品川区における教育改革

開催日 2010年2月1日
スピーカー 若月 秀夫 (品川区教育委員会教育長)
モデレータ 山根 啓 (経済産業省大臣官房 政策評価広報課)
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議事録

教育改革の3つの視点

若月 秀夫写真日本の教育をどう変えていくか――。「教育改革」を考える上で、次の言葉がいまだに印象に残っています。朝日新聞主催の教育フォーラム(於有楽町)でのことです。品川区が「学校選択制」の導入で世間の注目を集めていた頃、それに関連して1人の教師が、「私たちは粉骨砕身子どものためを思って日夜努力している。なのに、なぜ、あなたは私たちをさらに鞭打つかのように、教育改革を叫ぶのか」と質問してきました。また、「教育改革は教室から」とのコメントも。1人1人の日本の教員をよく見ますと、決して不作為を決め込んでいるのではなく、むしろ根はまじめなことがわかります。しかし、まじめさ故に視野が狭くなり、視野の狭さ故に自己満足に陥る傾向があります。それがいわゆる教員の「浮世離れ」につながっていると考えています。

国内の教育改革議論がなかなか噛み合ったり、深化したりしない理由の1つとして、教育と一口にいっても、それぞれの人がまったく別の視点やイメージで語っているという点があります。

品川区の「教育改革」では3つの大きなカテゴリーを設けています。第1に、指導の内容、方法、教材の改善。これが現場の教員に課せられた使命であり、教育改革です。それから、第2、第3のカテゴリーとして、学校経営の改革と学校制度の改革があります。

第2、第3の視点の背景には、教員の努力にも関わらず、現に今の日本の子どもの学力や規範意識が弱くなっている状況があります。教員の単発的・属人的な努力だけでは、日本全体の教育水準は必ずしも上がらないということです。そこで必要となるのが管理職、つまり校長の役割です。教員の努力を活かすも殺すも、継続、蓄積、発展させるのもその点に左右されます。しかし、日本の学校は校長や経営の点において総じてアマチュア的です。野球監督だった故三原脩氏は「アマは和して勝つ、プロは勝って和す」という名言を残していますが、日本の校長のやり方はその点でまさしく「アマ」的といえます。そうした校長を変えるのも重要な教育改革です。「学校選択制」を導入したのも実はそうした意図がありました。実際に、公立学校といえども取捨選択される立場になると、校長の態度も大きく変わります。また、測定できる(すべき)部分――たとえば基本的な計算力や漢字の読み書き能力――の教育成果を定量化する狙いもありましたが、これも教育改革の重要な側面です。

義務教育制度のあり方を考えるのももう1つの重要な改革です。学校教育制度の改革例としては、子どもの発達状況に合わせた小中一貫教育があります。品川区は教育特区なのでそれが可能ですが、この取り組みを日本全体に広げるには法改正なども必要となります。国レベルの改革が必要ということです。

つまり、「教育改革」と一口にいっても、いわゆる「教室(現場)からの改革」もあれば、市町村単位の改革や国レベルでしかできない改革もあります。この3つが三位一体となって初めて教育改革が実現します。ところが、2番目、3番目の視点がなかなか現場の教員に受け入れられないのです。

抽象論から具体論へ

教員の努力を前提として、まずは教師のカリキュラム・教材の開発能力と指導力の向上が必要となります。たとえば、品川区では今の日本の「道徳教育」に代わる「市民科」を新設しましたが、それに伴う徹底的な検証プロセスは教員免許更新制以上に教員の資質向上に役立ちました。

その関連で今の道徳教育について述べますが、あまりも抽象的、観念的で実際の役に立っていないのが現状です。ある意味、日本の教育が抱える問題の縮図みたいなものです。道徳教育で「希望・夢を持って生きろ」という前に、まずは「生きる」という現実を強烈に伝えなければならないと考えています。そうした観点から「市民科」を設立しました。

管理職の資質向上と経営能力の開発にしても、教育論的特色と経営論的特色を並存させる必要があります。経営論というと、「職員同士の競争によりモラール(士気)が下がる」という反論が出ますが、そのようなことで下がるモラールなら最初から不要です。大勢のステークホルダーがいるにもかかわらず、学校には企業の株主総会に相当する仕組みがありません。教育の目標や実績を明確にして、説明責任を果たすことは、保護者に学校を選択してもらう上でも有用ですが、それ以上にこれが「当たり前」だという意識を植え付けたかったのです。これが私のいう教員の意識改革です。つまり、教育は特別という意識を取り除くことです。

品川区の教育改革と基本的な考え方

教育界はよく教育改革の「目的」と「手段」を取り違えます。たとえば品川区が学校選択制を導入した際にも、教育界では「市場原理の導入」、「新自由主義の象徴」、「弱肉強食」といった単純で矮小化した批判がすぐに出ました。しかし、品川区にとってそれはあくまでも手段にすぎないのです。小中一貫校もしかり。子どもの学力を向上させるには教員と管理職の力量を上げなければならない。そのためには意識改革が必要である。そのための手段が小中一貫教育であり学校選択制なのです。校長の意識の低さも、そうした目的と手段の履き違いに起因します。校長の権限は、あくまでも自分の理想とする教育を実現する「手段」である筈です。しかし、実際には校長職につくのが「目的」と化しているケースが殆どです。その意味で、安易な小中一貫教育導入に対しては非常に懸念しています。選択制であれ、一貫教育であれ、「目的」と化すと必ず失敗するからです。

国家戦略として、省庁横断型の教育改革を――

1.社会人基礎力との関係
品川区の市民科の「5つの領域・15の能力」は、市民としての教養、常識、基本的能力を醸成する観点から定めていますが、経済産業省の社会人基礎力に関する研究会「中間とりまとめ」報告書と概念的に非常に一致しています。品川区は区費で市民科の教科書を作りましたが、これが私立の進学校を中心に非常によく売れています。これをたたき台に全国版の教科書をぜひ作成していただくよう、経済産業省にお願いしたいところです。もちろんその他の省庁でも構いません。

企業の世界においても、従来のMake and SellからSense and Respondに軸足が移ってきています。その中で、社会人基礎力でもとりわけ、前に踏み出す「主体性」と考え抜く力としての「課題発見力」と「創造力」、さらにはSenseに相当する「状況把握力」が重要になってきます。これからの日本の将来ないし産業構造にとって必要な能力が市民科の領域と上手く接合すれば、新しい道徳ができてくるでしょう。また、市民科では「自己を深める」という領域も用意しています。個としての人間を深めていくと同時に、社会人としての人間をどう深めていくか、それらを最後的にどのように統合していくか――。このような視点と社会人基礎力を融合させた教育が、将来に対する日本人の自信にもつながってくると考えています。

語弊があるかもしれませんが、文部科学省は究極的にいうと不要かもしれません。教育行政を司る省庁は必要ですが、未来の国づくりに関係する以上、国策としての教育のナショナルビジョンを打ち出すためにも、外務省、財務省、経済産業省、農林水産省、厚生労働省の人材を集めた「教育局」が必要と考えています。教育だけしか見ない人間が教育政策を考えるから、経済の視点が欠けてくるのです。

たとえば、品川区では子どもたちが実際に経済活動をするスチューデントシティを小学校内に設けています。企業のブースを設置しています。ここで小学生(5年生)たちは世の中の仕組みを学びます。そして「モノ」だけでなく「サービス」が売買の対象になること、マテリアル(物体)だけでなくアイデアなどのサービスが商品として世の中を動かしていることに気付き、驚きます。さらに子どもの印象に残るのが、「ほしいものを選ぶ時に一方をあきらめる」学習です。中学生(8年生)になると、ファイナンスパークで「大人になった立場」での生活設計を体験します。自らを会社員と想定して、給料から生活をやりくりする大変さを学びます。そこでも「何かを得るために何かをあきらめる」観点が入ります。道徳教育ではそこまで踏み込んだ内容はありません。せいぜい「わがままを言ってはいけません」と教える程度ですが、そのようなことをいくら言っても効果はありません。むしろ、こうした経済活動の実体験でもって道徳が伝えようとすることを学ぶのです。なお、企業は無料でブースを設立するだけでなく、子ども用の制服も提供するなど、非常に積極的に貢献しています。そうした企業の積極性を教育に活かす観点も必要です。

経済産業省の社会人基礎力に関する報告書は、日本の学校教育が最も見落としている部分――、そして日本の教員が最も軽視する部分に標準を合わせています。この内容に基づいた実践によって、子どもたちの将来設計や生きる意欲は間違いなく喚起されると考えています。

2.「教育プラス保育」プラス家庭支援(プラス保健)
2006年10月に認定こども園の根拠法が施行されました。品川区はそれ以前から幼保一体化を進めていますが、そうした法改正もあって、教育現場は「教育プラス保育」に大きく傾いています。また、品川区では来年度から保育園の5歳児を小学校の空き教室に移します。6・3制の1年前倒しのような試みですが、これは待機児童対策にもなります。こうした動きはますます主流化していくと思います。

さらに、その先を行く英国では、教育プラス保育に家庭支援と保健を組み入れることで大きな成果を挙げています。学校内の「子どもセンター」で子どもに関するニーズがすべてワンストップで満たされる仕組みとなっています。日本の「教育プラス保育」制度も将来的に家庭の壁に突き当たる可能性があることから、今のうちにトータルな視野で、国単位で教育を再設計すべきではないでしょうか。だからこそ、文部科学省ではなく、省庁横断的な形での、国策としての教育施策が求められるところです。

質疑応答

Q:

学校と家庭の役割分担についてはどう考えていますか。学校で何もかも教えるのは無理という考え方があります。私自身、学校としての最低限の守備範囲を明らかにする観点からもどこかで線引きをした方が合理的と考えています。

A:

品川区ではこれまで学校と家庭の分担を明確にする方針できていましたが、来年度から「統合」に切り替えることにしました。なまじ線引きをすると、家庭で必要な教育をまったく受けずに大人になる子どもが出てきてしまい、子ども同士の格差が拡大します。品川区では、本来家庭で教育すべき部分も「市民科」などに組み入れています。また、授業参観やPTAなどを通じた親の啓発も家庭の役割を補完・強化する上で重要視しています。

Q:

市民科ももちろん重要ですが、これからは国際科が重要になると考えています。最近の若者は海外留学や海外赴任に消極的な傾向にありますが、人口減少を考えると、このような「内ごもり」傾向は懸念すべきです。他の国と一緒に何かをやる、お互いに発展していく意識が無いと日本の未来は開けてこないと考えています。後発国に進んで出ていって、現地の人と一緒に国づくりができるような人材を作っていただきたいと願っています。

A:

国際人を作っていく上で問題になるのは、あながち英語能力だけではありません。いくら英語ができても、伝えるべき、主張すべき「中身」が無いとコミュニケーションはできないからです。コミュニケーション能力はあくまでも「技術」ですので、それを使って何を伝えるかが大事であり、その「中身」の部分を市民科その他の科目において改めて見直しているところです。

海外駐在にも管理職にも関心が薄い問題について、先々週に熊本大学の学生に討論させてみたところ、「(先が)見えない」という言葉がしきりに出ました。「とりあえず動かない方がよい」と考えているようです。社会の大きな趨勢ないしエネルギー、時代の志向が若者の考え方に相当影響しているようです。だからこそ、私たちは過去の経験を活かして、全体を奮い立たせるような方向性――国是といえばおおげさですが――を早く見出す必要があります。それを示さない限り彼らを動かすことはできないと思います。

Q:

品川区のスチューデントシティやファイナンスパークを全国化するにはやはり限界があると思います。特に地方では企業資源の問題から難しそうです。関連して、画一的な市民科の教科書を作っても、現場レベルの理解が進まないとなかなか導入できないと思います。むしろ地域にあった教育内容を地域の人が考えていく方が実効性があるのではないでしょうか。

A:

スチューデントシティ、ファイナンスパークの全国化には限界があるとの質問ですが、自分が聞く限り、昨今の経済状況においても、教育委員会がビジョンを明示すればいくらでも協力するという企業はいくつかあります。教育委員会の働きかけ次第だと思います。しかし、その教育委員会にかなりの問題があります。

関連して、地域力の活用に関してご質問をいただきましたが、これは難しいと思います。最近、「地域運営学校」や「学校運営協議会」が盛んに作られるなど、地域・学校一体型の学校運営が増えていますが、私はまったく評価していません。発想そのものは評価しますが、日本の社会は地域運営学校を正しく運営するほど社会的に成熟していないという問題があります。地域住民の意識にしても、学校を「地域の学校」として本来の機能を発揮させる程には成熟していない印象です。

品川区における学校選択制導入の経験からもそのことがいえます。確実で着実な教育活動をしている学校が必ずしも区民に認知されない、選ばれないという現実がデータとしてあるからです。保護者が学校を選ぶ基準は、校長のネームバリュー、私立進学率、親の平均所得などであるケースが殆どです。そうした意識の人たちがはたして地域学校を運営していけるのか――。「仏作って魂入れず」になりかねないと感じています。また、親も多様化もこの点においては非常に厄介です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。