デザイン経営の実際 ―サムスン電子の成功事例から―

開催日 2013年7月31日
スピーカー 福田 民郎 (京都工芸繊維大学 名誉教授)
モデレータ 山田 正人 (RIETIコンサルティングフェロー/経済産業省 特許庁 総務部 制度審議室長)
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開催案内/講演概要

サムスン電子は1990年代初頭から10年間に凄まじい改革を成し遂げ、現在の地位を築いた。改革は特に企業文化の変革とソフトやデザインに関する様々な取組みや試行錯誤を中心に行われた。中でもいわゆるデザイン経営(デザインマネージメント)の活動では、その内容は日本の多くの家電企業と大きく違っている。イノベーションの思想や製品開発プロセスの中心にデザイン思考を置いたこと、デザインセンターが中心になってプロジェクトを牽引したことがサムスンの最大の成功要因といえる。これらは日本の家電企業では決して見ることが出来なかった潮流で、現在の彼我の差はその考え方や手法にあると考えられる。

ここでは90年代からのサムスンのデザイン経営の考え方や実際のプロセスを、経営とデザインの関係、企業文化としてのデザイン、開発プロセス上のデザインの位置などの視点から紹介し、その成功要因を分析する。

議事録

デザインに対する日本企業の誤った狭い認識

福田 民郎写真サムスン電子は、90年代に凄まじい改革をしました。88年のソウルオリンピック後、国全体が飛躍の気概に包まれていた時代です。サムスン電子の現在の成功要因の多くは、この90年代にあったといえます。

今から考えると、サムスン電子のデザイン経営の考え方は健全だったと感じます。当時、世界市場では日本の企業に追いつこうとしていましたが、米国でも欧州でも相手にされず、いわば真っ白な状態から成長を図ったことがかえってよかったことと、李会長自身のモノづくりに対する感性やデザインへの正しく深い理解が背景にあったと思います。

日本では、デザインに対する誤った認識があります。たとえば新製品を評価する項目として、「使い勝手」「価格」「環境」「性能・品質」「技術革新」「新規性」などと並び「デザイン」という項目は、単にスタイルや見た目を指しています。しかし、デザイナーは見た目だけを考えているわけではありません。また、プロダクトデザインは「色と形」だという経営者も多いのですが、決してそうではないのです。

デザインというのは、それが使用者にとってどういう意味があるのか、どのように生活を改善するのか、使っていない際にインテリアとして美しいか、子どもや老人にも使いやすいか――など、いろいろなことを考えるものです。技術革新を正確にユーザーに伝えるスタイルをしているか、品質や価格、ターゲットユーザー層の好みの分析など、技術やマーケティングの要素もすべて考えた上でスタイリングに集約するわけです。

ですから、上記のように評価項目を並記するときは、「デザイン」を使わずに、「外観」や「スタイリング」とすべきです。「デザイン性を高めた」という表現も、曖昧で誤解を招いていると思います。さらに日本では、グラフィックデザインは「模様と色」だという理解もはびこっており、非常に不健全な状況といえます。

日本家電デザインの危機

日本のものづくりは繊細な感覚、もてなしの心を持っているといわれます。また、材料や素材に強いともいわれていますが、最近はそれがだんだん壊れているように感じます。たとえば国内メーカーの大型テレビのリモコンをいくつか並べて比較すると、よく使うボタンが小さくて使いにくい、数年使ったらチャンネルの数字が剥げてしまったなど、印刷方法や材料の選択を間違えたための不具合を指摘できます。このように、デザイナーがもっとも気をつけるべき基本的なことが徹底されていないのです。日本のものづくりは、本当にこのままでよいのかと危惧しています。

私は「デザインとは何ですか」と聞かれると、「文化価値の創造である」と答えています。左脳は科学、右脳は芸術を司るといわれますが、左脳の工学・技術から右脳のクラフトまで、右脳と左脳が重なり合う部分がデザインであり、それゆえに難しい面があります。

デザインはアートか、エンジニアリングか、という質問をよく受けますが、世界的にもさまざまな考え方があり、米国スタンフォードなどはエンジニアリングととらえており、英国ダイソン社では、デザイナーではなく「エンジニア」と呼んでいます。少なくともデザインはアートでは決してありません。

経営的な視点や工学的な視点とともに、21世紀には個別の専門領域に詳しいデザイナーも要求されています。昔のように、デザイナーといえばアイデアスケッチをたくさん描くものと画一的に考えるのは大間違いです。

従来のプロダクトデザイン、グラフィックデザイン、インテリアデザインという3つの区分も、実はあまり使いたくない言葉です。たとえば学生ならば、材料に興味があるからエコロジーデザイナー、あるいは障害者や高齢者にやさしいユニバーサルデザイナー、アップルに代表されるインタラクションデザイナーになりたいなどと考えるほうが健全です。現代は、デザイナーという職域がこのように大きく広がっています。

競争力の変遷

デザインとは、競争力を生む最有力のツールです。そこで、何をデザイン思想の中核に置くかがデザイン戦略上で重要になります。大量生産・大量消費時代である60~80年代は、スタイリング(単なる形)が大量生産されました。知識・情報の時代であった90年代は、マーケティングやコンセプトが重視されました。

21世紀は創造の時代といわれ、経験価値デザイン、融合デザイン、感性デザイン、サービスデザインなど、いろいろな思想が入ってきました。エスノグラフィやペルソナ法といった方法論も次々と出てきています。そのため、各企業がデザインの思想として何を中心に置くかが勝負の分かれ目となります。

90年代のサムスン電子はコンセプトを中心に置き、理由や意味のない形をスタイリングしないよう厳しく教育しました。デザインの組織に関しては、93年にサムスン電子の役員たちとともに、西海岸から東海岸までデザイン事務所を訪問し、米国のデザイン事務所の強さは何かを調べたことがあります。

そのときにわかったのは、米国のデザイン事務所では、デザインを大学などで勉強した人材は5割以下だったことです。あとの5割は、エンジニア、文化人類学者、社会学者、MBA、電気系、ソフトウェアデザイナーなど、多岐にわたっていました。米国では、大企業がすべて自前でモノづくりをしなくなり、企画からモノづくりまでの総合的な提案力が外部のデザイン事務所に求められます。それが米国のデザイン事務所の強さにつながっていたわけです。

そこで、サムスン電子のデザインセンターもそれを目指すことを提案しました。私が辞めた99年には、デザインセンターの中でデザイン専攻出身の人材は約7割弱に留まっていました。現在はもう少し多いようです。

なぜ日本が負けているのかを考えると、日本のとくに家電のデザインセンターは未だに「販売促進センター」なのです。経営上でも、デザイナーの使い方としても、非常にもったいない状況といえます。日本のデザイン教育は健全で、いい教育を受けているにもかかわらず、日本企業に入ると潰されてしまうと言いたくなります。

デザインセンターは、「販売促進センター」でもなく「スタイリングセンター」でもなく、「イノベーションセンター」でなければならないと思っています。コンカレントエンジニアリングという代表的な開発手法がありますが、ものをつくる最初の段階から、商品企画、マーケッター、MBA、材料、エンジニア、電気、金型、CADといった専門家とスタイリングをするデザイナーが組み合わさったチームが一番強いわけです。現在、サムスン電子は、それをプロジェクト方式でどんどん進めています。

サムスン電子では、デザインセンターがアドバンスデザインを事業部に提案する際、コスト計算や世界市場における競争状況まで分析して行います。日本の家電の場合、売れないのはデザインのせいで、売れれば営業の手柄、といった悪い通例をいまだに引きずっているようです。

80年代、90年代は市場は砂漠が水を吸収するような状態にあったため、安く手頃な値段で、故障率の低い日本製品が売れたのです。日本製品のスタイリング、あるいはデザインがいいから売れたわけではないと受け止め、もっと反省すべきでしょう。

90年代の凄まじい改革

海外で受賞するなど、ヒット商品が出てきた頃、Business Week(Nov.29 2004)では"Redesigning Samsung"という特集が組まれました。サムスン電子における90年代の凄まじい改革として、1)トップマネジメント層との直結、2)デザインがリードする商品開発姿勢、3)硬直した縦割り組織の変革、4)企業内教育システム、5)国際化、6)ハード志向からの革新、7)研究領域の選択と集中、8)優れた中長期計画、9)評価制度の継続的改革、などに焦点が当てられています。

93年当時の私のコンセプトは、「優れたデザイナーの育成」と「優れたデザインを生む組織・企業文化の構築」でした。デザインが大事だと頭では理解する経営者は多いのですが、なかなか具体的なアクションにはつながりません。たとえば、デザイナーから役員が出てこない。昇給もしない。昇進もしない。それでは、モチベーションにつながりません。

サムスン電子には、デザインは専門職ではないというスタンスがありました。たとえばヒット商品を出すと、デザインの貢献度を計算し、担当したデザイナーが大きく昇進昇給するわけです。

また、サムスン電子の成功要因として、情報に関してはものすごいネットワークを持っていることが挙げられます。東京、ロサンゼルス、上海、インド、ロンドン、ミラノに海外デザイン室のサテライトオフィスがあり、現地の文化情報の収集、デザイントレンドの収集、現地プロジェクトを現地の人が行っています。東京のオフィスでも95%が日本人で、お金の計算のみ本社からの韓国人がしています。そうしなければ、競争力ある商品にはつながらないのです。この点が地域文化に対する考え方において日本の家電企業と大きく違う点です。

94年辺りからは、ドイツのiFデザイン賞や米国のIDA賞など、海外の有名なデザイン賞の獲得に向けて取り組みました。当初は20~30エントリーしても全滅でしたが、数年後には入賞するようになってきました。

リサーチについては、デザイン研究領域での選択と集中を行いました。90年代は、コンセプトの研究からプロダクトアイデンティティやコーポレートアイデンティティ、さらにブランディングについて研究していました。素材と表面処理に関しては日本企業が進んでいるため、デザイナーたちが毎月のように来日していたものです。カラーの専門家、米国人を含めたインターフェース専属チームも設置されました。

先行研究にも力を入れました。モーターショーのコンセプトカーと同じような位置づけで、5年後の製品のプロポーザルデザインを可視化します。各事業部のすべてのデザイナーが参加し10年間続けたことで、実力は相当上がったと思います。統一のテーマで海外オフィスの外国人デザイナーの提案と本社のデザイナーの提案を比較するなども行い、全事業部の役員を招待して社内発表も頻繁に行っていました。

李会長のリーダーシップも相当なものです。たとえば、新商品開発に関しては、会長自らが頻繁に製品をチェックし、短期間でのやり直しを命じていました。日本では、かつて松下幸之助氏が市場に出す前の製品をチェックしていたといいます。ソニーでも、大賀氏が最後のフィルターとして製品をチェックしていた頃は、ソニーブランドが非常に強かった時期です。経営者の意志が重要であると感じます。

サムスン電子の成功要因を分析すると、経営トップの理解とリードがあったこと、デザイン文化・風土が日本の企業よりも健全であることが挙げられます。デザイナーたちの実力も上がってきました。教育システムも充実し、常にプロセスを改革していました。世界市場規模の情報収集と研究、デザイン部門への投資も積極的に行っています。デザイン決定方法については、投票や提案をミックスするといった幼稚なことはしません。「これしかない」というところまでデザインを詰めて決定しています。そうでないと、競争力を持てないと考えているからです。

デザイン経営の進化として、サムスン電子のデザイナーは1000人を超えていますが、ROI(投資利益率)はきっちり計算しています。独自の計算式でデザインの貢献度は何%と判定しているようです。人数的には、李会長は「デザイナーがまだ少ない」と言っているようです。日本の家電にも、頑張ってもらいたいと思っています。

質疑応答

Q:

サムスンが抱えている課題、問題意識についてうかがいたいと思います。

A:

オリジナリティだと思います。90年代から必死に欧米の先進企業を追いかけ、すでに追い越している商品分野もあるわけですが、オリジナリティがないのです。市場が、次にどういうサムスンの新製品を期待しているかを読む必要があります。アップルにはスティーブ・ジョブズというカリスマ経営者のリーダーシップがあったわけですが、「サムスンだからできた」というものが次の課題だと思っています。

Q:

サムスンは、アップルとの紛争において特許だけでなく意匠に関しても善戦し、攻勢をかけている印象があります。どのように取り組まれているのでしょうか。

A:

法律的なことはよくわかりませんが、デザインセンターも、今後の開発に関して相当勉強しているようです。フォロワーとしての自覚があり、そこからいかに脱却するかを必死に考えている段階だと思います。これからのデザイン案を見せてもらう機会が最近ありましたが、中にはオリジナリティが出てきているものもあると感じます。

Q:

デザインは企業内教育が柱になっているという話でしたが、産学連携プロジェクトや人材養成について、どのようにお考えでしょうか。

A:

京都工芸繊維大学でも産学連携プロジェクトに取り組みましたが、とくにデザインでは、産業界とのミスマッチが大きいと思います。企業は、すぐに業績に結びつくデザインを学生たちに求めます。学生たちにとって勉強になり、企業にとってもややアドバンスで刺激になるような産学連携が理想だと思いますが、知財の扱いも含め、難しい現状があると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。