の平和な日本が築かれていることを認識しました。戦争を経験している日本人は少ないと思いますが、そういう視点で、ものを考えるようになりました。

戦争が始まった当初は、もう日本へ帰らなければならないかと落ち込んだものです。しかし次の日になると、「自分が戦争を止められる人になればいいんだ。僕がやっていることを延長すれば、雇用が生まれて戦争が止まるんだ」と考え、逃げずにここで体験し、それをやろうと決めました。

現在、イスラエルで17社に投資をしており、いろいろなイベントもやりました。おかげさまで5年間のビザも、取得することができました。サムライハウスでは、年間50回程度のイベントを開催し、3000人以上が集まります。今では、イスラエルと日本の人々が交流する有名な場所になっています。成田-テルアビブの直行便も就航する見通しとなりました。

2カ月前には、20社以上の日本の大企業がイスラエルを訪れ、DLDというイベントに参加してくれました。トヨタ、村田製作所、ソフトバンクといった日本の名立たる大企業が徐々に来てくれるなり、非常に嬉しく思っています。

2つのゴール

僕のゴールは2つあります。1つは、自分の家族、イスラエルの人を幸せにするということです。日本人は仕事を重視し過ぎて、過労死や自殺をしてしまうケースがみられますが、イスラエルで勉強になるのは、やはり家族をすべてにおいて重視するのです。ですから平日は6時に仕事を終わり、男女を問わず帰宅して料理をします。それが終わってから、夜中に2時間仕事をしたりします。休みの日には仕事をしません。そういうところを日本人も真似すべきだと思います。

日本は平和ですが、年間3万人の自殺者がいます。世界でテロのために死亡する人数が年間1万5000人ですから、その2倍にあたります。家族あっての人生だということを、もっと重視して働けるような環境づくりを、していきたいと思っています。

もう1つは、あと4年で、イスラエルと日本をつなぐ橋を、もっと強くしたいと思っています。17社だけでは、大きなブリッジにはなりません。イスラエルと日本の強い架け橋になることが、僕の今の目標です。今年の目標は、日本とイスラエルで60社に投資することと、100社の日本の大企業をイスラエルに連れて行くことです。

過去の実績や評価など関係ありません。まずは将来、こういうことをやりたいと考えて、発信することです。僕もずっと、シンプルに「日本とイスラエルをつなぎたい」と言い続けてきました。そうすることによって多くの人が助けてくれ、世の中が変わってきました。できるかできないかを考える前に、まずはやって欲しいと思います。

質疑応答

モデレータ:

イスラエルへ行ってから、英語の勉強をされたのでしょうか。

A:

行く前に、英会話教室の集中トレーニングを受けましたが、途中でやめてしまいました。あとは、イスラエルへ行ってすぐに100件ほどメールを送り、50人からアポイントを取りつけました。アポが入っているので英語を喋らざるを得ず、アポイント先の人たちが先生になりました。会社概要だけ事前に準備し、わからないことはわからないと言うこと、そして言うことは言おうと決め、ずっとやっていたら何となく喋れるようになった感じがします。

Q:

日本は、ゼロから1にする力が弱いということでしたが、数学に弱いということでしょうか。

A:

特許では日本が一番だと思いますが、それをビジネス化したり、マネタイズしたりするのが下手だと思います。日本では、理系の大学を卒業し、スタートアップなど何も知らずに推薦で大企業のR&Dセンターへ入ってしまうので、誰もビジネスのことを学んでいません。そこが課題だと思っています。

Q:

イスラエルに文系・理系がないというのは、どういうことでしょうか。もう少し詳しく教えてください。

A:

イスラエルの教育制度では、小学校の10歳でプログラミングの言語が必修となっています。また、兵役というと体育会系のイメージがありますが、そうではなく、専門学校へ行くような感覚です。そこで経営層としてのビジネスを学んだり、プログラミングを学んだりします。そうやって数学が強くなっているのだと思います。

Q:

日本の起業家に対して、アドバイスをいただきたいと思います。

A:

まずは、英語が一番です。あとは、なぜか日本のスタートアップは特許を取ろうとしないので、きちんと調べて競合有意性を確認してほしいと思います。僕のミッションは、雇用を増やして世の中をハッピーにすることです。戦時中に苦労した人がいるから今の日本があるという意識を皆が持てば、もっと強い日本になるので、起業家は将来、自分が投資家になって、また起業家を育てるという意識を持ってほしいと思っています。

Q:

そもそも、今のようなインキュベーション事業を始めたのは、なぜでしょうか。

A:

単に目立ちたがり屋なのかもしれませんが、自分の人生の終わりに、どれだけ多くの人が来てくれて、世界中が泣いてくれる人になれるかが、自分の存在意義だと思っています。そのためにどうすればいいかを考えると、自分1人でやるよりは、多くの起業家を生み出すことで、その先にたくさんの雇用やサービスを生み出すほうが、数億人、数十億人という人々に恩恵を与えることができます。少ないお金で多くの起業家を生み出し続けることで、世の中をハッピーにできると思ったのが、ベンチャーキャピタルを始めたきっかけです。

Q:

イスラエルは、バイオや農業といった分野も強いと思いますが、投資の対象として考えていますか。

A:

これまでITが強かったので、問題意識として、今はそういった分野にもフォーカスしています。IT系の会社は初期投資が500万~1000万円で済むのですが、水やバイオ、農業や宇宙などは巨額の資金を要します。そういったフロンティアテックといわれる分野も、今後はやらなければと思っています。日本には、ヘルスケアに特化したVCも、バイオや農業に特化したVCもありませんが、イスラエルにはありますので、そういったところに日本の商社が投資するといいと思います。

Q:

人を説得し、動いてもらうためのポイントがあれば、教えてください。

A:

一番重要なのは、まず感謝することだと思っています。感謝の気持ちをきちんと伝えることを、1つ1つやっていくことです。僕自身、とくに日経新聞には感謝しています。たとえば記者の方々には「ペンは剣より強し」というモチベーションがありますから、自分の記事によって世の中がどう動いたかを感じるのが、記者として存在意義だと思うのです。ですから、そこを詳細にフィードバックするようにしています。

巻き込み力というのは、まずは声を大にして言って、それを実際にやれば勝手についてくるものだと思います。とくに人が、怖がったり嫌がったりしていることをやると、あの人のためならやろうと思ってくれるのかもしれません。日本人は、強い人には頭を下げ、弱い人には上から目線で接する人が多いのですが、弱い人と同じ目線でいることが大切です。社内外を問わず、家庭の中でも外でも、同じ態度で礼儀正しくできる人になりたいと思っています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。