交渉と合意による意思決定・政策形成 ~都市計画を中心に~

開催日 2010年6月1日
スピーカー 松浦 正浩 (東京大学公共政策大学院特任准教授)
モデレータ 由良 英雄 (RIETI総務副ディレクター)
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議事録

交渉学とは――相手との「共存」が究極的な目的

松浦 正浩写真交渉(negotiation)を学問として研究している組織の1つに、ハーバード大学法科大学院の交渉学プログラム(PON)があります。もともとは経済学のゲーム理論を中心に発展してきたイメージですが、近年はより学際的な領域として、心理学、認識学、文化人類学も巻き込んだ横展開がされています。ロースクール、ビジネススクール、公共政策大学院、都市計画大学院などの専門教育機関に導入されています。日本でも公共政策大学院の約半数がそうした科目を設けているようです。ロールプレイング・模擬交渉による教育手法がよく知られています。

具体的に、交渉学とは何を意味するのか。交渉学でいう「交渉」とは、「持続可能な共存のための利害調整」を意味します。相手をやり込めるのではなく、相手と共存するための解決策を一緒に見出すのが目的です。相手の価値観を変えさせるのは、厳密にいえば交渉ではありません。

その利害調整に必要な4つの基本的要素として、「利害関心と立場(interest and positioning)」、「BATNA」、「ZOPA」、「相互利益の創出(mutual gains/value creation)」があります。

1.利害関心と立場
交渉学でまず重要なのは、「立場と利害を分ける」ことです。ここでいう「立場」はあるものの状態、「利害」はその背後にある理由、志向性を指します。具体的な例として、欧米でよく引用される、図書館の窓の開閉をめぐる言い争いの事例があります。一方は「暑いから」窓を開けろと言い、もう一方は「風でページがめくれるから」窓を閉めろと言っています。そこで「窓は閉めるが扉を開けて廊下の涼しい空気を入れる」折衷案を提案したところ両者が納得しました。「立場」でいえば、窓の開閉に対して、イエスかノーの答えしか存在しません。しかし、背後にある理由、すなわち利害を同時に満足させる解決策は見つかる筈です。だから論争になった場合は、立場ではなく、利害に着目すべきだというのです。

日本でも道路建設に関して、「全面凍結すべき」と「整備が必要な区間はまだある」と主張する人々の間で論争がありましたが、これはまさに立場の争いといえます。立場の争いである以上、対立になるのは当然で、両方が共存する余地は無くなります。そこを「なぜ凍結するのか」「なぜ作るのか」に置き換えて、仮に前者が「財政の健全化」、後者が「地域の公平性担保」と主張した場合、その利害に着目すれば、双方が納得する解決策が見つかったかもしれません。

他に利害に着目する利点として、Fisher & Uryの『Getting to Yes』(邦題:『ハーバード流交渉術』)では中東戦争の事例が紹介されています。

相手の利害を理解することは、換言すれば相手の幸せを理解すること。日本人は討論下手とよくいわれますが、その方がかえって幸せかもしれません。ディベートの癖がつくと、相手の立場をまず否定することから始まるので、どうしても合意形成が難しくなるからです。むしろ立場の背後にある利害を汲み取る能力が求められていると思います。

2.BATNA(不調時対策案)
たとえば、部屋を借りる場合、店子と大家の交渉が決裂した場合に、それぞれがとりえる選択肢(代替案)はいくつかあります。店子の場合は、最寄の別物件を探す、友人とルームシェアする、実家に帰るなどの選択肢があります。大家の場合も、別の店子に貸す、空き家にしておくなどの選択肢があります。その中で最も高い満足度を与える選択肢がBATNAです。交渉をする際は、闇雲に良い条件を引き出すのではなく、BATNAとの比較でより良い条件を引き出すことが肝心です。「次の選択肢」を常に念頭に置きながら、合意するか否かを判断するのです。また、相手側にもBATNAがあることを認識しておくべきです。交渉を破談にして別の相手に逃げてしまう可能性を念頭に条件を提示していく必要があります。

3.ZOPA(合意可能領域)
たとえば物品調達において、売り手は別の交渉相手に持っていけば2000円で買い取ってくれることがわかっているのに対し、買い手は別の売り手から3000円で購入できることがわかっているとしましょう。売り手のBATNAは2000円、買い手のBATNAは3000円となります。2者の交渉において、仮に2500円という値段が提示されれば、売り手と買い手の双方にとってBATNAより良い条件となり、合意形成が可能です。つまり、BATNAより悪い条件での合意がありえない以上、2000円から3000円までの領域がZOPAといえます。

極端な例として、買い手のBATNAが3000円、売り手のBATNAが4000円の場合は、合意可能領域は存在せず、3500円での合意もありえません。交渉しても無駄ということです。

外交でも同様に、当事者のBATNAを考えた上で任意の合意が成立するかを判断し、その上で落としどころを見極める必要があります。

4.相互利益の創出
利害(=取引材料)が多いほど、両者にとって満足度を高めるチャンスが増えます。価格だけが条件だと、落としどころは価格のみとなってしまいますが、「まとめ買い」など複数の条件があれば合意の幅も広がります。「パレート効率性」として知られる考え方です。一般的な交渉は概して単一条件(価格など)にとらわれがちですが、複数の条件を並べて取引する方が、より付加価値の高い合意ができます。また、そうなるよういくつかの条件を盛り込んでいくべきです。

政策への適用――「マルチステークホルダー交渉」の事例

政策への適用例として、公共政策におけるコンセンサス・ビルディング(consensus building)があります。政治プロセスは得てして政党間の争い、派閥争いでとらえがちですが、さまざまなステークホルダーが共存する目的で行われる「マルチステークホルダー交渉」が基本です。

そうしたプロセスは自然にできるわけではありません。不偏的(non-partisan)立場の人を進行役に、まずはステークホルダーを特定、分析した上で、その代表者を集めて合意形成を図るというステップを踏む必要があります。これまでの審議会のやり方を否定するわけではありませんが、今までは経験やネットワークを通じて特定の委員を集めてきたのを、第三者的立場の人が明示的に分析をした上で参加者を集めるのが新しい点です。

すべてのステークホルダーが共存できる方策の発見が合意形成の目標です。現状から得られる満足度を起点に、BATNAから得られる満足度を最低ラインとして、それと各者の理想との間で合意点を探ります。

たとえば、風光明媚な土地の場合、現状から得られる満足度が高いため、それを残したい人が多いとどうしても道路建設などに対して反発が起こりやすくなります。実際、公共事業でよくもめるパターンです。

ところで、ステークホルダーとは一体誰を指すのでしょうか。経営学者のEdward Freemanはそれを「意思決定によって影響を受ける人、意思決定に影響を与えうる人の総称」と定義しています。道路建設の場合は、近隣住民、事業者、議員などがそれに相当します。それらをカテゴリー化して、代表者を集めて合意形成を図るのがコンセンサス・ビルディングの考え方です。

ステークホルダー分析の次に来るのが、共同事実確認です。交渉では科学的な分析が主な判断材料となりますが、双方が異なる分析を提示した場合、その両方の事実確認が必要となります。今までは、各自がお抱えの専門家を連れてきて討論させた挙句に何が科学的に正当な見解なのかがわからなくなるケースがよく見られました。そうではなく、ステークホルダー会議の中でどのような専門家を呼ぶべきかについて合意形成してから、パネルを設置し、そこから一元的な見解をもらうのが、ここでいう共同事実確認となります。

こうした手法が使われた例として、徳島市の北常三島町交差点の事例(2005~2006年)があります。

事業者は国土交通省。交通事故が頻発する交差点の改良工事をする際に開催したステークホルダー会議の事例です。NPO法人コモンズと(社)土木学会四国支部が第三者機関となって、50件程度のヒアリングを実施。5つの論点を洗い出した上で、ステークホルダーを特定し、代表者を集めて合意形成を図りました。従来の市民参加型委員会と変わりない印象ですが、ヒアリング調査を通じて第三者が評価をする、開かれたプロセスにおいて代表者を集めて合意形成をする、参加者を公募ではなく進行側で意識的に選定する、といった点に大きな違いがあります。役所も、これまでのような意見集約の場(いわゆる事務局)ではなく、ステークホルダーの一員として会議に参加しました。そうして全員が受け入れられるボトムラインを皆で考える必要があるからです。たとえば、この事例においては、障がい者から交差点にエレベータを設置する要請があり、国土交通省が無理だと反論しましたが、「将来的に検討する」という一文を提言に盛り込むことで障がい者も納得したのです。

これまでの審議会と手法的には似ていますが、緻密なステークホルダー分析をする点と第三者的立場の人が入る点に関しては、これまでの政治プロセスを改善できる余地があります。

質疑応答

Q:

交渉学はそれぞれの価値観を認めることを基本にしているとの話でしたが、ZOPAが殆ど見えないような交渉も多い中で、交渉相手に認識していない価値観に気付かせることでZOPAが広がるケースもあるかと思われます。価値観のアセスなども含めた、広い意味での交渉を考える必要もあるのではないでしょうか。

A:

特に考えが懲り固まった人に対して、認識していない利害に気付いてもらうことは交渉の大事な要素です。効用関数の文脈でいうと、人間には効用関数というものがあり、従って交渉を左右するパラメータ(変数)もいくつかありますが、紛争状態の場合、当事者は特定のパラメータしか眼中に無いことが多々あります。だから紛争状態になる。本来存在する他の変数にも目を向けさせるのは、交渉の1つの手法です。しかし、パラメータを付け加えたり値を変えたりするのは、価値観を変えることになるので、これは交渉の範囲外です。

しかし、ここにきて「そもそも人間の効用関数などいくらでも変わる」という意見も出てきています。交渉学は「人間の効用関数は(認識はともかく)変化しない」前提に基づいていますが、「人と人とが知り合うこと、話し合うことで人間の効用関数そのものも変わる」という思想――政治学ではよく「熟議民主主義(deliberative democracy)」といわれています――がそれに根本的な疑問を投げかけています。そうした観点から、文部科学省では鈴木副大臣の主導で、インターネットを使った対話の仕組み「熟議」を積極的に推進しています。不特定多数の人が話し合うことを通じて新たな公共的価値観を模索する、新しい試みです。

Q:

お話された交渉学は非常に功利主義的、アメリカ的な印象がしますが、Fisher and Shapiroの『Beyond Reason』で指摘されるように、感情、認知、文化なども考慮する論調も一方で出てきています。国による交渉観や交渉アプローチの違いは比較研究されているのでしょうか。

なお、日本では契約文化の歴史が浅いことも、交渉観の違いに影響していると思います。

A:

文化が交渉をどれだけ左右するかについては意見が分かれています。交渉にはいくつかの軸がありますが、最も重要なのがcontextuality(文脈依存性)です。これは日本が高くて欧米が低いと一般的にいわれています。日本は暗黙の了解が多く、それを前提に交渉を進めていく傾向がありますが、欧米では段階的に1つ1つ項目立てて説明しながら交渉を詰めていくのが普通です。そうした国や業界による文化的違いは確かにありますが、文化が違うから交渉のやり方もまったく違ってくるとまでいってしまうのは、極論だと思います。アプローチの調整は必要にしても、効用を増やす、ステークホルダーを集める、といった交渉の基本は変わらない、というのが私の考えです。

Q:

20世紀に入って交渉学があらためて着目された背景には何があるのでしょうか。

A:

交渉学が政策の文脈で出てきたのは、1970年代の国家環境政策法(NEPA)成立がきっかけです。それ以降、公共事業に対して環境団体による訴訟が増えましたが、それを減らす観点から法学界の中でAlternative Dispute Resolution(ADR)という考え方が出てきました。その1つの手段として交渉、マルチステークホルダー交渉が着目されるようになり、80年代、90年代にかけてステークホルダー分析をはじめとする手法が確立してきた経緯があります。政治学、政策分析の文脈よりは主に環境学、都市計画学の中で蓄積がされてきました。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。