ワークライフバランス 実証と政策提言

開催日 2009年12月18日
スピーカー 山口 一男 (RIETI客員研究員/シカゴ大学ハンナ・ホルボーン・グレイ記念特別社会学教授)
モデレータ 西垣 淳子 (RIETI上席研究員/(財)世界平和研究所主任研究員)
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議事録

実証的な根拠に基づいた政策提言

山口 一男写真2003年に本研究を始めた動機として、当時の我が国の深刻な少子化と男女共同参画の遅れがありました。ワークライフバランスの欠如がその大きな一因であるとの仮定の下、それを実証した上で政策提言していくことを考えました。その根本にあるのが、実証的な根拠に基づく「エビデンス・ベースド・ポリシー(evidence-based policy)」という考えです。

ワークライフバランスについては次の3点が重要と考えています。1つ目は、多様性の尊重。特に労働時間などライフスタイル選好に関する多様性の尊重が重要です。2つ目は、時間利用についての柔軟性。フレックスタイム導入などに関して、被雇用者側の選好を尊重すべきです。3つ目は、時間の質。経済的質(労働生産性など)だけでなく、社会的質――個人の社会的な時間の消費、人とのつながり・支え合いを作れる時間の使い方――を見ていく必要があります。ワークライフバランスとは、個人だけの問題ではなく、雇用、家庭、人のつながりを持った概念なのです。

出生意欲は実際の出生率と強く相関する

出生意欲は実際の出生率と非常に強く相関します。家計経済研究所の調査によると、有配偶女性が5年後に子どもを産んだ割合は、子どもが「欲しい」と答えた女性では68%でしたが、「欲しくない」と答えた女性では8%でした。出生意欲を阻害する理由は、第1子、第2子、第3子とで違ってきます。第1子の場合は育児と仕事や私生活との非両立度が関係しますが、これは晩婚化の原因にもなっていると思われます。第2子、第3子に関しては特有の要因が挙げられます。第2子の場合は、夫の非協力や否定的な育児経験が大きな要因となっています。第3子以降は、経済的負担が大きなウェイトを占めるようになります。

逆に出生率を増加させる要因として、家族に優しい職場環境があります。具体的には、育児休業制度が有業の有配偶女性と専業主婦との出生率の差を無くすことがわかりました。一方、育児の経済負担に関しては、第2子以降はベッカーのいう「子どもの質のコスト」の問題がかかわってきます。収入が多くなるほど子ども数が減るのはなぜかという問題に対して、ベッカーは収入の増加は1人当たりの子どもにかける費用を増やし、必ずしも子ども数を増やす方向には向かわない、ことを示しています。我が国でもその理論がある程度成り立ちます。従って、少子化対策のインプリケーションとしては、収入を増やすよりはむしろ子どもにかかる費用(教育費、養育費、医療費、出産費)を減らしていくことが重要であることがわかります。

女性の労働参加率上昇の出生率への影響はワークラフバランスの程度に強く依存する

出生率と女性の労働力参加率は、1970年代に負の相関だったのが、1980年代を過渡期として、1990年以降は明らかに正の相関となっています。負の相関が弱まった背景には、ワークライフバランスが絡んでいると考えます。

ワークライフバランスに関しては、2つの尺度があると考えています。1つは労働力市場の柔軟性。質の良いパートタイム勤務(短時間正社員など)が制度としてあるか、フレックスタイム制度が普及しているかなどです。もう1つは育児休業や育児期間の所得保障の有無です。1980年から2002年までの推移を見た限り、この2つはまったく別の効果をもたらしています。労働市場の柔軟性が高いと、労働力参加率が出生率に与える負の効果が減少します。これは交互作用効果です。

一方、育児休業制度などの育児支援の効果は間接的なものです。北欧諸国などでは男女共同参画がまず進展し、それに後追いする形で育児休業や保育所・託児所の充実が生まれた結果、それが逆に出生率を上げる効果をもたらしました。その意味で、女性の労働力参加は、直接的には負の効果をもたらしても、間接的には制度的変化をもたらすことで出生率を上げる効果も生じ、負の効果を一部相殺します。日本では2つ目のワークライフバランス、育児休業制度や保育所の整備などに重点が置かれる一方で、1つ目の労働市場の制度改革は殆ど手付かずです。しかし、後者の方が出生率を上げる効果が2倍もあります。また、日本では育児休業制度があっても最終的な育児離職率が下がらないという問題がありますが、その背景には育児休業から復帰しても柔軟に働けない状況があります。男女共同参画と少子化対策が矛盾しないためにも、育児休業制度以上に柔軟に働ける雇用環境づくりが非常に重要であることがわかります。

経済力より重視される精神的信頼度

「(妻の目から見た)夫婦関係満足度」(家計研究所のパネル調査)は、第1子、第2子の出生意欲に非常に強く関係する心理変数となっています(第3子以降は影響しない)。その中でも配偶者への信頼度が重要で、とりわけ「経済的な信頼度」よりも「精神的な信頼度」が3倍も強い影響を与えることがわかっています。米国では、結婚前に配偶者を選択する際には相手の経済力がかなり影響しますが、いったん結婚すると精神的なつながりの方が圧倒的に重視されるようになります。伝統的な性別役割分業が比較的強く残る日本でも、1990年代に25~35歳だった世代では、経済力より精神的な信頼度の方が非常に重視されています。実際に精神的信頼度を最も左右するのが、家庭における時間の過ごし方です。特に、夫婦共有の主要活動(夕食、くつろぎ、家事・育児、趣味・娯楽の共有など)、夫婦の平日会話時間、夫婦の休日共有生活時間、夫の育児負担割合が「心の支え」に関係することがわかりました。

それ以外に非常に重要な点として、第1子出産後に夫婦関係満足度が非常に大きく低下する傾向が確認されました。また、日本に特有な点として、有業の妻より専業主婦の方が低下の度合いが約2倍大きいことが判明しました。専業主婦が非常に孤立しやすい環境が否定的な育児体験に結びついていると考えられます。

男女賃金格差と統計的差別

男女賃金格差に関しては、調査開始当初はフルタイム・パートタイム間の時間当たり賃金格差と女性の非正規雇用割合の高さがその主な要因と思われましたが、実際に最も大きな要因となっているのはフルタイム・正規雇用者内での男女賃金格差です。フルタイム・正規であっても、女性は殆どが一般職で、年功賃金プレミアムの上昇率が非常に低く、昇進機会も非常に少ない状況に置かれています。雇用形態の男女差による賃金格差を解消するにはフルタイムとパートタイムの均等待遇以上に、まず実施すべきは正規雇用機会の均等化とそれから短時間正社員制度の導入です。そうして初めて、フルタイムとパートタイムの時間当たり賃金格差の解消が重要になってきます。つまり3つが同時進行しなければならないのです。

フルタイム・正規雇用者内での男女賃金格差の背景には、女性の「離職コスト」を理由とした統計的差別があります。しかし、これが「神話」であるか「実在」であるかは議論の余地があるところです。ラジアの理論によると、日本の年功賃金・退職金制度は「賃金後払い制度」であるため、中途退職は企業にとってむしろコストとならない筈です。しかし、ベッカーの理論によると、企業は特殊人的資本のための資本投入をするため、それを回収する前に離職するとコストとなります。清家氏の賃金と生産性のどちらが大きかについての雇用者の評価に関する分析は、20代ではベッカー理論が、30代以降はラジア理論が成り立つことを示唆しています。晩婚化の昨今、30代以降で離職をしてもそれほどコストにならないため、離職を企業にとって大きなコストとみるには疑問があります。

一般職と総合職を区別することの非合理性については、コートとラウリーの理論が関連します。統計的差別があると、被差別者は自己投資のインセンティブが無くなるため、結果的に生産性が低くなってしまう、一種の予言の自己成就が起きるという理論です。その意味で、よく指摘される一般職女性の意欲の無さは機会を奪った結果であるともいえます。こうした「逆マッチング」はむしろ人材活用の不十分を示していると考えられます。

実は「離職コスト」は実際のコストではなく期待コストです。ところが、日本の企業はそれが現実に起きた場合のコストを減らすことばかりを考えて、離職率を減らそうとはしません。EUや米国はむしろ優秀な人材を引き止め、特に女性の離職率を下げようという観点からワークライフバランスを導入してきたのに対し、日本の方はコストだけを見た非常に一面的な施策をとっています。私は、離職コストより離職リスクを下げる方策、つまりワークライフバランス施策の方が経済的に合理的となるさまざまな条件を本の中で明らかにしています。しかし、日本の人事のあり方はリスク回避志向が強く、目に見えるコストには非常に敏感な一方で女性を統計的に差別することの機会費用に対しては非常に疎いと考えられます。これらの点で、女性の統計的差別は経済的に不合理と考えますが、詳しくは拙著をお読みください。

過剰就業の問題

日本では賃金が非常に低いパートタイム・非正規雇用者が増える一方で、正規就業者の就業時間が育児世代を中心に増えています。過剰就業は実際の就業時間と希望する就業時間の差で測ります。正社員の過剰就業が拡大する背景として、生産性ではなく時間的拘束に対して賃金を払う日本特有の雇用慣行があります。つまり、時間当たりではなく1日当たりの生産性を基準にした賃金制度です。被雇用者側に「退出オプション」が無いことがそうした慣行を継続させています。中途労働市場が発達していない故に、拘束に甘んじて、その身返りとして高給なり保障を得ている構造があると見ています。育児との両立を希望する女性にとって働きにくい構造です。ただし、男性の中でもワークライフバランスを志向する人は潜在的にかなりいます。働き方に関する多様な選好を認めた上で人材活用を図る方向に転換しなければ、結局は人材活用も図れず、人々が活き活きと生活し、つながっていく構造も実現できないと考えています。

日本の雇用制度は高度成長時代に合わせる形で作られてきました。労働需要が労働供給を恒久的に上回る時代においては、労働流動性を抑える代わりに社員に保障を与える慣行が合理的とされていました。また、そうした中では長期的雇用が企業特殊的な人的資本投資を可能にしてきたといえます。正規雇用者の解雇が非常に難しいため、労働時間調整のための長時間残業が恒常化され、またそれに適応できない女性が統計的に差別される構造が作られました。しかし、労働需要が供給を上回らなくなった今、企業は正規雇用を減らして新規雇用・再雇用について非正規雇用を増やす方向に切り替えています。その結果、若者と女性の機会はますます少なくなる状況が生まれています。

個人を軸とした社会設計を――

ワークライフバランス政策は、究極的にいうと、どのような理念でもって社会作りをしていくかにかかります。あるべき理念としては、やはり個人を活かす社会、個人のエンパワーメントを図る社会に尽きると考えます。時間利用について、個人の生活や生活設計に関する選好を企業の都合より優先させること――。このことを軸に個人の選考に中立的な制度を構築し、多様な個人のエンパワーメントを図ることが重要と考えます。

最後に、ホワイトカラーエグゼンプションについて一言コメントさせていただきます。時間的拘束が非常に強い現在の労働状況においては、個人が雇用時間を自由に選べる権利を同時に保障しない限り、いわゆるサービス残業が増えるだけに終わってしまう懸念があります。意図せざる結果を生まないためにも、実証的な根拠に基づいて政策を提言すべきです。

質疑応答

Q:

日本では、非合理的な長時間労働を一時期しても、老後を含めた人生全体で見るとワークライフバランスが実現できているという説があります。それとも、個々の時点でのワークライフバランスを最大化する社会にした方が良いと考えていますか。あるいは、日本的な風土を変えていく必要があると考えているのでしょうか。

A:

人生全体のワークライフバランスという前に、就業年齢の間だけで考えても問題があります。

日本的雇用慣行については「条件付合理性」といいますが、確かに正規雇用の強い保証という制度を前提とすると、他の制度が合理的となると考えられます。たとえば、解雇ができない条件下では、労働時間調整のための残業ないし非正規雇用なども合理的な制度といえるでしょう。ところが、現在はこの前提である正規雇用の強い保障と拘束との交換が、女性や若者の質の高い雇用の推進のネックとなっています。ですから正規と非正規雇用の待遇格差の縮小と共に正規雇用の整理解雇規制の緩和が必要です。ただしやみくもに労働の流動性を高めるのではなく、労働者が安心して動ける環境の整備を同時に考える必要があります。

日本の場合は、企業の内部労働市場が発達する一方で、外部労働市場が殆ど発達していない状況があります。会社が変わってもキャリア形成が断絶しない雇用構造に変えていくべきですが、その際に予想される失業者の増大に対しては、セーフティネットの拡充で対応していく必要があります。このように政策をセットにして実施していく必要があります

(注)講演者から、質問への直截な回答として下記の追加があります。

そもそも、「人生全体でワークライフバランスが実現できている」という意味はどういう意味でしょうか? 家庭のために仕事を犠牲にした女性は、老後に仕事に意味をみいだすことはもはやできません。また育児や子供とのふれあいにかかわらずに仕事のみに生きた男性は、老後になって子供の成長にかかわることは不可能です。現在仕事も家庭も犠牲にしたくない男女が増えています。ですから男性は家計を女性は家事育児をという伝統的男女の分業は変えていく必要があります。また日本社会も常に変化します。何をもって日本的風土と呼ぶかは議論の余地があるでしょう。

Q:

少子化と表裏一体の問題として、高齢化と介護の問題があります。雇用制度の見直しに際して、介護の問題はどのように組み込むべきでしょうか。

A:

少子化がもたらす結果のうち、介護負担、年金負担、若者の機会減少の3つが主にあります。社会学の知見ですが、人口構造が逆ピラミッドになると若者の機会が奪われていくという構造上の問題があります。もう1つの少子化対策として、そうした結果の悪影響を回避することは最優先の検討課題だと思います。

Q:

収入を増やすよりは養育費を減らす方が出生率向上に効果的であることを示唆されましたが、今の日本の施策は給付や補助に偏っている印象です。市場のニーズを満たす施策をとらないことによる機会損失が非常に大きいように思われます。

A:

たとえば、子ども手当ては子どもに費用をかけない世帯にとっては出生率を上げる効果がありますが、子どもに費用をかける世帯にとってはあまり効果が無いと考えています。また、使途を制限していないため、子どもへの投資を促進する、つまり子どもをサポートする施策なのか、それとも子どもを持つ親をサポートする施策なのかがいまひとつ不明確です。

子どもをサポートする政策を支持する観点からは、子ども手当てに関しても使途を制限するのが望ましいといえます。また、子どもの「質」の費用を下げる施策は、子どもに費用をかけるインセンティブを高めてくれます。ところが、今の子ども手当てはそうしたインセンティブの面まで突き詰めて考えていない気がします。

さらに、ご指摘の通り、子どもをサポートする市場を活性化する観点が重要です。このまま少子化が進むと、子どもに関連するサービスを提供する市場がインセンティブ的に発達しにくくなるため、ますます子どもを育てにくい環境となります。子どもを持つことが心理的にも経済的にも豊かな暮らしに結びつく――そうした構造を社会全体として作っていくビジョンが政府には求められます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。