アラブ諸国の社会変動と民主化

開催日 2011年6月10日
スピーカー 池内 恵 (東京大学 先端科学技術研究センター 准教授)
モデレータ 森 清 (経済産業省 通商政策局 中東アフリカ課長)
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開催案内/講演概要

チュニジア、エジプトで政権を崩壊させたアラブ諸国の「大規模デモ」の波は、リビア、イエメン、シリアで政権崩壊の危機に追い込み、バーレーンをきっかけにアラビア半島の産油国の安定にも動揺をもたらしている。事態はイスラエル、イラン、トルコを含む中東地域の再編につながりかねない。

このBBLセミナーでは、3月から5月にかけてのエジプトでの現地調査の知見を踏まえ、各国の社会・政権の特質によって固有の展開を示しつつ、相互連関し連動していく中東政治の構図を示す。エジプトの民主化移行プロセスと、サウジアラビアの「反革命」政策の成否が主要な課題となる。

議事録

「大規模デモ」の出現とアラブ諸国の政権動揺

池内 恵写真今回アラブ諸国で起きた「大規模デモ」の出現メカニズムは、情報空間の変容と、その変容を支える若者世代の台頭という2つの観点から探る必要があります。

情報空間の変容は累積的な現象です。

まず、15年前の1996年、アラビア語で国際的に情報発信する衛星放送局、アル=ジャジーラが開局となりました。これにより、人々は自国の政治についての政府に統制されない議論に触れ、欧米や他のアラブ諸国の情報を手に入れることができるようになりました。アラブ世界での政治議論が大きく変わるきっかけが生まれたのです。

次に、2000年前後から携帯電話が急速に普及し始めます。特に、低料金サービスのSMSの活用は早期に活発になりました。これには政治的な意味があります。SMSによる呼びかけで、数千人、数万人規模のスマートモブを数時間で結集させることができるようになったのです。このような新たなタイプの社会運動は2005年前後から顕著になりました。

同時に、2000年代の半ばにはパソコンの大衆化も進み、2008年ごろからはラップトップ型パソコンが急速に普及し始めました。フェースブックやツイッターでアラビア語が使えるようになったことで普及が加速し、政府系の制度や、既成野党やムスリム同胞団といった組織に動員されていない多数の一般市民の間に政治的な「つながり」が生まれ、「若者(shabab)」が政治・社会勢力として自他ともに認められるようになったのです。

アラブ諸国で「若者(shabab)」と呼ばれる層、これをたとえば30歳以下と考えると、各国の全人口に占める割合はおしなべて60%前後です。35歳以下までを含めると75%程度になる国もあります。これは非常に大きな数字です。そもそも政治・社会カテゴリーとしての年齢区分で30歳や35歳が「若者」扱いされるというのは、彼らが政治的・経済的・社会的なエンパワーメントを受けていないことを意味し、政治的危機の原因となります。しかも彼らは過去15年の情報空間の変容を最も敏感に吸収してきた世代です。情報ツールを使いこなすという意味では、上の世代に対し、格段の優位性を持っています。そういう人たちが「若者」として子ども扱いされること(職がない。世代間継承がなされない)や、特定の家系の若者だけがエリートの最頂点に抜擢されるといったことに不満が募り、大規模デモにつながったと考えることができます。

情報空間が変容する中で、新自由主義的政策の擁護派から反対派まで、本来なら結びつかないような人々が、「諸悪の根源は、個々の政策ではなく、政権そのものである」との共通の認識を抱き、そうした考えを新たな情報ツールを活用して主張するようになりました。

こうした動きにより、アラブ諸国の権威主義体制の根幹が動揺・喪失しました。アラブ諸国では(1)ばらまき、(2)恐怖、(3)情報統制が統治の手法・基盤となっています。「旧世代」はこれを当然と受け止め、そうした手法・基盤はそれなりの正統性を維持してきました。そこにきて、突然、政治意識の異なる新たな世代が出現したのです。彼らは国営のテレビも新聞も信用しません。インターネットを使い自分たちで情報を収集し、発信します。その彼らが行き着いた結論が「政権打倒」であり、それを公の場で主張し続けたことで政権の正統性が根幹から崩れたのです。

こうような形で大規模デモに火がつき、最初の2カ月で各地に急速に広がったのです。

各国の政治展開の分類

半年が経過した現在の状況は大きく3つに分類できます。

第1は、「移行期政治プロセス」が成立しているモデルで、エジプトやチュニジアがこれに該当します。

これに対し第2のモデルである、リビア、イエメン、シリアは、移行期体制に入るための社会的まとまりができていない国、あるいは移行期における権力の暫定的配分がうまくできていない国です。リビアでは内戦状態が続き、イエメンではデモ隊と政権が膠着状態に陥っています。シリアでは、反政府運動の発生と弾圧が繰り返されています。

第3のモデルは、サウジアラビアを中心とした湾岸協力理事会(GCC)諸国に顕著で、少なくとも改革は約束するが、それと同時に、抑圧は強化し、ばらまきを拡大することで、当面は、大規模デモの発生を抑えています。

各国の政治展開を分ける要因

同じ「大規模デモ」という現象を受けても、政治展開の仕方がこのように国により異なるのは、政治社会の4つの規定要因が異なることから説明できます。

第1の要素が、「中間層の厚みと成熟度」です。これは市民社会の発展の度合いともいえます。市民社会の定義はさまざまですが、ここで重要なのは、自由に議論ができる能力を持つ人の数です。国家から経済的に半自立した中間層の大きさも重要です。中間層の経済的自立性や議論の質(エネルギー)の高さ(大きさ)は、政権が揺らいだ際の受け皿の話につながります。難しい議論の対立を調整し、連立・連合を組み替えていく移行期の複雑な政治過程を粘り強く担える人物・集団が次々と現れるかという意味での「厚み」であり「成熟度」です。

第2の要素として、「国民統合の度合い」が重要です。これは第1の中間層の厚みと成熟度と対になっているといえますが、1950年代頃にアラブ世界が他の発展途上国と共に近代国家形成を進める過程で注目されたメルクマールでした。この近代国家形成の初期の段階で、アラブ諸国は困難を抱え、政治的近代化の道のりで脱線、遅延してきたといえます。現在、まるで1度は「民族主義」と「反植民地主義」や「イスラーム主義」を掲げていわば「退学」した近代化の学校に、再び入り直そうと戻って来たような様相を呈しているのが現在です。アラブ諸国の近代国家形成のあまりうまくいかなかった要素の1つがこの国民統合で、アラブ世界の諸国を横断した緩やかな意味での「アラブ公共圏」はできましたが、「アラブは1つ」というスローガンや帰属意識を裏付ける、政治的意味での国民統合や国民社会の形成には至っていません。国民統合は国単位で進み、統合の進展の度合いは国により異なるため、「大規模デモ」という共通の現象が起きても、すべての国で国民の一致につながったわけではありません。ただ、今回の大規模デモでは各国で共通して、「政権打倒」と「国民統合」が目指される政治的構図になっています。これに対し各国の政権は、「我が国は国民統合ができていない。宗派や部族で分裂が起きている中にあっては、政権によってのみ国をまとめることができる」と主張したのです。

そしてこの「国民統合の度合い」に大きく関わるのが、第3の要素の「政軍関係」です。軍が「国民軍」となり得ていたエジプトなどでは、政権が持ちこたえられないと判断したとき、軍は自らを政権と切り離し、国民の側に立ち、国民も一応それを受け入れました。これに対し、アラブの他の国では、軍が「政権軍」であるというパターンが多くみられます。軍が完全に政権軍であって国民と最初から遊離している場合、国民の多数が政権を批判したとき、軍は政権側に付くしか選択肢がなくなります。政権が倒れれば軍もろともとなるから、国民の多数と対立してでも政権を守るという選択をしかねません。さらに、傭兵を国民軍の代替としている国もあり、混乱と不確実性要因を増します。

第4の要素が「米国をはじめとする国際社会との関係」です。エジプトとチュニジアの政権が倒れた当初、現在アラブ諸国で起きている事象は、「アメリカの中東支配に抵抗するアラブの民衆が親米政権に対して蜂起した」と捉える向きがありました。しかし実際は、大規模デモは親米・反米の両政権国で起きています。ただ、親米政権の場合は、人権や民主主義といった理念や米国や欧州諸国主導の国際社会の批判にある程度配慮しなければならないため、弾圧の手を緩めなければなりません。政権の移行に米国が一定の影響力を行使する形もみえてきます。しかしリビアやシリアのように明確に反米主義を掲げてきた政権は、制裁慣れしているので、政権に正統性がないといわれても気にしません。しかしだからといって、反米政権であれば生き残れるるのかといえば、そうでもないでしょう。短期的には米国などの圧力を撥ね退けて弾圧を強化できても、やはり国際社会が「ノー」と言う以上、国際場裡での正統性がどんどん弱まっていきます。親米政権に比べ、国連安保理などの授権の場でかなり早い段階で正統性を否定され、制裁を通じて政権の範囲を狭められることになります。ですので、反米国家が「大規模デモ」に対峙すると、中長期的には自らにとってかなり不利な状況が生まれます。

サウジとGCC諸国への波及をどう見通すか

今後について、現地の情勢がこのように特定の1つの方向に収れんしていないため、まとまりのある話はできないのですが、3つの注目点を挙げておきます。1つが、サウジを中心にして結束を固めるGCCの解決策が中・長期的に通用するのかです。当面、サウジは大規模な国民懐柔策を矢継ぎ早に発表しており、さらに資金をバーレーンやオマーンに注入し、バーレーンには軍部隊を派遣してまで、ばらまきと恐怖による支配を維持しようとしています。しかしそれが真の問題解決策であると国内外で認められているのかは、今後数年間をみなければわかりません。GCCはまた、仲介努力という形でイエメン、シリアにも手を伸ばし、リビアに対しては軍事制裁を率先して国際社会に求めました。そうすることで、国内の市民の歓心を買い、国際的にも自らの当事者能力と正統性を印象付ける作戦をとっているのです。

しかし湾岸諸国の対処策は、危険を将来に先延ばししている可能性があります。湾岸諸国の政権の国内の締め付けの中核には、次のような主張があります。すなわち、バーレーンやサウジなどのデモの中心にいるのはシーア派であり、大規模デモは「国民対政権」ではなく「シーア派対スンニ派」の対立である、それは、国民の意思を体現したデモではなく、特殊な部分的意思を体現した分離運動である、従って、弾圧の必要がある、と主張することです。さらに、これらのシーア派の策謀には、背後でイランが糸を引いている、としきりに攻撃しています。それによってイランと敵対する米国の支持も得ようと画策しています。こうした主張・画策は当面は通るかもしれませんが、長期的には問題を含んでいます。

湾岸アラブ諸国のシーア派問題は非常に根深い問題で、こじらせると大規模な混乱を招きかねません。まず、ペルシャ湾岸一帯のアラブ諸国には、サウジの東部州、バーレーン、クウェート、イラク南部、と繋がっていく、アラブ人のシーア派が多く住む「シーアの弧」が存在します。現在は、「敵はシーア派だ。それはすなわちイランだ」と主張することで、各国の政権はアラブ人のシーア派という国内少数派の権利意識拡大にどう対処するかという問題と、ペルシア人のイランが政治・軍事的に勢力を伸張させているという問題を意図的に混同することで、国内の締め付けと国際的な支持の取り付けを同時に行おうとしているのですが、これは湾岸アラブ諸国のシーア派を疎外し、各国の政権から離反させ、国を横断してシーア派アラブ人で繋がっていく動きを促進します。既にイラクでは、従属的であったシーア派が、政権崩壊後、政治の中心にでてきています。その中で、各国でシーア派が疎外されれば、イラク型のシーア派主体の政権奪取を志向する政治意識を刺激しかねません。当面はイラン陰謀説を掲げてシーア派国民の要求を圧殺できても、中長期的には、国民であるシーア派がまとまって向かってくるとき、政権が耐えられるのかは疑問です。現在は、そうした問題の種がまかれている段階です。

移行期政治プロセスの中でのイスラーム主義

2つ目の注目点は、「大規模デモ」後の新たな文脈の中での、新しい形でのイスラーム主義の展開です。今後、一定程度リベラルで民主的な政治体制が構築される中では、イスラームという理念からいろいろな政策を正当化する議論が多くでてきます。問題は、そういった議論の前提となるリベラリズムの原則をイスラーム教の規範理念が根本的に否定しかねないところにあります。議論を進めるうちに、民主主義放棄の考えが生まれる危険もあります。もちろん、イスラームが必然的に自由主義や民主主義の否定につながるわけではなく、自由主義と民主主義を肯定するタイプの勢力が議論に打ち勝つ可能性もあります。その議論の展開を注意深く見て行く必要があります。ただし議論の過程で宗派紛争の問題は必ずでてきます。自由にモノが言えるようになると、キリスト教徒等の少数派による権利の主張が強くなり、イスラームではそうした権利は認められていないという議論も強くなり、対立が国際的議論を惹き起こすことでさらに先鋭的になり、国内での流血を伴う衝突が頻発する可能性も考えられます。

中東国際政治秩序の動揺

3つ目に、中東の国際政治秩序の再編の中で、2つの極が再び見え始めている点が注目されます。「再び」というのは1950年代・60年代に続いて、という意味です。1950年代には、エジプトを主要な発信源とするアラブ民族主義が広がり、イラクの政権は崩壊し、ヨルダンやレバノンの政権も崩壊の危機に直面しました。ヨルダンとレバノンについては、当時の東西冷戦を背景に、米国と英国、さらにはイスラエルまでが直接・間接に支えて崩壊を食い止めたのですが、きわどいところでした。ヨルダンは積年の敵だったサウジアラビアとこの時和解して、君主制国家でまとまり、共和制諸国に対峙しました。1962年にイエメンでは王制が打倒され、共和派と王党派が内戦となる中で、エジプトは共和派に軍事支援して介入し、対してサウジが王党派に肩入れし、「アラブ冷戦」が戦われました。いわばこの「アラブ冷戦」の再来とも見える状況が現れています。

今回は、エジプトを中心とした移行期に入っている政権と、サウジアラビアを中心とした移行期に入らせまいとする政権の間で二極化の方向が認められます。サウジアラビアは政権維持のための囲い込みを進める様子で、ヨルダンとモロッコをGCCに迎え入れようとするこれまでにない動きを進めています。一方、エジプト側は政権交代後に、イランに少し歩み寄るとか、ハマスに歩み寄るとか、ガザの封鎖を少し緩めるとか、ムバラク政権下でできなかった多様な外交アプローチを展開し始めています。

そうした中、イスラエルの安全保障環境が極端に変化しています。エジプトは柔軟な対ハマス政策、対イラン政策を講じ、その過程で、ヨルダン自体も「大規模デモ」が王制批判も一部に惹起して、揺らいでいます。中東和平はこれまでシリアに妨害され、進みませんでしたが、現在はシリアに妨害能力がないため、シリアに匿われていたハマスが、シリアで暴動が起きても政権を支持するそぶりを見せないという異例の状況が生まれています。ハマスが弱まるのはイスラエルにとって望ましいことですが、それは同時に、イスラエルを和平に追い込むことにもなります。イスラエル側が和平に応じなければ、今年9月の国連安保理、国連総会で、パレスチナが「イスラエルの側に和平の意思無し」と主張し、一方的な独立を求めることも考えられます。そうなるとイスラエルは非常に苦しい立場に追い込まれます。

質疑応答

Q:

「若者(shabab)」が中長期的に増え続けば、人口圧力の面からグローバルな意味での持続可能性が損なわれかねません。男性に養われたいと考える女性が増えるのならば、無職のshababとは結婚できないため、出生率が下がります。一方、貧しくても結婚する状況が続けば、貧困層が拡大再生産され、やはり政治的混乱につながります。現在、何が起きていて、今後どうなるとお考えですか。

A:

今回の暴動で爆発した怒りの本音部分には、男性に求められる経済負担を満たせないために結婚できないことへの怒りがあります。現在の経済・社会状況では結婚できないという問題について、女性側からも強く不満が上がっています。女性の社会進出は解決策の1つで、進出はある程度は進むと思います。また、現在の若者世代には、小規模な家族を目指す、計画性のある人たちが多いので、トレンドとして小家族は増えています。その意味で、これ以上の人口爆発はないと思います。ただし、今後約15年は新しい若者がどんどん市場に出てくるので、その間を耐えられるのかは、展望がはっきりとしていません。とはいえ、今回の大規模デモで若者が自らを政治的にエンパワーした部分ことは意味深く、政府が要求を満たせないことに不満を募らせるだけでなく、それではどうすれば要求を実現できるかを自ら考えて行動する人たちが増えると見られる。経済的にも、これまでは若者に自立性はなく、国の経済に求心力がない状態が続きましたが、政治的な改革が進んで経済上の非合理的な制約が取り払われれば、大量の若者という政治的な重荷が、経済的な発展にとっての好条件に代わる可能性はあると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。