【通産政策史シリーズ】中小企業政策の変遷とその要因

開催日 2013年7月24日
スピーカー 中田 哲雄 (通商産業政策史12 中小企業政策 編著者/元・同志社大学大学院 ビジネス研究科 教授)
モデレータ 関沢 洋一 (RIETI 上席研究員・研究コーディネーター(政策史担当))
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中小企業政策は、その時々の経済社会情勢に応じて変遷を重ねてきた。これらの変遷はどのような要因により生じたのであろうか。中小企業政策を形成し、変化させ、消滅させてきた主要な力はどのようなものだったのか。政策を規定するものとして「政策対象者(政策需要サイド=中小企業者等)」、「政策供給体制(政策供給サイド=行政機関、支援組織等)」、「政策思想(政策のあり方、方向性等に関する考え方)」および「政策資源(政策の立案実施を可能とする人員や予算等)」の4つの要因を設定し、戦後の中小企業政策の潮流を論じる。

議事録

問題意識と仮説

中田 哲雄写真中小企業政策の変遷について執筆・編さんする上で、「政策の変遷過程(創設・発展・縮減・廃止等)をできるだけ合理的な視点で整理・検証すること」を常に問題意識としてきました。政策史の執筆は、筆者の「視点、視座」を通じてなされるものですが、これらは筆者の思想・信条等を反映するので、これが強く出れば、検証が困難な「物語」となってしまいます。後世の資料として、より合理的で検証可能性のある政策史を形成するためにはどうすればよいのでしょうか。

そこで、次のような仮説を考えることにしました。(1)政策は「政策要因」により規定され、政策要因はそれぞれの時代における「政策環境」の影響を受けて変化する。(2)基本的な政策要因は、「政策対象」「政策供給体制」「政策思想」「政策資源」である。(3)政策要因は相互に影響しあいながら政策の変動をもたらす。「政策の効果」も政策要因に影響を及ぼす――の3つです。こうした政策要因の相関は、「政策要因のダイヤモンド構造モデル」として考えることができます。

分析は次のような点に配慮して進めることとしました。(1)複数の政策について比較可能とするため可能な限り、統一項目によって政策要因の動向を把握する。(2)政策要因の動向の把握にあたっては、可能な限り「定量的」なデータを活用して推論する。(3)一定の政策時代区分(政策展開時期)を設定し、その時代区分ごとに政策要因の動向を把握する。(4)政策時代区分ごとに政策要因と現実に展開された政策の関係を検討し、政策変遷のダイナミズムを模索する。(5)政策要因の絶対評価は困難なため、前期の政策時代区分における状況との比較によって評価する。しかしこれらの点は十分に執筆に活かせたとはいえない状況にあります。とくに(4)はデータ不足と研究執筆の時間的な制約から、また、(5)については評価基準や手法の開発の遅れから不十分な結果となりました。なお、「政策効果」については、十分なデータがないため今回は省略していますが、重要な政策要因として研究を進めていく必要があります。

中小企業政策の柱立て

中小企業政策の柱立てと主要な政策について概観しておきましょう。「資金供給」「組織化」「診断・指導、情報提供」は、戦後すぐに中小企業庁が設置された当時の最初の中小企業政策の柱であり、原点といえるものです。これらの政策をベースにして、その後、「人材育成」「調整・規制」「インセンティブ立法」といった柱が追加されていきました。多くの中小企業立法がありますが、法律の制定には、中小企業に周知する効果のほか、さまざまな予算措置が際限なく広がることを防ぐ歯止めとしての目的もあったと考えられます。

政策の時代区分

政策の時代区分には、多様な考え方があります。代表的と考えられるものは次の通りです。「戦後の中小企業政策年表」島田春樹(2003)は大変な力作で、その後の政策あるいは政策史の貴重な参考資料となっています。高度経済成長前期・後期、安定成長期、転換期、新中小政策形成期など、マクロの経済情勢の節目で時代を区分しています。

「日本中小企業政策史」清成忠男(2009)から推測・整理した時代区分は、近代化高度化期、構造変動・調整期、知識集約化期、新基本法実施期など、政策思想の観点でとらえたものと考えられます。

中小企業政策審議会“小さな企業”未来部会第1回法制検討ワーキンググループ資料(2012)では、高度成長期~基本法制定、安定成長期~基本法改正・低成長への対応、バブル期以降~基本法抜本改正など、基本法のあり方の変化による時代区分がなされています。

今回、私が「通商産業政策史12中小企業政策」(2013)で用いた時代区分は、政策基盤形成期(1955-70)、調整政策展開期(1971-84)、政策転換期(1985-94)、新政策期(1995-)と、政策体系あるいは政策目的の変遷に着目しています。

政策環境

政策要因に影響を及ぼす「政策環境」は、経済成長率、為替レート、景気動向、技術革新、IT化、グローバリゼーションの動向といった「経済環境」(政策要因のマクロ的な背景)と、「個別事象」(政策要因にインパクトを与える事件)に分けて考えることができます。ただし、個別事象が長期にわたって継続すると、経済環境と同様になる場合があります。また、個別事象が政策要因の変化そのものである場合も少なくありません。

主な事象として、政策基盤形成期(1955-70)においては、開放経済体制への移行の中で貿易・資本取引自由化に対応した業種別の体制整備が進められ、所得倍増計画(1960)を契機に大型景気が到来しましたが、他方公害・過密問題等も顕在化しました。プラザ合意(1985)以前の調整政策展開期(1971-84)には通貨危機(1971)や石油危機(1973、79)に見舞われ、戦後初のマイナス成長(1974)にも直面しました。円高が進行した時期でもあり種々の調整型政策が投入されました。政策転換期(1985-94)には、厳しい貿易摩擦を背景に輸出依存から内需振興への切り替えが行われ、その後長期の景気上昇とバブルの崩壊を経験しました。新政策期(1995-)になると、新しい政策の芽が生じましたが行財政改革の波が政策サイドに押し寄せました。

政策環境を概観すると、政策基盤形成期は中小企業にとって困難な時代でしたが、高度成長によりパイが大きくなることで活力のある環境でした。調整政策展開期に入り、通貨危機・石油危機以降は非常に厳しい状態が続きました。とくに変動相場制に移行してからは急激な円高が進み、輸出型中小企業や産地は打撃を受けました。政策転換期はバブルに至るまでは好調でしたが、バブル崩壊後は惨たんたる状態となり、全体でみるとマイナスといえます。新政策期についても、一進一退ながら政策環境は全体的にはマイナスと評価できます。

政策対象

中小企業の事業所数・従業者数は、順調に増加を続けた後、80年代後半から90年代にかけて横ばいから下降局面に入っています。中小企業の業種別出荷額・販売額は、バブル崩壊を境に、それまでの右肩上がりの状況から減少に転じています。格差の推移に関しては、新しい中小企業基本法では、いまや格差は問題ではないとされていますが、格差自体は依然として残っています。とくに中小企業に大きく依存する中高年齢層の賃金格差は、相当に大きいのが実態だと思います。時代区分ごとに、格差の動きも変わってきています。

開廃業率(非1次産業)の推移をみると、1989~90年辺りで逆転現象が起こり、廃業率が開業率を上回ったまま、まだ回復していません。ただし、2~3年に1度しか実施しない「事業所・企業統計調査」(総務省)のデータを使っているのは疑問です。その間に生まれて消えた企業は統計から外れてしまいますから、おそらく実際の開業率は、同調査の数字より数パーセント上回るものと思われます。

経営課題は、年によって大きく変動しています。ちょうどバブル期の1990年前後には、求人難が突出しています。バブル崩壊後の大きな山は、売り上げ・受注の減少です。こうした政策対象の動向を整理すると、石油危機や通貨危機以前はよかったわけですが、その後はあまりよい状況ではありません。

政策供給体制

政策供給体制について、ここでは単純化し、中小企業庁とその周辺の組織に絞って考えています。中小企業庁の体制は次第に拡充されてきましたが、2001年の改正で若干スリムになりました。しかし、中央省庁再編の中での中小企業庁の削減度は低かったと思います。

行政改革は歴代内閣の重要課題であり、第1次臨調(1962)、第2次臨調(1981)、行政改革審議会(1983)等の場で改革案が検討され、実施されてきました。中央省庁の再編を含む行革については、橋本内閣による行政改革会議が発足してから本格化し、1997年12月の最終報告によって、1府12省庁への統合、局数の削減(128から90へ)、課室の15%縮減等が実施されました。中小企業政策については基本法に「中小企業保護的行政・団体支援的行政の縮小、地域の役割の強化、新規産業創出環境の整備への重点化」が規定されました。

特殊法人は1960年代からスクラップ&ビルド原則で設立が抑制され、1997年6月の橋本内閣「変革と創造-6つの改革」以降、小泉内閣の構造改革路線にかけて大幅な統廃合・民営化が進展しました。政策供給体制の動向として、調整政策展開期辺りまでは拡充が進められましたが、その後は行財政改革、特殊法人整理等によって縮減となる部分が増えています。

政策資源

一般会計予算総額に占める中小企業対策費の割合は80年代から急速に低下し、2000年代になると0.21%にまで減少しています。通産省一般会計予算に占める中小企業対策費の割合も85年辺りから減少を続けています。中小企業対策費補正額は、阪神淡路大震災対策や金融対策など、当初予算をはるかに上回る規模となっています。

歳出削減、租税特別措置の整理合理化、財投改革のいずれも、政策資源の大きな縮減をもたらしました。バブル崩壊後、政策変動に最も大きい影響を与えた政策要因は、行財政改革による「政策資源」の縮減だと思います。

政策資源の動向については、1970年代(調整政策展開期)には中小企業政策にプラスとなる要因が多かったのですが、その後徐々に低下し、とくに新政策期以降は行財政改革、財政再建など、政策資源面では逆風となっています。

政策要因と政策動向の関係

復興期(1945-54)は政策需要が大きく、政策供給体制(中企庁)の早期整備が復興とその後の経済成長の鍵となりました。これにより中小企業金融や信用保険、組合法の整備、診断指導の拡充などが実現しました。政策基盤形成期は、二重構造問題等政策需要が大きかったわけですが、高度経済成長による自然増収等によって政策資源に相当のゆとりがあり、基本法以下の政策体制の整備が進みました。近促法や高度化資金が生まれ、下請代金法や官公需法等不利の補正型政策も講じられました。

調整政策展開期は安定成長への移行期であり、かつ石油ショックや通貨危機等、経済環境の変化への適応に苦しんだ政策対象(中小企業)の実態が、緊急支援措置や事業転換、分野調整措置といった政策の導入をもたらしました。政策転換期は、バブルの形成から崩壊までの過程で多くの経営課題が発生し、これに対応する政策が展開されました。従来とは異なるソフト重視型・地域重視型の政策思想に沿った施策が実施されました。

新政策期は、中小企業の活性化を通じて日本経済の再生を進めるため、市場主義を軸とする改革が進められました。基本法の改正をはじめ、創業や経営革新に対する支援が行われるとともに、中小企業政策の見直しと予算等の再編が行われました。“小さな政府”の考え方や世界でも稀にみる財政の国債依存を背景に、政策資源の制約が政策全体のあり方を大きく規定する時代といえます。

質疑応答

Q:

データの制約がある中で、政策効果はどうすれば評価できるのでしょうか。

A:

よく行われる方法として、(1)想定される政策対象者にアンケートを実施し、ある種の顧客満足度を測定する。(2)政策を打ち出す際に掲げた政策目標に対し、どの程度実現できたかを調べる等(注)の方法がとられます。そして、これらの「顧客満足度」や「目標と実態の乖離度」などを総合的に評価します。大事なことは、いろいろな政策に共通のフォーマットで調査票を作成して実施することです。それによって政策同士を比較することができ、更なる工夫が促されると思います。より現実に合った政策に修正する意欲も、湧くことでしょう。
(注)(3)政策モニターを委嘱し一定期間政策の実施状況を把握する等

Q:

人材育成や国際化、新事業促進といったモデル的なものに関しては、全体のごく一部しか取り上げないため、効果が薄いという批判があります。どのようにお考えでしょうか。

A:

私もそうした批判に同意するところが若干あります。中小企業政策は植林に似た側面があると思います。治山治水やCO₂削減など多様な目的のためには、一部の優れた木に限定して肥やしを与えるのではなく、多様な木を大量に植えていくことが大事です。膨大な雇用が零細企業によって支えられ、イノベーションが思いがけないところから創出されていることを考えると、広くサポートすることが大事です。ただし、政策資源が限定されているなかで、モデル的な成功事例が波及効果を生み出すことも大事で、その辺のバランスが問題だと思います。

Q:

中小企業政策は経済政策であるべきだとの議論がありますが、どのようにお考えですか。

A:

経済政策か社会政策か定義がはっきりしないまま使われることが多いのですが、私はあまり思想的なカテゴリー分けをせず、必要な政策は何でもやったらよいと思います。市場主義を修正する社会政策的といわれる政策でも、中長期的に見て新しい芽を育てたり、地域社会や雇用を維持するために必要なものもあるのではないでしょうか。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。