上海万博を振り返って -中国が国際社会と協調していく契機となったか?

講演内容引用禁止

開催日 2010年12月2日
スピーカー 塚本 弘 ((財)貿易研修センター理事長/元 上海万博日本政府代表)
モデレータ 由良 英雄 (RIETI総務ディレクター)
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議事録

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上海万博の概要

塚本 弘写真上海万博は、「より良い都市、より良い生活(Better City, Better Life)」というテーマで、2010年5月1日から10月31日まで行われました。会場面積(展示エリア)は3.28平方キロメートル、入場者総数は約7308万人に上りました。この入場者総数は、それまでの最多記録であった大阪万博(1970年)の約6422万人を超え、万博史上最多を記録しました。

日本館の運営

これまでの万博では、日本館の経費は概ね70億円でした。しかし、上海で行うとなると相当大規模な取り組みが必要となるため、政府はぜひ民間に協力してもらいたいと考えていました。また民間企業にとっても、企業が単独で参加する場合は中国政府に多額の協賛金を支払う必要がありましたが、日本館の出展に入るかたちで参加するならば、その必要は無くなるというメリットがありました。

こうした経緯によって、上海万博の日本館は、官民一体による画期的な出展となりました。日本館の経費は約130億円に上りましたが、50%は政府予算、50%は民間企業・業界団体の協賛によるものです。多額の予算によって大々的な展示ができたことに加え、やはり各協賛企業の非常に素晴らしい技術を展示できたことが大きなメリットであったと感じています。

日本館は、来館者総数約542万人、平均入館待ち時間3時間45分と大変な人気を呼びました。「こころの和、技の和」をテーマとした展示のポイントは、(1)日中の交流(遣唐使、伝統文化)、(2)ハイテク(ロボット、環境技術)、(3)美しい日本(季節感のある暮らし、社会調和)です。最終的に、日本館はタイプA展示部門で銀賞を受賞することができました。

日本館の建設には、1年ほどかかりました。日本館を入るとすぐに遣唐使の展示があり、阿倍仲麻呂や鑑真が紹介されました。そして、春夏秋冬の日本の暮らし、水資源問題、ゼロエミッションタウンなどに関する展示と続きました。

プレショーでは、朱鷺をモチーフとして日本と中国の交流を表現しました。また、ライフウォールというインタラクティブに反応するテレビ、人々の笑顔をキャッチするワンダーカメラ、バイオリンを演奏するパートナーロボットも登場しました。

最後にはメインショーの劇場があり、日本の能と中国の昆劇を融合させたミュージカルが上演されました。また、イベントステージでは、茶会(茶事)やさまざまなアーティストによる文化・芸能ステージが行われました。

万博を成功させるには

私は今回、選ばれて上海万博運営委員会の議長を務めました。万博事務局の本部はパリにあるため、議長はこれまでヨーロッパの方が務めるのが通例でした。委員会での公用語は英語とフランス語、そして開催国の言語が公用語として認められています。私が議長に選ばれたのは、日本が愛知万博で大変な成功を収めたことが一因となったようです。

実際に議長となると、まさに問題の連続でした。その中で特に、次の3つがポイントとして挙げられます。
(1)セキュリティ優先(入館パスの制限、ゲートでのチェックなど)
(2)車両の乗り入れ規制
   (i)開会式前(4月10日~30日)の乗用車乗り入れ規制
   (ii)開会後の万博会場の乗り入れ
(3)行列問題

この中で最も典型的な問題の例は、車両の乗り入れ規制です。上海万博では4月30日に開会式が行われました。その開会式には、中国の胡錦濤主席をはじめフランスのサルコジ大統領、日本からは仙谷大臣(当時)など、各国のそうそうたる来賓が出席されました。

そのため、当然ながらセキュリティ対策が非常に重視される中、中国側から突然、車両の乗り入れ規制を行うと伝えられました。それも、開会式に向けて各国の準備が急ピッチで進められる中、4月10日から規制を行うという内容を、3日前の7日になって通知があったのです。

それを聞いた各国の代表は、会場へ車両が入れなければ準備に支障をきたし、開会式には間に合わないと焦っています。そこで、私はすぐさま中国代表に掛け合い、真剣な討論を行いましたが、その結果、数日後、上海市副市長の楊氏も出席した会議で、状況は一変しました。楊氏はすぐに必要な車両の乗り入れを認めてくれたのです。

最終的にはうまくいきましたが、主催者が独自に決めるのではなく、各国と協調しながら準備を進めていくという万博の特徴がなかなかわかってもらえなかったのです。また、行列の問題も非常に深刻でした。

愛知万博の際に起きた運営上のトラブルとしてよく知られているのは、当初は禁止されていたお弁当の持ち込みが可能になったことでしょう。ディズニーランドでは受け入れられている「お弁当の持ち込み不可」という規制に対し、万博では苦情が押し寄せ、変えざるを得なくなったのです。

愛知万博もはじめから完璧ではなく、「日々改善」の精神で進められました。中国でも当初は多くの問題が生じましたが、誠心誠意、率直に議論することにより、最終的には成功を収めることができました。

このような成功の要因として、次の4つを挙げたいと思います。

第1は、リーダーシップです。上海市の最高責任者である愈正声上海市共産党書記は「オリンピックと万博は違う」という話をされ、トップの立場にいる人々の強力なリーダーシップによって、一度決めたことは直ちに実行されていきました。

第2は、「日々改善」の精神です。たとえば、会期中には韓国の人気ポップスターのチケットを求めて群衆が殺到することもありましたが、金属フェンスを設置することによって混乱を防ぐことができました。また、夏の暑さを和らげるため、人工的に細かい霧を発生させる装置を採用するなど、愛知万博のノウハウを継承しながら、色々な取り組みが行なわれました。

第3は、新聞の役割です。特に中国語の万博専門誌「毎日快報」を通し、ダフ屋の問題や行列の混乱といったネガティブな情報も隠さずに公開することにより、改善が可能になりました。

第4は、中国代表との信頼関係です。中国の華代表とは、議論を重ねるうちにお互いを理解するようになりました。華代表は「兼听即明」(広く意見を聞くと明らかになる)、私は「率直対話」が大事だと話し合い、信頼関係を築くことができました。

万博は「知のオリンピック」だと思います。「Better City, Better Life」というテーマに沿って、各国が競い合って未来を考える契機になったと思います。そうした中で、日本館は、人々の興味を惹く展示をしたことで、本当にたくさんの人々が訪れ、素晴らしい笑顔があふれていました。

また、日本館には25都道府県の知事が来館し、日本の観光キャンペーンなどを活発に展開しました。昨今、残念ながら中国からの観光客が減っていますが、その意味でも大きな契機になったと思います。

上海万博の外交的成果

万博外交という意味では、アフリカから50カ国が参加しました。これは、愛知万博での30カ国を大きく上回る数字です。また台湾は、大阪万博以来40年ぶりの万博参加となりました。上海万博の跡地は、中国館など一部の建物を残して元の状態に戻すことになっていますが、台湾館は新竹市(台湾)へ移設されることになっています。

今後の日本と中国の関係についてはさまざまな課題があると思いますが、私は今回、中国へ行って驚いたことがいくつかあります。

1つ目は、本年8月のことです。甘粛省で大規模な土石流災害が起こり、大変多くの方が亡くなられました。その災害から1週間ほど経った日のこと、その日は喪に服する日だということで、テレビでは一日中、その災害のことだけが放送されていました。昔、日本では天皇陛下が崩御された時に歌舞音曲禁止令というものが出ましたが、それと同じようなことが起きたので驚きました。

2つ目は、中国の劉曉波氏がノーベル平和賞を受賞したことをNHKやBBC、CNNが報道した途端、テレビが真っ黒になったことです。

今、中国では自由主義的な考え方が緊張関係の中で進んでいるように感じます。私たちは、そういったことも念頭に置いて、中国とどう向き合っていくかを考えていく必要があると思います。

質疑応答

Q:

万博というものは、どのような成果指標をもって成功と判断すべきなのでしょうか。気をつけるべき点などについて、アドバイスをいただきたいと思います。

A:

わかりやすい指標として、まず来場者数が多いという点が挙げられます。ある意味で、博覧会は一種のお祭りといえます。あまり生真面目では、一般の観客に受け入れられない場合があるのです。たとえば、愛知万博の成功要因は2つあったと思います。1つは、マンモスの展示といったエンターテインメントの要素に富んでいたことです。もう1つは、トランペットを吹く二足歩行型ロボットに象徴されるハイテクです。

このように、日本が愛知万博においてエンターテインメントの要素も重視した優れた運営を行ったところ、万博のパリ本部から総会の席で「素晴らしい」という評価の言葉をいただきました。やはり、日本が博覧会運営に大きな貢献をしているということが、今回私が議長に選ばれた一因だと思います。

また、メディアによる総合的な評価や観客へのリサーチも大切です。最近は、インターネット上のブログなどでの反響も大きく、中国では「日本館は、あれだけの行列でも並ぶに値する」といった高い評価をいただいています。やはり、環境やエネルギーといった堅くなりがちなテーマについて、万博の中でいかにエンターテインメント性を高めるかという知恵を凝らしていく必要があると思います。

Q:

今回の上海万博が象徴するのは、どのようなものだとお考えでしょうか。

A:

上海万博は、ちょうど日本が大阪万博を開催した時と同じ状況のような気がします。まず、中国でこのような国際的イベントを開催できたことに、中国の人々は大きな誇りを感じていることでしょう。

また、万博ではさまざまな建築も見どころの1つです。各国の先進的な技術、個性的なデザインの面白さと共に、今回の上海万博ではこれからの都市のあり方が具体的に示されたと思います。自動車を減らし自転車を活用するための工夫、電気自動車をレンタルで運用するシステム、自然との調和を図る街づくりなどが紹介され、非常に注目されました。

Q:

塚本さんは、上海万博に貢献した人物ということで金賞を受賞されたと聞きました。その経緯をお伺いしたいと思います。

A:

博覧会国際事務局(BIE)から、運営委員会の議長として貢献したとして金賞を受賞させていただきました。

Q:

行列の並び方など、中国の人々の行動様式の傾向についてはいかがでしょうか。

A:

はじめは、人々が無秩序に押し寄せてしまい、イタリア館のガラスが割れてしまったこともありました。しかし、金属フェンスなどで対策を講じると、落ち着いて行列ができるようになりました。また、会場内をバスが運行していましたが、最初は人々が押し合って、乗るのも降りるのも大変でした。しかし、半年経つ頃には随分状況が変わりました。バスが頻繁に来るということがわかるにつれ、人々が理性的な行動をとるようになったのだと思います。

上海で地下鉄に乗ると、私の頭髪が白いためか、人々が積極的に席を譲ってくれます。特に、若い人たちのマナーが着実に向上していると感じます。

Q:

万博の運営において、たとえば会場内での事故やトラブルといったネガティブな情報は公開されていたのでしょうか。

A:

熱射病にかかった人の数など、万博の中で問題があったことは、それなりに情報を出していたと思います。また、偽物のチケットが出回っていることなどが、万博専門誌「毎日快報」に書かれていました。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。