官僚の方々に問う -日本の対外戦略

開催日 2011年2月9日
スピーカー 田中 均 ((株)日本総合研究所国際戦略研究所 理事長/(財)日本国際交流センターシニア・フェロー/東京大学公共政策大学院客員教授)
モデレータ 及川 耕造 (RIETI理事長)

議事録

戦略とは

田中 均写真私は外務省に36年半勤務した後、退官して5年半が経ちます。この5年半の間、人材育成に努める一方、諸外国を毎月一度は訪問してきました。そして、世界はどのように変わっているかということ、あるいは外国の有識者に日本はどのように見えているのかということを知り、さらに発信していきたいという思いで過ごしてきました。

日本に、はたして戦略はあるのか――。霞が関を出て、国外から日本を見た時に強く思ったことです。たとえば、鳩山前首相が普天間基地の移設先について「最低でも(沖縄)県外」と言った時に、戦略はあったのか。日本の閣僚が尖閣問題について「日本の法に従って粛々と対応する」と言った時に、戦略はあったのか。菅首相が「メドベージェフ大統領の北方領土訪問は暴挙である」と言った時に、戦略はあったのか。常に疑問に思ってきました。これは、民主党政権だからということではありません。

海外の人たちからは、東アジアの大きな発展の中で、日本は唯一の先進国であるという立場を活用して、当然のことながら海外戦略を構築しているのだろうという目で見られています。ところが実際に日本で起こっていることを見ると、戦略が無いように思えることばかりが目につくのです。

これは、政治家だけの責任ではないと思います。皆さんは、戦略とは何だと思われるでしょうか。戦略は、ビジョンや構想ではなく、政策でもありません。一定の目的を達成するための方途なのです。そして、そのような方途をつくるのは政治家ではありません。官僚、あるいは社会の各分野で活躍する皆さんが考えなければならない問題であるのです。

戦略の4つの要素

戦略は、4つの要素から成り立っています。第1は、十分な情報です。政治家は十分な情報を得る立場にいるでしょうか。そうとはいえません。第2は、その目的に対して確信があるか。日本国民の繁栄や安全を担保するという目的を達成するのだという確信を持っているかどうかです。第3に、大きな絵を描いているかどうか。相手のいる対外戦略において、日本の言い分を並べ立てるだけでは結果は出ません。そこで、大きな絵を描けているかどうかが大切となります。第4に、力です。どういう力で戦略目的を達成するのか。この4つの要素が無ければ、戦略とはいえないのです。

いままでの日本は経済が停滞した時ですら、米国の一極体制のもとで日米基軸を頼っていれば、たいていのことは無難に過ぎました。しかし、これからの日本は少子高齢化が進み、財政がひっ迫する中で、周辺に大きな成長力を有する国々がいます。日本は自ら選択をし、能動的に動かなければなりません。「皆さんに、その覚悟はありますか」と、私は問いたいと思います。

つまり、必要なのは、しっかりとした戦略をつくるということです。

リスクを下げ、機会を最大化する

そこで、何が戦略なのかということについて、私の考えをお話ししたいと思います。日本の戦略を考えるには、まず世界がどのように変わっているかを前提に考えなければなりません。私は、いまの世界の変動には、3つの大きな要素があると考えています。

第1に、富が西から東へ移る。つまり、先進民主主義国の世界から、いわゆる新興国といわれる国々と拮抗していく時代になるということです。

第2に、世界の求心力が低下した。以前は、世界のGDPの7割を先進民主主義国が占め、1つの価値の共有というクライテリアがありました。しかし、いまは開発途上国も自分たちの権利を主張し、まとまりません。つまり、国際的な統治が難しい世界であるということです。

第3に、世界の中心が東アジアに移っていくということです。東アジアの活力を利用して生きていかない限り、日本の将来はおそらくないと思います。しかし、東アジアには問題も圧倒的に多いといえます。そこでリスクを下げ、機会を最大化していく必要があります。それは国内政策ともリンケージした成長戦略の基本となり、日本の安全を担保する基本となりうるでしょう。

一方で、日本は日米安全保障体制を基礎としていなければなりません。日本がグローバルなパワーであるということ、日米関係が極めて堅固であるということ、これは戦略の基本の1つである「力」を生むために必要なことなのです。そのような力を使って、東アジアがより安定化し日本にとって好ましい地域となるために、行動をとっていく。つまり、リスクを下げて機会を最大化するということです。

それでは「大きな絵を描く」とは、どういうことでしょうか。日本にとって、東アジアには大きな2つのリスクがあると思います。1つは、短期的なリスクとして北朝鮮です。もう1つは、中長期的なリスクとして中国です。中国が脅威だということではありません。日本の経済にとっても、安全保障にとっても、中国はリスクの大きい国だということです。そのリスクを下げるためには、大きな絵を描くことが必要なのです。

北朝鮮は昨年、極めて深刻な軍事的挑発を繰り返しました。そこで単に「けしからん」というのは、戦略ではありません。北朝鮮の核放棄を実現し、拉致問題を解決し、より平和な状況をつくるための戦略が必要です。そのためには、韓国と北朝鮮、米朝、日朝という3つの交渉を行っていく必要があると思います。日本にとっては、拉致問題の解決が最重要だと「叫ぶこと」でなく、結果として拉致問題を「解決すること」が目的であるということを戦略として認識すべきでしょう。そのためには大きな絵を描き、核の問題や南北の和解といったものごとの中で進めていかない限り、解はないのです。

私は、いつも「中国+5」ということを言っています。「5」とは、インド、ベトナム、インドネシア、豪州、韓国です。こうした国々とのパートナーシップを強化していくことが重要です。それぞれの国では中国との相互依存関係が非常に大きくなってきています。そういう意味においても、共通利益があるということです。中国という国が対外的により安定した関係をつくる方向に向かうために、日本はこうした5つの国とのパートナーシップを強化していかなければなりません。

また信頼醸成の一環として、もう少しマルチの仕組みをつくっていく必要があります。これは安全保障体制の仕組みではありません。アジア地域においては、NATOのような集団的自衛体制は構築できないと思います。しかし、共通の利益はあります。たとえば海賊対策、自然災害対策、テロ対策といったいわゆる非伝統的安全保障問題に関する協働の仕組みをつくることによって、信頼を高め、リスクを下げることができます。

東アジアを中心とした経済政策

経済の仕組みとして、どうしても必要なものが2つあります。まず1つは、マルチの東アジア経済連携協定です。私は基本的にASEAN+6の枠組みで多国間経済連携協定をつくるべきだと考えています。しかし、日本はいま確信をもってこうした取り組みを行える立場にはありません。その大きな理由となっているのが農業です。「農業を水際で守る」ということがいかに時代錯誤であるか、日本の農業政策がいかに時代錯誤であるかということに気付くべきです。

国内で農業人口が急速に減り、自給率も落ちている一方で、東アジアでは急増する中間所得層が食の安全を求めて、より高級志向となっています。しかし日本には、それにアグレッシブに対応できるような農業政策がありません。ですから、日本の農業政策を変えていくことが何よりも大切です。またTPPに関しては、東アジアで多国間経済連携協定をつくり、TPPとともにそれをアジア太平洋という大きな枠組みの中の一部にしていくという戦略目的を持ってほしいと思っています。

もう1つは、政策調整の仕組みです。東アジアサミットの中で、マクロ政策、エネルギー政策、環境といったことを中心にした政策調整を行っていく。そのために、東アジア版OECDといった取り組みの中でデータを集めていく。そういったことをぜひ進めていただきたいと思います。

戦略に必要不可欠な「力」

日本が活用できる「力」は、2つしかありません。1つは、米国の力です。これは、日本が東アジアで能動的な外交を展開していく上で、トータルな力を活用していくことが得策であるということです。普天間の問題もありますが、日米でいまやるべきなのは、もう少し大きな絵を描くということです。つまり、将来の東アジアにおける日米安保体制の位置づけについて、しっかり話をするということです。その結果、普天間の問題についても新しい光が見えるかもしれません。

日米の共通利益は大きいので、簡単に崩れるとは思いません。とはいえ、やはり日本はもう少し能動的に戦略を組み立てていくことが必要でしょう。その「力」を、結果的に東アジアで活用するようにしなければなりません。

もう1つの「力」は、日本国の力です。私が非常に残念に思うのは、政治主導というコンセプトがしっかり規定されていないことです。政治家にすべてお伺いを立てるとか、政治家が常に決定の場にいなければならないとか、官僚は余計なことを言わないとか、そういうことが政治主導だと思うならば、それは国家統治の原理に違背しています。戦略を組み立てるための十分な情報を持ち、確信を持ち、大きな絵を描き、力を活用してやっていく。それは、政治家だけのファンクションではないと私は思うのです。

私は長年、官僚として外交の現場で相手の目を見て交渉してきました。その経験が情報の分析・評価の能力を生み、確信を生んでいると感じています。政治家のファンクションは、当然のことながらそれを選択し、同時に政治的責任をとることです。政治的責任をとるという強い意志がなければ、戦略は挫折してしまいます。

つまり、日本でいま本当に必要なのは、官僚と政治家の関係を適切に規定し直すことです。官僚が常に戦略を考え、プロフェッショナルな提言をする。それが官僚に課せられた役割ですから、その職務を放棄してはならないと私は思うのです。政治のせいにすることなく、プロフェッショナルである官僚の方々が動かなければいけません。

そして、さらに必要なのは、オールジャパンで戦略をつくるということです。対外戦略は1つの省でできるものではありません。横軸の機能を内閣あるいは官邸につくらなければいけません。法律をつくって権限を付与し、人を配置し、戦略作成機能をそこにもたせること。これこそがいま求められる政治主導だと思います。

質疑応答

Q:

ロシアについては、どのようにお考えでしょうか。

A:

原油価格の上昇に伴い、ロシアの強大化がいわれた時期もありましたが、中国が圧倒的に強い経済力を持つようになり、かつ極東ロシアにおける影響力を急速に強めているいま、ロシアとしては日本との関係強化を模索する思惑から、日本に刺激を与えて、反応をうかがっているとも考えられます。

北方領土問題については、日本が100%満足するような解決は難しいかもしれません。しかし、時空を広げて、いろいろなものをバスケットの中に入れることによって、法的な建前は守ったまま現実をつくっていく方法が私はあると思います。

Q:

ASEANに対しては、どのようにお考えでしょうか。

A:

ASEANの将来について、私は多少懐疑的です。1つは、インドネシアやベトナムなど、それぞれの国において単独での経済発展が可能になったことです。特にG20にインドネシアが入ったことによって、ASEAN各国が目覚め始めたのです。もう1つは、ミャンマーの問題等に充分対応出来なかったということです。

日本の東南アジア政策は、これまでASEANを基軸としてきました。しかし、これからはインドネシアやベトナムといった国に対するパートナーシップを強化していくことによって、むしろASEANに刺激を与えることが必要だと思います。ASEANを軽視するつもりはまったくありません。日本の東アジア戦略を考える上でもASEANは重視していかなければなりませんが、同時に個別の国の強さを活用する方法、つまり二国間でのパートナーシップを考えていく必要があるということです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。