デフレ脱却の条件

開催日 2013年2月12日
スピーカー 渡辺 努 (RIETIファカルティフェロー/東京大学大学院経済学研究科教授)
モデレータ 森川 正之 (RIETI理事・副所長)
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開催案内/講演概要

我が国では1990年代後半以降、緩やかなデフレーションが続いている。現政権はデフレ脱却を最優先課題のひとつと位置づけ、政府と日銀が一体となった取り組みが行われている。現政権でのデフレ脱却に向けた取り組みはこれまでのところ総需要の喚起策が中心となっている。しかしミクロの商品の価格が需要と供給で決まるのと同様に、マクロの物価も総需要と総供給で決まる。したがってデフレ脱却には、総需要だけでなく総供給に働きかけること、つまり、メーカーや流通業者の価格づけ行動を変化させることが不可欠である。本BBLでは、過去15年間のデフレ期における価格づけ行動の特徴を明らかにした上で、それを是正するための方策について議論する。

議事録

需要サイドと供給サイドの条件

渡辺 努写真日本経済新聞(2月11日付)によるアンケート調査では、日銀が掲げた2%物価上昇目標の達成について、世論の見方は「実現する」「実現しない」でほぼ二分しているようです。実現する理由として「政権の強い意志が見える」を挙げる人が多い一方で、実現しない理由として「国内の景気回復の遅れ」や「インフレ目標には物価を上げる力がない」など、さまざまな意見が出されています。

ミクロの商品価格は需要と供給で決まり、マクロの物価も総需要と総供給で決まりますが、これまで需要に関しては、さまざまな議論がなされています。ゼロ金利の下、金融政策で物価を押し上げることができるのか、どのようなチャネルが考えられるのか、といった問題については多くの研究が進められてきました。

一方、供給については、あまり議論されてこなかったと認識しています。少なくとも昨年末以降、供給サイドの議論は明示的に出てきていません。そこで本日は、需要を高めるだけで十分なのか? メーカーや流通業者の慎重な価格設定行動を変えられるのか? 価格の動きにくさ(硬直性)をどうすれば克服できるのか?――このような観点でお話ししたいと思います。

緩やかなデフレーション

1960年代からのCPI(消費者物価指数)伸び率の推移をみると、第1次石油ショックでは前年比20%超える高いインフレーションの状態でしたが、その後は急速に下がっています。そしてバブル崩壊後、90年代半ばからマイナスを示すようになり、デフレーションが起こってきたわけです。2008年辺りでプラスになっている部分もありますが、ほぼ一貫して長期的にデフレが継続していることがわかります。ただし、数値でみるとマイナス1~2%を示しているに過ぎず、緩やかなデフレが15年以上にわたって長く続いているのが特徴です。

1880年代以降の120年間にわたるGDPデフレーターの推移をみると、第2次世界大戦を通して急激に上昇していますが、それを除くと戦前、戦後とも年5%前後のインフレ率で伸びています。ところが1990年代半ば以降になると、横ばいから徐々に下降しており、デフレが起きていることを示しています。このように長い時系列でみると、特異な現象が起きていることがわかると同時に、これを直すのは大変なことだと感じられると思います。

世界的に、デフレはそれほど多くの国で起きたわけではありません。その中で研究が進んでいるのは1930年代、米国大恐慌期のデフレといえます。年7~8%という下落率で2年間急激にデフレが進んだわけですが、その後は上昇に転じています。やはり日本で起きているデフレとは、大きく異なります。

ケインズの「流動性の罠」

この日本で起きているデフレは、ケインズが「流動性の罠」といった現象に近いと思います。1947年のクラインによる"The Keynesian Revolution"の図をみると、右下がりの投資と右上がりの貯蓄が交差する点、つまり均衡する実質利子率がマイナスになる状況がありえることを示し、それこそケインズがいった「流動性の罠」であると主張しています。

実質利子率がプラスであれば、中央銀行の名目利子率を実質利子率と一致させることによって物価を安定させ、雇用水準を安定させることができます。ところが実質利子率がマイナスになってしまうと、名目利子率をマイナスにすることができず、完全雇用などを達成できなくなってしまうというわけです。

完全雇用を達成する実質利子率について、ヴィクセルは「自然利子率」がゼロを下回ることがあるといい、クラインやトービンは、それが「流動性の罠」であると述べています。日米の自然利子率について分析すると、1980年代後半は日米とも実質利子率は同じ水準でプラスにありました。その後、日本は上下を繰り返しながらも急速に低下し、1998年と2009年で大きくマイナスになっています。つまり、クラインやトービンのいう流動性の罠が、まさに日本で起きているわけです。

一方、米国は90年代を通じて2000年代に入ってからも、引き続き高水準の自然利子率であったわけですが、リーマンショック後に急速に低下し、2010年初めにはかなりゼロに近づいています。

クルーグマンは、「流動性の罠」のもとでは、将来の名目利子率も現在と同じゼロにすることで、GDPギャップや物価上昇率のマイナス幅が縮小するという理論を1998年に発表しました。日本では時間軸効果ともいわれていますが、将来の金融緩和をコミットすることによって、将来にかけての物価上昇率がより高まるという期待を醸成し、それによって現在の状態を改善させるという考え方です。また昨年来、安倍政権でもこれと似たようなことがいわれていますが、研究者からみても理にかなっていると思います。

米国では、昨年12月のFOMCステートメントにおいて、失業率が6.5%程度まで回復し、あるいはインフレ率が一定水準を上回るまで、超金融緩和を続けていくことをコミットしています。これによって将来の状態が加熱することへの期待を喚起し、それをテコにして現在の状態が改善していくことを企図しているのだと思います。

日本銀行は本年1月22日、「物価安定の目標」と「期限を定めない資産買入れ方式」の導入について、文書を発表しました。その脚注には、「宮尾委員より、別途、実質的なゼロ金利政策について、消費者物価の前年比上昇率2%が見通せるようになるまで継続するとの議案が提出され、反対多数で否決された」とあります。宮尾委員の提案は、将来の緩和を約束することによりインフレ期待の醸成を図ろうとするものであり、理に適っています。しかし、残念ながら、現時点では日銀はそうした政策を採用していません。かつて福井前総裁の時代には、一定の条件が整うまで金融緩和を続けるという政策をとったことがあります。

ここで強調しておきたいのは、将来の金融緩和にコミットし、それをテコに現在の実質利子率を下げ、それによって投資や消費を喚起するという手法は、必ずしも非伝統的なものではないということです。実質利子率を下げるという意味でこれは金利チャネルです。金利チャネルは金融政策の中で最も伝統的な王道といえる手段です。通常の金利チャネルと唯一異なるのは、通常は名目利子率も同時に下げるのですが、今は名目利子率がゼロでこれ以上下げられないため、物価上昇率の期待に働きかけることによって実質利子率を下げていこうとする点だといえます。

今後、安倍政権のもとで2%の物価上昇目標を達成するためには、実質利子率を下げることに重点を置いた金利チャネルが使われていくものと思います。それによって需要が喚起されていくでしょう。

フィリップス曲線

では、金融緩和や財政出動によって需要が喚起されれば、本当に2%の物価上昇を達成できるでしょうか。デフレ脱却のためには、需要と供給の両面を考えることが不可欠です。しかし、企業の価格設定行動という供給サイドへの働きかけは、非常に難しいといえます。

失業率を横軸、消費者物価の上昇率を縦軸にしたフィリップス曲線の推移を見ると、1970年から80年代は曲線が右に大きく傾いています。つまり失業率を低下させようとすると、激しいインフレが起こることがわかります。しかし2000年代に入ると、フィリップス曲線はほぼフラットになっています。これは、景気変動に伴って失業率が上下したにもかかわらず、物価上昇率はほとんど変化しなかったことを意味しています。つまり、需要の変化に対して物価の感度が著しく鈍っているということです。このフラットの状態を前提とする限り、需要だけで物価を上げるのは難しいことを示唆しています。フィリップス曲線は総供給曲線とも呼ばれ、企業や流通業者の価格づけ行動の様式を表すものと考えられています。

1960年以降の名目GDP成長率と物価上昇率の関係を分析すると、近年の総供給曲線の状況を前提とする限り、物価上昇率を1%上昇させるには名目GDP成長率を5%引き上げる必要があります。物価上昇率を毎年2%上昇させたい場合、名目GDP成長率を毎年10%上げていかなければなりません。つまり需要の喚起は重要ですが、それだけで2%の物価上昇率を達成するのは難しく、供給サイドであるメーカーや流通業者の価格づけ行動に何らかの働きかけをしていく必要があります。

屈折需要曲線

フィリップス曲線のフラット化がなぜ起きたかを理解する上で屈折需要曲線という考え方が役立ちます。屈折需要曲線は、1970年代から研究者の関心を集めている現象です。価格を上げると需要は大きく減少する一方、価格を下げても需要が急増するわけではありません。これは、ライバル企業が価格を据え置く中で自分だけが価格を上げると顧客を失ってしまうということを示しています。このときには、企業の直面する需要曲線は直線ではなく屈折しています。そうなると、需要が増えて価格を上げる環境が出てきたとしても、企業は自分だけが先行して価格を上げ、その結果、顧客を失うのを恐れます。ライバルが上げるかどうかわからないので、とりあえず自分も価格を据え置くという選択をします。全ての企業が同じように考える結果、需要が増えてもさほど価格が上がらないということになります。フィリップス曲線のフラット化はこのようにして生じていると理解できます。

フィリップス曲線のフラット化は、単純に需要を増やす政策を採るだけでは、物価は十分に上がらないということを示しています。需要を増やすという需要面の対応に加えて、供給サイドでも、メーカーや流通業者が価格を上げる恐れを消していくことが大事です。そのためには、「ライバル企業が価格を上げそうだから自分も上げよう」という気分を醸成することが大事です。つまり、企業間で「よい協調」ができる環境を整えていくことが重要だと思います。その意味で、安倍政権が発動する「デフレ脱却の大号令」のもと、供給サイドで価格を上げる行動がとられるならば、近年の複雑な状況を脱出できるかもしれません。

日本のデフレ下における「商品の参入価格」「退出価格」「再参入価格」について検討したところ、インフレ期とデフレ期に大きな違いがみられました。商品のbirth、death、rebirthといった世代交代をとらえ価格の動向を分析すると、インフレ期には、deathからrebirthの際に平均8%の幅で商品価格が上昇し、世代をつなぐと階段状に価格が上昇する構造が存在しています。しかし、1990年代以降には商品価格が「ボックス相場」化しているため、このままでは物価上昇は見込めません。やはり、メーカーと流通業者が「よい協調」をすることによって、インフレ期のような価格設定に戻していく必要があると思います。

米国大恐慌期におけるデフレ脱却の経験

米国大恐慌期には、当時のフーバー大統領による金本位制、均衡財政、小さな政府といったレジームによって、人々はデフレの継続を予想して行動していました。その後、1932年に指名されたルーズベルト大統領は、金本位制を放棄してドルの切り下げを容認し、拡張的な財政政策へと転換しました。さらに"reflation"という言葉を提唱し、インフレの効能を強調しました。これによって人々のデフレ予想がインフレ予想に変わった結果、実質利子率が低下し、デフレ脱却につながったという見方が、最近の研究で示されています。

ここでの成功の鍵は、政策のレジームを丸ごと取り替えるというレジームの転換があったことと、それに伴って人々の将来に対する予想が変化したことです。この「予想の変化」がターニングポイントを作る大事なものであるということが主張されています。

ルーズベルト大統領は1933年のステートメントにおいて、物価が大恐慌期以前のデフレが起こる前の水準に戻るまで、徹底的に物価を押し上げていくことを強調しています。そして「もし、リフレーションができなければ、別の方法を試すだけだ。とにかく、やりきれるところまでやりきるのだ」ということを述べています。大統領が強い意志でレジームを転換し、さまざまな反対の中で物価の上昇を実現したわけです。

当時の米国では、名目利子率ではなく物価上昇の期待が高まったことによって実質利子率が下がっています。そして、マネーの量は決して増えていません。つまり、中央銀行のバランスシートの拡大が効果を発揮したのではなく、人々の物価上昇の期待を変えたことでターニングポイントをつくったということです。

質疑応答

Q:

人口減少や非正規雇用の増加による実質賃金の低下といった要因は、どのようにお考えでしょうか。

A:

人口減少は、自然利子率の低下に反映します。自然利子率自体をプラスにできればいいわけですが、人口減少を食い止める、あるいは人口を増やすのは難しく、少なくとも短期的に変えられるものではありませんから、今回は自然利子率がマイナスの状況を前提に、ご説明しました。

物価上昇率を高めると、実質賃金は一時的に低下すると思います。物価を上昇させる施策は、多くの人々に負担を強いる面を持っています。しかし、物価が下落を続ける状況を放置するのは望ましくありません。現在、物価は「糸の切れた凧」のように下落しており、中央銀行は制御できていません。現在のデフレ率は1%なので小幅ですがこれがもっと大幅なデフレになったときにはデフレの弊害が顕著になります。できるだけ早く、政府や中央銀行が物価を制御できる状態に戻すべきです。とにかく物価のグリップを取り戻すことが大事ですから、そこで生じるさまざまな弊害については、別途対応していくことが必要だと思います。

Q:

日本の物価水準は、世界でも最高レベルといわれています。今後、さらに物価が上がれば、給与水準も上がらない場合、マイナスの影響が大きいと思いますが、どのようにお考えでしょうか。

A

たしかに東京や大阪は物価が高いわけですが、80年代にいわれたような内外価格差は、規制緩和等によって大幅に縮小しています。日本全体として物価が高すぎるということは、それほど気にする必要はないと思います。むしろ、物価の下落をコントロールできないことのほうが問題だと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。