国際投資協定の意義と課題

開催日 2010年6月22日
スピーカー 小寺 彰 (RIETIファカルティフェロー/東京大学大学院総合文化研究科教授)
モデレータ 田村 暁彦 (RIETIコンサルティングフェロー/経済産業省通商政策局国際経済課アジア太平洋通商交渉官)
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議事録

投資協定とは

小寺 彰写真国際投資協定(IIA)には、投資保護協定と投資自由化協定の2種類があります。投資保護協定には、内国民待遇、最恵国待遇、公正待遇、収用補償、送金自由などの規定と仲裁規定が含まれます。仲裁については国家対国家と投資家対国家の2種類があり、後者が昨今注目されています。投資自由化協定は、投資保護協定の内容に投資自由化約束やパフォーマンス要求の禁止などを付加したものを指します。現在のところは投資保護協定が圧倒的に多い状況です。1959年に最初の二国間投資協定(BIT)が結ばれて以来、これまで2600強の協定が結ばれています。また、21世紀以降は投資家が国を訴えるケースの仲裁が増えていて、現在までに300余りの訴えが出てきています。そのことにより、日本においても投資保護協定の重要性が改めて認識され、2008年の経済産業省、外務省、財務相の主導による投資戦略会議の設置に至っています。

投資協定仲裁というのは、国家に起因する行為によって損失が発生した場合に、現地の裁判所や母国政府に訴える代わりに、現地国を相手取って3名の仲裁人による仲裁廷に訴えるという方法です。投資家が勝訴した場合、国は判決に従わなければなりませんが、従わない場合には、ニューヨーク条約によって外国にある(ドル)資産を差し押さることができます。また、世銀の投資紛争解決センター(ICSID)の仲裁については、その仲裁判断に従わない国に対しては、世銀の融資がそれ以降停止されます。このように、投資協定仲裁は、現地政府との紛争を効率的に対処する手段として機能してきました。また、従来の投資保険を補う1つの新たなツールであるともいえます。投資協定締結国を経由することによる投資リスクの軽減も実際に行われるなど、投資前の判断においてもこうした協定が重要なウェイトを占めるようになっています。

投資協定の問題点

投資協定には上記のような利点がありますが、ここにきてさまざまな批判も出てきています。もともと、国内の投資家への対処は各国が自由に決めるものでした。それが変わる転機となったのが、WTOの誕生です。さらに、投資協定によりこれが国際規制の下に置かれるようになりました。1989年以降、実際に仲裁が使われるようになり、21世紀に入ってその数が増加したことから懸念が表明されるようになりました。

これまでの資本の流れは、「先進国から先進国」または「先進国から途上国」が基本であり、その殆どは途上国がらみ(先進国から途上国)のものでした。ところが、ここにきて「途上国から途上国」または「途上国からの先進国」(例:中国企業による日本企業買収)の資金の流れも増えており、たとえば中国なども投資協定の締結に積極的姿勢を見せるようになっています。日本としても今まで自由にできたことについて国際的な規制を意識せざるを得ない状況になってきています。投資協定が対先進国で適用されやすいこともそうした意識の背景にあります。

投資協定の現代的意義は実は問題点でもある訳です。そのことについて、以下の3つの実践的課題を軸に検証します。

1.投資協定と社会的価値:協定の守備範囲とは
国は投資保護のほかに、さまざまな政策的価値を実現しようとします。その中には、企業にとって害または負担となる措置も存在します。最近で一番大きい問題となっているのが、環境保護との関係です。たとえば、環境保護措置により事業が立ちいかなくなった場合、投資家ははたして現地政府から損害賠償を得られるかという問題があります。実際に1兆円を超える損害賠償が要求される例もあります。途上国政府にとっては大きな負担となるため、環境規制を講じないインセンティブが働く可能性もあることが、環境NGOなどから指摘されています。

この背景には、どこまでを投資保護や投資自由化によって律すべき範囲とすべきかという問題があります。実際に、投資保護と投資自由化が人権などと比べて高い価値があると考える人はまずないと思います。したがって、国内で投資を促進する法制があるとしても、これによって環境政策、開発政策、中小企業政策などを律しようとするものではないと考えられます。しかも、この種の措置において、なぜ外国人だけが優遇されるのか、という逆差別の問題も出てきます。そこで投資協定における適用除外事項が最近になって重視されてきています。たとえば、税制措置、労働保護措置、環境保護措置は多くの場合、適用対象外となっています。このように投資協定がカバーすべき適当な範囲を予め決めておくのです。さらに、単に除外するだけではなく、投資協定の中で途上国や他の先進国に対して、労働・環境基準の遵守を要求すべきという議論も最近では出てきています。

投資協定によって保護される範囲は、投資家と投資財産によって決まりますが、多くの協定では、自国民が外国の子会社を経由して国内に投資する場合も保護の対象になると現在では考えられています。ユーコスのロシア人株主が外国企業の形をとってロシア政府を訴えた例もあります。最近では利益否認条項が設けられるようになっていますが、仲裁の場では殆ど機能しないと解されているのが現状です。さらに投資財産の中には、貿易上の債権や工事債権も含まれます。それ故に、投資協定仲裁で代金の回収が図られる例には、インフラ案件や工事案件が多くなっています。逆に日本企業が海外に事業会社を作る場合は、投資協定仲裁を使うのが難しく、むしろ現地政府との関係を維持することでリスクヘッジがされています。また、いったん協定を破棄したとしても、条約上の義務が相当長期間残る点も投資協定を強力なものとしています。

2.投資協定仲裁は適切な紛争解決手続きか
投資協定仲裁には、世銀傘下のICSIDまたは国際商事仲裁用の機関仲裁を使うのが一般的ですが、はたしてこれが適切かという議論があります。その結果、一部の途上国では投資協定に対する消極的姿勢が出てきています。

そもそも、現地国の重要な問題を投資家と現地政府の意見によって決めてよいのか、という根本的な問題があります。仲裁判断の解釈がケースによって分かれやすいことも、判決の妥当性に対する懐疑の念を生じさせています。投資側にとっては非常に便利な制度ですが、そうした「便利さ」に対する反発の声も出てきています。もう1つの問題として、投資協定仲裁の手続きに、投資家と現地政府以外の第三者を参画させることを認める例が出ていますが、それが判断に正当性を与えるどころか、形式的な活用に留まっているという見方が強まっています。

そこで、仲裁に代わる常設裁判所の設置やWTOのような上級委を作って解釈を統一してもらう考え方も出てきています。裁判と仲裁との基本的違いとして、裁判では最高裁判所によって最終的な解釈の統一が担保されるのに対し、仲裁の場合はどうしても誰が仲裁人になるかで結果が違ってくる点があります。しかも、特定の仲裁機関だけしか使わない場合ならともかく、国際投資協定仲裁の場合は、ICSIDをはじめとするさまざまな機関が関与することから、どうしても判断が分かれてしまいます。それ故に、現地政府が仲裁に負けた場合――たとえば巨額の補償金支払い――について、はたして国民が納得してくれるかという問題が生れます。

3.多数国間投資協定はいま――
日本では多数国間投資協定に対する期待が非常に強いですが、二国間の投資協定が主流化している中で、その現実性は遠のきつつあると認識しています。

今ある多数国間投資協定は、1990年代に締結されたエネルギー憲章条約のみです。他の多数国間協定については、OECDの多数国間投資協定(MAI)が1998年に決裂したほか、WTOドーハ開発アジェンダの投資ルール交渉も2003年に決裂しています。

そうした状況から、多数国間投資協定は当面不可能と見られます。2700もの投資協定がある状況で多数国間投資協定を作っても、日本など実績の少ない国が有利となるだけで、実績の多い国には何のメリットもありません。また、統一ルールを必要とする議論は国際社会では弱く、むしろオーダーメイドの協定を望ましいとする志向が強い印象です。

GATTができた時代は、米国の一国覇権の時代でもありました。20世紀のWTO交渉においては、欧米諸国と日本が多数国間協定づくりを主導し、援助などによって途上国を合意に引き込む意思決定メカニズムが機能していました。新興諸国が台頭し、途上国の利害も分化している現在、そうした方程式は崩れつつあります。また、21世紀の状況に合った、新しい多数国間協定策定の意思決定メカニズムが生まれていないのが、WTO交渉や気候変動枠組み交渉の不調の裏にあると思われます。そう考えると、極めて多くの利害が錯綜する多数国間投資協定は、当面実現不可能と思われます。

そもそも、そうした多数国間協定が望ましいかという議論もあります。多数国間協定では、統一性は担保される一方で柔軟性は失われます。柔軟性を犠牲にしてまで統一性を重視するのか――。こうした哲学的な問題にも絡んできます。

むすび――投資協定は「知恵の競争」

投資協定は基本的にオーダーメイドで、個々の状況に合った内容のものを作っていくと考えるべきでしょう。結局、知恵の競争になってくると思います。それには、投資自由化を他の社会的価値ないし政策との関係でどう位置付けるかの検討が不可欠です。投資協定による投資保護が、一般に考えられている以上に広いことを認識しておく必要があります。企業サイドとしては、事業の国際展開において投資協定を活かす観点からリスクヘッジや紛争処理を考えるほか、事業内容に合致した投資協定の探求と提言を行っていくことも必要です。企業にとってもこれは知恵の競争となります。

質疑応答

Q:

最後に「知恵の競争」といわれましたが、「知恵を絞った」実例があればお願いします。

A:

投資協定の中核の部分は各国で一致してきていますが、周辺規定に関しては、さまざまなバリエーションが見られます。特に、米国の透明性に関する諸規定は非常にメリットがあります。単に条文の明確さだけでなく、法律の策定段階における情報公開やパブリックコメントの導入といった、広い意味での透明性を要求する規定となっていて、日本としても参考になる部分が多いと思われます。日本が途上国と投資協定を結ぶときは、投資協定仲裁と直接関係は無くても、こうした規定を盛り込むことがあってよいと思います。ただし、同じく米国で求められている環境保護規制や労働保護規制までも要求すべきかについては慎重に検討する必要があります。また、スウェーデンは会計基準に関する諸規定を入れるようにしていますが、これも企業サイドから見て非常に便利な制度です。

Q:

投資環境整備に関する昨今の懸念は、投資に対する介入ではなく、国による補助金などのインセンティブ措置です。その中で、どのようにレベルプレイングフィールドを確保するかが課題となっています。日本でも諸外国に合わせた法人税引き下げの議論がありますが、国際的な規律が働かないこうした分野において、何か取り組みはされているのでしょうか。また、インセンティブ競争についてはいずれ何らかのグローバルな枠組みが必要になってくると思われますが、その意味で、投資協定をグローバルに締結していくことには一定の意義があるのではないでしょうか。

A:

ご指摘の通りですが、国際条約ができない分野があるのが現実です。インセンティブとパフォーマンス要件については、実はOECDのMAIで高水準の規定を作る動きがありましたが、そのような非常に野心的なMAIですら、パフォーマンス要件については禁止事項を列挙できた一方で、インセンティブについては手が付けられなかったという事実があります。

国際社会は基本的に「ルールなき戦い」の世界。競争に疲れたときに、ようやく規制が検討されるのが現実です。競争を望む国がいる限り、二国間、三国間、リージョナルというように規律の範囲を少しでも広げていく努力は必要ですが、マルチによる規制は基本的に不可能と見ています。これは米国の一極覇権の時代、そして欧米が足並みを揃えていた時代だからこそ可能でした。「多数国間主義のたそがれ」にきているというのが私の正直な印象です。

Q:

3000近い二国間投資協定があるなら、日本は投資協定を結ばなくとも、最も好条件の国に迂回して投資すればよいのではないでしょうか。米国、EU、インド、ロシアなどの主要国は今後、どういった投資協定戦略をとる考えでしょうか。

A:

日本の通商政策には2つの目的があります。1つは日本を豊かにすること、もう1つは日本企業を後押しすることです。後者だけを考えると、確かに投資協定を不要とする論も一理あります。日本政府がバックにいることによる安心感はありますが、それがどの程度意味があるかは企業側の判断によります。ただ、日本を豊かにするという観点でいうと、今後も経済成長を続けていくためには日本は外資の導入を拡大する必要があります。その意味で投資協定は、法人税の引き下げ、租税協定、社会保障協定、EPAなどとともに、日本の投資先としての魅力を確保する手段であるといえます。

欧州諸国の多くは早くから法人税を引き下げるとともに各国と投資協定を結んでいます。EU諸国はすでに多くの協定を結んでいます。米国は比較的投資協定の実績が少なく、初期から高水準の協定を追及してきた経緯があります。日本は米国の例に倣っているといえます。米国は数年毎に投資協定のモデルを見直した上で各国との締結を図っていますが、相手国になかなか受け入れられない状況です。中国は各国と積極的に協定を締結していますが、米国とは未締結です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。