フロンティア ジャパン -移民国家創生活力ある社会へ-

開催日 2011年3月11日
スピーカー 坂中 英徳 ((社)移民政策研究所 所長)
モデレータ 小黒 一正 (RIETIコンサルティングフェロー/一橋大学経済研究所准教授)
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議事録

人口減少社会の移民政策

坂中 英徳写真私は長年、法務省の入国管理局で外国人受け入れの問題に取り組んできました。外国人政策の立案やコンメンタールの執筆など、日本の主要な外国人政策にかかわってきました。

2005年に入国管理局を退職後、「外国人政策研究所(現・移民政策研究所)」を設立し、人口減少社会の移民政策について考えてきました。2007年には、50年間で1000万人の移民の受け入れ、特に人材育成型の教育重視の移民政策の必要性を提言してきました。本日は、日本の知識人に発想転換を迫るような話をできればと思っています。

人口危機と移民

人口は国家と経済と社会を構成する基本的な要素です。したがって、日本の人口が減少の一途をたどれば、経済や社会は衰退してしまいます。政府予測では、日本人口は50年後に4000万人も減少して9000万人台となり、100年後は4000万人台になるといわれています。

そうなれば、地域社会の多くが消滅してしまいます。経済では、多くの産業が失われ、縮小を余儀なくされます。このような世界の知識人にはわかりきった話を、日本人は直視しようとしません。たとえば昨年11月、英国のエコノミストに載った記事には、若者が国を支えきれずに苦しんでいる表紙とともに、「日本の未来を垣間見ようとすれば、夕張に行ってみればわかる」という書き出しで人口激減の日本の未来像が書かれていました。

夕張市の人口は、全盛期は約11万人に上りましたが、今では約1万3000人です。この夕張市のような現象が、日本では今後50年を待たずにどんどん出てくるという厳しい現実を正視してほしいと思います。しかし驚くことに、日銀関係者の話によると、日本の経済学者の7割は、人口が減っても1人当たりの所得は変わらないから大丈夫だと言っているそうです。

生産労働人口が50年間で半減し、所得の担い手が激減していく国において、なぜ1人当たりの所得が変わらないといえるのでしょうか。経済を支える基本要素である人口の問題を考慮せずに経済理論を立てるべきではありません。人間があっての経済であり、社会です。

一国の人口は「出生者」と「死亡者」と「移民」の3つの要因によって決まります。この定理も日本の知識人の多くは無視しています。日本の国勢調査でも、在日外国人を含めた人口統計をとっています。50年後、100年後の社会や経済のあり方を考える時に、移民という要素を入れなければ将来構想は立てられないのですが、残念ながらそこに思いが至らないのが、今の官僚、学者、政治家の実態です。

日本だけでなく韓国や中国も、近い将来、人口減少時代に入ることが予想されています。教育水準の向上、都市化や産業構造の変化、女性の地位向上、個人の生き方の多様化など、少子化は文明の発達とともにどの国も直面する問題となっています。

そこで、日本はどういうかたちで移民を受け入れて、よい国を目指すか。それを知識人が総がかりで考えていかなければなりません。日本は移民を受け入れる余地がないとか、日本人は外国人が嫌いだとか、そんなことを言っている場合ではありません。革命的な移民政策と根本的な産業構造改革を並行して推進し、日本が生き残るための方策を真剣に考えてほしい。それが私の願いです。

経済・財政と移民

今はまだ人口減少はわずかですが、日本は世界に冠たる長寿社会である一方で、14歳以下の子どもや30歳以下の若年人口は激減しています。そうした超少子・超高齢社会では、財政や年金をはじめとする社会保障制度が破たんすることは明らかです。政府の推測でも、50年後には1.3人で1人の高齢者を支えなければなりません。これは人類が経験したことのない地獄のような社会です。

出生率向上の取り組みは必要ですが、その効果が現れるまでにはかなりの時間を要します。また少子化は文明国の宿命のようなもので、出生率が実際に上がるかどうかも確かではありません。そこで即効性・確実性を考えると、人口危機に対処するには新しい国民の増加につながる移民政策を導入するしかないという結論に必然的に行きつきます。

日本型移民政策

日本人と外国人がよい関係を築くには、まず移民にとって魅力的な受け入れ政策を立案すること、国民にとって移民が入ってきてよかったと思える社会を構築することが大切です。

そこで私は「日本型移民政策」を提言しています。たとえば、少子化で定員割れとなる日本の高等教育機関や職業訓練機関を活用することによって、30万人近くの留学生を受け入れます。そこで技術・技能を身につけた外国人には農業や水産業、町工場などの安定した職場を提供する。大学を卒業した外国人には、日本人と一緒に就職競争に参加し、しかるべき職業に就いてもらう。

明治時代から日本人が築き上げてきた教育施設は充実したものです。そこに外国人を入れ、日本人の子どもと同じように教育を行えば、日本社会を支える外国人材が育ちます。日本人の子どもにとっても移民はよきライバルとなり、よい刺激を与えることでしょう。

こうした私の提言は世界から歓迎されています。昨年11月、世界経済フォーラム主催の「移民に関する世界有識者会議」がドバイで開催されました。私は世界中から招聘された11人の有識者に対し「日本型移民国家構想」を提案し、コメントを求めました。移民政策の世界的権威は高く評価してくれました。

最近、ドイツ、フランス、スウェーデン、オランダなどの国では、移民に対して自国語や文化の教育を徹底的に行うようになっています。しかし、日本はゼロから教育重視の移民政策を構築していけばよいという有利な立場にあります。今後、多くの定員余剰が見込まれる教育機関の再活用という面においても、「日本型移民政策」は理にかなっているといえます。

純種系民族から雑種系民族へ

日本はこれまで約1000年にわたって移民鎖国の状態にあったので、移民について馴染みがないということは事実です。しかし国の成り立ちとしては、アジア太平洋地域のいたるところから移住してきた人たちが日本民族を構成し、その後も日本人は世界の多様な文化を上手に取り入れてきました。

50年間で1000万人の移民を受け入れるとすると、国民の10人に1人が外国出身者ということになります。これは現在のフランス、ドイツ、英国並みの移民比率にあたります。日本のような均質性の高い単一民族型の国家は、世界の国々の状況とはかけ離れています。さらに、日本の在日外国人は中国人と韓国人が圧倒的に多いため、欧米人からは日本人ばかりの国に見えるようです。日本は多様な顔を持つ国民から成る多民族国家に変わる必要があると私は考えています。

まとまりのある国民ががんばって日本は世界第2位の経済大国に上りつめました。しかし、その後の国力がなかなか回復しないのは、グローバル化の時代に入り、単眼的に物事を見る日本人だけで政治・経済・社会を運営することに限界がきたのではないかと考えています。日本人は1000年ほどの間、いわば近い血縁者同士の関係だけで代々生きてきたわけですから、自然とひ弱な民族になってしまったのかもしれません。

昨日、在日歴が長いスタンフォード大学の名誉教授と話をしましたが、日本が1000万人の移民を受け入れれば、50年後は自動的に3カ国語を話せる国民が1000万人単位で誕生することが予想されます。一方、米国や英国は外国語を学ぶ必要性が低いので、将来は国民の知的レベルの低下が起きるのではないかということが話題になりました。言語に限らず、ものの考え方や発明その他あらゆる面において、多様性には大きな強みがあると思います。

私が最近言っていることは、日本民族は「純種系民族」から「雑種系民族」へ進化しなければならないということです。これは、オバマ大統領が就任した頃、飼っている犬の種類を問われ、「この犬は雑種です。私も同じ雑種です」と答えているのを聞いて、思いついたものです。移民2世で大統領になった人はフランスのサルコジ大統領も同じです。多様な民族が日本国民を形成することになれば、世界の国々と堂々と渡り合い、世界に負けないたくましい日本になるのではないでしょうか。

私が提言する移民政策には、2つの側面があります。1つは、人口危機への即効性ある対策として、とりわけ若い人材を移民として受け入れるというものです。もう1つは、国民の質を変えていくために、移民の受け入れによって多様性に富んだ力強さを取り入れるというものです。

質疑応答

Q:

日本人の外国人嫌い、あるいは少数派をあまり受け入れない性質の根源的な理由については、どのように思われますか。

A:

私は、日本人がそれほど排外的だとは思っていません。日本では縄文・弥生の時代から、原住民と外から新しく来た人々が共生していたようです。一方で、同じ島国である英国は、何度も異民族に征服された体験があるので、外国人に対する見方はやはりどこか日本とは違うと思います。日本人は、たとえば江戸時代の鎖国下にあっても、流れ着いた外国人の船員などに対して人道的な処遇をしていました。

人類史をふり返りますと、民族や宗教の違いに起因する戦争の歴史の連続でした。一方、日本はそういうことにほとんど遭遇しなかったがゆえに、日本人は異なる民族に対して無垢で純粋なところがあるといえるのではないでしょうか。日本は、外から文化や宗教を比較的寛容に受け入れてきました。移民の受け入れに関しては、これからの課題ですが、私はうまくいくと思っています。

Q:

2050年の東アジアの状況は、EUのようになるとお考えでしょうか。

A:

私は、アジアはヨーロッパとは違うと思います。そもそもアジアという概念が成立するかどうかも、わかりません。東南アジアとかASEANとか言っていますが、はたしてそこに住む人々のあいだに一体感があるのかどうか。日本、中国、韓国の3国が本当に1つになれるのか。また、インドはアジアなのか、それともヨーロッパなのか。そのあたりも含めて、私はアジアの地域統合の実現性に関して甚だ疑問に思っています。

一方で、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を見ると、この地域には米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドと、世界の移民大国が名を連ねています。日本がこれから50年かけて1000万人の移民を受け入れる方向に進むとしたら、移民受け入れ国としての価値観を共有する国々が環太平洋地域に集まることになります。

Q:

外国人労働者ではなく移民として受け入れることについて、もう少しお話を伺いたいと思います。

A:

外国人の受け入れの歴史を見ると、どの国も最初は奴隷として、その後は国内の労働力不足を外国人労働者で補うかたちで外国人を入れてきました。今日では、外国人労働者ではなく、移民の受け入れが正しい外国人の受け入れとされています。

移民として受け入れることによって初めて、移民の教育、社会統合や国民との共生、家族の結合の話が出てくるわけです。人口が加速度的に減っていく国が外国人を受け入れる方法はいろいろあります。奴隷として受け入れることは論外ですが、外国人労働者というのも基本的には低賃金労働者としてこき使うもので奴隷に近い扱いと世界から批判されます。人口を補う必要がある日本では、日本人と共生してもらい、新しく国民になってもらうため、地域社会の一員と位置づけて外国人を受け入れなければなりません。日本に永住する外国人すなわち移民は、税金を納め、年金・社会保障制度を支えてくれますし、将来は国民になってもらうことも期待できます。外国人労働者としてではなく移民として、つまり生活者あるいは消費者として、もちろん働き手として、移民の家族も一緒に、そのように受け入れるのが正しい外国人の受け入れのあり方であると私は確信しています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。