ブラジル政治経済情勢と日伯関係

開催日 2010年10月5日
スピーカー 島内 憲 (駐ブラジル日本国大使)
モデレータ 戸谷 文聡 (経済産業省 通商政策局 大臣官房審議官(通商戦略担当))
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議事録

ブラジルは日本の繁栄確保の鍵を握る国であり、日本の成長戦略にしっかりと組み込まなければならない国です。

ブラジルが注目される理由

島内 憲写真ブラジルが他のBRICs諸国・新興国と決定的に異なるのはブラジルに「米国型超大国」としての特徴があるからです。

多くの新興国はモノカルチャー経済、人口・資源圧力、地政学的リスク、民族紛争・宗教紛争、権威主義的政治体制といった問題を抱えています。しかしブラジルにはこうした問題は1つもありません。むしろブラジルには多くの資源があります。人口も2億2000人程度で頭打ちになる予測です。民主主義も定着しています。経済政策では健全経済運営が国民的なコンセンサスになっています。60の民族から成り立つブラジルには多民族社会特有のダイナミズムがあります。これらはいずれもアメリカ合衆国をアメリカ合衆国たらしめている特徴でもあります。その意味で、ブラジルは(軍事を除いて)「米国型超大国」となる可能性を有しています。

国際社会において増す存在感も注目すべき点です。ブラジルは良識派ですしブラジルの利害は先進国に近いため、ブラジルの発言権が国際社会で増せば日本の利益にもなります。

ブラジルの潜在力

ブラジルの国土面積は世界5位です。世界の淡水(南極・北極の淡水は除く)の5分の1、熱帯雨林の3分の1はブラジルにあります。耕地面積は約7670万ヘクタールですが、森林保全をしながら農地利用できる土地はさらに2億ヘクタールあるといわれています。これは世界最大の農業ポテンシャルです。

石油から鉄鉱石までさまざまな鉱物資源もあります。レアアースでもかなりの潜在力が指摘されています。国土探査は25%程度しか行われていないので、今後さらに多くの金属資源が見つかる可能性もあります。ウランについては、確認埋蔵量は世界6位ですが、実際にはカザフスタンを抜いて1位である可能性が最近指摘されたところです。

エタノールの輸出量は世界1位で、現在世界2位の生産量も将来的には米国を抜いて1位になると思われます。風力発電の潜在力は三峡ダムの7倍に相当する14万メガワットといわれています。太陽光発電でも大きなポテンシャルを持っています。

世界トップ5に入る農産物も多く有しています。日本で消費される鶏肉の95%、オレンジジュースの75%はブラジル産です。

人口ピラミッドは先進国化し始めていますが、人口は非常に若く、国民の平均年齢は29歳です。人口は横ばいになる予測なので、食料・資源の輸出ポテンシャルは長期的に高く維持されます。

中産階級が急拡大し、2014年には1億5000万人が中産階級になると予測されています。現時点でブラジルの中間層は新興国中間層の約25%に相当するといわれています。

ブラジルが抱える課題

一方、ブラジルで最近特に懸念されているのが輸出の一次産品依存率の上昇です。

高い「ブラジルコスト」も課題です。ブラジルの税制は複雑で税率も高くなっています。GDPに占める税金の割合は約35%で、年金予算がGDPに占める割合は既に日本より大きくなっています。このままでは破綻必至です。被雇用者に有利な労働法制がインフォーマル経済からの脱却を阻んでいる問題もあります。レアル高は製品輸出の競争力に悪影響を与えています。インフラ整備の立ち遅れや大都市の治安もブラジルの抱える課題です。

とはいえ、ブラジルは政治経済的に決定的なネックは抱えておらず、課題はいずれも強力なリーダーシップで克服できるものです。

ブラジルは第2期ルーラ政権以降、インフラ整備に60~80兆円を投じる計画に取り組んできました。インフラ整備はワールドカップやオリンピックに向け今後加速すると思われます。

困家庭への現金給付政策の結果、貧困層に購買力が付き、内需が拡大しています。現金給付政策は治安改善にも寄与していると言われています。BRICsの中でジニ係数が下がっているのはブラジルだけです。

最近顕在化した諸問題

ルーラ政権末期に顕在化した問題の1つに官僚機構の肥大化と財政支出の増大があります。石油や鉄鉱石の分野での資源ナショナリズムの高まりも懸念されているところです。外交政策でもイラン核問題への取り組みに対する批判が高まっています。

ただ、次期政権になれば政府支出は抑えざるを得ません。ブラジルにとってインフレ再燃は命取りになるからです。インフレが貧困層にとって最大の打撃となることは経験測となっています。インフレだけは是が非でも避けなければならないというのがブラジルの認識です。

ブラジルは先進国的価値観を有する国です。資源ナショナリズムにしても、外交政策にしても、マスコミは非常に批判的です。ブラジルではチェック・アンド・バランスが正常に機能しています。資源ナショナリズムや外交政策が極端に走ることはないでしょう。

とはいえ、ブラジル国内や国際社会にあるブラジル懸念を為政者に伝えることは重要です。新政権発足後には経済界や政治レベルでの対話を今まで以上に進めることが大事になります。

日伯関係の進展

最近の日伯関係には目覚ましい進展があります。リーマンショックの影響で2009年に大きく落ち込んだ輸出入・直接投資は、2010年は2008年レベルまで回復すると期待されています。

一方、中伯貿易は日伯貿易の3倍を超えています。中国は米国を抜いてブラジルの最大の貿易相手国になっています。2009年までは1億ドルにも達しなかった中国の対ブラジル投資も、報道によると、2010年は資源分野を中心に100億ドルを超える勢いです。

そうした中ではありますが、ブラジルが世界一の親日国となっているのには3つの理由があります。

第1に、150万人の日系人が高い職業倫理や真面目さを通して全ブラジル人の尊敬を勝ち得て、それが日本人に対する高い評価につながっています。日系社会は外縁が広い社会です。3世の4割、4世の6割は非日系人と結婚しています。つまり、150万人の数倍の人が日系人の姻戚・親戚になっています。ブラジルでトップレベルのサンパウロ大学の学生の14%は日系人です。ですので、日系人を友人とするブラジル人エリートは多くいます。日本人の入植地が中心となって発展したコミュニティも数多くあります。私はこれらにより「拡大日系社会」が形成されていると考えています。

第2に、両国間には官民の協力による大規模なナショナルプロジェクトの歴史があります。日本はブラジル経済の発展に大きく貢献してきました。

第3に、日本の政府開発援助(ODA)による貢献があります。特に技術協力では日本はこれまでに8000人のブラジル人研修生を受け入れています。その多くは現在、ブラジル政府内で要職に就いています。

ブラジル社会のさまざまなところで重要な役割を担う日系人や親日派ブラジル人は、ブラジルとの関係の歴史が浅い中国や韓国にはない日本の資産ですし、欧米諸国に対する日本の比較優位を支える要因ともなっています。

ブラジルで拡大する中間層には上級マーケット志向が強いという特徴があります。日本ブランドは高く評価されています。自動車販売台数は2010年にはドイツを抜いて世界4位になる予想です。日本を抜くのも時間の問題だと思います。化粧品販売量は米国、日本に次ぐ世界3位で、ここでもブラジル市場の先進国性が読み取れます。

21世紀型相互補完関係

資本と技術を持つ日本と資源を持つブラジルは伝統的に補完関係にあります。こうした関係の重要性は今後ますます大きくなります。

先端技術分野は日本が今後さらに比較優位を発揮できる分野です。現在のブラジルは輸出の一次産品依存率の上昇という大きな懸念を抱えているからです。産業の高付加価値化はブラジルの悲願です。悲願達成のためのベストパートナーは日本であるとの思いは強くあります。

日本にとってもブラジルは頼りがいのあるパートナーです。ブラジルは技術吸収力が高く、途上国での利便性を高める付加価値の創出を得意分野としています。外交力もあります。デジタルテレビの分野では、日本とブラジルが一緒になって売り込んだ結果、多くの国で日本方式が採用されるようになっています。

今後期待される分野としては、アフリカ農業協力、高速鉄道計画、深海油田開発等があります。

たとえば、ブラジル中西部のセラード地帯はかつては農業に向かない不毛地帯でした。しかし現在では日本の資金・技術協力により世界有数の農業地帯になっています。熱帯サバンナにおける農業技術を蓄積してきたブラジルと日本が協力してアフリカの熱帯サバンナの農業開発を支援する構想は、現在、モザンビークをテストケースとした準備段階にあります。いずれは円借款や民間投資につながり、他のアフリカ・アジア諸国への拡大が期待される遠大な構想です。

ブラジルはエネルギーマトリックスが非常にクリーンな国です。ブラジルの電力需要は今後確実に高まります。現在の水力発電だけでは電力需要を満たすことが難しくなっているので、他の電力ソースへの依存が高まっていくと考えられますが、特に注目されているのが風力発電です。原子力発電もウラン保有などを考えると長期的ポテンシャルを有しています。ブラジルでの不安定な電力供給は日本にとってのビジネスチャンスです。

宇宙分野では2010年8月末にブラジルを訪問した大型の官民宇宙ミッションが非常に高いポテンシャルを指摘しています。国土の広いブラジルが森林監視や気象観測といったモニタリング活動を行うには衛星がどうしても必要になります。一方、日本は世界最先端の技術を持っていますが、活用できる範囲はブラジルに比べ限られています。ここでも日本とブラジルは理想的な補完関係にあります。

ブラジルは現在深海油田開発を進めており、2020年までに世界5位の産油国になるべく投資活動を進めているところです。日本企業もアップストリームからダウンストリームまでさまざまな分野で既にビジネスを始めています。日本は海洋・造船分野を中心に世界最先端の技術を持っていますが、技術者・科学者が活躍する場は限られています。ブラジルには無限のニーズがあります。やはり日本とブラジルは技術とフィールドの間でウィン・ウィンの関係を築けると考えています。

ブラジルで特に注目すべきは協力基盤が整っている点です。宇宙分野でも、海洋学でも、ブラジルでは多くの日系の科学者・技術者が活躍しています。非日系であっても日本に留学したことのある人は多くいます。日本人研究者を受け入れる土壌はできています。双方向での人の交流の進展が今後期待されるところです。

新興国外交とブラジル

岡田前外務大臣は新興国外交に力を入れるとして、先進国公館から新興国公館に向こう3~4年で100人を移すことを発表しましたが、ブラジルは日本と考え方が近い国です。日本と同じ常識が通用する国です。そのことはブラジル政府高官と話をして実感したところです。

ブラジルは安保理改革でも日本の重要なパートナーです。BRICsの中で唯一核兵器を保有しないブラジルと日本の協力は核軍縮・不拡散の分野でも拡大の余地が大きく残されています。気候変動分野でも日本とブラジルの基本的利害は近いのではないかと思います。インドや中国がこのまま二酸化炭素を排出し続けて真っ先に被害を受けるのはブラジルです。インドや中国による二酸化炭素排出に制限を課せば、ブラジル産業の相対的競争力が増す可能性もあります。そうしたことからも、ブラジルは気候変動交渉で最終的には先進国、日本の味方になると確信しています。世界一の親日国であるブラジルが国際社会での発言権を増すことは日本の利益にも合致します。

日本の外交資産で一番大事なのは日本・日本人に対する信頼だと私は考えています。ブラジルにおいては、信頼を勝ち得る上で日系人が大きな役割を果たしました。日系人が要職で活躍する分野は現在も拡大しています。エリート日系人との連携は今後の対ブラジル外交の重要課題です。

日本とブラジルの間の最大の問題は距離と知識不足にあります。遠いが故に知識不足に陥るという構造です。ブラジルにいかに大きな潜在力があり、ブラジルがいかに親日国であるかは、一度ブラジルに行けばわかることです。まさに「百聞は一見に如かず」です。

質疑応答

Q:

ジルマ氏が大統領選で勝った場合、貿易政策は変わるとお考えですか。イランの核問題でブラジルが仲介の労を取った狙いは何だったのでしょうか。

A:

貿易政策がどうなるかは正直、わかりません。ただ、ブラジルの一部国内産業が中国からの輸入で打撃を受けているのは事実です。アルゼンチン等の近隣諸国にマーケットを奪われている状況もあるので、それが貿易政策の最大の関心事となっているとしても不思議ではありません。

ブラジルがイラン核問題で仲介の労を取ったことについては、ブラジルの善意を信じています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。