内側から見たWTO紛争解決制度:How to avoid getting lost in translation

講演内容引用禁止

開催日 2012年4月19日
スピーカー 大島 正太郎 (東京大学大学院法学政治学研究科 客員教授)
モデレータ 中富 道隆 (RIETI上席研究員 / 経済産業省 通商政策局 特別通商交渉官)
開催案内/講演概要

長年外交官としてWTOなどの場で多角的ないしは多国間の貿易交渉を経験した者が、退官とともに、何を勘違いしたか、WTOの紛争解決制度の中核をなす上級委員会の委員になってしまい、この4年間、如何にこの世界が、WTOの交渉の世界と違うか思い知らされたか、と言うほろ苦い(?)経験に基づく体験談を基礎に、現在の多角的貿易体制の抱える問題にも言及する。

議事録

※講師のご意向により、掲載されている内容の引用・転載を禁じます

はじめに~WTOの紛争解決制度とは

大島 正太郎写真WTOの紛争解決制度によると、加盟国間で貿易紛争が起きた場合、当事国間でDSU(紛争解決了解)の手続きの下で協議をし、そこで解決に至らなければパネル(小委員会)を設置して、審理することになります。そこで判断が下され、提出された報告書をDSB(紛争解決理事会)で採択し、それがWTOの判断として効力を持つことになります。ただパネルの報告書の内容に、いずれかの側に不満が残る場合は上級委員会に上訴することもでき、その場合はそこで再び審理と報告書の作成が行われ、DSBによる採択に至ります。上級委員会の判断は最終的な判断として強い拘束力を持ちますが、仮にそれが実施されない場合は、代償または対抗措置がとられることになります。

紛争解決制度はGATTの時代にもありましたが、WTOのGATTとの決定的な相違点は、強制的管轄権とパネルの設置が自動的に行われる点とにあります。さらに、パネルないし上級委員会がまとめた報告書は、negative consensus(全員が反対しない限り採択)の原則によりDSBで事実上自動的に採択され、拘束力を持ちます。したがって、上級委員会は裁判所に近い存在といえます。上級委員会委員の要件ですが、まず、法律、国際貿易および対象協定が対象とする問題一般についての専門知識を持つこと。また、「いかなる政府とも関係を有してはならず、世界貿易機関の加盟国を広く代表すること」と日本語ではありますが、実は英語では後半部分が"Appellate Body membership shall be broadly representative of membership in the WTO"と、主語が委員でなくmembership(委員の構成)となっていて、ニュアンスの違いがあり翻訳として正確ではありません。

「ロスト・イン・トランスレーション 誤訳の巻」(協定文和訳に見られる誤訳がもたらし得る問題)

協定文の明確な誤訳の例として1つ指摘できるのが、GATT第20条の一般的例外の条文です。英語で"a disguised restriction on international trade"とあるのが、「国際貿易の偽装された制限」と訳出されているのです。一見、誤訳に見えないのですが、「偽装」に関しては広辞苑によると「欺く」という要素が非常に重要であるのに対し、disguiseは「欺く(deception)」という概念は必ずしも入ってきません。この"a disguised restriction on international trade"は、政策的意図が問題ではなく、あくまでも客観的に何が起きるかで判断されます。つまり、保護主義的措置を意図的に隠して、合法的措置である装いを持たせているという政策的意図の有無は問題とならないということです。したがって、たとえ偽装でなくても、日本政府にそうした意図がなくても、disguiseされた貿易制限措置として違法と判定される可能性があるわけです。

「ロスト・イン・トランスレーション 誤解の巻」(加盟国間の法意識の違いがもたらし得る問題)

そして誤訳以上に厄介なのが、法意識の違いによる誤解です。正文は英語(仏、西)である以上、正しい解釈は英語(仏、西)による法意識でのみ得られるはずです。それを日本語ベースで解釈しても、正しい解釈には行き着かないのです。

1つの例として、「法の支配」(Rule of Law)という概念があります。これはWTO諸協定にはそのままの形で出てきませんが、WTOがルールにもとづく多角的国際貿易体制を掲げる限り、「法の支配」がその精神としてあるはずです。ところで、「法の支配」は厳密にいうと「法律の支配」(rule by legislation)、「法による支配」(rule by law)とは違い、英米法辞典(田中英夫編集)によると「統治されるべき者だけでなく統治する者も法に従うべきである」という政治の指導原理を指します。

なぜこれが問題かというと、WTO諸協定が欧米、特に英米の政治経済社会の中で育まれた法意識を背景に存在する実定法である以上、その解釈に非欧米的な法意識を導入することは可能か否かという問題があるからです。とりわけ、DSUの「対象協定」の解釈に際しては、「解釈に関する国際法上の慣習的規則に従って対象規定の現行の規定の解釈を明らかにする」とありますが、そのベースとなる「条約法に関するウィーン条約」の第31条1項において、条文上の用語はその「用語の通常の意味に従い(in accordance with the ordinary meaning to be given to the terms of the treaty)」解釈されると規定されています。したがって、WTO諸協定の条文解釈に当たっては、まず「用語の通常の意味」の解明から始めます。その際に用いるべきなのはOxford Dictionaryなどの英英辞書であって、広辞苑を用いることは考えられません。そうである以上、WTO諸協定を日本語で解釈することにも疑問がわきます。自国の法意識でもって自国の措置が合法(WTO諸協定に整合的)であると解釈しても、WTO諸協定解釈として通用しない可能性が十分にあるからです。

「ロスト・イン・トランスレーション 制度上の問題の巻」(加盟国数の拡大がもたらす制度面の問題)

日本がGATTに加入した1955年当時の加盟国は33カ国・関税地域でした。それらの国は、日本とトルコを除いて、すべて欧米諸国または欧州の言語(英、仏、西)を用いる旧植民地国でした。ところが、その後、ウルグアイラウンド(UR)を経てWTOが設立され、加盟国が128カ国・地域に拡大。さらに2012年現在では153カ国・地域となっています。これらの多くはもはや欧米言語をベースとしない国(中国、サウジアラビア、ベトナム、ロシア、等々)です。これらの国がどのように自国の法意識と欧米の法体系とをマッチしていくのか。履行に際してどのように国内を納得させるのか。欧米的な法意識を持たない加盟国が大多数となった現在、欧米の法意識で動いているWTOを今後どのようにしていくのか。これらの問題を念頭におきながら、WTOの交渉をさらに進めるとともに紛争解決に臨む必要が高まっていると思われます。

曲がり角に来ているWTO~DSは「最後の砦」か?

WTOはいま曲がり角に来ています。2001年からのドーハラウンド(DR)交渉は事実上ストップしています。一方、紛争解決制度(DS)は健在ですが、その決定の拘束力が効果を持つにはやはり加盟国のWTOに対する信任が前提となります。つまり、WTOが貿易自由化を進め、世界貿易の発展を実現するという信頼です。そこが躓くと、すなわち貿易自由化とルールづくりで躓くと、WTO全体に対する信任が揺らぎ、ひいては紛争解決制度に対する信任も揺らいでしまうことを危惧しています。一方、WTO自由化交渉の停滞は、多くの国をして二国間、多国間のFTA交渉に走らせていますが、そこで生じる紛争がWTOに持ち込まれるケースも多く、DSだけが繁盛している状況が起きています。FTAにも独自の紛争解決制度がありますが、たとえばNAFTAでも中で解決できない問題をWTOのDSに持ってくるケースが少なからずあります。このことは、FTAが拡散する中でもなおWTOが必要とされていることを示唆すると同時に、今後のWTOのあり方を考える上で重要な要素であると思われます。

質疑応答

Q:

ひとくちに欧米といっても、英米法と大陸法とではかなり概念が違います。日本人と同じような違和感をドイツ人やフランス人も持っているのではないでしょうか。一緒に審議をしてそのような感じはありましたでしょうか。

A:

ご指摘ありがとうございました。英米法云々と強調しすぎてしましましたがご指摘の通り英米法と(欧州)大陸法の双方の体系が混じり合っています。

上級委員会は7人の委員で構成されますが、たしかに英米法系の委員はその一部であり、残りの多くは大陸法系の委員です。両者の間にはもちろん議論もありますし、何よりもアプローチの違いがあります。そもそも、上級委員会の位置づけに関しても、裁判所に近いのか司法機関に近いのかというので議論がいまなお続いています。たとえば「先例」の持つ意味に関しても、委員の間で若干の温度差があります。また、加盟国間で判決の受け止め方も違います。したがって、WTOの法意識においても、英米法的な考え方のほかに、大陸法的な論理的整合性を強調する面ももちろんあります。

Q:

日本国内でWTOの場で戦えるプロフェッショナルは育成できているのでしょうか。または、そのような機関はあるのでしょうか。ものづくりの技術者もプロまかせにせずもう少し危機感を持つべきでしょうか。

A:

政策面の交渉担当者は各関係省庁で育成されていると思われます。ただ、紛争解決に関しては、日本の法曹界ないし学界でもっとWTOに対して関心を持ってもらいたいと思います。というのも、実際に上級委員会で2国が争う場合、いずれの国も米国或いは欧州の弁護士事務所を使用しているケースが少なからずあるからです。日本の法律事務所でもそうした際に使える弁護士を育成すれば、交渉の風景も少し変わってくると思われます。

WTOの中には知的財産所有権に関する部分もあり、そこには技術者も関係してくると思われます。

Q:

上級委員会の判断に対して一部の国が批判的な意見を出すケースがあります。そうした国に対するジュネーブの受け止めはいかがでしょうか。

A:

どの国であれ、加盟国である以上、上級委員会の判断は尊重するのが当たり前です。というのも、上級委員会の判断に勝敗はなく、WTOが判断を出している以上、それはWTOの勝利であり、したがってすべての加盟国全体として――敗訴国を含めて――の勝利であるからです。

Q:

誤訳を指摘された"disguised"が「偽装された」でないとしたら、どのような日本語訳が適切とお考えでしょうか。

A:

「形を変えた」ではないでしょうか。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。