アベノミクスとリスク・オン経済

開催日 2015年4月8日
スピーカー 松元 崇 (株式会社第一生命経済研究所特別顧問)
モデレータ 後藤 康雄 (RIETI上席研究員)
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開催案内/講演概要

アベノミクスは、第1の矢として米欧が採用したのと同様の思い切った量的金融緩和政策を打ち出したが、その背景にあったのがベルリンの壁崩壊以降の世界経済のドラスティックな変化である。今や世界は、かつての資金不足の下でインフレを心配していた世界から、金余りでデフレを心配しなければならない世界にと、180度正反対の姿に変化している。そこでは、グローバルに動き回るマネーが発展途上国の成長の原動力となる一方で、先進国市場ではバブルを生み出すようになった。その様な経済を、講師はリスク・オン経済と名づけた。

ただ、そのようになった経済においても、わが国の国民経済の発展のために大切なのはファンダメンタルズであり、一人ひとりの国民がその持てる能力を十全に発揮できるようにすることである。

議事録

はじめに

松元 崇写真私自身、かねてよりデフレ脱却が日本再生のために必要と考えていました。ですから、役人生活最後の1年間に、デフレ脱却に正面から取り組んだアベノミクスの立ち上げに関与できたことは幸せだったと思っています。 公務員は学者ではありませんので、適切な経済理論を見つけ、それに基づいて政策立案をするのが仕事といえます。しかしデフレ脱却に関しては、学者の理論が実にさまざまでコンセンサスらしきものがない状況でした。 それは、今日の経済理論ができあがった時代と今とでは、経済の実態が全く違ってしまっているところに原因があります。そういった中でも、ファンダメンタルズを強化していくことが大事であり、強化していくためには日本を世界でもっとも企業が活動しやすい国にしていく必要があります。

発展途上国の成長

近年、「南北問題」という言葉を聞かなくなりました。最近話題になったトマ・ピケティ著『21世紀の資本』は、格差問題を豊富なデータをもとに論じているわけですが、そこにも南北問題は出てきません。かつて南北問題は格差の代表でした。先進国がODAなどの経済援助をしても発展途上国はなかなか成長せず、世界の貧困人口は減りませんでした。

しかしベルリンの壁崩壊以降、状況は大きく変わりました。世界の実質GDP成長率(出所:『新・現代総合商社論-三菱商事・ビジネスの想像と革新』)をみると、1990年代半ば以降、途上国の実質GDP成長率が先進国を大きく上回るようになった姿がわかります。

それまで、ソ連を中心とする東側の経済は、社会主義というくびきの下で順調な経済発展を遂げることができませんでした。東側でなくとも、革命の輸出といった心配から、多くの発展途上国の経済成長の基盤が不安定であったわけです。それがベルリンの壁崩壊以降、多くの発展途上国が先進国を大きく上回って成長するようになり、BRICsといった言葉がもてはやされるようになりました。その結果として、世界の貧困人口比率は1990年の43.1%から2010年には20.6%に半減しています。

そして、それが先進国経済に大きな変化をもたらしました。それまでのインフレを心配する経済から一転し、デフレを心配しなければならない経済になったのです。それまでは、世界人口の15%しかない先進国のみが順調な成長をしていたため、供給不足でものが足りず、インフレを心配する経済だったわけです。しかし、世界人口の85%を占める発展途上国が先進国を大きく上回る成長を始めたことで、そこで生産される大量の製品が先進国に流れ込んでいきました。そうなると先進国では、デフレも心配しなければならなくなりました。

最近、途上国の成長率がかつての勢いを見せなくなったともいわれますが、それでも、昨日IMFが発表した今後5年間の見通しでは、途上国の成長率予想が5.2%であるのに対し、先進国は1.6%です。成長率が若干落ちたとしても、途上国から豊富な物資の供給が行われていくという基本的な構図は、これからも変わりません。先進国は、今後もデフレを心配しなければならない状況が続くでしょう。これが大きな変化の第1です。

「金余り」なのにデフレを心配する経済へ

もう1つの大きな変化は、世界中が「金余り」になったということです。これは、ベルリンの壁の崩壊によって生じたわけではありませんが、それと時を同じくして起こった変化です。かつて先進国のみが成長して供給不足だった経済は同時に、不足する供給力を増強するための資金が常に求められていた資金不足の経済でした。

40歳以上の方は、1991年1月まで行われていた日本銀行の「窓口規制」をご記憶だと思います。日本銀行が金融を緩めれば資金がどんどん市場に流れ、インフレの加速が心配される状況だったわけです。それがベルリンの壁崩壊頃から、金余りが生じてきて、窓口規制は不要となりました。

実は、こうした金余りは、世界的に生じている現象です。世界の金融資産残高は1980年に名目GDP比1.1倍でしたが、ベルリンの壁崩壊直後の1990年には2.0倍、2010年には3.4倍に膨らんでいます。その結果、金余りなのにデフレを心配しなければならない状況になっています。今の世界経済は、かつての資金不足でインフレを心配していたのと正反対の姿に様変わりしているのです。

一国デフレに陥った日本

そのように世界の先進国がデフレを心配しなければならなくなった中で、唯一、実際にデフレに陥ったのが日本でした。日米欧の名目GDPの世界に占めるシェア(National Accounts Main Aggregates Detabaseより作成)をみると、1997年から2012年のデフレの15年間で、日本のシェアは4割以上ダウンの8.2%(1997年は14.0%)になっています。欧州は27.7%(同31.7%)、米国は22.3%(同27.8%)と1-2割ダウンの中で、日本の下落幅が圧倒的に大きい。これがジャパン・パッシング、ジャパン・ナッシングなどといわれるようになった姿です。

ところが、その対応策が従来の経済学から示されることはありませんでした。

金余りなのにデフレを心配しなければならなくなった中で、実際にデフレに陥ってしまった日本のとるべき経済政策は何か――その答えは容易に見出せず、議論ばかりが延々と15年間続いてしまいました。既存の経済学が、ベルリンの壁崩壊までは、もっぱらインフレを心配しなければならないという今日とは正反対の状況を前提にして組み立てられたことを考えれば、無理もないでしょう。

それを横目に見ながら、日本のようなデフレになってはならないと米国が踏み切ったのがリーマンショック後の思い切った量的金融緩和です。米国がQE1、QE2と量的金融緩和を実施するたび、日本では実力と関係なしに円高が進み、デフレが進むという悪循環に陥り、空洞化という最悪の事態を招いてしまいました。

一国のみ、どんどん実力不相応の自国通貨高になるような国は、ものづくりに最も向かない国です。新たに設備投資をして生産しても、製品をいよいよ出荷する際に100円で売れると思っていたものが75円でしか売れないようでは、赤字になってしまいます。つまり日本は、世界で企業が最も活動しにくい国になってしまったわけです。

空洞化し、工場がなくなるということは、仕事の場が失われるということでもあります。仕事を失った人が、より給料の高い仕事に転職できればいいのですが、実力不相応の円高に伴う空洞化の場合、そういうわけにはいきません。そうなると、その人が作り出していた付加価値がなくなり、その分、日本のファンダメンタルズが破壊されてしまいます。

そのようになった状況の下、思い切った金融緩和政策に踏み切ったのがアベノミクスの第一の矢です。その結果、円高とデフレのスパイラルに終止符が打たれ、デフレ脱却に向けた大きな1歩が踏み出され、経済が好転しました。それまで新聞紙上に踊っていた「空洞化」という文字を見ることもなくなりました。有効求人倍率も1.0を上回るようになり、地域経済にも活気が戻ってきています。

それでも、量的緩和は本当のところ効いておらず、効いているように見えるのはプラセボ(偽薬)なのだという議論も相変わらず聞かれます。ただ、プラセボは、医療では正しい治療法の1つです。経済でも、プラセボであろうが経済が好転すれば正しい政策のはずです。「病は気から」という言葉がありますが、「景気も気から」という面があります。デフレマインドからの脱却、まさに気を変える「効果あるプラセボ」として、アベノミクスが大いに効いているということができます。

リスク・オン経済

従来と正反対の状況になったベルリンの壁崩壊以降の経済を、私は「リスク・オン経済」と名づけました。リスクが高くなったと認識されると、高い収益に向かっていた資金の流れは止まり、場合によっては安全資産への投資に逆流します。そしてリスクが低くなったと認識されると、資金がまた流れ出します。かつて日本銀行の窓口規制で行われていたのと同様のことが、リスク・オン、リスク・オフといった市場の認識でグローバルに行われるようになったわけです。

ただ、日本銀行の窓口規制の場合と異なり、リスク・オン、リスク・オフは市場関係者の認識ですから、市場を不安定化させかねません。ですから常にバブルを心配しなければならないことになり、市場との対話が中央銀行には求められます。これは、かつてとの大きな違いです。

こうした状況をしっかり認識しておかないと、「金余りなら、心配するのはインフレのはずだ」という従来からの感覚に引っ張られて、議論が混乱しかねません。そうならないために、世界経済がかつてとはまったく異なっていることを端的に意識できる言葉として、「リスク・オン経済」と名づけたわけです。ちなみに、デフレを心配しなければならない時代に、ハイパーインフレーションを心配するのは、おかしな話です。財政破綻に直面しているギリシャでも、そんな議論は聞きません。

アニマルスピリットの減退

今日一番お話したいのは、リスク・オン経済と私が名づけたような状況になった経済の下でも、わが国のファンダメンタルズを強化していくことが大事だということです。お金を刷ったからといって、経済が成長するわけではありません。そもそも、ケインズの経済学は、景気回復を説いたもので成長理論はありませんでした。そこで、ある人がケインズに「経済を成長させるにはどうしたらいいか」と尋ねたところ、「アニマルスピリットだ」と答えたそうです。

アニマルスピリットは、日本では起業家精神などと訳されますが、要はイノベーションを起こして社会全体の経済活動の水準を底上げしていく人々の営みということです。のちにシュンペーターが創造的破壊ということを言いましたが、アニマルスピリットは創造的破壊によってイノベーションを起こす源泉といえるものです。

一昨年6月、アベノミクスの成長戦略第3弾が発表された際、成長戦略のキーワードは「民間活力の爆発」だという説明がなされました。アニマルスピリットの発揮ということです。ところが、どうもその評判が良くなく、政府の成長戦略によほど中身がないのだろうとまで言われました。日本では15年もデフレが続いてしまった結果、すっかりアニマルスピリットが萎えてしまい、「民間活力の爆発」などと言われても、ピンと来なくなってしまったようです。デフレのデメリットの最たるものがアニマルスピリットを萎えさせてしまったことなのか、という気もします。

日本型雇用慣行の見直し

成長戦略では、日本を世界で最も企業が活動しやすい国にすることを目指しており、農業の規制改革、TPPなどの自由貿易協定、世界的にも高い水準にある法人税率の引き上げなど、さまざまな取り組みが行われています。政府は、雇用慣行の見直しにも力を入れています。

内閣府では一昨年4月、経済財政諮問会議の下に、成長のための人的資源活用検討専門チームを設置し、報告書を取りまとめました。その報告書のポイントとして、わが国の雇用慣行は、労働者から見ると転職が難しく、企業から見ると解雇が難しいという特徴があり、諸外国に比べ極めて硬直的であることが成長のネックになっていることが指摘されています。しかしながら、現在の雇用慣行をより柔軟に、グローバルなものにしていくためには、関係者の納得を得ながら改革を行っていく手順が求められることも指摘されています。

実は、現在の日本の雇用慣行は古来からのものではなく、戦後の高度成長期に確立したものです。企業も従業員も共に成長するために一生懸命邁進し、女性は夫を家で支え、子育てに専念するのが一般的でした。それが、高度成長の強力なエンジンだったのです。

そして企業は、社員とその家族に報いるために福利厚生を充実させていきました。そこで国は、企業が面倒をみない人生の後半、すなわち年金や高齢者医療といった分野を主に充実すればよかったわけです。こうしてでき上がったのが、わが国独特の人生後半の社会保障制度です。

ところがベルリンの壁崩壊以降、途上国も含めて世界がグローバルに成長を始めると、このやり方では、うまくいかないことが明らかになってきました。企業が潰れるというのでもなければ被用者を解雇できないという慣行の下では世界で勝ち残れず、ひいては雇用を守っていくこともできません。

日本企業のROA(総資産利益率)は低いといわれますが、その理由の1つに、市場で競争力を失った分野についても従業員を解雇できないがゆえに、企業がギリギリまで抱え続けることが挙げられます。その間に、海外企業は競争力を失った分野を切り捨てて得意分野に集約したため、日本企業は各個撃破されてしまったわけです。

カーナビやリチウムイオン電池など、従来得意とされていた分野でも、世界の市場規模が拡大するにつれて日本企業のシェアは落ちていきました。結果として、従業員を温存した個々の日本企業の雇用は守られたものの、国全体としてみると成長の機会を失い、伸ばせたはずの新たな雇用も失われてしまったのです。

しかし、では諸外国のような解雇が柔軟にできる雇用制度にすればいいかといえば、相当の条件整備が伴わなければ、労働組合だけでなく国民の理解を得るのも難しいでしょう。欧州では、解雇されても国の社会保障制度のおかげで困ることはありません。また米国では、失業者の再雇用市場が柔軟に機能しているので困りません。ところが日本の場合は、解雇されれば路頭に迷い、家族の悲劇になってしまいます。

ですから、雇用慣行をグローバル化していくためには、社会保障や再雇用市場も、それにふさわしいものに変えなければなりません。しかし、それを実現するには財政制度の大幅な見直しなどが求められるため、まずは国民のコンセンサスが必要です。

平成に入った頃、20歳代後半の男性の非正規雇用率は5%でしたが、今や20%近くまで増加しています。非正規の問題は、せっかく大学を卒業しても、最初に非正規社員になると、高い確率で一生涯、非正規のままになってしまうことです。そうなると、所得も一生涯上がりにくい状況になります。

それは、少子化が進む中で、20歳代まで育て上げた男性の5人に1人が作り出す付加価値が、一生涯増えていかないことを意味しています。GDPといっても抽象的なGDPがあるわけではなく、1人1人の国民の創り出す付加価値の積み上げがGDPです。とすると、男性の5人に1人がそんな状況では、そんな国の経済が、力強く成長していくはずがありません。所得の増えない男性は結婚も難しく、少子化がさらに進んでしまうという悪循環にもなります。

ですから、社会人としてのスタートが正規であろうが非正規であろうが、本人の努力次第で能力をフルに発揮できる仕組み、再チャレンジがいつでも可能だという社会にしていくことが、国民1人1人の幸福だけでなく日本全体の成長にもつながるわけです。

再チャレンジが当たり前にできる社会は、若者が企業に就職するだけでなく、自らベンチャービジネスを立ち上げやすい社会でもあります。特に、子育てで一時仕事を離れることが多い女性にとって大きな意味を持っています。

資源のない国といわれる日本には、汲めども尽きぬ人的資源があります。しかしながら、その資源も活用しなければ宝の持ち腐れです。そうならないようにするために、経済の状況が大きく変わっている中で、頭を柔らかくして経済政策の立案にあたる必要があります。政労使会議における賃上げからの経済の好循環実現といった議論が登場してくるわけです。

15年間もデフレが続いた日本には、デフレに戻りやすいマインドが埋め込まれています。そのマインドから脱却するために、奮闘しておられるのが黒田日銀総裁です。

デフレがどうして悪いのかという人がいます。それは、デフレの間、実は正社員の賃金が下がっておらず、実質賃金が上がっていたからです。平均賃金が年々下落していたのは、賃金の安い非正規雇用者が増加していたためです。同様に、年金額も据え置かれたため、年金受給者の実質収入も上がっていました。日本国民のほとんどの生活は向上していたのです。

ところが、日本経済全体は、先にご紹介したようにジャパン・パッシングという状況になっていました。そのような、マクロベースでのデフレの本当の怖さを実感していた人は、ほとんどいなかった。そのような人たちから見れば、デフレ脱却へしゃかりきに取り組む日銀総裁の姿は理不尽に見えるかもしれません。しかしながら、私が日銀総裁であっても日本再生のために同じことをやっていたと思います。

質疑応答

Q:

冷戦後、途上国の成長が先進国を上回ったのは、どのような理由からでしょうか。また、外資の動きについて、どのように評価されますか。

A:

ベルリンの壁崩壊まで途上国の成長率が低かったことが、経済理論上、おかしな状況だったのです。途上国の成長率が先進国よりも高いという当たり前の状態が、東西冷戦構造の下で阻害されていたのです。それが、ベルリンの壁崩壊以降、途上国が本来の成長を始めたということだと思います。

東西冷戦終結後は、外資が主役となって活発に動き回るようになり、ODAが脇役のようになりました。国際的な資本が自由に動き回ることによって、リスク・オン、リスク・オフといったことが注目されるようになりました。

Q:

再チャレンジが当たり前の社会にするために、政府は何をすべきでしょうか。

A:

米国のように、失敗が評価される文化へ変えていくとともに、失敗した場合のセーフティネットが整備されていなければ、個人はリスクに挑戦することができません。政府には、失敗しても生活できるような人生前半の社会保障制度の充実が求められますし、スウェーデンのように転職するための学び直しを後押しすることも考えられます。学校で、失敗しても自助努力でやっていく心構えを教育することも大切だと思います。

Q:

消費税率の2度目の引き上げが先送りになったことについて、どのようにお考えでしょうか。

A:

昨年の経済指標をみると、先送りはやむを得なかったと思います。日本には、増税すると経済に大きな影響を与えるマインドがあることは否定できません。とはいえ、「経済成長」と「財政再建」は車の両輪ですから、経済情勢をみながら、1年半後には予定通り消費税の引き上げを実施する必要があると思います。

日本の高齢者には、年金、医療、介護で1人当たり毎年238万円ものお金がかかっています。国際比較(2009年)をみると、日本の高齢者施策(年金・医療・介護)は16.3%で、福祉先進国のスウェーデンの15.7%よりも大きく、現役・家族施策は5.9%と、自助の国といわれる米国の8.6%よりも低くなっています。

そのように若者に冷たい状況で、さらに高齢者にかけている高額の費用の相当部分を将来の若者へつけ回ししているのは、いかがなものかと思います。積もりつもった赤字の残高は、いまや1100兆円に上ります。これだけの借金を、現時点で発言権のない孫や子に残すのは、非道徳的あるいは非民主的といってもいいでしょう。歳出削減でも増税でもいいですが、孫や子につけ回しする負担は、少しずつでも減らしていく必要があります。

Q:

ご著書の中で、政策の議論ではコモンセンスが重要と指摘されていますが、民間の雇用慣行を変えていくにあたって、私たちは役人として、どのようにコモンセンスを磨いていくべきでしょうか。

A:

いろいろな人の話を聞くことでしょう。現在の労働慣行は戦後の高度成長期にできあがったもので、戦前はむしろ今の米国に近い形態だったわけですから、昔のことを調べることも必要でしょう。

雇用慣行の柔軟化は、労働者が転職することで能力をより発揮できるなど、被用者と企業の双方にとってWin-Winでないと、うまくいきません。ですから、政労使がざっくばらんに議論できるようにしていくことも必要です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。