プライマリ・ケアで変わる日本の医療:質と財政 両立の鍵

開催日 2012年9月13日
スピーカー 井伊 雅子 (一橋大学 国際・公共政策大学院教授)/澤 憲明 (英国家庭医療専門医)
モデレータ 那須 良 (経済産業省 商務情報政策局 ヘルスケア産業課総括補佐)
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開催案内/講演概要

日本の医療制度改革は、病院改革を中心に特に急性期病床の在院日数の短縮などを進めてきた。

しかし実際、我々の日常に起る医療や健康問題の大部分は診療所で必要十分に対応できるプライマリ・ケアの分野であり、病院医療を必要とするニーズはそこまで多くない。各科専門医の重複受診、薬の過剰投与、高額検査の不適切浪費など、スペシャリストによって断片化された一次医療では非効率性が見られる。

また、疾患別の医療提供によって患者と医師の関係も極めて乾いたものになった。

また、プライマリ・ケアとの役割分担も不明確で、低いコストパフォーマンスのままでは、医療費抑制がそのまま質の低下につながる懸念が高い。日本には横広がりで包括的な医療を提供するジェネラリスト、そして良好なコミュニケーションで医師-患者関係を築き、各患者のニーズや嗜好に寄り添いながら、患者と患者の生活を支えて行くプライマリ・ケアの専門家、いわゆる家庭医が存在しない。これが患者満足度の低い理由の一つであろう。

家庭医というとゲートキーパーの機能を持たせて医療費削減の手段のように思われがちだが、本来の役割は、退院後にも不安を受けとめ、地域での療養生活、在宅生活を一緒に歩んでくれる存在である。つまり、家庭医はdoctors of first and last resort、最初に出会い、最後まで関わる医師だ。

国際的にみて、日本はプライマリ・ケアの提供体制と、それが良く機能するための支払制度の整備が大きく遅れている。政府の医療制度改革は、財政のつじつま合わせの議論が主で、これでは国民の納得と支持を得ることは難しい。今、国民が必要としているのは、質の高いプライマリ・ケアである。その機能を明確・共有したうえで、国を挙げてそのシステムを構築することではないだろうか。

議事録

日本は「低医療費国家」か?

井伊 雅子写真井伊氏:
医療提供体制の国際比較において、日本はGDPに占める医療費の割合が低いにもかかわらず長寿国であるため、IMFやOECDでは高く評価されています。

けれども、日本は入院医療費が少ないため医療費は低いものの、外来医療費は世界でもトップクラスであり、医療費推計の問題が指摘されます。日本では、自治体病院の建設費や国保の運営費の一部は地方交付税に算入され国の一般会計の社会保障部分には反映されません。OECDなどの国際比較において、各国のデータには保健医療費(health care expenditure)として、日本の医療費(medical care expenditure)よりも広い概念が用いられています。そして日本の医療制度の特徴として、GP(General Practitioner)やFP(Family Physician)といった家庭医制度がありません。

OECDのhealthデータでは、オランダやスウェーデンは高医療費国となっていますが、この"health"は「総医療費(medicine)」ではなく「総保健医療費(health)」であり、さらにオランダやスウェーデンは長期的な介護なども含めたsocial careを含めて報告しています。一方、日本の「総医療費(総保健医療費)」には介護の一部しか含まれていません。OECDでは、こうした定義のバラつきを2015年までには統一するとしています。これまでは医師や看護師が関与する介護費のみでしたが、今後、訪問介護や介護老人保健施設・介護型療養病床の介護費が含まれるようになると、日本の医療費は上位から5番目程度の高医療費国家になるでしょう。

SHAで何がわかるのか?

医療費の国際比較は、どの国においても難しいものです。とくに高齢化が進んでくると、それが生活の一部なのか、医療なのか、区分が明確でなくなるためです。そこでOECDは2000年、国民保健計算の国際基準であるSHA (System of Health Accounts)を発表し、加盟各国は、この基準に沿った推計を行うことが求められるようになりました。

日本がOECDに提出している「医療費 (総保健医療支出:health)」は、「国民医療費(medical)」より範囲は広くなっていますが、データ制約等の理由で推計値に含まれていない項目も多く、完全な国際比較を行うには、まだ不十分といえます。

SHAは、SNAの概念と調和するように設計されているので、医療と経済の関係を分析でき、日本の医療産業や政策のパフォーマンスを客観的に国際比較できるようになります。たとえば「社会保険方式を採用する日本、ドイツ、韓国において、入院と外来でどちらがどのくらい家計負担の割合が大きいのか」といった比較もできるようになります。

今後、SHAの改良が進めば、たとえば「高血圧疾患の外来医療費は、国際間でどのように異なるのか」、「年齢調整をした上で、医療費が多く消費されている疾病は国際間で異なるのか」、といった質問にも答えられるようになるでしょう。

日本では、高齢者の医療制度が大きな問題となっており、65歳以上の国民が医療費全体の55%を使っています。これは高血圧、腰痛、糖尿病、認知症、白内障といった症状ごとに専門医を受診し、高額な薬を処方されるのが要因の1つであって、日本の医療費が高いのは、単に高齢化だけが原因ではありません。

日本の医療制度改革にみられる特徴として、自己負担率の増加や医薬品の患者負担見直し等、財源に焦点をあてた議論が多いようです。また混合診療や株式会社の参入は、がんや難病といった三次医療にかかわる話です。実際の医療ニーズの8~9割を占めるプライマリ・ケアが見直されなければ、国民満足度の高い医療制度改革はできません。

地域医療の再生のため

地域医療の再生のためには、3点の重要なことがあると思います。第1に「専門研修(後期研修)の充実」、第2に「地方税財政制度のあり方を変える」、第3に「プライマリ・ケアの見える化」です。

地方分権とは、地域住民が自らの負担との比較で行政サービスを選択することです。しかし日本の地方自治体は、お金が足りなければ国が助けてくれると期待し、実際に助けられてきました。実は、地方分権をしたいと思っている首長さんは少ないかもしれません。

ドイツでは、税収上位4州と下位4州の格差は1.25倍に留まり、税制調整によって格差は是正されています。カナダやフランスも同様です。日本は、税収上位5県と下位5県の格差は1.8倍に開いており、税制調整後は格差0.7倍に逆転するという非常に極端な状況です。ですから、格差是正は個人単位で行うべきで、医療でも同様に低所得者への対応・財政基盤の強化が個人単位で行われていない問題があると思います。

地方は、国が財政調整をしてくれるため、自分で努力をして税収を上げる必要がなく、「よこせ、よこせ」の大合唱になってしまう。かつ、自分たちで汗を流したお金ではないので無駄なことに使ってしまう。地方議会も本来のチェック機能を果たさず、地方自治体の職員とともに歳出を増やそうするのが現状です。

医療制度も同様の問題を抱えていると思います。どうしても、保険者や診療報酬等の制度頼りになっています。もう1つの大きな問題は、薬の処方や検査がなければ経営が成り立たない仕組みであることです。これだけ医療費の問題がいわれながら、医療費を抑制するインセンティブが出てこないため、支払制度もあわせて考える必要があります。実は、ここが日本でプライマリ・ケアの制度改革や家庭医療制度の導入が反対されてきた大きな理由で、英国の家庭医制度=人頭払い制度であり、日本では絶対に導入するべきでないと言われてきましたが、医療の質と財政を両立させようと創意工夫を重ねてきたプライマリ・ケア先進国の状況を参考にしながら、人頭払い、出来高払い、業績払い等、日本に合った形に改革する必要があると思います。

プライマリ・ケアの見える化について、英国のGP Surgery(家庭医診療所)を訪ねて驚いたことに、各診療所は地域住民のデータベースを構築し、さまざまな比較検討をおこなっています。たとえば診療所間で高血圧患者の治療費の比較ができ、地域住民も参加して医療政策に取り組んでいます。また、家庭医がデータベースを活用した研究成果を世界のトップジャーナルに報告するなど、最前線で活躍しています。

海外の医療制度

澤 憲明写真澤氏:
諸外国の医療制度は、一次医療(診療所)、二次医療(中小病院)、三次医療(大学病院)と、患者の健康問題によって医療機関の役割を分担するシステムになっています。診療所では、医療ニーズ全体の8~9割を占めるプライマリ・ケアに特化した適切な医療を提供しています。

一次医療では、発熱・頭痛・腰痛といった急性疾患、糖尿病や高血圧といった慢性疾患のフォローアップ、予防医療を含めた日常的な健康問題全般をカバーします。たとえば患者さんが私の診療所へ来て腹痛を訴え、虫垂炎の疑いで入院が必要と判断されれば、速やかに二次医療の病院へ送ることになります。三次医療はさらに特殊なケースで、たとえば乳児の心臓に穴が開き手術が必要、といった専門性の高い疾患を対象とします。

このように一次医療から順を追って医療サービスが提供される「プライマリ・ケア重視の医療制度」は、オランダ、英国、オーストラリア、デンマークといった多くの先進国で導入されています。日本や米国は、二次医療、三次医療に重点を置いた医療制度といえますが、最近の世界的潮流は、医療サービスがより効果的・効率的に機能するプライマリ・ケア重視の医療制度への移行です。

私達の日常の医療を支える主要な医療サービスである一次医療を「システム」として強化し、プライマリ・ケア重視の医療制度に転換することで 総死亡率等の国全体としての健康データが改善します。さらに医療費の減少、患者満足度の上昇、アクセスの改善(近所のプライマリ・ケア専門医による速やかな対応・外来・電話相談・訪問診療等)、より継続的で包括的な医療、より少ない入院、費用対効果の改善といった多くの効果が得られます。

最近は米国でも、プライマリ・ケアを重視した動きがみられています。Harvard Medical School Center for Primary Careが設立され、欧州のGP診療所に近いCommunity Health Centersの数が著しく増加しています。その背景には、オバマ大統領の理解とサポートがあるわけですが、米国ではCommunity Health Centersの導入によって、患者1人当たり毎年24%(1263ドル)の医療コストを節減し、さらにプライマリ・ケアの強化によって国全体で毎年670億ドル(約5兆円)を節減できると試算しています(出所:National Association of Community Health Centers. Health Wanted The State of Unmet Need for Primary Health Care in America, 2012)。

近年の英国医療改革

英国では最近、10年にわたる医療改革(NHS Plan)が完了しました。入院までの待機時間は健康問題や症状の程度によってトリアージされるようになり、急を要しない疾患では、改革前の15週間から4週間ぐらいにまで短縮されています。病院の専門外来では、がんの疑いがあれば2週間以内、その他の場合は平均2週間ぐらいで診療を受けられるようになりました。GP診療所でも患者の症状によってトリアージされますが、48時間以内に9割近い患者さんが診療を受けています。

MRSAの感染件数は、2001年に約7700件に上りましたが、2011年は約1200件まで減少しています。患者満足度は、医療サービス全体に対しては92%の患者が満足しており、ドイツ、フランス、カナダ、米国といった先進11カ国中、「最も満足している」という評価を得ています。GP診療所に対しても約9割の患者が満足しているという統計が出ています。

プライマリ・ケア重視の世界的な流れに伴って、GPの人気は上昇しています。現在、GP後期研修3000人の定員に対し初期研修を修了した6000人の医師からの応募があり、これは内科と比べても同水準の競争率となっています。プライマリ・ケアのスペシャリストとして診療報酬も各科専門医と同水準、もしくは上回るケースも多くなっています。英国全土の研修医を対象にした今年度のアンケートによると、私が最近修了した家庭医療後期研修プログラムの88%以上の研修医が「満足している」と回答しており、内科、外科、産婦人科、小児科などの他の診療科と比べて研修医の満足度が最も高い診療科になっています。

国際医療制度ランキング(出所:The Commonwealth Fund 2010)では、米国、ドイツ、カナダ、ニュージーランドを含む先進7カ国中、1位オランダ、2位英国、3位オーストラリアの3カ国が、類似のGP制度を導入しています。つまりプライマリ・ケア重視の国は、医療制度ランキングでも優秀な傾向がみられます。

よく持たれる疑問として、「重大な疾患を見逃すのでは?」と聞かれますが、GPは重大な疾患を見逃さないための多くのトレーニングを受けています。また、「人頭払い制度のせいで、過小診療になるのでは?」と心配する声を聞きますが、診療報酬の工夫をはじめ、グループ診療や医療ミスに対する厳しい法的対処、最新のエビデンスに基づき標準化された医療(NICE Guideline)といった外からの圧力、厳しい専門医教育や倫理観を重視した医学教育といった内からの圧力など、色々な工夫があります。

また、「GPがゲートキーパーになって医療費を抑制するだけなのでは?」と言われることがあります。しかし、実際に英国で働いていると「GPは"ゲートオープナー"である」と実感しています。「適切なケアを適切な時」に提供することで、医療の質の向上と効率化を図り、二次・三次医療が必要なときは患者の症状、健康問題の緊急度や重大さによって適切にコーディネートするのがGPの役割です。

大胆な改革によって生まれ変わった英国医療サービス

英国では2007年から、GPとして認定されるには、研修プログラムと専門医試験(MRCGP)の両方を修了・合格しなければならない「ライセンス制度」が導入されました。家庭医療後期研修プログラム(3年間)の内容も一新し、6カ月ごとに3つの病院で病院指導医のもとで研修を受け、また6カ月ごとに3つの診療所で診療所指導医(GP Trainer)のもとで研修を受けます。

新しい専門医試験は、筆記試験(AKT:Applied Knowledge Test) 、臨床試験(CSA:Clinical Skills Assessment)、職場基盤評価(WPBA:Workplace-Based Assessment)の3つの要素で構成されており、筆記試験と臨床試験の最近の合格率は概ね70%となっています。

英国の医療サービスは、ブレア首相の大胆な改革によって生まれ変わりました。とくに家庭医療教育が著しく進化し、全国でバラつきのあった家庭医育成の質が、より公平で信頼性の高いものとなりました。

今、プライマリ・ケアの重要性が上がっています。"病院から地域に、治療から予防・健康維持に、医療単独からチームケアに" というキーワードは世界的な流れになっており、日本も例外ではありません。もちろん二次・三次医療は引き続き重要ですが、これからの新しい形として、プライマリ・ケアと二次・三次医療が手を取り合いながらお互いの専門性を発揮していく「明日の医療制度」の構築が求められています。

質疑応答

Q:

Evidence Based Medicine(科学的根拠に基づく医療)の概念が、日本では遅れている印象があります。プライマリ・ケアの導入はEBMの推進につながるのでしょうか。また、膨大なNICEガイドラインの内容を中高年世代の医師が改めて勉強し、GPになることは可能なのでしょうか。

A:

プライマリ・ケアの重視は、長年蓄積された世界各地のエビデンスに基づいて推進されていますので、日本も参考にできることがあると思います。

NICEガイドラインはたしかに膨大で、日頃、忙しく働いているGPが網羅的に読むのは現実的ではありません。しかし、各項目には必ずサマリーのページがありますし、診療所での定期的なトレーニングもありますから、高齢のGPであっても常にアップデートできるように工夫されています。明日のGPを養成する後期研修は非常に厳しく、NICEガイドラインに沿った診療を日々実践していないと専門医試験に合格するのが難しい状況になっています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。