安全保障戦略の将来像 -イギリスと日本

開催日 2010年12月3日
スピーカー 細谷 雄一 (慶應義塾大学法学部准教授)
モデレータ 西垣 淳子 (RIETI上席研究員/通商産業政策史編纂ディレクター)

議事録

はじめに――ポスト9.11の安全保障環境の変化

細谷 雄一写真アメリカでの同時多発テロ事件を契機に世界の安全保障環境は大きく変わりました。まずは変化の要因を概観してみたいと思います。

~新しい脅威~
新しい脅威の1つとして挙げられるのがサイバー攻撃です。アメリカやイギリスの防衛戦略はIT化が進めば進むほど、脆弱になります。その脆弱性を攻撃されたとき国民の生命が危険にさらされるとの危機意識を持って、アメリカやイギリスではサイバー攻撃への対応が非常に重視されています。

環境破壊も新たな脅威ですし、グローバルな感染症拡大に関しては、たとえば人道復興支援をするにしても現地で感染症が拡大すれば作業が進まなくなります。従って、各軍隊が感染症に関する知識を持ち、対策を講じることが重要となります。

~脅威のグローバル化~
グローバル化が進展し、国際テロリストネットワークなどのトランスナショナルな脅威が台頭することで一国のみでは安全保障問題に対応しきれなくなっています。

憲法9条や武器輸出三原則に守られる日本は、武器の調達や国際共同開発について世界の中でも突出してユニラテラルなシステムを持っています。あらゆる側面で国際協力を阻止する法制度です。その是非については多くの議論がありますが、少なくとも日本のそうした状況は世界的にはかなり異常です。

一国で完結させる安全保障システムでは、維持にコストがかかる上、脆弱性も極めて高くなります。海外の自衛隊員は自分たちで身を守ることができないため、他国軍に守ってもらわなければなりません。しかも彼らは他国軍が目の前で攻撃されても、集団的自衛権との関係で見殺しにする義務を負っています。世界の常識からすれば異常なことです。

~戦略バランスの変化~
中国をはじめとする新興大国の力が急増し、グローバルな勢力均衡が大きく崩れています。そうした状況は、過去の歴史をみる限り、戦争の勃発や新たな安全保障上の脅威の誕生へとつながっています。勢力均衡の急変に適切に対応するには防衛戦略を迅速・柔軟に変更できる体制が必要となりますが、そうしたことを極めて難しくする制度的・政治的問題を抱えているのが日本の現状です。

~統合性・即応性・柔軟性~
安全保障上の脅威が不透明・不明確になる中では、陸・海・空の統合運用が重要となります。この点で自衛隊は過去十数年で大幅に進歩しました。問題は制服レベルで統合性を担保しようとしても、その上の政治レベルで軍事・外交・経済・通商・開発・インテリジェンス戦略を束ねた、省庁横断的なグランドストラテジーを策定できていない点にあります。

~厳しい財政的制約~
予算が削られる中で防衛力の実効性を高めるには無駄を省き、戦略を大胆に変更し、防衛体制の問題点を根本から見直す必要があります。

従来の戦略の問題点や無駄を点検するのが本来の見直し作業ですが、防衛大綱の見直しで過去の大綱の問題点が指摘されることはありませんでした。現在の民主党政権はそうした過去のタブーを打ち砕き、新しい変化をもたらそうとしていますが、党内や社民党、一部マスコミから猛烈な非難を受けているのが現実です。

安全保障戦略とは何か?

「戦略(strategy)」は大きく分けて、軍事戦略を主眼としたクラウゼヴィッツ流アプローチとリデルハート流アプローチの2つに分類できます。

後者の特徴は迂回的・間接的アプローチです。一般的傾向として、イギリスやアメリカでは軍事力以外の手段――たとえばインテリジェンスや経済力、開発政策、文化政策やプロパガンダ――で安全保障対策が講じられています。必ずしも軍事力を行使する必要はありません。核による抑止戦略も迂回的・間接的アプローチの1つです。

防衛戦略を練る際には、このように経済力をはじめとするさまざまな要素を総合的に考える必要がありますが、日本ではこの考え方が非常に弱くなっています。

イギリスにおける安全保障政策の再検討

1.ブレア労働党政権と『戦略防衛見直し(Strategic Defence Review:SDR)』
~国際主義的な防衛戦略~
ブレア労働党政権が1998年に公表した『戦略防衛見直し(Strategic Defence Review:SDR)』の特徴の1つに、国際主義的な防衛戦略があります。労働党政権は、単独主義やアメリカとの協調主義に傾いた保守党政権の戦略から、国際主義的防衛戦略へと転換を遂げました。自国の利益・安全のみならず人権・人道問題をも戦略の中枢に据えるSDRの考えは冷戦後の新しいトレンドとなりました。

~「領域防衛」から「危機へと向かっていく防衛」へ
遠方展開を重視したという意味でもSDRは新しい戦略です。「危機がこちらに来るのを待つのではなく、こちらから危機へ向かっていく」(SDR)との立場で、「統合緊急対応部隊」を創設し、柔軟で統合的な部隊を作りました。国防省には「防衛外交」任務を与え、ヨーロッパ大陸における信頼醸成の強化と安全保障環境の整備に向け国防省が政治・外交活動に関与する機会を増やしました。

~新しい脅威への対応~
イギリスはすでに1990年代後半の段階で国際テロリズムを中心的脅威として捉え、国際テロへの対処能力の必要性を認識していました。テロの防止に力を入れたのです。実際、イギリスは国内のあらゆる場所に監視カメラを設置し、テロリストの行動の把握に努めています。東京の地下鉄や高層ビルで国際テロが起きたとき、日本には迅速に対応できる体制が整っているのでしょうか。テロを未然に防止できるのでしょうか。現在の防衛大綱では十分な予算的裏付けがありません。予算がない限り実効的整備は進みません。

2.キャメロン保守党連立政権と『戦略防衛安全保障見直し(Strategic Defence and Security Review:SDSR)』
SDRの最大の問題はプログラム実行のために国防費が急増し、財政を圧迫した点にあります。関与が広がりすぎたため、兵力が疲弊し、より深刻で大規模な脅威への対処能力が低減する危険が生まれました。そこでキャメロン政権は『戦略防衛安全保障見直し(Strategic Defence and Security Review:SDSR)』(2010年10月19日)でいくつかの問題点に修正を加えています。

~財政危機の中での安全保障戦略~
キャメロン首相は今年2010年10月19日の下院演説で、今後4年で国防予算を大幅削減(8%)すると発表しました。さらに「より小さく、より賢明で、より支出に責任を持った国防省へと変えていかなければならない……軍事介入に過度に依存した戦略から、紛争予防により高い優先度を与える戦略へと変えていかねばならない」との考えも示しています。

~SDSRにおける防衛目標と国防費削減~
SDSRが掲げる最大の目標の1つに、アフガニスタンでのミッションの完遂があります。国防費が削られる中、この分野での予算が削られなかったのは、それが国際的約束だからです。国際合意には断固として責任を持つ。日本とは逆の姿勢です。

日本における安全保障戦略の再検討

~「基盤的防衛力構想」から「動的抑止」へ――2010年の防衛大綱改定~
現在の防衛大綱改定では「静的抑止」(「基盤的防衛力構想」)から「動的抑止」への転換が目指されています。「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(安防懇)が今年8月発表した文書では「軍事力の役割が多様化する中、防衛力の役割を侵略の拒否に限定してきた『基盤的防衛力』概念は有効性を失った」、「(5年前の大綱である)一六大綱が示した『多機能・弾力的・実効性を有する防衛力』を引き続き目指しつつ、多様な事態への対処能力に裏打ちされた、信頼性の高い、動的抑止力の構築に一層配慮すべきである」とされています。まさに正論です。

~武器輸出三原則の見直しへの動き~
武器輸出三原則は、佐藤総理の答弁(1967年4月21日)、河本官房長官の談話で示された三木総理による政府統一見解(1976年2月27日)、それ以降繰り返されてきた官房長官談話による基準の厳格化および例外措置――これらすべてを束ねなければ成立しないため、非常にわかりにくいものとなっています。防衛省が「武器輸出三原則」の後に「等」を付けるのも、民主党調査会が武器輸出三原則の明確化を求めるのもそのためです。

武器輸出三原則の原点となった佐藤総理の衆議院会議決算委員会答弁(1967年4月21日)はこのようになっています。

「……防衛的な武器等については、これは外国が輸出してくれといえば、それを断るようなことはないのだろうと思います……私は、一切武器を送ってはならぬ、こうきめてしまうのは、産業そのものから申しましても、やや当をえないのじゃないか……一概に何もかも輸出しちゃいかぬ、こういうふうにはいかぬと私は思います」

つまり「武器は輸出しなくてはいけない」というのが佐藤総理の考えでした。

さらに、佐藤総理が発表した三原則は1950年以降の通産省等による貿易取引の慣行に従ったものとなっています。その慣行について総理は同じ答弁で次のように述べています。

「……防衛のために、また自国の防衛力整備のために使われるものならば差しつかえないのではないか、かように私は申しておるのであります」

佐藤総理は自衛のための武器の輸出は認めています。ところが今はまったく逆の流れになっています。その理由の1つとして挙げられるのが次の答弁です。

「……共産国向けの場合、あるいは国連決議により武器等の輸出の禁止がされている国向けの場合、それとただいま国際紛争中の当事国またはそのおそれのある国向け、こういうのは輸出してはならない」

ただこれは国際的慣行であり、武器輸出三原則ではありません。佐藤総理は自衛のための武器は輸出しなければ産業が育たないと訴えています。

ところがそれとは完全に異なる解釈がハト派の三木総理の時代に生まれました。社会党や共産党を中心に政府批判が厳しさを増したため、三木総理の下、河本官房長官は談話(1976年2月27日)で「……『武器』の輸出を慎むものとする」との見解を示しました。ただ、ここで示されたのはあくまで精神論であり、全面禁輸等の法制上の基準ではありません。さらに同談話では「武器製造関連施設の輸出については、『武器』に準じて取り扱うものとする」とされていますが、ここでの「施設」もいつの間にか「技術」と解釈されるようになっています。

さらに、武器輸出について社会党や共産党から攻撃を受けた田中六助通産大臣は「『慎む』ということは、原則としてだめだということ」という考えを示します。

このように、官房長官や通産大臣がグレーゾーンについてその場の思いつきで発言をすることにより、「武器はなるべく輸出しないけれども、可能→武器はなるべく輸出しない→武器は絶対輸出できない」と論法が変わったのです。

これに怒ったのがアメリカです。そこで今度は中曽根政権における官房長官談話(1983年1月14日)で同盟国のアメリカに対しては武器三原則を適用しない考えを示し、基準の緩和を行いました。

こうした一連の流れを止め、変えようとしているのが現在の民主党です。

おわりに――21世紀の安全保障戦略の条件

現在の安全保障環境で日本が必要とするは、防衛省主導で作られた、軍事力・防衛力に特化した安全保障戦略ではありません。サイバー攻撃や武器の国際共同開発・輸出入、さらには感染症問題、環境問題、自然破壊問題、人道支援問題等は省庁横断的に取り組まなければならない問題で、問題対処には、内閣官房や首相官邸レベルでの大局的戦略が必要となります。それができないのなら、柔軟さに欠ける従来の防衛大綱改定作業は行うべきではありません。

省庁横断的な戦略、柔軟かつ迅速な対応を可能とする戦略、グローバル化された脅威に対応できる戦略、グローバルな勢力均衡が崩れる中で脆弱化する国際環境・安全保障環境に対応できる戦略――こうした戦略を政治主導で官邸や内閣官房を中心に策定しなければ、日本国民が大きな不利益を被ることになります。

質疑応答

Q:

集団的自衛権の回復や重点的防衛力の南西方面への転換は現政権で可能でしょうか。日本が柔軟に対応するには憲法9条の改正が不可欠だと思います。イギリスと日本を比較するには中国という脅威の有無で決定的な違いがあるのではないでしょうか。

A:

国民の間に防衛政策への不安が募り、より真剣に防衛を考えるよう政府に求める声が強まれば、政府も動かざるを得なくなると思います。ただ、例えば集団的自衛権を回復するには、国家体制や憲法を根本から見直す必要があります。そこまでのやる気が現政権にあるかといえば、ないと思います。

長期的防衛を考えるなら、憲法9条のほかに、衆議院・参議院の問題も解決しなければなりません。衆議院の決断1つひとつに参議院が反対していては迅速な対応はできません。こうした政治体制に関する問題を解決する中で集団的自衛権の問題も真剣に議論されなければなりませんが、それが果たして憲法9条の改正にまでつながるのかはわかりません。

周辺にホットスポットが散在する日本は世界で最も危険な安全保障環境にあります。勢力均衡も急変しています。日本の脆弱性が強まっていることは今回の尖閣諸島や延坪島の事件で国民も気付き始めています。一方、日本は過去10年弱で国防費を半減させています。これだけのスピードで国防費を減らした主要先進国は日本以外にはありません。日本の国防力はますます脆弱になっていることを私たちは認識する必要があります。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。